第一三話 耐火レンガと鉄つくり その二 ~内政結果~
◇思い出澄隆(五歳の頃……)続き
日本の製鉄と言えば、砂鉄から鉄を取り出す、たたら製鉄。
たたら製鉄は、巨大なふいご(扇風機みたいなもの!)を使って炉の温度を上げ、砂鉄から鉄を精製する技術だ。
鉄鉱石から鉄を作る製鉄が広まると、その方が大量に鉄を生産できるため、その工法が主流になり、たたら製鉄は縮小していく。
そんなたたら製鉄の利点を上げると、鉄鉱石に比べてリンや硫黄などの不純物の成分が少ない強度の高い優れた鉄を作れること。
その鉄は、玉鋼と呼ばれている。
俺は、前世で、たたら製鉄を体験したくて、奥出雲町に行ったことがある。
その時に学んだ窯作りを思い出しながら、俺は自分でも呆れるほどの下手な絵を描いて、光俊に渡した。
「は、はい……。これですか。畏まりました」
光俊は、目を点にしながら頷く。
いいんだよ、下手な絵だと言っても。
たたら製鉄の作業は、村下と呼ばれる責任者の秘伝で、謎の製鉄技術と呼ばれてきたものだ。
たたら製鉄の体験をした時に教えて貰ったのが、製鉄の成功の秘訣は『一土、二風、三村下』であり、土の選定や風も重要だが、村下の秘伝が重要だということ。
俺は、その秘伝が面白くて、一生懸命覚えた。
まず、窯作りとして、二丈ほどの穴を掘り、一番下に排水溝を設け、その上に粘土と砂利の層を作る。
その上に、耐火レンガで立方体の炉を作り、周りを粘土で覆う。
立方体の側面には送風配管を左右二十箇所ほどつけて、ふいごで、炉の中に風を送れるようにする。
炉の下には製鉄中に不純物を出す穴を開ける。
そして、立方体の上面から、炉内に砂鉄と木炭を定期的に入れて温度管理をしながら製鉄する。
製鉄中の秘伝は、これ以外にもたくさんあった。
記憶している限り、下手な絵に注釈で書いておいた。
窯作りから玉鋼が出来るまで一週間ほどかかり、簡易的な耐火レンガなので、一回終わるごとに窯を作り直す必要があるため、時間もかかるし、製鉄量も多くできない。
耐火レンガは完成したし、窯作りは進められる。
まずは、砂鉄集めだ。
宗政だ!
「宗政! 今度は砂鉄を買ってきてくれ」
「え、ええと、砂鉄ですか……どこで買いましょうか?」
前世の知識によると、採れる砂鉄の地域によって品質が異なり、出雲国(今の島根県)や播磨国(今の兵庫県)の砂鉄が良いと記憶している。
「出雲国だ! 斐伊川辺りて産出しているはずだ。隆佐殿を通して堺の商人の伝で買ってきてくれ」
口で言うのは簡単だが、買うのは大変だろう。
金も相当かかる。
ただ、宗政ならできる。
頼んだ。
…………………
宗政は、堺の商人の紹介状を持って、出雲まで買い出しに出掛けた。
ちょうど斐伊川辺りで始まった砂鉄の産出が軌道に乗り、砂鉄が売れる状況になっていたこと、まだ買い付けのライバルがいない状況だったこと、堺の紹介状の効果もあったこと、宗政の交渉も良かったからか、値段は高かったが、定期的かつ大量に買う約束を取り付けたらしい。
宗政、偉い!
出雲まで遠出してきた宗政は疲れた顔で、痩せたこけし人形になっている。
少しだけ休んで良いぞ。
後は、木炭だ。
幸い、この志摩国は山ばかりで木は豊富だ。
足りなければ堺から買い付ければ良い。
何とかなるだろう。
俺は、志摩国初のたたら製鉄を始めることにした。
………………
ここからも、苦労の連続。
前世の記憶通りに、窯作りをして製鉄をしたが、最初は全くできなかった。
できた鉄を叩くと粉々になってしまう。
つまり鉄になっていない。
「光俊……ふいごを改良して風を炉にもっと送れるようにしてくれ」
送風が思うようにできず、温度が上がらなかったため、砂鉄が溶けずに粉のままで、失敗したようだ。
光俊達が、俺の記憶をもとに天秤鞴という、両足で左右それぞれの踏み板を交互に踏むシーソーのような構造のふいごを作った。
これで、格段に簡単かつ効率的に風を送ることが可能になった。
また、燃やす木炭だが、大きな物以外に細かく砕いた物を燃焼率を上げるために追加し、溶けた鉄がたまるように炉内の構造にも工夫を施したところ、段々と出来る玉鋼の量が増えていった。
◇今の十歳澄隆……
玉鋼は、一度の窯で量は多くできないが、多羅尾一族の努力で着々と量は増えている。
毎日、多羅尾一族の忍者たちが忙しそうに窯を作り、火を入れ、玉鋼を取り出し続けてくれている。
視察に行くと、いつも窯から出る煙が目にしみる。
苦情も言わず黙々と働く皆に感謝しかない。
澄み酒を追加で配給しよう。
それで、玉鋼は増えてきたが、玉鋼をそのまま売ることは考えていない。
これまで、澄み酒、干しシイタケ、澄み薬、澄み石鹸を売り出した。
ここに玉鋼まで売り出したら、目立ちすぎる。
それに、玉鋼は、九鬼家の戦力増強に欠かせない材料になる。
今は貯めておこう。
お読みいただき、ありがとうございます!