第一一七話 安宅家の降伏
▽一五七二年五月、鈴木重秀(二六歳)淡路島
今は、太陽が真上に輝き、時折吹く強い風が、九鬼家の旗をたなびかせている。
海も荒れ、大きく尖った白波が作られては消えていく。
重秀達は、信康率いる一万五千の軍勢を撃退すると、深追いはせず、見張りの者を除いて、城で泥のように眠っていた。
その中で重秀は、敵の再度の侵攻を警戒し、愛用の火縄銃を隣に置いたまま、櫓の柱に背をあずけて、座ったまま休んでいた。
その時、伝令が駆けてきた。
「し、重秀様! あ、安宅家から降伏の使者が参りました!」
伝令としてやってきた平八が、息を切らして報告してきた。
重秀は、ガバっと顔を上げると、素早く指示を出す。
「使者は、城外に待機させて! 私がそこに行くわ」
「ははっ」
慌ただしく踵を返して、櫓から降りようとするく平八を呼び止める重秀。
「平八、待って! まだ話は終わってないわよ。策略の可能性を考慮して、各櫓に射撃手を配置するように伝達。……あと、昌長は破損した外壁の補修を監督しているのかしら?」
「は、はい、昌長様は、外壁のところにおりました」
「それなら、私に同行するように伝えてくれる?」
「承知しました!」
重秀は、櫓から降りる平八から目を離すと、洲本城を眺める。
重く湿った潮風が重秀の髪を左右に揺らす。
重秀の視覚できる範囲で、戦特有の殺伐とした雰囲気もなく、特に気になる所はない。
「これは、本当に降伏するつもりかしらね……」
重秀は、そう呟くと、愛用の火縄銃を担いで歩き出した。
………………
城外に急遽、作られた陣幕。
そこに、重秀と昌長が座っている。
陣幕と言っても、櫓にいる射撃手たちから狙いやすいように、椅子と小さな机を並べただけの簡易なものだ。
その重秀と昌長の前には、引き攣った顔をした敵の使者がいる。
その使者は、櫓をチラチラ見ている。
櫓にいる多数の人影が気になるようだ。
その使者が持ってきた書状を読んでいた重秀が、使者に目を向ける。
「そう、無条件降伏するのね」
「は、はい。安宅家は、今後、九鬼家に従いまする」
書状には、安宅家の代表として、重臣である岩瀬石介と住路清兵衛の二人の名前が書かれている。
そして、使者は、手元にあった首桶から、生首を取り出し、恭しく掲げる。
「こちら、降伏の証である安宅家の当主、信康の首でございます」
信康の生首は、美しい顔を怒りで滲ませて、歪んでいる。
余程、口惜しかったのか……。
髪も乱れ、生前の見る影もない。
使者に、暗い目を向ける重秀。
当主の信康を惨たらしく殺すなんて、策略ではなく、本当に降伏するようね……。
それにしても、当主を殺して降伏の証にするなんて、非道いことをするわね……。
重秀は、そっと目を閉じて、一瞬、瞑目すると、昌長に話しかける。
「この首は、澄隆様に送るわよ。ただし、髪を結い直した上で、死に化粧を施してから送ってね」
昌長は重々しく頷く。
野鳥の声が喧しく聞こえる。
戦場には、火縄銃で撃たれ、砂浜に骸を晒した敵兵たちの死体があふれている。
血に誘われた野鳥が群がり、その鳥の声にうんざりとしながら、重秀は憐みの声を出した。
「遺体も、このままでは、いくらなんでも可哀そうね。安宅家の降伏の条件に、遺体の処置も追加するから、遺体は全て引き取ること。身内がいない者は、この場で弔っても良いわよ」
「はっ。城に戻って伝えまする」
重秀にとっては、戦が終われば、憎しみはない。
「じゃあ、一刻ほど待つから、その間に、洲本城の武装を解除すること。ちゃんと解除されたか確認ができ次第、私達が入城するわ。その時に、この書状に書かれている代表者と会うから、その準備をするように伝えなさい」
「ははっ」
使者は、額にかいた汗を手の甲で何度も拭きながら頷いた。
▽
一刻半後。
重秀達は、築城した城に兵の半分ほどを残して、洲本城に向かった。
洲本城の評定部屋。
ここは、信康が惨殺された場所だが、血糊が付いた畳は取り替えられている。
そこに、重秀達と、降伏した岩瀬石介達が対峙している。
「改めまして、これから安宅家は、九鬼家に従いまする」
そう言うと、深々と頭を下げる岩瀬石介。
他の者も石介に倣う。
重秀は、厳粛な面持ちで頷く。
「降伏、受け入れるわ。島にある城は全て開城してね。それと、港にある船、そして淡路海賊衆は、すべて九鬼水軍に編入するけど良いわよね? それで……もう一つ、お願いがあるの」
石介達が、何を言われるのかと構えて、居住まいを正した。
「その船を動かす人員をすぐに増やしたいの。集めてくれる?」
「は、はあ」
眉根を寄せ、怪訝な顔をする石介達に諭すように話しかける。
「淡路島の統治が完了次第、次の戦のために出航したいの。船はあるけど、操船する人数が足りないわ。至急、集めてね」
「は、はい。承知いたしました。ただ、この度の戦で、水夫達も多数、亡くなりまして、人員が集まるかどうか……」
「支度金は準備するわ。来るものは拒まない。漁師でも船の扱いが上手ければ、水夫として雇って構わないわよ」
「そ、それなら、何とか時間を頂ければ集まるかと……」
重秀は、石介達を真っ直ぐに見つめながら、さらに言葉を続けた。
「出航する時には、あなた達には先陣を切ってもらうわよ。武勲を立てれば、褒美は弾むわ」
「わ、儂らにも、すぐに手柄を立てる機会を頂けるのですか?」
「ええ、九鬼家では、意欲のある者にはすぐに機会を与えるわ。手柄を立てれば立身出世は思いのままよ。この軍団を任されている私だって、ついこの間までは、九鬼家の敵方だったし……」
「し、承知しました。粉骨砕身、励みまする」
重秀は、甘言を使って、石介達に欲望の種を植えつけた。
石介達の醜い打算などは見て見ぬふりをして、重秀は笑顔で頷いた。
▽
洲本城に入城した日の深夜。
安宅家の旧臣達と会った評定部屋には、重秀と昌長だけが残っていた。
部屋の四隅には、忍び松明が立てられ、部屋の中を朧に照らしている。
「重秀、危なかったが、何とか勝てたな」
重秀は、酒臭さを感じた。
その臭さの原因を見ながら、呆れ顔で窘めた。
「昌長、飲み過ぎよ」
「今日は飲んでも良いだろ? 重秀も飲め」
気分良さそうに、盃に酒を並々と注ぎ、重秀に押し付けた昌長。
苦笑しながらも、盃を受け取り、重秀は一気に飲み干した。
その飲みっぷりに微笑みながら、昌長はボソリと呟く。
「儂達が美味しく祝杯があげられるのは、敵を撃退できる城を一夜で築けたからだ。この作戦を考えたのは澄隆様なんだろ? 重秀が澄隆様を崇拝する気持ちが、少しは分かった気がするわ……」
その言葉に満面の笑みを浮かべる重秀。
「うふふ。やっと分かったの。遅すぎるわよ」
重秀は、微笑みながら、酒のつまみを口にする。
安宅家から手に入れた鰯の日干しだ。
かなり塩気が利いており、酒に合う。
日干しの風味を愉しみながら、重秀がいつもより低い声で呟く。
「明日以降も忙しくなるわよ。安宅家は全面降伏したと言っても、それは戦意を喪失しただけ。九鬼家に心から従っている訳ではないわ。弱みを見せれば、途端に牙を剥き出すはずよ……。淡路島の支配を盤石にするために、安宅家の重臣や豪族達一人一人に会って、九鬼家への忠誠を誓わせ、必ず人質を出させる……。それに従わない者は、徹底的に叩くわよ」
昌長は、賛同するように大きく頷いた。
「そうだな……確かに、当主を簡単に殺す安宅家は信用できん。手綱を強める必要があるな」
「そうね。飴と鞭を上手く使っていきましょう」
「ああ……」
重秀は、女豹のような眼光を急に緩めてニコリと笑うと、明るい声を出した。
「それはそれとして、澄隆様に良い報告ができるわね」
▽
鳥羽城、評定部屋。
「な、なんとっ!」
近郷が、襖が外れるほどの大声で驚きの声を上げた。
俺の耳がキーンと響く。
相変わらず、声が大きくて煩い。
第四鬼団が、無事に淡路島の攻略を完了させたという報告が入った。
一万五千もの敵勢を退けただけでなく、安宅家を降伏させたらしい。
完全な勝利だ。
「首尾よく島への上陸を果たしただけでなく、島全体の攻略まで、この短期間で成功させるとは……凄まじい手際ですな」
近郷が呆然と呟く。
俺も、この成果に驚いた。
さすが重秀。
武適性の築士術の数値が捌だったことも、成功に一役買ったのだろう。
それと、安宅家の当主の生首も届いた。
死に化粧をして、髪も綺麗に整えられてはいるが、怒りで顔が歪んでいる。
重秀の書いた書状を見ると、味方に裏切られて、殺されたらしい。
裏切りは戦国の世の常だといっても、生首を見ると、いたたまれない気持ちになる。
この生首は、懇ろに弔おう。
これで、九鬼家の領地は、淡路島の石高を入れて、約八四万石となった。
織田家に比べれば、まだまだ小さい石高だが、淡路島が取れたことは、今後のことを考えると、非常に大きい。
四国に攻め込む道筋が出来た。
それに、野田城と福島城に立て籠もっている三好三人衆は、四国や淡路島からの補給ができなくなった。
早速、左近率いる第二鬼団に、攻略を開始させよう。
………………
後日、淡路島に一夜にして城を築き、敵を完膚なきまでに叩いたことが畿内にまで広まり、大きな評判となった。
この城は『大洗一夜城』と呼ばれるようになる。
また、上陸した場所は、砂浜が戦で血で赤く染まったことから『血大洗海岸』と呼ばれ、後世まで、その名が残ることになる。
次回からは、内政を少ししたら、伊賀国が舞台(の予定)です。
お楽しみに!