第一一三話 敵前上陸大作戦 その三
▽一五七二年五月、鈴木重秀(二六歳)
淡路島攻略船団が淡路島に向かって、波を切って突き進む。
先頭の荷船には、重秀が乗船している。
その重秀が、見送る澄隆様のお姿を思い出し、全身を震わせた。
「重秀、どうした? 寒いのか?」
重秀の隣にいた的場昌長が心配そうに声を掛ける。
昌長は、ドロボウ髭をした、見た目はむさ苦しい男だが、穏やかな目付きで幼馴染の重秀を見ている。
重秀は、昌長をチラリと見ると、左右に首を振った。
「寒いわけではないわ。昌長……気付いた? 澄隆様のお気持ちに」
「んん?」
「澄隆様は、送り出す私達のことを心から心配していたわ。本当に澄隆様は、心優しい……」
昌長は、少し呆れたような顔で、声を出した。
「また、澄隆様の称賛か? 最近は毎日、聞いているぞ」
「しょうがないでしよ。素晴らしいのだから。私たちを心配そうに見る、あの澄んだ目……。家臣にあんな目を向ける大名はいないわよ……」
「……儂には、澄隆様の気持ちは分からんよ。ただ、普通の大名とは、言動がだいぶ違うのは分かるがな」
「当たり前でしょ。全く違うわよ。……心優しい澄隆様の期待を絶対に裏切っちゃ駄目よね。淡路島攻略を必ず成功させるわよ」
「ああ」
「今度の戦は、昌長の力も必要になるわ。死闘になるかもしれないけど、よろしくね」
「分かってる」
昌長は、背中に抱える風呂敷に包んだ荷物をチラリと見ながら頷いた。
▽
「進路そのまま。維持してくれ」
船首には、目を凝らして物見をしている、淡路島で雇った漁師達がいる。
漁師の声を頼りに、九鬼家の船団が順調に進んで行く。
神宮湊を出港して、一刻ほど。
陽は大きく西に傾き、雲はオレンジ色に染まっている。
まだ視界は良好だったが、西には連なった入道雲が見える。
淡路島辺りは、悪天候かもしれない。
………………
島に近づくにつれて、上空の雲は厚く、雨が降ってきた。
「ここから潮流が激しくなる。儂らの指示に従ってくれよ!」
「おお、分かった!」
漁師達の声かけに応える水夫達。
ザザーン!
船が波をかぶり、大きく揺れた。
船首が波で洗われる。
「荷船は、揺れるわね……」
「まあ、荷船ですから、構造的に揺れるのは仕方ないですな。ただ、水夫達の腕も良いし、安全性は問題ないですわぁ」
重秀の言葉に、船長に任命した千賀為親が答えた。
目の前に見える淡路島が、船が進むにつれて、だんだんと大きくなる。
▽
島への上陸を拒むかのように、雨の降り方が急激に強まってきた。
桶の水をひっくり返したような大荒れの天気だ。
重秀は、案内役の漁師に確認する。
「どう? この天候の中、いける?」
「へいっ! 確かに雨は激しいですが、波の高さはそれほどではありません。いけますっ!」
「じゃあ、上陸作戦はこのまま進めるわよ」
空は黒灰色へと変化しつつあった。
日も落ち、周辺は漆黒の闇に変わっていくだろう。
重秀は、考える。
……ここは、『忍び松明』の出番ね。
重秀は、控えている多羅尾一族に指示を出した。
「予定通り、『忍び松明』を準備してっ! 松明で照らしたこの船を先導役にして進むわよ!」
「ははっ!」
この松明、竹の皮で覆った筒に火薬や布を詰めた物で、水が掛かっても竹筒の中には水が入らずに火が消えない、一族秘法の特殊な物だ。
竹筒の全長は二尺ほど。
太さは三寸。
竹筒の上部には、持ち運べるように、鉄製の把手が付いている。
多羅尾一族は、秘密道具である『忍び松明』を船の船首だけでなく、船の後部箇所にも設置していく。
船の周りが明るくなったが、淡路島にいる敵の見張りに気付かれないか心配になる。
仮に気付かれて、船で迎撃されて海上で戦闘になったら、荷船が主のこの船団では勝ち目はない。
「さあ、この灯りで、敵に気付かれなければ良いけど……」
重秀は、そう呟きながら、天を仰ぐ。
雨は相変わらず激しい。
幸い、この豪雨で遠くはほとんど見えない。
これなら、敵の見張りに気づかれる可能性は低いのかもしれない。
このまま降り続いてね。
重秀は、戦場で初めて、火縄銃の天敵である雨が降り続いて欲しいと願った。
………………
物見をしている漁師が怒鳴り声を上げる。
「もうすぐ、目的の砂浜に着くぞっ!」
豪雨で視界が悪く、水夫達には何処にいるかは分からない。
「良く場所が分かるな!」
感心するように返答する水夫に漁師が答える。
「ここは儂らの庭。岩礁の位置などで、どこにいるかは、すぐに分かるわっ!」
その声を聞きながら、重秀は固唾を飲んで、目の前の景色を眺めている。
護衛としてついてきた関船と小早船は、水深が浅くなり、進むことができなくなったため、既に離脱している。
島に近づくにつれて、波も荒くなり、船が上下左右に揺れる。
忍び松明にも、雨や波がかかるが、さすが、多羅尾一族秘法の松明だけあって、火が消えることはない。
重秀は、船内の手摺を握りこむ。
汗ばんだ手になっていることに気が付く。
もうすぐ。もうすぐよ……。
重秀は、逸る気持ちを押さえ込み、船が上陸するのを待っていた。
周辺には、敵の船は確認できない。
あと少し……。
…………。
……。
ガコンッ!
船体に衝撃が走る。
船底が砂浜に乗り揚げ、船が急に止まった。
重秀は、急いで後ろを振り返り、目を凝らして見ていると、数多くの味方の船が脱落せずに、砂浜に乗り揚げていくが分かる。
この瞬間、重秀は狂喜した。
やったわ!
海鳴りが響く中、重秀は拳を振り上げた。
まずは、夜の闇に紛れて、島への上陸は成功した。
……次は、築城ね。
次回は、淡路島内での築城から始まります。
お楽しみに!