第一〇ニ話 織田家評定
▽一五七一年十一月、織田信忠(一四歳)岐阜城評定用大広間
ここは、岐阜城の大広間。
定期評定を行うため、主だった家臣達が揃っている。
ただし、横山城で南近江を押さえ、京との連絡路を確保している明智光秀は、戦線が活発化している中で動かすことができず、評定には不参加となっている。
上座に座る織田家当主、織田信忠は、もともと肉付きの良いふっくらとした顔付きであったが、今では痩せて頬がこけ、顔色は青く、目がギラついていた。
穏やかだった性格も様変わりし、まるで父である信長のように激しい気性になり、家臣達は腫れ物に触るように恐れていた。
……その信忠が変わったのは、信長が亡くなって以降、織田家にとって悪いことが重なって起きてからだ。
まず、周辺の大名達との戦さが、後手後手に回っている。
浅井家、朝倉家の両家に、共同戦線を張られ、少しずつ領地を削り取られている状況だ。
石山本願寺との戦いも激化し、一向一揆が領内で頻発している。
特に、長島一向一揆が酷く、北伊勢にある織田家の城をいくつも落とされている。
また、一時、恭順を示していた比叡山延暦寺も敵対し、織田家打倒の急先鋒になっている。
この織田家の苦境の最中、信忠のもとに、新たな凶報が届いた。
「何ぃぃ! 信雄が敗れたと申すかっ!?」
「は、はいぃぃ」
ギリッ……
信忠は、歯ぎしりをしながら、敗戦を報告してきた家臣に問い質す。
「信雄に付けていた秀隆はどうしたっ? 無事なんだろうな?」
「そ、それが……。な、亡くなったとのこと……」
ガタッ!
信忠は、驚きのあまり、もたれていた脇息を倒した。
思わず、その脇息を掴み、報告してきた家臣に向かって投げつける。
「ひっ!?」
「信雄めぇぇっ! 自信満々に勝てると言って出陣して、この体たらくか! それで信雄はどうした!?」
「そ、それが、九鬼家に捕まり、大河内城に幽閉になったとのこと。こ、こちらが、幽閉中の信雄様からの書状でございます」
信忠は、家臣から引ったくるように書状を取り、読み続けているうちに、額に太い癇筋が浮く。
そのまま書状をビリビリと破きまくる。
「信雄めぇぇっ! 言い訳や泣き言ばかりで、使えんやつめっ!」
織田信忠はそう言って、俯くと、怒りのあまりプルプルと震える手で、懐に入れていた金色の扇子を持った。
この扇子、信長が愛用していた形見の扇子だった。
信忠の側には、信長が能を舞う時に使っていた古ぼけた小鼓も置いてある。
信忠は、視線を下げたまま、大きく息を吐いた。
「ふぅぅぅ。信雄のことは、もうどうでもいい……。母上は悲しむだろうが、磔になっても構わん。そんなことより、比叡山からの返答はあったのか?」
比叡山との調整を進めている家臣が答えた。
「はっ。改めて恭順を示せば、これまでの反抗はお咎めなしとの使者を何度も送りましたが、なしの礫でございます」
「くそ、どいつもこいつも舐めおって……」
信忠は、キリキリと歯を噛み鳴らした。
日は暮れ落ち、辺りが暗くなってきた。
信忠の近習が、灯りのついた燭台を運んでくる。
家臣達は、近習が燭台を置く間も、じっと信忠を見つめていた。
凍りつくような沈黙が評定部屋を支配している。
「の、信忠様……」
この雰囲気に耐えかねたように、筆頭家老の林秀貞が言葉をかける。
ただ、信忠は、視線を落としたまま、扇子をギュッと握っている。
そのまま、誰も言葉を発さずに時だけが経過する……。
不意に信忠が口を開いた。
「秀貞」
「はっ」
「我ら、織田家にとって、今、なすべきことは何か……?」
苦渋に満ちた顔をしていた信忠は、独り言のように呟いた後、驚愕の一言を発する。
「これまで、儂の対応は、生温かったな……。敵対した比叡山延暦寺は、全て焼き払うことにする」
「なっ!?」
信忠の発言に、秀貞は顎をかくんと落として、目を見開いて驚く。
部屋にいる家臣達も、信忠の発言が信じられないのか、騒然とする。
信忠は顔を上げ、家臣達をゆっくりと見つめる。
その目は、冷たく狂気を孕んでいた。
「お前たち、よもや、反対する者はおるまいな?」
皆、発言を控えて目線を落とす中、ひときわ大柄な男が真っ先に反応した。
「比叡山を焼き払う判断をされたこと、まっこと素晴らしい! 宗教を忘れ、僧兵を養い、酒を飲み、女人まで引き入れている延暦寺の坊主共は、皆殺しにしてやろうぞっ!」
そう発言したのは、織田家の戦闘部隊を支える柴田勝家だ。
この勝家、針金のような髭がもみあげから顎まで生え揃えられ、まるでライオンの鬣のような形になっている。
荒々しい雰囲気もまるで大型の獣のようだ。
恐れ慄き、震える秀貞が言う。
「だ、だが、比叡山は古来より犯してはならぬ日本の聖地。焼き払うと神罰が怖いぞ……」
秀貞の隣に座っている、お腹が出た小太りな男、佐久間信盛なども秀貞の発言に頷く。
「ちっ。神罰など、何を馬鹿なことを。織田家に仇なす者は全て糞だっ。比叡山の糞坊主どもなど、いくら殺しても罰など当たらんっ!」
見る者を、圧迫する態度で言い放つ勝家。
その言葉に、血気盛んな武闘派の蜂屋頼隆や佐々成政、前田利家なども頷く。
信忠は、扇子で膝を叩いて、口角が上がる。
「勝家、よう言うた! 比叡山など恐れる必要はない! 各々、よろしいな……」
信忠の言葉に、家臣達は黙ってしまう。
「反対する者はいないようだな……。よし。比叡山の焼き討ちは、全軍を持って当たる。ゆめゆめ準備を怠るな」
最近、禿げ上がって広がってきた額をゆっくりと拭いている男、丹羽長秀がいつも通り、唯々諾々と信忠の意見に静かに頷き、質問した。
「いつ、決行しますかな?」
「そうだな……。準備を考えると三ヶ月後だ。それまで比叡山に悟られるな」
もう外は、すっかり暗くなり、燭台の灯りが儚く輝いている。
信忠は、再度、家臣たちを睨み付けるように一瞥し、側に置いてあった小鼓を手に持つと、大広間から足音を立てて出ていった。
勝家も、蜂屋頼隆や佐々成政、前田利家などを引き連れて、大広間を後にする。
比叡山の焼き討ちは、どういう結果をもたらすのか、常人には予測もできない。
残された秀貞や信盛達は、重苦しい表情のまま、大変なことになったと、お互いの顔を見合わせていた……。
▽
ここは、近郷の自宅。
居間にて、近郷は晩酌をしていた。
鳥羽港でとれたミル貝で作った煮物を摘みながら、澄み酒を飲んでいる。
その近郷の前には、三人の若者がいる。
その三人は、近郷の義理の息子になった大谷吉継、石田三成、小西行長だ。
今日は、鳥羽城で行われた論功行賞の後、近郷が声をかけて四人で集まっていた。
吉継、三成、行長とも、綺麗な所作で、近郷になみなみと注がれた酒をチビチビと飲んでいる。
近郷は、澄み酒を口に含むと、満足そうな溜息をつきながら発言する。
「ふぅ……。この鼻を抜ける酒精の余韻が格別だ。お前達、この酒は澄隆様から頂いた逸品だぞ。どうだ、旨いだろう?」
「「「はいっ」」」
一緒に飲んでいる三人も、肯定しながら、酒を味わっている。
近郷は、器に残っているお酒をグイと一飲みにすると、口を開いた。
「九鬼家は八十万石をこえる大名になった。あの強大な織田家にも圧勝した。今日は、皆で祝うことにしよう」
行長が顔を綻ばせて頷く。
「そうですね! 九鬼家の発展を祝して」
近郷たちが飲み続けること一刻あまり。
お互いの近況を語るが、自然と澄隆様の話になる。
「そう言えば、澄隆様が発案したという、あの五人組撃ちの工夫、儂は心底驚いたぞ! 雑賀衆の射撃の腕があったとはいえ、あれ程の戦果を上げるとは……」
その近郷の発言を受けて、吉継が大きく頷く。
「私も神の御業のように思います。ただ、澄隆様は、現状に満足せず、この城に戻ってからも禁秘の部屋で、毎日、深夜まで何やら考えを巡らせていると聞きました。澄隆様のお身体が心配です」
近郷が諦めた様子で愚痴をこぼす。
「そうだな……。儂がいくら諫めても、夜更かしを止めない。困ったものだ」
酔っぱらった行長が、おにぎり顔を真っ赤にしながら言う。
「た、ただ、まだ怪我も完治していないのに、まったく休もうともしない。その澄隆様の行いは、本当に素晴らしいと思います!」
澄隆にとっては、前世のトラウマから来る切迫感でやっているだけだが、行長らには分からない。
近郷が、飲みながら思い付いたように手を叩いて呟いた。
「そうだ。澄隆様から本日、鬼団という組織を新たに設けるという話を聞いたぞ。近日中に発表されるはずだ」
三成が、鬼団という言葉に反応して、前のめりになって尋ねる。
「鬼団とは、どういうものですか?」
「一言でいうと、澄隆様に代わって、戦場で常時戦う軍団だ。鬼団を統括する長として、第一鬼団は澄隆様。第二鬼団に左近、第三鬼団に勘兵衛、第四鬼団に重秀を置くとのことだ。儂は、澄隆様の補佐として第一鬼団に入る」
近郷は、澄隆様から聞いた内容を三人に詳細に話していく。
吉継が驚嘆した声を出す。
「なるほど。卓抜な着想ですね。年中戦える常備兵だから、可能な組織とも言えます。澄隆様は、これを見据えて常備兵を揃えていたのか……」
三成が、器に入った酒に目線を落としながら言う。
「澄隆様の発想は、どこから生まれてくるのか。私も見習わなければ……」
皆、澄隆の非凡さをひしひしと感じていた。
「澄隆様の考え通りに軍拡が進めば、来年も九鬼家は戦いに明け暮れることになる。そして、九鬼家の勢力はさらに拡大するに違いない。お前たち三人は、まだ、若い。既に武功を上げていると言っても、鬼団の中では、まずは支援という形になるだろう。だが、年を重ね、努力し、経験を積んでいけば、お前たちが軍の中核になれるはずだ。そのために、今はどんな役目でもしっかりと働くんだぞ」
そう言う近郷は、三人の目を、温かい視点でしっかりと見た。
「そして、澄隆様の信頼を裏切るようなことはしてはならん。それは守ってくれ。良いな?」
「分かりました」
と、冷静に答える吉継。
「それはもちろん」
と、背筋を伸ばして言う三成。
「は、はいっ!」
と、顔を引き締めて答える行長。
近郷は、三人に微笑みながら頷くと、酒を注ごうと徳利を持つが、徳利が軽い。
澄み酒が尽きたらしい。
「よーし! 真面目な話はここまでだ。酒も終わった。今日はこれから特別に、裸踊りの秘技を教えてやろう。さあ脱げ脱げ!」
「えぇぇ!?」
仰け反る三人。
三人の反応を気にせず、脱ぎだす近郷。
「はっはっは。ここには儂たちしかいないんだ。恥ずかしがることはない。人前で踊れるよう、しっかり教えてやる」
近郷が、三人をふんどし姿にさせると、率先して踊りだす。
酔っ払っている三人は、近郷の勢いに負けて、渋々、見様見真似で踊り始めた。
四人で息を合わせた裸踊りをする、まさにシュールな光景が広がったのだった。
次回は、最初から九鬼家視点に戻ります。
澄隆が鬼団の編成を進めていきます!