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かけがえのない日常

作者: 冬木アルマ

「ただいまぁ〜、優人(ゆうと)ぉ!」


 彼女の声が聞こえる。

 今日も無事、仕事を完了してきたらしい。


 彼女はドタドタドタと駆け足で俺の所にまでやって来た。生臭い香りと彼女自身の持つ何となく良い香りが合わさり、妙に鼻が痒くなる。


「おかえり、沙耶香(さやか)


 俺がそう言うと、彼女は嬉しそうに笑う。その顔があまりにも可愛くて、思わず彼女の頭をポンポンと優しく叩いた。


「ご飯何?」


「唐揚げ」


「やった、好物」


「まず風呂入ってこい。臭ぇから」


「ぶ〜、それが可愛い女の子に対して使う言葉ですかぁ?」


「自分で可愛いって言う奴、ダサいよな」


「ぶ〜ぶ〜ぶ〜!!」


 ペチン、と軽く俺の腕をはたいてから、彼女は風呂場へ向かった。風呂嫌いのくせに、自分のことを臭いとか言うと不機嫌になるのは何故なのか。ちっちゃい時からの付き合いだが、いまだその心理はわからない。


 ☆☆☆


「……あがったよ」


 風呂上がりの彼女は、ひどく不満気な顔をしていた。タオルを頭にかぶせ、赤い瞳を細めてこちらを睨む。俺はその視線をあえて無視し、彼女に座るよう促した。


「うん、今日も綺麗じゃん」


「……そう言えば許されると思ってる?」


「まあまあ、これでも食べて落ち着けって。仕事お疲れ様」


「……」(ムスッ)


 ぬいぐるみみたいな仏頂面をしながら、彼女は飯を食べ始める。次第に表情を緩め、仕舞にはこの上ない幸せといった顔つきになった。ほんと、分かりやすくて可愛い(ひと)だ。


「悪かったな、言い過ぎたよ」


「ううん、大丈夫。わたしのためだってこと、分かってるから」


「理解が早くて助かる」


「伊達に十五年もお付き合いしてませんからね」


 リスみたいに飯を溜め込んではモグモグと口を動かす彼女に、俺は思わずフフッと笑ってしまう。美味そうに飯をかき込む彼女を見るのが、俺の一番の幸せだ。


「今日の味噌汁、いつも以上に美味しいね」


「良い味噌が手に入ってな。ほら、お前がこの間助けた高橋さん」


「誰だっけ?」


「覚えてない? 二人で出かけた時にさ」


「あ~! あの下敷きになりかけたおじさん! 高橋さんって言うんだ」


「今日わざわざお礼に、って味噌をくださったんだよ。実家が味噌職人なんだってさ」


「へぇ~、今時珍しいね」


「大事なことだと思うぞ。そういうのが残ってるってのは」


「まあねぇ……美味しいのは事実だからねぇ」


 そう言って、彼女は味噌汁を飲み干すとおかわりを所望した。俺は差し出された椀を受け取り、味噌汁を椀一杯になるまで注ぐ。俺がその椀を渡すと、彼女は小さく「ありがと」と言ってから、再び幸せそうに味噌汁を飲み始めた。


「お気に召したようだね」


「うん、これいいわ。いくらでも飲める」


「どこかで会うことあったら、礼を言っておけよ」


「分かってるよ……はぁ〜極楽極楽」


 そうして、俺たちは今日の食事を終えるのだった。


 ☆☆☆


「だら~だら~だらら〜♪」


 夕食後、彼女は変な歌を歌いながら、俺の膝の上で横になっていた。彼女曰く、こうしている時が一番落ち着くらしい。


 俺としても、可愛い彼女を間近で感じれるので全く問題はない。むしろご褒美である。


「毎度思うけど、その歌何なの?」


「これね、こうして歌うとね、全身全霊でだらけてる感じがするの。普段が普段だからさ、こうでもしないとちゃんとゆっくりできないんだよね」


「なるほどね。ストレッチみたいなもんか」


「そう言うとなんか筋トレしてるみたいでイヤかも」


 と、他愛ない会話を再開させていくと、話はだんだん彼女の仕事の愚痴に変わっていく。


 仕事は彼女にとって楽しいものではない。鬱屈とした感情が出てくるのは当然である。多感な性格の彼女には耐えられないものなのだ。


 だからこそ、俺は彼女の言葉にしっかり耳を傾ける。彼女の支えになれるようしっかり彼女のケアをする。日常のパートナーとしての、俺の果たすべき役割だ。


「だからさ、そのクソ爺が嫌味タラタラな奴でさ、あたしのやることなすこと一々文句言ってきてさ……って優人、聞いてる?」


「聞いてるよ。要するに――――」


 俺が要約すると、彼女は再び笑顔になって、


「そう! ホントにムカつくの!! あいつ、機会があったら引っ叩いてやろうか」


 と、今度は悪そうな顔をして物騒なことを言い出した。


「本当にやるなよ? 一応その人にも立場ってのがあるんだろう。お前にもあるようにな」


「ぶ〜……分かってるけどぉ……」


 今度は子どものようにふくれっ面。コロコロと表情が変わっていく様を間近で見るのも、俺の特権の一つだろう。


「ま、あまりに酷いようなら遠慮しなくていい。そいつなんざ、お前の敵にすらならないんだから」


「えへへ、うん! そうだね!」


 頭を撫でているからか、彼女は気持ち良さそうな表情でそう答える。


 俺は彼女の仕事や職場について、余計な口出しはしない。部外者の俺が口出ししていいものではないし、知りもせずにあることないこと言うのは失礼だ。


 それに、彼女の問題は結局、彼女にしか解決できない話でもある。情けない話だが、俺は彼女の愚痴をこうして受け止める以外、彼女の役には立てないのだ。


 それが歯痒くもあり、申し訳なくも思う。


「なあ沙耶香」


 思わず、彼女に声をかける。


「ん? なあに?」


 彼女の無邪気な顔が俺の目に映る。俺はしばらくそれを眺め――――


「いや、何でもない」


 素っ気無く、誤魔化すようにそう言った。

 彼女は不思議そうに首を傾げたが、それ以上は気にすることなく俺との会話を続けるのだった。


 ☆☆☆


 夜明け前、俺は彼女より少し先に起床する。


 彼女の朝は早い。皆がまだ夢の中にいる頃、彼女は独り仕事に向かう。


 俺は軽く調子を整えた後、彼女の弁当を作る。ある程度の仕込みは前日に終わらせ、仕上げと盛り付けだけ行う。


 弁当のおかずは、一からの手作りだ。大変じゃないかと彼女に言われたが、彼女のためを思えば全く苦にならない。元々料理は好きだし、それに――――


 毎日必死に仕事をこなす彼女に、残り物などという手抜きをするのは、俺の矜持に反する。彼女への――――裏切り行為になる。


 卵を焼く。彼女は甘口が苦手なので、砂糖やハチミツは使わない。シンプルに、塩のみである。そこにネギも混ぜて香味を加える。これが、彼女の好物だ。


 時々思う。彼女は、俺と一緒にいて幸せなのだろうか。俺には、彼女のような力はない。彼女の苦労を本当の意味で分かち合うことはできない。俺はただ、この家で彼女が無事帰ってくるのを祈るだけ。祈ることしかできない。


 幼なじみというだけで、ずっと一緒にいた。身体が弱かった俺は、いつも彼女に守ってもらっていた。彼女は「優人といると安心する」と言ってくれるが、俺は彼女に何一つ貢献できていない。助けてもらってばかりで、助けたことなど一回もない。


 彼女は今や、俺だけでなく、人類皆を助ける存在にまで成り上がった。それでも、彼女の性格は昔から一切変わっていない。この先も、変わらないでいてくれるだろうか?


 彼女の仕事は、安全など一切保証されない、極めて危険なものだ。つい昨日も、何十人もの死者が出たとニュースが報じていた。彼女は、唯一人の生存者だった。彼女は、仲間の死体が転がっているなか、たった一人で任務を遂行したらしい。絶対不可能と言われた、高難度の任務を、だ。


 正直、怖かった。

 彼女の強さは誰よりも知っているし、深く信頼している。だがそれでも、絶対の保証はない。ある日、元気な彼女の代わりに赤紙の通知書が届いたら、と思うと吐き気がする。そんなことになったら、俺は耐えられる自信がない。


 彼女は戦闘狂でも、ましてや他人の死に何も思わない非情者でもない。去年友達が殉死した時、俺の膝の上で静かに泣いていた彼女の姿を、俺は一生忘れない。


 彼女は、そんな非日常な世界で、今日も仕事をこなしている。


 それでも、彼女は俺の前ではいつもの姿を見せてくれる。無邪気に笑い、他愛ない会話をしたり、風呂に入るのに抵抗したり――――だから俺も、いつも通りに過ごす。それが、彼女のためだと信じて。


 俺は、俺のできることを精一杯やる。彼女を信じる。最後の最後まで――――


 ☆☆☆


「ほら、遅刻するぞ。早く用意」


「分かってるってば〜〜ゆうとお、手伝って〜〜」


「はいはい」


 彼女の寝起きはすこぶる悪い。俺が必ず起こしに行く。そうしないと、彼女は後五時間は夢の世界を楽しんでしまう。


 彼女の身支度を手伝い、弁当を手渡す。彼女はいつも嬉しそうにそれを受け取る。その顔を見れるだけで儲け物である。


「今日も昨日と同じくらいになるかも。でも、なるべく早く帰るから」


「はいよ。今日は鮭のムニエルな」


「やった! ちょうど食べたかったの。ほんと、優人はあたしのこと分かってるぅ!」


 出る前に今日の夕食のメニューを伝える。彼女の気が少しでも和らぐように。


「んじゃ、いってらっしゃい。早く帰ってくるんだぞ」


「はいはい、分かってるって」


 どこにでもあるようなやり取りをして、今日も彼女は死地に赴く。それを見送るのは、何とも複雑な気分である。まるで、俺が彼女に死ねと言っているような気がして――――


「優人」


 彼女の声に思わずハッとする。彼女は、いつもとは違う、真面目な顔をしてこちらを見つめていた。その姿はまさに、英雄と呼ばれるに相応しい顔つきだった。


 彼女はその顔のまま、しばらく無言で俺を見つめた後、ニッと優しげに微笑んだ。


「いつもありがとう。優人、大好き」


 一瞬、頭が真っ白になった。モヤモヤと漂っていた黒いモノが、その言葉できれいに洗い流されたのを感じた。彼女の綺麗な黒壇の瞳が、俺の心を優しく撫でてくれていた。


「……俺もだよ沙耶香。大好き」


 涙が出そうになるのを必死に堪えながら、俺は素直にその言葉を口にする。それを聞いてから、彼女は軽く手を振って出ていった。


 しばらくの間、俺はその場に立ち尽くした。


(どうやら、メンタルケアをされていたのは俺の方だったようだ)


 情けない、本当に情けない。

 そうだ、俺がしっかりしないでどうする。誰よりも彼女を信頼しないでどうする。彼女が安心して帰る場所を作る、それが俺の使命じゃないか。


 ギブアンドテイク――――いただいたら、別の形で返さなくてはならない。どんな相手だろうと、例外はない。


「さて、それじゃあ、今日もやりますか」


 彼女が今日も帰ってこれるよう、俺は今日の仕事に取り掛かるのだった。


   終わり

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