7 本音とトラウマ
(いい天気だなぁ……)
甲板の手すりに体を預け、上体を反らしながら空を仰ぐ。真っ青な空に綿菓子のような雲がぷかぷかと浮かび、形を変えながらゆっくりと流れていく。海は凪。穏やかな風にのり、船は幾分速度を落としながら目的地に向かい前進する。
(いよいよかぁ…)
衝撃の事実を知らされたあの日から9日。
終始順調だった船旅は当初の予定を早め、既にジャハラードの海域に入った。入港先の首都「アルナ」まではあと半刻ほどで到着するのだそう。
あの日の出来事は結局夢オチとはならなかった。
私が今船にいることも事も、ジャハラードに向かっていることも、そこが続編の舞台であることもすべてが現実。
爆睡から目が覚めキュウキュウと鳴くお腹に、用意されていたサンドイッチを放り込み、ゆっくりじっくり頭の中を整理すると「よし!」とばかりに現実と向き合う決意を固めた。
それから数日。
更にアレンと詳細を詰めつつ、現在に至る。
現時点で私が把握している事実は下記の5つ。
その1。これから向かうジャハラードは再びゲームに関連する王国であること。
その2。そこには私ではないヒロインが存在し、中々に重苦しいテーマのストーリーが既に展開しているであろう事。
その3。アレンがその続編の攻略対象者である事。
その4。アレン(康介)は【白き乙女ステラ】のヘビーユーザーではあったが、続編は未プレイであり、サイトを閲覧した程度の情報しかもっていないという事。
その5。続編にステラは登場しないため(サイト情報)、滞在中はあくまでモブ、もしくはNPCという立ち位置である事。
「なんだかなぁ……」
ため息と同時に意味のないぼやきが口をつく。
アレンこと「アレクシス殿下」は、私がヒロインだった前作では隠れ対象者として登場した人物だった。ポジションは原則、私のサポート。幼少期の幼なじみから始まり、青年期は従者&学友として私が物語から脱線しないようにヒントやアドバイスを与えるサブキャラ。
攻略対象者ではないため、単なる友人としてエンディングに立ち会うことが常だが、ある一定の条件を満たした場合にのみ攻略対象者として格上げされる、文字通り隠された対象者だった存在。
私たちがこの世界に転生したことにより、ストーリーの大部分は改変されてしまったが、結果として私はアレンを選び、更に【白き乙女】として王国の滅亡も阻止して、オールハッピーエンドとなった。
それなのに…。
既に攻略済みの対象者であるアレンがなぜ続編のヒロインの元に向かっているのか。しかも特別枠でもなんでもないただのノーマルキャラとして。
転生前、ゲームに疎く、オセロやソリティア、数独なんかの「しわしわゲーム」しかやったことのない私には未知のルール。使いまわされ、本人の意思確認もされないまま無理やり恋愛対象を変更させられるキャラクターの心情を考えるとどうにも心がモヤモヤする。これが現実の出来事となればなおさらだ。
(アレンの心変わりを心配してるわけじゃないけど、やっぱちょっと引っかかる…)
これはたぶん、私の前世でのトラウマのせいだろう。
大学生の頃付き合っていた彼氏。名前は三須新。私にとって初めてできた彼氏でもあり結婚の約束までしていたにも関わらず、会社の上司の娘と二股にかけ、結婚資金として貯めていた預金を全額持ち逃げした挙句、アメリカに逃げて行った最低の男。
(アレンがあんなクズと一緒だなんて思ってない。昔から変わらず誠実で一途な人だもん。でも…)
少しだけ怖いと思ってしまうのは、自分に自信がないせいかもしれない。
目を閉じてぼんやりと風に吹かれていると、バサバサと頭上から大きな音が降ってきた。うすく目を開くと先ほどまで大きく風をはらんでいた帆が順番に畳まれていく。
「もうすぐ入港だそうだよ」
いつからそこにいたのか、隣には同じように手すりにもたれたアレンが立っていた。ここ数日間のラフな恰好から一転、白を基調とした礼服に身を包み、腰には繊細な細工と宝石で装飾された、およそ実用には向かないであろう長剣を差している。華やかな金の刺繡が施されたマントには深紅の絹生地が裏打ちされ、風に吹かれるたびヒラヒラと翻る。
「カッコいいね。よく似合ってる」
「そう?ありがとう」
幾羽ものカモメが船を囲み、各々が自由に旋回する。気が付けば遥か彼方にあった陸地はもう、すぐ近くまで迫っていた。周囲には国籍も船種もさまざまな大小の船が行き交い、色とりどりの国布を翻す。
それらに目を奪われていた私の手に、手すりをつかんでいたアレンの手がそっと重なった。
華やかな装いとは真逆の、なぜか沈んだ表情を浮かべている。
「どうしたの?」
「…こんな形で巻き込んじゃった事、ちゃんと謝れてなかったなって。ステラはもう関係ないのに…本当にごめん…」
アレンの手に力がこもる。
「…ジャハラードへの視察が続編へのフラグだって気づいた時、君に話すかどうか正直迷ったんだ。ゲームの対象期間は一カ月。黙って行って何事もなければ、君を不安にさせる事も疑念を持たれることもないだろうって。我ながらずるいことを考えてた。もう隠し事はしないって誓ったのに」
「そうだったんだ」
「でも……それじゃ前と同じだって気づいた。だから全部を話して、待っててって…そう言うつもりだったんだ。でも……」
アレンが口ごもる。そして上目遣いに私を見るとぼそぼそとつぶやいた。
「ここ最近の君を見てたら…やっぱり離れたくなくて」
(最近の私……)
決まりが悪そうに目をそらすアレンの態度に、ピンときた。
「そっか。ごめんねアレン…。そんなに心配させてたなんて、私、全然気づいてなかった」
「いや…僕の方こそ器の小さい男で…ごめん」
「そんな事ないよ。そうだよね…。確かに私、最近ちょっと食べすぎだったもん」
「そう…食べすぎ…ん?」
「実は体重、2キロ増えてて…、持ってたドレスが4着入らない……」
「……」
「いつも監視してないと不安だったんでしょ?意外と神経質だもんね。でも安心して。私もうお菓子は食べない。約束する」
今朝の話を思い出し、ぺこりと頭を下げる。それなのに……、
「はぁ……」
なぜか大きなため息を吐き、大きな手で顔を覆うアレン。
「ん…?」
「違う…」
「違う?」
「そうじゃない…っ。僕が言いたかったのは、最近の君がどんどんきれいになって不安になるから、離れたくなかったってこと」
「…………ん?」
「君が鈍いのは知ってるけどまさかここまでとは…。…最近の君…特に覚醒してからの君は、とにかく目を引くんだよ!どれだけの連中が君を狙ってるか知らないだろ?!…そんなところに君を一人残して公務?冗談じゃない。やっとの思いで手が届いたのに……っ」
「……」
「必死なんだよ、こう見えても。全然余裕なんてないからね!!」
(余計な心配だった)
なんだか胸がくすぐったい。
私はくすりと笑うと、周りに気づかれないようにそっともう片方の手を重ねた。
「私が目を引くかどうかは別として、ちゃんと話してくれてありがと。そういう誠実なとこ、ほんと好き」
「……っ」
「巻き込まれたなんて思ってないし、アレンのフォローができるんなら連れてきてくれてよかったって思う」
「ステラ…」
「ついでに言うなら私、船旅ってすっごく憧れだったの。引退したら世界一周旅行!ってコツコツお金貯めてたんだけど、結局叶わなかったじゃない?だから今、ワクワクしてるんだ」
「……」
「ゲームの舞台だからって気を負いすぎることはないよ。いつもの私たちでいいと思う。これは現実。私たちは今この世界を生きてるんだから」
「…うん。そうだね…」
アレンに笑顔が戻る。握られていた手が彼の口元まで引き寄せられ、強く唇を押し当てられた。
「君はいつだって欲しい言葉をくれる。今も昔も…」
「ちょっ…ダメだって」
慌てて辺りを見回す。王子とメイド。こんなところを誰かに見られたらよからぬ噂が立つやもしれない。
「大丈夫。誰も見てない」
「そんな訳な…っ」
アレンの後ろに控える騎士の皆さんが、ささっと視線を逸らす。
「大丈夫。彼らは君の事知ってるから」
あ、そう。
「ここからは何が起こるかわからないけど、僕のことを信じて欲しい。何があっても心は永遠に君の物だよ」
入港を告げる汽笛が大きく鳴り、港の銅鑼がそれに答える。
私たちは間もなく、目的の地に上陸する。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回更新は11/11(金)19時頃の予定です。
よろしくお願いします。