3 今いる場所は?
長らくお待たせしました。再開いたします。
よろしくお願いします。
アレンの端正な顔が離れたところで、ふと周りの景色が気になった。
一瞬で全体が見渡せるほどの狭小な室内。
床も天井も壁も、全てが同じ材で囲まれただけの簡素な内装に、わずかに漂う油のような香り。天井からつるされているシンプルな平笠のシェードも中央に置かれた丸テーブルも極々ありきたりな量産品だ。今いるこの固めのベッドも然り。一見して下町の安宿といった雰囲気は明らかに学園寮の私室とは異なる。
思わず首を傾げ、昨晩からの状況整理に起きたばかりの脳みそをフル回転させる。
(確か昨日は……シンディとセシリアと夜のお茶会を楽しんだ後に部屋に戻ってきて……新しい事業の資料に目を通してたはず…。その時つまんだクッキーがすごくおいしくて…確か隣国の有名な洋菓子屋さんのだってセシリアが言ってたけど、あっという間になくなっちゃったんだよねぇ。また食べたいなぁ。お店の名前なんだっけ…あー思い出せない。…で、それから…アレンに渡すつもりで取っといたマフィンを1つ…のつもりが2つ…、ごめん、うそ…4つ、食べて…。歯を磨いて寝ようかなって思ったら、枕元に置かれてたチョコかおいしそうで口直しに……」
「一粒だけ口に入れて寝た」
「瓶の中、空っぽだったけど?」
私の回想に、間髪入れずにアレンが突っ込む。
「……っ」
「何?なんで睨むの?」
意味が分からない、といった顔でアレンが眉をひそめる。
「睨んでない。けど、やめてよね…。私の頭の中勝手にのぞくの。親しき中にも礼儀ありだから!!」
アレンは時折こうやって、私の思考を読む。何とも不思議な能力だがどうやら私限定のようで、誰に言っても信じてもらえない。
「…それ、いつも言うけど何言ってるの?っていうか今の、全部口から出てたけど…」
「……っ!」
ジトっとした目で私を見るアレンに、慌てて口を押える。
「…どこから?」
「つまんだクッキーがおいしくてって辺りから?」
(ほぼ全部か…不覚…っ)
「全く…夜中に何してるの?」
アレンの両手が私のほっぺたをつまんでゆるゆると引っ張る。
「むが…っ」
「おかしいとは思ってたんだよね。最近この辺が妙にむにむにしてきたから…」
「あぅあぅああぁ…っ」
上下左右に揉みしだかれ、レディらしからぬ声が口から洩れ出る。
「寝る前のおやつは控えるようにってあれほど言ったよね?どうして言う事聞けないかなぁ?」
「き…きのうはたまたまで…っぇぇ」
言い訳なんて意味がないことはわかっているが、言いたくなるのが人の常。
「しかもマフィン…、僕だって食べたかったのに…」
グスンとわざとらしく鼻を鳴らす。
「ご…ごめん…って!マフィンは明日…じゃなくて今日!ううん、今!!今すぐ作って持ってくるから…っ」
誠意が伝わったのか、アレンの手がぴたりと止まった。上目遣いにじっと見つめ、きゅっと一文字に口を結ぶ。ついでにこの手も放してもらえないだろうかと念じてみるが、分の悪い今口に出す勇気はない。ただ黙って成り行きを見守る。
「この後すぐは…ちょっと無理かも?」
「……?なんで?」
今は春休暇の真っ最中。学年が上がる年度末の休みはまだ始まったばかりだ。ひと月半。時間なら腐るほどある。
「うーんと、話すと長くなるんだけど」
言いかけたアレンの言葉を遮るように、突如足元がゆるりと揺れた。
(え?地震?!)
大きく緩慢な揺れが上下し、思わずシーツを握りしめた。
誕生から16年。これまでこの世界で地震に遭遇したことは一度もない。忘れていた感覚が蘇り恐れが体を硬直させる。前世で一度体験した大きな地震が若干のトラウマとして私の中に残っているせいかもしれない。
(う、うそ…こわい…っ)
慌ててアレンにしがみつく。ゆったりと浮かび上がったかと思えば同じ速度で沈み込む。足元がふわりと浮かぶ感覚が何とも言えず、ぎゅっと強く目を瞑った。揺れは数回繰り返したのち、やがて静かにおさまった。
「大丈夫?」
アレンが心配そうに覗きこむ。
「うん…大丈夫。…地震だよね。結構揺れた…」
皆は大丈夫だろうか。寮の友人や家族の事が気にかかる。
「ねぇ早く帰ろう。みんなが心配だわ」
立ち上がりかけた私の腕を、アレンがつかんだ。
「アレン?」
「あー…と、帰れないんだ。すぐには…」
「どういう事?」
目を泳がせポリポリと鼻頭をかく。
「…海だから」
「は?」
「海…っていうか、船の中?」
「……」
先程から感じていた妙な違和感。頑丈な枠の見慣れない丸窓に、その向こうから微かに聞こえるザザーッという癒しの音…。
「……っ!」
慌てて丸窓の掛け金を外し、外に顔を突き出す。
「………………っ!!!」
そこには想像だにしなかった光景が広がっていた。
「うそ…でしょ…?」
照りつける太陽に雲一つない青い空。
そして眼下には、白波を立てる青い海。
「……」
頬を撫でる湿り気を帯びた風が髪を揺らす。かすかに香る独特の香りには覚えがあった。
(うみーーーーーっっ?!?!)
窓から突然突き出した上半身に、通りがかりの船乗りがぎょっとした顔で立ち止まる。
私の額には、冷ややかな汗がにじんだ。
「アレン……っ」
声を震わせアレンを呼ぶ。
「あっ…えっと…ごめん。ちゃんとした説明もなく連れてきたことはほんとに悪いと思ってる。だからこの後食事でもしながら……」
「抜けない……っ!!」
「……は?」
アレンの間の抜けた声。
「抜けない……っ。窓に…はまった…!!戻れない…っ!」
「ええっ!!!」
動転したアレンの声を聞くのはいつぶりだろう。多分私が奴隷商人に連れ去られた時以来じゃないだろうか。
「い…痛い!!痛いってば…!!引っ張んないでぇ―――っ」
慌てたアレンが強引に引き抜こうとしたが、日々の行い…主に深夜の暴食が祟り身動きが取れない。何事かと駆け付けた兵士と船乗りたちの手を借りてどうにか助け出されたのは、それから1時間も経った後の事だった。
お読みいただきありがとうございました。
スピンオフ「いつかリンゴの樹の下で」も更新しています。
よろしければそちらも併せてお楽しみください(^^)
次回更新は明日11/5(土)18時頃を予定しております。
よろしくお願いします。