プロローグ
途切れ途切れの細い歌声が雨の音にかき消されてゆくー。
最初は少し気持ちいいとすら感じていた雨であったが、徐々に冷たさを感じなくなってきた。ただ、何かが頬を、体を打つ感覚だ。灰色しか差し出さない空を仰向けになりながらただ見ていた。
そして、ロイドはふと、ポケットにしまっていたひとつの楽譜を取り出した。
「しっかり濡れてるな・・・」
彼の頭の中にはすでに曲の完成形と描いた風景があったにもかかわらず、ついに完成させられなかった楽譜。
「あいつに渡したら、喜ぶ顔が見れたのかな・・・見たかったような、これでよかったような」
彼は、誰にも聞こえないくらいの小さい声で呟いた。その時、
「ニャ〜、ニャ〜」
どこか遠くで愛猫ナナの声が聞こえてきた。
そんなまさか。
これは本当の声なのか、それとも心が聞きたいものを聞こうとしているだけなのだろうか。
幻聴かもしれないな。この雨の中にいたら猫だって無事ではいられないのだから。
そう納得しかけた時、甲高い声がはっきりとした輪郭をもって彼の耳に響いてきた。
「ニャ〜!」
愛猫ナナはまだ生きていて、ロイドの顔を覗き込んでいた。
何度も繰り返し見てきた懐かしい光景。ベットの上で、ソファの上で、晴れた日の木漏れ日の下で。今日は、絶望と死の香りが漂っていることだけが違う。
「ナナ・・・」
ナナはいつものように人間で言う眉毛あたりの毛をチョイチョイとなぞる。
「ハハハ、相変わらずだなお前」
「ニャァ〜」
「うん、分かってるよ、この楽譜をあいつに届けてくれるんだろ?」
「ニャン!」
ナナはもう一度眉毛をチョンチョンとなぞった。
「ハハハ。なぁ・・・。お前はさぁ、次は人間に生まれ変わるだろうなぁ。オレ、お前とは普通にしゃべったり心を通わせたりできた気がするからさ」
「ニャオン」
「お前もそう思うだろ?なんかさ、お前がもしよければさ、次、生まれ変われたときも・・・」
「ニャ〜」
ロイドは必死に自分の気持ちを伝えようとしたが、途中でこと切れてしまった。
「ニャ〜」
ナナは彼が手に持っていた楽譜を口にくわえる。ナナにとっても残された時間はそう多くはない。自分の使命を果たさなければならないという強い意志を持っていたかは分からないが、最愛の友であるロイドの死に動揺することなく、彼女は『行くべき場所』に足を運び始めたー。