アンドロイドの恋
ちょっと前に書いた超短編物です。もったいないので投稿。
名前やら設定やらから某電脳歌手を思い浮かべる方もいらっしゃるかとは思いますが、多分正解です。彼女の存在が下敷きにあります。
といっても殆どはオリジナルのようなものなので、軽い気持ちで、かつ楽しんでお読みいただければ幸いです。
一応。この作品は某団体とは何の関係もございません。
「世界は醜い」
私のマスターは口を開けばそう言った。
「世界は醜い」
「醜い奴らが支配する世界だからだ」
「俺は矮小で愚劣でどうしようもない臆病者だ」
「この世界が醜いと知っていながらどうすることもできないから」
「そしてこの世界の大半は俺と同じくだらない人間だ」
「くだらない人間がくだらない人間を支配して下らない、救いのない世界を創造する」
「そんな人間を生み出した神とやらもたかが知れる」
それがマスターの全世界と、自己に対する認識だった。
だから彼はノストラダムスの大予言を聞いて大喜びしたそうだし、関東大震災バッチこいと言っていたそうだ。
でも結局、どこの馬の骨とも知れないおっさんの予言は大はずれ。地震では一国はつぶれても世界はつぶれないと悟ったらしい。
そうしていま、自分はこうして君(つまり私)のようなつまらないアンドロイドを作るしがない科学者なんぞをしてせっせと酸素を消費して二酸化炭素を吐き出し、地球温暖化に貢献するしかないのだとため息まじりに私にいってきたのは記憶に新しい。
「何度も言うようだけど、俺は本当に屑みたいな人間だ」
えぇ知ってますよもう聞き飽きました、と思いながらそのときの私は頷いた。
「だからね、そんな俺に生み出された君もきっと果てしないほど無益な存在なんだ」
でもその言葉には承服しかねて、「でもマスター」と口を挟んだ。
「あぁ、気を悪くしたのなら謝ろう。だがこの認識は変わらないよ。だからこの議論の結論も変わらない。君に名前なんて必要ない。君は試験体No.39。それ以上でも以下でもない。分かったね」
分かったね。マスターはいつも会話の終わりにそう言った。
分かったね?ではないのだ。質問などしていない。分かったね。まる、だ。彼の中でこれ以上の議論の余地はない。以上。まる。そう言う意味だ。
だから私はいつだって不満で、不服で、でもそれ以上何かを言うことは許されなかったからただ、
「はい、マスター」とだけ答えるのだ。
睨みつけながら。
マスターはそんな私を見て、いつもの困ったような笑みを浮かべながら、「ほらね。マスターに逆らうだなんて欠陥品以外なんでもないじゃないか」と言うのだ。
腹立たしいったらない。
私はいつも思っていた。
逆らわせる気がなくて、そういう風な子が欲しかったのなら。なんで感情なんて私に与えたのだろうと。
ある日尋ねたら、マスターは答えた。
「だから、俺は屑みたいな科学者なんだ。それはバグだ。イレギュラー。求めた産物なんかじゃないんだよ」
まるで自分の存在まで否定されたようだった。
研究所の周りの人は、私のことをミクとよんだ。試験体No.39。39で、ミク。
「ミク、ちょっとおいで」
「ミクちゃん、お菓子買ってきたよ!お茶にしない?」
「ちょっときいてよミクー」
そういって、名前を呼んで接してきてくれる人たち。なんだか私は自分が普通の人間のような気持ちになった。
けどもちろんそんな訳はないから、
「ミク。ちょっとデータとりたいんだけど…」
「どうしたの、調子悪い?なんかバグでもできたのかな…」
「気にしないで。ミクにはちょっとわからないことだから」
なんて、当たり前のようにアンドロイドとして扱われることも多々あった。
そんな研究所の人たちは私を混乱させた。私は人間なのか、それともアンドロイドなのか。
でも、マスターの一貫した態度はそんな私の芯と成った。
「おいで。実験の時間だ」
「分かるね。俺は君をそういう風に作ったのだから」
「あぁ、まったくこの世界は下らない」
「ミク?誰だそれは。君は試験体No.39だろう。マスターである俺がそう言うのだから、君はそうだ。名前などないよ」
それらの言葉はちょっと寂しかったけど、無秩序な他の人の言葉より私には信頼できた。
「ミク」
だからそれから私は周りの人にそう呼ばれるたびにこういった。
「違います。私は試験体No.39です」
つい先日まで喜んでその名前を受け入れていた(ように見えた)私のその様子に皆困惑したようだけど、そのうち「どうせアンドロイドだから」とあっさり諦めてどっかへいってしまった。
「所詮君なんてその程度のものだ。俺が作り出した、くだらないバグを抱えたつまらないアンドロイド。何を期待しているんだい?」
マスターはいつも見たいに冷たく言った。けど、マスターはそう言いながら私のそばにいた。
ミク。そう言う名のアンドロイドはそれ以来この世から姿を消した。
だけど。
私はマスターに一回だけ、そう呼ばれてみたかった。
ある日マスターが倒れた。
ただの試験体である私には何も分からなかったけど、医療メカの診断でマスターは既に死の淵だと分かった。
研究所の人たちは、みんな一回ずつ研究所内の医療ルームへ顔を出したけど、二回目は誰も来なかった。
「屑みたいな俺にお似合いな無様な死に様だな」
マスターは煩わしそうに酸素マスクを外しながら、そばにある椅子に腰掛けた私にも煩わしそうな視線を投げ掛けた。
「それで、君はここで何をしている。さっさとチームのところへ帰れ」
「嫌です」
最後まで口の減らない人だと思った。
「私のマスターは貴方です」
「ならば命令に従って帰れ」
「嫌です」
マスターの右眉がピクリと動いた。これは相当イライラしている証拠。そんなことが分かるくらいの年月は、私たちの間にもあったのだ。
「いいか、俺は君のマスター。言い換えれば主人だ。だったら言うことを聞くのが筋だろう」
「私に逆らう意思を持たせる感情を与えたのは、屑みたいな腕を持つ科学者であるマスターです。ですから言うことは聞けません」
マスターはきょとんと惚けた顔をした。これは…初めて見た顔だ。そんな顔をもっと見れるくらいの年月が、私はもっと欲しかった。
「君は……なんだか、生意気になったね」
「屑みたいなマスターですから。仕方ないですね」
しれっと私が言うと、マスターはまたいつものような少し困った顔をして笑いながら、「そうだな」といって目を閉じた。
「なんだか疲れた」。そう言うマスターに問いかける。
「マスター。死ぬ前に、最後に、一つだけお願いがあります」
たった一つだけ。いままで言えなかったこと。きっとこの先一生言えないこと。
「お願い?言ってみろ。かなえてやる気はさらさらないが」
「貴方の名前を教えてください。私は貴方の名前すら知らない。何も知らない。貴方だって看取られるときに名前の一つでも呼ばれたいでしょう」
マスターは目を閉じたまこぼすように笑った。
「この世界は下らない。俺も屑みたいな人間だ。だから俺の死なんてさしたる問題でもないし、呼ばれる名前に意味などない」
「それでも知りたい。私は貴方を何も知らない」
「どうせ知ったところですぐ消える。俺が死んだとき、君も落ちる」
さらりと言ったマスターの言葉は、普通の人間にとっては死刑宣告だ。
「屑みたいな科学者が作った遺作であるくっだらないアンドロイドである君を、この世界にただマンネリと遺していけと?冗談じゃない。死後まで屑にしてたまるものか。君を作ったときそうプログラミングした。俺が死んだら君のすべてはデリートされる」
でも私はどちらかと言うと、うれしかった。
だってマスターが死ねば、私に秩序をもたらしてくれる人は誰もいなくなる。
私を試験体No.39と呼ぶ人も誰もいなくなる。
その世界は、マスターが屑と呼ぶ世界以上に屑だった。
「マスター」
「何だ」
「名前を、教えてください」
「……………長いこと、呼ばれてなかったからな。俺に似合いの、ばかばかしい名前だよ」
「教えてください」
マスターは消え入りそうな小さな声で、ぽつりと自分の名前を言った。
「……確かに。お似合いです」
「はっ。皮肉まで言えるようになったのか。ますます駄作だ」
は微笑む。
「初めて自分を誇りたくなった。君に施したプログラミングはまったくもって正解だったな。君みたいな駄作を遺してなんて逝けるものか」
その虚勢が、いとおしかった。
こんな想いを抱けるバグが、愛おしかった。
「 」
「せめて、さんでもつけろ、この屑が」
「名前を、呼んでいただけませんか」
「は?」
「私の、名前を」
「君に名などない。幾度も言ってきたはずだ」
「お気づきですか? 、ずいぶんと心拍が下がっています。きっともうすぐ、死にますね」
「ありがたいことだ、やっとこのくだらない世界から解放される」
「だから、一回でいいんです。試験体番号でもかまわないんです。私の名前を、呼んでください」
「名前など意味がない。ましてや君や俺のような下らない人間の名前など、都合あわせのための記号でしかない」
「それでもいい。私の名を、呼んでください」
はおもむろに目を開けた。
そして私をじっと見上げて( を構成する要素の中で、その碧眼が私は一番好きだった)、静かに私の手を握ってきた。
初めての体温にびっくりしたが、振りほどくことはせずに、ぎゅっと握り返す。
「……暖かいな。プログラムが正常に働いている証拠だ。オーバーロードが始まっている」
「えぇ、分かっています。私ももうすぐ終わりですね」
の手は冷たかったけど、私の熱が移ってぬるくなった。
混じり合った体温は、ちょうど良い温度だ。
「……………………くそ、ここまでくると、屑の一言では言い表せないな」
は悔しげに、でも口元は笑みを浮かべながらまたまぶたをおろす。
「何がですか?」
「俺は、研究所の奴らもくだらない人間だと思ってきた。だけど、結局最後に彼奴らの助けを借りることに成るとはな。それもこれも、全部君のせいだな」
「え?」
は一際強く、私の手を握った。
「ミク」
「 …………あ………」
「思いつかなかったんだ、他に。君にふさわしい名を。彼奴らが呼んでいた名など不服だが、もうこれ以上は頭が働かない」
「…いえ、うれしい、です。私はずっと、貴方にそう呼ばれたかった」
「一度という約束だから。これ以上は呼ばない」
「…はい」
「………なぁ、もう、寝ていいか?いい加減、疲れた………」
「はい。どうぞ。眠るまで、そばにいます」
私の体温はどんどん上昇している。きっと、そろそろオーバーヒートする。そして私は落ちる。
再生できても、私が私として起きることは、もう二度とないだろう。
「……。 、さん」
「…ん………」
「あい、しています、というのは、おかしいのでしょうか?」
はいつもみたいに困ったように…ではなく、いつになく、穏やかに笑った。
「…試験体No.39……ミク、ね」
二度と呼ばないと言われた彼の口から聞く、二度目の名前。
甘く聞こえたのは、ショートしかけた私の錯覚だろう。
「いい名だ」
にじむ視界に、彼が何かささやくのが見えた。
それが最期だった。




