第2話
ちなみにR15は保険です。
今更ですが。
諸々手続きが終わった後、俺はフードの男に引き渡された。
「私は、薺として旦那様に全てを捧げることを約束いたします。」
薺の決まり文句だ。主人に一番最初に言わなければならない言葉。
何度も繰り返して練習してきた言葉を、漸く口にできた。
少し震えていた気もしたけれど。
フードの男は、驚いたように一瞬固まってから自らの馬車に俺を導いた。
優雅な動きは、上流貴族のものだろうと思う。素早く、それでいて洗練されている。
馬車も、地味なように見えて細かい意匠が施されている。
馬車の中も、位が高いだけの貴族よりよっぽど地味だが、深い緋色の椅子はふかふかと柔らかい。
こういう貴族の方がゴテゴテと飾り付ける貴族より金持ちの方が多いと商人に教わったことがある。
でも、何故俺を……
「ねえ、君。名前は?」
「名前、ですか。」
「そう。呼ぶのに不便だろ。」
「薺には名前などありません。なんとでもお呼びください。」
「……君は、それでいいのかい?」
「……私は薺ですから。」
もう俺は、薺なのだ。モノとして扱われて当然のモノ。
道具に名前をつけるものなど、いるだろうか。少なくとも俺はそんなことしない。
それと同じことなのだ、薺に名前など必要ない。
「じゃあ、私が名前をつけてあげよう。」
「…はぁ?」
は。
つい地が出てしまった。でも、薺に名前をつけるなんて正気か疑うのが普通だ。
俺は正常なはずだ。少なくともこの男よりは。
「君はどんな名前がいい?」
「……ウーリ。」
「へぇ。どうしてその名前なんだい?」
「.........なんとなく、でございます。」
「へぇ。」
男が意味ありげな目でこちらを見てきたが、スルーすることに決めた。
というより、聞かれると正直困ってしまう。
俺がこの名前をつけた理由は、前世の名前だったから、だ。
別に、新しい名前だって構わないし、名前をつけてもらわなくても構わない。
でも、ウーリという名は、俺の幼馴染の声を思い出す。優しく笑いかけてくれた、あの声とあの笑顔。
悪魔としてはあるまじき行為だったのかもしれないが、俺は彼女が大好きだった。
「ウーリ」
もう呼ばれることはないと思っていたその名前。
頭の中にいた幼馴染の声が、男の声に成り代わって一瞬びっくりした。
ただ単にちょうど男の声が被さっただけだった。
恨みがましくこっそり睨みつけてみることにした。
「ウーリ、か。呼びやすくていい。」
「ありがとう…ございます。」
ちょうど、キィと馬車の止まる音がした。窓の外には、石造りの屋敷が見えた。精緻な彫刻が施され、色ガラスが家紋のようなものをかたどっている。
豪邸、というほどに大きいわけではないが、お金をかけているとよくわかる。
「さあ、ついたよ。ここがこれから君の家だ。」
「……お…私の、ではなくご主人様のです。俺は家族でもなんでもありませんから。」
「……あのねぇ、私が君を買った時点でウーリは私の家族だよ。それをわかっていてほしいな。」
言っていることの意味がよくわからない。
薺が家族になれるわけがない。
馬鹿な男ではないと思っていたのだが、そんなこともわからないというのか。
第一、何者なんだろうか。
胡乱げな目で見ていたからか、男は俺の方を見てにっこりわらったようだった。
そして、ああそうだ忘れてた、とフードに手をかけた。顔を見せたくないのかと思ったりもしたのだが、そうあっさり見せるのか。
「私の髪は目立つんだよね。」
男はそういってぱさりとフードをとった。
美しい銀髪が現れた。
銀よりも眩く輝き、宝石よりも艶やかな色合いをしている。
きっと、現わせる言葉などない。
こんなに美しい髪は見たことがない。
たしかにこんな髪では外に出たらあっという間に噂が広がってろくに自由にはできないだろう。それほどに珍しい色であり、美しい色だ。
それに、綺麗な顔立ちをしていた。
その顔は、俺が最期に戦った、あの天使の将軍にそっくりだ。
驚いているはずなのに、異常なほど冷静な自分に逆に驚く。
御者が馬車の扉を開けると、男は地に降り立った。
羽織っていた外套がバサリと翻り、陽の光が男を眩しく照らし出す。
「私はギルセレイト=アッシャー=アンジェリク。よろしく、ウーリ。」
美しい姿に息を呑んだ。
只々圧倒されて、膝が少しわらっている。
馬車から降りることも出来ずに、薺としての義務が口を勝手に動かした。
「は…い、ご主人……様。」
ギルセレイトの後ろから射す光は、虹色に光って全てを神々しく照らし出していた。