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藤崎さん  作者: 三村
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藤崎蜜子と真夏のイチャラブ肝試し 前

「死体を見に行きましょう、ウィルソンくん」


 そんな不穏極まりないメールが藤崎さんから届いた。夏休みの初日に。夜の十時過ぎに。

 動機も目的も意味もわからないし、もちろん聞いても答えは返ってこなかった。


 なんなんだあの人は、いつもいつも。僕をいったい何だと思っているんだ。都合の良い暇つぶしのおもちゃか何かと勘違いしてるんじゃないか。今日こそは言ってやる。いい加減にしてくれ、誘うにしてももっと常識的なやり方があるはずだ。


「――と、僕こと伊藤月助は思います」

「それを言うために時間通りに指定通りの場所に来たというわけね。ウィルソンくんのそういうところ、素敵よ」


 藤崎さんは満足げに目を細めた。


「それにしても、一体何ですか、死体を見に行こうだなんて」

「ウィルソンくんは、スティーブン・キングのスタンド・バイ・ミーという作品をご存じかしら」

「もちろん、知ってますよ。それぞれ心に複雑な傷をもつ子どもたち四人が、死体を探しに行く小説ですよね」

「そう、四人は死体を探しに行く中で、様々な困難や障害を乗り越え、精神的に成長していくの。死体という過去の象徴を求める旅で、未来を掴む力を獲得するのよ。すばらしいの一言ね。これこそ青春というものだわ。――で、何か質問は?」

「今ので全部納得してもらえるほど、世界は優しくないですよ。だいたいなんで待ち合わせ場所がここなんですか。それに、なんでそんな格好してるんですか」


 僕がTシャツにハーフパンツというラフな格好なのに対し、なぜか藤崎さんは学校の制服を着ていた。


「妙なことを聞くのね。ここに来るときはあなただっていつも制服じゃない」


 言って藤崎さんはあごをしゃくった。

 そう、藤崎さんが「死体を見に行く」といって、待ち合わせ場所に指定したのは、僕らが普段通う高校その場所だった。


「ところでウィルソンくんは、この学校にまつわる、ある噂を知っているかしら」

 藤崎さんがふいに声を低くした。僕は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。

「まさか……旧校舎のことですか」

「そう。正確には旧B棟校舎だけれど」


 僕は思わず息を呑んだ。旧B棟は、敷地内の片隅にぽつんと残る旧校舎の一部だ。

 老朽化した旧校舎を建て直す際、旧B棟も取り壊される予定だったが、なぜか取りやめになった。一説には、事故が頻発したためであり、またその原因というのが――。


「かつて旧B棟で、いじめを苦に自殺した女子生徒の呪い……だとかいう噂ですよね」

「そう。私もその噂を耳にしたの。噂の真偽をネットで調べていたらジョジョリオンの新刊が出ていたことがわかったので買ったし、事故にまつわる書籍がないかも検索していたら東京喰種の新刊も出ていたので、買ったわ」

「なんで最後の最後に好奇心が物欲に負けちゃうんですか」

「飽きたからよ。噂の情報はどれも、夜な夜な人魂が見えるだの、少女の啜り泣く声が聞こえただのと、陳腐で無根拠なものばかりだもの――でも一つだけ興味を惹かれる噂があったわ」


 藤崎さんは意味深に人差し指を口に当てた。


「死体が一部、見つかってないという噂」

「見つかって……ない?」

「そう。少女はその旧校舎に残された死体の一部を、今でも探し続けているという話よ。みつけて、みつけて、そんな風に助けを呼びながらね。ねえ、ウィルソンくん、これはチャンスだと思わない?」

「チャンス、って……」

「死体を見つけるのよ。噂に終止符を打つの。そうすれば英雄だわ、有名になれるわよ」

「じょ、冗談でしょう!? やだ、やですよ。旧校舎に死体探しなんて!」

「何を言うの。こんなごっつぁんコープス、めったにないというのに」

「何ですかその不謹慎さのキメラみたいな造語! だいたい、事故だって何年も前の出来事なのに、死体なんて残ってるわけないですよ、とっくに風化して、骨も残さず粉になってますよ!」

「そう思って、水と小麦粉を持ってきたわ。いざというときは生地にしてしまいましょう」

「どんだけ罰当たりなうどん打つ気だ!」


 藤崎さんは宵闇の中でもわかるほど、目を爛々と輝かせていた。僕は溜息をついた。こうなってしまったら、口で言って聞く人じゃない。


「わかりました、行きます、行きますよ。でも、もう一つだけ聞いていいですか?」

「なに」

「……なんで、藤崎さんだけもう正門の中に入ってるんですか」

「中に入らなければ、旧校舎に行けないじゃない」

「そういうことじゃなくて、なんで僕を正門の外に呼び出しておいて、自分は先に正門の中に入ってるのかってことなんですよ。何が悲しくて、柵ごしに会話しなきゃいけないんですか。面会される囚人かなんかですか、僕は」

「私が正門が乗り越えるその時に、スカートの中を覗くという最低のクズ行為に及ぶと思ったからよ。そうやって私の下着の色を目に焼き付けては、同じ色の折り紙を使って鶴や舟を折るんでしょう。手に負えない変態ね、人を呼ぶわよ」

「未遂の変態行為で何でそこまで言われなきゃいけないんですか僕は。したことないしする予定もありませんよ、そんなこと!」

「今日は白よ」

「わかったところでしないですよ!」

「さて、急ぎましょうウィルソンくん。グズグズしてると置いていくし、不審人物が学校にいると通報もするわ」

「後半やり過ぎでしょう! 今行きますから、ねえ、ちょっと! ――」


*


 僕らは人気のない校舎を、並んで横切った。

 これだけなら、秘密のデートみたいで気分もよかったのだけど、旧校舎に向かうにつれ徐々に灯りは減り、辿り着く頃にはとうとう、校舎の入り口を照らす小さな街灯が一つだけになってしまった。


 旧校舎の窓はタールを塗りつけたように暗く、中の様子はわからない。だけど時折、その闇そのものが脈動しているようだった。L字型の校舎そのものが、真っ黒な筋肉を詰め込んだ生き物のように見えた。


「……やっぱり帰りましょうよ藤崎さん。まずいですよ、誰かに見つかったりしたら、ゼッタイ怒られるし……」

「急に怖じ気づくなんて、メンズらしくないわよ」


 藤崎さんは、すたすたと入り口まで歩みを進め、そこで止まった。

 身を屈め、木造の扉をしげしげと眺めている。後ろから恐る恐る覗き込むと、扉の取っ手には幾重にもチェーンが巻かれ、さらに頑丈そうな南京錠が掛けられていた。


「……あ、ほら、ほらほら! 鍵掛かってますよダメですよ入れないですねこれあー! まいったなー! でも仕方ないよな鍵じゃなー! 帰りましょう、ね、藤崎さん!」

「そうね、ぶち切りましょう」

「藤崎さん?」

「ちょうど、ここに野生のナンキンジョウブチキリソウが咲いているわ。可憐ね」

「植え込みからワイヤーカッター取り出して何言ってるんですか」

「ワイヤーカッターじゃないわ。ナンキンジョウブチキリソウよ。古代ローマ人が南京錠をぶち切ったことからその名がついた、インド原産の多年草よ。主にワイヤーカッターの原料となる花よ」

「原料どころかそのものなんですよ! だいたい何なんですかインド原産のくせに古代ローマで使われてるとか、どういうルートでローマに渡ったんですか!」

「ルルルラララ。さ、開いたわ。行きましょう」

「嘘ごまかすの下手すぎやしませんかちょっと」


 藤崎さんはワイヤーカッターを肩に担ぐと、さっさと闇に身体を滑り込ませた。恐怖心とかないんだろうかこの人。仕方なく僕も後を追う。


 校舎に入った瞬間、ひやりとした闇が全身を包んだ。蒸し暑いくらいの夜なのに、校舎の中は身震いするほどに寒かった。


「暗いわね。ウィルソンくん、ライトなど持ってはいないの?」

「も、持ってないですよ……」

「では私のを使いましょう。肝試しに来るのだから、ライトぐらいは持ってくるべきよウィルソンくん」

「肝試しって単語が初出なんですけど」


 藤崎さんは僕にライトを渡してきた。照らせ、ということなのだろう。

 僕はスイッチを入れ、闇の中に光を投げた。まず三和土が見え、その隅に下足入れが見えた。周りには剥がれたベニヤが散乱しており、何故か片方だけのゴムサンダルが転がっていた。


 ライトの光は僕をいくらか安心させたが、それも束の間だった。

 非常灯以外全く灯りらしい灯りのない校舎の闇は、いくらライトで払っても、すぐさま隙間を見つけては流れ込んでくる。そうして出来た新しい闇から、誰かが覗いているような気がして、また光を投げる。散った闇がよそでまた固まる。まるで無限に続くもぐら叩きのようだった。


「行きましょう」


 僕の投げる光の先に藤崎さんが歩みを進めた。「あ、ま、待って」僕は、力の強い犬に引っ張られる子どもみたいに、藤崎さんの足下をライトで照らしながら後を追った。


 木造の朽ちかけた床は、ぎっ、ぎっ、と歩く度に軋みをあげた。

 藤崎さんはお構いなしにどんどん先へ進んでいく。僕は彼女の背中を見失わないようにしながら、なるべく窓側を歩いた。闇を詰め込んだ教室から、いつ何が飛び出してくるかわかったものではないし、何より窓から見える外の灯りが恐怖心を和らげてくれた。


「――ぅわっ」

 

 二階に上がったところで、急に藤崎さんが歩みを止めた。

 僕は危うく、彼女の背中に頭突きするところだった。


「どうしたんですか、急に立ち止まって……」

「埒があかないわ」言って藤崎さんは、前方を指さした。「ウィルソンくん、あそこへ行きましょう」


 その提案に僕は呼吸が止まるかと思った。

 藤崎さんが指したのは、トイレだった。


「い――いやいやいやいや、ムリムリ無理! 絶対無理!」

「どうして、いつも下半身を露出させたいときはあそこへ行っているじゃない」

「それが主目的じゃないですよ! 排泄が主で露出は副産物です! だ、だって、トイレなんか、ぜ、ゼッタイ出るじゃないですか!」

「尿が?」

「霊が! あと霊が出ることによって、尿も!」

「一石二鳥ね」

「鳥に当たるどころか、投げた石が跳ね返って僕の脳天打ち砕いてるんですよ! イヤです、行きたいなら一人でいってくださいよ!」

「このまま廊下を歩いていたって、ただの散歩にしかならないわ」


 藤崎さんは迷いのない足取りでトイレに向かった。マジかよこの人。


「――ウィルソンくん、何をやっているの」

 トイレに入ったところで藤崎さんが言った。

「えっ、いや、トイレ、行くんじゃ……」

「無論。でもこっちは女子トイレよ。あなたは男子。男子はあっち」

「えっ、そんな、まさか一人で行けっていうんですか!? 本気でいってるんですか藤崎さん!」

「本気じゃないとき以外はだいたい本気よ、この藤崎蜜子はね。安心なさい、ライトは貸してあげるわ。それじゃ、また後で」


 薄闇の中に笑みを残して、藤崎さんはいとも簡単にトイレに入っていった。

 僕は一人、廊下に取り残された。


「どう、しよう」

 目の前には、男子トイレがぽっかりと真っ黒な口を開けていた。ここに一人で入れっていうのか。……入った振りだけして、このまま外で待ってようか。

 いや、ダメだ。きっとバレる。灯りをもったまま移動してないのは、トイレの中からでもわかるはずだ。勇気のない臆病者と思われるに違いない。

 ……でも、ライトを消せば、バレないかも。


 そう思ってスイッチに指をかけた瞬間、得体のしれない不安が僕を襲った。

 廊下の突き当たりでわだかまる闇から、誰かがこちらを見ているような気がした。

 僕がライトを消すのを、今か今かと待っているように思えた。


 ……ダメだ、こんなところで一人、灯りも持たずにいるなんて、藤崎さんが出てくるより先に、僕の精神がどうにかなってしまう!


「くそ、もう、どうにでもなれ!」


 僕は息を止め、勢いよくトイレの中へ身体を滑り込ませた。


 トイレの内部は、埃とカビの不快な匂いで満ちていた。

 ところどころタイルがひび割れた壁や床を入念に照らしながら、歩みを進めた。


 中は非常に狭かった。奥には小さな窓が一つ、その手前に小便器が二つと個室が二つ、そして手洗い場が一つあるだけだ。手洗い場には、かつて鏡がかかっていたと思しき場所が変色している。……鏡がないことに、僕は心底ほっとした。


 個室は扉が閉まっていた。片方だけでなく、両方とも閉まっているので、元からそういう構造なのだろう。さすがに開けて確かめる勇気はないけど。

 そう思いながら個室の扉を照らしたとき、ふと違和感をおぼえた。

 僕は違和感の正体に目を凝らした。それが何かはすぐにわかった。

 文字だ、当時の生徒が残したと思しき落書きだった。


 内容は全て他愛ないもので、相合い傘だったり、嫌いな先生の似顔絵だったり、友だちの悪口だったり……。しかし、その中で一際大きく書かれた文字に、僕は目を引かれた。そこにはこうあった。


『みつけて』


 僕は思わずライトを引いた。心臓をわしづかみにされたようだった。他の落書きとは明らかに違う、異質さを感じた。


 ――死体を探して、みつけて、みつけて、と助けを呼びながら……。


 藤崎さんから聞いた噂が脳裏に蘇った。

 そんなバカな、そんなはずない。たぶん同じ噂を聞いた誰かが、イタズラで書いただけだ。そう言い聞かせようとしたが、その落書きから目を離すことができなかった。


 突然、僕は弾かれたように顔をあげた。

 目の前からの音が聞こえた。きゅう、きゅう、と、板から古釘を抜くような音だ。個室の中からだ。聞き覚えはあったが、すぐにはわからなかった。

 しばらく僕は、身じろぎ一つせずに個室の扉を睨んでいたが――それが何の音か気づいた瞬間、わき目も振らず、転がるようにしてトイレを飛び出した。


 あれはレバーの音だ。水洗レバーをひねる音だった。

 いたのだ、誰かが。あの個室の中に、誰かが。


「わああああ!」


 トイレから出た僕は、目の前に立つ制服を着た人影でさらに腰を抜かしそうになった――が、それが藤崎さんだとわかると、結局へなへなとその場に腰を下ろした。


「なんだ、もう出てたんですね……ああ、よかった……。藤崎さん、やっぱり出ましょうよ。ここ、普通じゃないです、ゼッタイなんかいますって。さっき聞こえたんですよ、トイレで、レバー勝手にひねる音が――」


 藤崎さんは何も言わず、またすたすたと廊下の奥に向かって歩き出した。何度か呼びかけたが、振り向きもしなかった。どうもまだ肝試しを続けるつもりらしい。


 僕は藤崎さんの背中を見失わないようにしながらも、時折、後ろをライトで照らした。もしかしたら、あのトイレの個室にいた何者かが後ろを尾けてきているかもしれない。そんな不安がいつまでも拭えなかった。


 大丈夫だ、大丈夫。僕は何度も自分にそう言い聞かせた。

 何もいるはずない。レバーの音だって気のせいだ。誰の姿も見えないし、足音だって一人分しか聞こえないじゃないか。大丈夫――。


 僕は、はたと足を止めた。

 そしてもう一度、ゆっくりと、今しがた自分に言い聞かせていた言葉をなぞった。

 

 一人分、一人分の足音。一人分……。

 僕は藤崎さんの後を追って歩いていたはずだ。

 どうして僕の足音しか聞こえないんだ。

 僕は、いったい誰の後を追っているんだ?


 恐る恐るライトを前方に戻した。

 さっきまでいたはずの藤崎さんの姿はなく、空虚な闇だけが広がっていた。


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