藤崎蜜子とクソ映画
あらん限りの勇気を振り絞り、藤崎さんを映画に誘った。
藤崎さんは、観に行く映画のタイトルや詳細を聞くでもなく、先日のデートについて詰問するでもなく、まったくいつもの調子で一言「いいわ」と言ってくれた。
そのいつも通りが逆に怖かったりもするが、とにかく最初の障害は排除された。
ここで断れたら、竹中の託した必勝デートプランも水泡に帰す。
なぜ映画なのかは実はよくわかっていない。
竹中曰く「喧嘩したカップルが仲直りするには映画館がベストなんだよ。喧嘩した直後は二人でいることすら気まずいはずだ。そんな状態で話を盛り上げようなんて、お前みたいなドブゲロ朴念仁でなくとも無理な話よ。まずは二人でいる状態にお互いが慣れること。映画なら観てる間喋る必要もないし、観た後も共通の話題が出来るから話を切り出しやすい。そうやっていつもの二人のペースにまず戻す。映画は喧嘩カップルにとっての点滴だ! おら、復唱しろ! 映画は喧嘩カップルにとっての点滴!」
無論復唱はしなかった。しかし理屈については一応の筋は通っている気はする。
さらに竹中は観る映画にまで注文をつけてきた。
曰く「いいか、まず恋愛モノは現在の自分たちの状況を反芻させ、怒りをぶり返させる恐れがあるからタブーだ、あとテーマが難解なモノに関しては、まず思考という行為が交感神経をだな――」
もうめんどくさいのではしょるが、アクションものがベストらしい。
どうでもいいと思えることすらいちいち理由を説明してくれるので、よほど緻密に練ったデートプランであることは確かだった。
信憑性はともかく、その熱心さは僕に何となく安心感を与えた。
これなら大丈夫かもしれない。
ちゃんと仲直りできるかもしれないぞ、と、思った。
思っていた。
「――説明してもらえるかしら、ウィルソンくん」
映画を観終わり、近くのファミレスに入るなり開口一番、藤崎さんが言った。
「説明って、えっと、何を、ですか」
「何を、ですって」藤崎さんは手元のドリンクを掴み、一息に飲み干すと、店内が一瞬静かになるほど勢いよくそれをテーブルに叩きつけた。
「私にあんな映画をみせた理由よ」
「あんな映画って……どこか、気に入らなかった、ですか」
「すべてよ。すべてが納得いかないわ。この藤崎蜜子は納得いかないことが大嫌いなの」
正直僕は映画を観た後のことばかり考えていたせいで、内容については余り覚えていなかった。そんなひどい映画だったろうか。しかし藤崎さんの剣幕は尋常ではない。先日のデートの後なんか比じゃないぐらいに怒っている。
「納得いかないとこ、ありましたっけ……」
「まず主人公よ、主人公がネズミだったわ」
「そう、ですね。結構リアルなCGでしたから……ネズミ、嫌いでした?」
「ネズミなのは良いわ。CGなのも結構。しかしどうしてカメラが引きのアングルしかないのよ。普通ああいうものは、ネズミ視点で話が進むはずでしょう。なのにカメラが人間目線のままだから、ネズミの存在観がマジのネズミじゃない。マジで気持ち悪いネズミの感じで映ってるのよ。これはどういうことなの」
「どういうこと、って。それはたぶん、内容が、ほら、世界を救う系の割とシビアなアクションだったし、それに雰囲気を合わせたんじゃないです、かね」
「そう。内容。そうね」
言って、くしゃくしゃになった映画のフライヤーを取り出し、あらすじを読み上げた。
「『放射能に汚染された太平洋から、超巨大化したアコヤ貝がニューヨークに攻めてきた。人類は、対アコヤ型決戦兵器・通称【イェーガー】に乗り込み世界の危機を救おうとするが、イェーガーには重大な欠点が! 操縦インターフェースが小さすぎて、人間の指では操作できないのだ……しかしそこに! 地球の危機のために立ち上がった小さな英雄たちが現れた――』」
藤崎さんはフライヤーを勢いよく叩きつけた。
「あらすじの時点で納得できる箇所がひとつもないというのは快挙よ、ウィルソンくん。そもそも放射能汚染によって巨大化した生物が、アコヤ貝とはどういうことなの。あらゆる生物の中でもトップクラスに動きのないものを選んだ理由は何なの」
「いや、それは、なんていうか、普段温厚な生物でも、このように憤っているということを現すことで、反原発的なメッセージにしたかったんじゃ、ないです、か?」
「ウィルソンくんがそう言うなら、百歩譲ってそういうことだとしましょう。でもこの【対アコヤ型決戦兵器】についてはどう説明するつもりかしら。完全にアコヤ貝が巨大化する前提の兵器じゃない。どこの狂人がそんなところにヤマを張るのよ。あとそれだけ常軌を逸した用意周到さを見せておきながら、ネズミにしか操縦できないって何なの。明らかに脚本家が途中で変わったか、監督がネズミ好きの愛人とつきあい始めたかのどちらかよ」
「まあ……それは、その、たぶん放射能の影響が一番大きいのがアコヤ貝だったんですよ! ほら、不要な老廃物とかため込んで真珠作るから……あと貝は殻が固いから、それを想定した兵器開発が必要だったとか……インターフェースについては、まあ他部署と連携が取れてなかったとか……ですよ、うん」
「あくまであの映画の肩を持つのね。しかしこの部分はどうかしら。ここよ。イェーガーとアコヤ貝、それぞれの大きさに関する記述よ。読み上げてごらんなさいな」
「【超巨大アコヤ貝:全長二十メートル!】
【対アコヤ型決戦兵器・イェーガー:全長五千メートル!】」
「でかすぎるのよ。普通逆でしょう。貝に対して人類側の兵器がでかすぎるせいで、戦闘シーンのほとんどが潮干狩りにしか見えなかったじゃない。しかも戦闘シーンが無駄に三十分もあるの。何が悲しくて最新CGの粋を凝らした潮干狩りを、大スクリーンで観なければいけないのよ。納得のいく説明してほしいわ」
「いや……それは、貝を相手にすると……結局のところ潮干狩りという形が最も効率が良いという……裏設定が……たぶん……」
藤崎さんの剣幕と焦りと動揺で、頭の中がだんだん朦朧としてきた。
なんで僕はこのクソ映画の肩を持たなきゃいけないんだろう。
そもそも僕はなんでこの映画を観に行こうと思ったんだっけ。
こんな――ああ、なんかだんだん思い出してきた。
確かに納得できるシーンなんか一つもなかった。
中でも特にひどかったのは、そうだ、あのシーンだ。
「まだ私は手綱を緩めないわよウィルソンくん、一番納得がいかなかったのは――」
「子役、ですよね?」
藤崎さんが一瞬、じっと僕を見たが、すぐさま口を開いた。
「そう。そこよ。男のパイロットの過去回想のために子役を起用したのは良いと思うの。むしろ全然ありだわ。けれど、その後、アコヤ貝に襲われる子どもが――」
「同じ子役でしたよね? やっぱりそうですよね? 僕も観てて、えっ! って思いましたもん。急に時系列むちゃくちゃになった? って。だってまさか思わないじゃないですか、子役使い回すとか! あの辺から明らかに予算ケチり始めましたよね?」
「ロボットも明らかに着ぐるみになっていたわ」
「そう! そうなんですよ! あと貝もただのアコヤ貝になってたから、だからもう本当にただの潮干狩りになんですよ後半」
「あとウィルソンくんは気づいたかしら、ネズミの操縦なんだけど――」
「ああー! はいはいはい! レバーですよね! ロケットパンチも、レーザービームも、バイオ熊手も、全部同じレバーで発動させてるんですよ! お前それ他のボタンとかスイッチとかいらねーじゃねーか! って」
「そのくせ技名を叫んでるのが人間というのも理不尽なのよ」
「そっちの手柄じゃないよね感凄かったですよ。あっ、そうだ思い出した。藤崎さん、後半のラブコメ要素ムカつきませんでした?」
藤崎さんは目を細め、少し身を乗り出した。
「無論よ。余すところなくムカついていたわ。食パンくわえて気になる男子と曲がり角で衝突するのを、まさかロボットの内部でやるとは思わなかったわよ」
「今じゃねーだろ! ってなりましたよね。あとその辺からネズミのCGは完全にレバー回すところだけになってましたね」
「予算が完全に尽きたのを隠そうともしなかったのは逆に好感を持ったぐらいよ。でも極めつけはやはりラストシーンね」
「そうそうそう! ね! 倒したアコヤ貝の落とした巨大真珠でプロポーズするところ!」
「良かったわ、私が観たのが白昼夢じゃないことが証明されて」
「僕は幻覚であってほしかったですよ。まともな人間が考えていい展開じゃないですよ。あとその後の、十年後の地球の様子を描いたシーンあったじゃないですか。そこに、結婚して子どもも産まれた男パイロットと女パイロットが海を観るシーン、あそこ!」
「女が完全に別人だったわね」
「女が完全に別人でしたよね!」
互いが互いを指さし、同じタイミングで机を叩いた。
「最初二人とも白人だったのに、なんで黒人の女と結婚したことになってるんですか! プロポーズまでした女どこいったんですか! 最後の最後にもやもやした気持ちにさせる意味なんなんですかあれ!」
「それに気づいたかしら、あの二人の子ども――」
「また同じ子役を使い回してましたよね! またお前か! って、たぶん劇場にいた全員が思ってましたよ! あとネズミ、ネズミどこいったんだよって。小さな英雄じゃなかったのかよって……ああもう、なんか話してたらどんどん思い出してきた。そもそも、あの最初のロボット起動シーン覚えてます? あそこで、博士が五平餅を口に含むシーンが――」
「あの、すいません……お客様」
横からすまなそうな声が話を遮った。見ると、メニューを握りしめたウェイターが所在なさげに立っていた。
「お料理のご注文をされないのでしたら……その、ドリンクだけのご注文はご遠慮いただいておりまして……他のお客様もお待ちですので……」
言われてハッとした。そういえば最初にドリンクを注文してから、全く何も頼んでいなかった。入り口を見ると、随分な行列が出来ている。
「あら、ごめんなさい。ではすぐに注文をするわ。少し待ってちょうだい。ねえウィルソンくん、お料理を――」
「あ、あ、すいません! もう出ますんで! お会計をお願いします!」
「えっ」
「すいません藤崎さん外で待ってて下さい、僕は会計済ませてくるんで!」
伝票を持ち立ち上がる。レジに向かうと、並んでいる客からの視線が痛いほどささった。おそらく全員が、こいつらさっさと帰れよと思っていたことだろう。僕はなるべく頭を低くして、目を合わさないようにドリンク二人分の会計を済ませた。
「すいません藤崎さん、お待たせしました」
「いいえ」
「なんか話に夢中になっちゃって、お客さん並んでるの気づかなかったですよ。睨まれちゃいました」
「そう」
「よし。じゃあ、行きましょう! 次はこっちですこっち!」
「えっ?」
先陣を切って歩き出す僕に藤崎さんが目を丸くした。
「まって、ウィルソンくん。いくって、どこへ」
「次のお店ですよ、もっと長くいても怒られないところ行きましょう! だって全然話し足りないじゃないですか、そういえば僕前半も納得いってないところあるんですよね。ほら、あのネズミが最初に登場したときの――どうしたんですか?」
藤崎さんは、しばらく目をぱちくりさせながら突っ立っていたが、すぐさま「なんでもないわ」といって僕に並んだ。
日の高くなった街路を、僕たちは歩いた。汲めども尽きぬ魔法の泉のように、喋れば喋るほどあのクソ映画の文句が出てくる。一晩中でも喋っていられそうだ。
「ねえ、ウィルソンくん。そういえば今日はどうして誘ってくれたのかしら」
ふいに藤崎さんが訊ねた。
「どうして、って……そりゃあ。えっと……?」
「いいわ。忘れたなら」
「いやなんか目的があった気がするんですよ、なんだっけな」
「大したことではないのよ。少なくともあのクソ映画よりは」
そういって藤崎さんは微笑んだ。
その笑顔を、なんだか随分久しぶりに見たような気がした。