伊藤月助と竹中成司
先日のデート――そう呼んでいいのかわからないけど――の後から藤崎さんは明らかに怒っているようだった。
学校ではまるで話しかけてこなくなってしまったし(元からほとんど話しかけてはこないけど)、一緒に昼ご飯を食べてるときも真正面を見たまま一瞥すらくれない(元から僕のほうを見る人ではないけど)、極めつけは僕を見る表情が明らかに冷たい(元からだ)。
結局あまり変わってはいないのだけど、怒っているような気がするのは確かだ。他の人が見たら、いつもと一緒じゃん、と言うかもしれないけど、僕は何となくわかる。わかっているはずだ。でなければこんなにも僕は落ち込んでいない。
謝るべきなのだろう。でも、いかんせん何が原因で怒っているかがよくわからない。
そんな状態のまま、結局三日が過ぎた。
こんなにも長くて粘ついた三日は僕の人生でかつてなかった。
もしかしてこのまま、無かったことになってしまうんだろうか。
恋人という関係性すら、自然消滅して――。
ふいに、脳天気な着信音が思考に水を差した。
見ると携帯にラインメッセージが届いている。
「藤崎さんだ――」僕はベッドから跳ね起きてメッセージを見た。
竹中:いる?
僕は糸の切れた人形のように再びベッドに倒れ込んだ。こいつか。というか、あの一件以来絶交状態になったかと思ってたけど、何の用だろう。
伊藤:いるよ。
そう返信して間もなく、携帯が再び鳴り始めた。今度はラインメッセージじゃない。竹中が電話を掛けてきたのだ。僕は恐る恐る電話を取った。
「よう」
「あ、ひさしぶり……」
お互いにそう言ってから静寂が流れた。何を言われるのか、何を言うべきか。着地点を見失ったそんな気まずさが互いの間で空転した。
しかし突然「――ごめん!」竹中が声を裏返して絶叫した。
「ごめん! すまん! 本当にこの間は悪かった! なんつーか、そんなつもりじゃなかったんだ、全然! 藤崎さんを悪く言うつもりはなくて、なんていうか、ほら、照れ隠し、っていうか。俺って全然、純愛キャラじゃないじゃん? だから、つい……本当はヤれれば良いとかじゃなくて、割と純粋に好き、って思ってて、いやそりゃヤりたいとも思ってはいるけど主目的じゃなくて、ああもう、つーかお前が先に言ってくれれば良かったじゃん付き合ってるとか知んねーもんよこっちもよぉ、なぁ、知ってたら俺もあんな言い方しなかったじゃんさぁ?」
謝ってるんだか責めてるんだかわからないが、とにかく必死な竹中につい笑い声が漏れてしまった。
「おい笑うなよぉ、俺はマジで悪いと思ってんだからさぁ。つーかマジ意外っつーか奇跡っつーか事件だよなぁ、お前があの藤崎さんと付き合ってるとかさ。つーかお前俺とのやり取りのこと言った? 言ってないよな? うわ勘弁してくれよ俺の知らないとこで俺の株落ちてるとかそういうの俺スッゲ気にするんだから、うわ勘弁してよ? 言ってないよね? 藤崎さんに?」
「言ってないよ」
電話の向こうから安堵の溜息が聞こえた。藤崎さんは知らないどころか、あのやり取りを直に見ていたのだけど、さすがにそのことは言えなかった。目の前で友だちが憤死するのは見たくない。
「で、どうなの」竹中がふいに声をひそめた。
「どうって、何が?」
「何って、お前、あるだろ。男女が……その……この地球で……人口が数十億超えた……その原因っていうか……あるだろ……な? どうなのよ」
「全然そういうのはないよ。というか、今後もないかもね」
「なに、え、どういうこと。何かあったのか。何かあったんだな。ケンカか?」
僕の声音から竹中は何かを察したようだ。
コイツのこういうところは素直に凄いと思うし、羨ましい。
僕はこの間のデートもどきのことと、その後藤崎さんが怒ってるらしいことを竹中に伝えた。竹中は僕の話を黙って聞いてはいたが、話が終わるなり、アイドリング中のトラックみたいなうなり声を漏らした。
「うーん。なんつーか。お前が百悪いよ」
「やっぱり? でも、何が悪いのかよくわかってないんだよね」
「いやいや、最後だろ。最後。明らかに最後よ」
「最後?」
「漫画を薦め合ってた最後に藤崎さんが何か言いかけたんだろ。その後から機嫌悪くなったんだから、そこに決まってんだろ。何て言ったかマジで覚えてないの?」
「え、うん」
「ホントアレだなお前は。アレ中のアレだよ。まあ何つーか、この恋愛マスター竹中さんが見る限り、藤崎さんはお前とどっかに出かけたかったと思うのよ。それは間違いないね」
「でも、目的はないって言ってたけど」
「マジでクソ雑魚チンポコだなお前」
「ひどくない?」
「ただのお散歩のためにオンナが男を誘うかよ。目的地がないっつうのも照れ隠しかサプライズよ。秘すれば花ってやつよ。漫画の話題も藤崎さんから振ったんだよな? じゃあ目的地もそこに関連したどっかだろ、漫画喫茶とか……図書館とか……まあそれはわかんねーけど書店ではなかったわけだ。もしかしたら漫画喫茶で二人きりになりたかったのかもしんねーし」
「そう、なのかな。そんな回りくどいことするような人じゃないと思うけど……」
「オンナは好きな男の前じゃ誰よりも回りくどくなるもんなんだよ。あ、なんか自分で言ってて落ち込んできた。まあそれはいいとして、そのときの藤崎さんの格好は? 私服だった? 私服だったよな? 藤崎さんの私服! お前見れたんだよなぁ藤崎さんの私服マジ羨ましいよ言えよぉ」
「えっと、凄い普通の格好だったよ。黒いジーンズに、Tシャツに、下はスニーカーだったし」
「なるほどエロい。しかしエロいだけじゃない。動きやすい格好をしてたってことはだな、その日を丸ごと使ってお前と色々出かけるつもりだったんだよ。で、そのプランもおそらく藤崎さんの頭の中にはあったんだ、それをお前さんがぶちこわしたってわけだ」
「えっ、そんな、だってそんなこと一言も」
「いわねーよ! オンナは思ってることの一割も口に出さない生き物だよ! 俺の兄貴も常々そう言ってんだろうが!」
「いや竹中の兄貴のことまでは知らないけど」
竹中の恋愛知識はほとんど彼の兄からの受け売りだ。竹中の兄はここらでも有名な美男子で、読者モデルとかをやっているらしい。竹中にもその遺伝子はあるはずだが、なぜかあまり女子がよりつかない。なんでだろう。スケベでバカだからだろうか。
「まあとにかくお前は、奥ゆかしき乙女の気合い入ったデートプランの上で土足ツイストかました大戦犯ってわけだ。この世の死刑を全部集めても足りないぐらいの罪深さではあるけど、ひとつだけ解決策があるぜ」
「ほ、本当?」
「知りたいか?」
「教えてほしい。切実に」
「ねえパパあたしソシャゲイベントが近いのに課金ガチャを回すお金がないの」
「その演技はキモすぎるけど二千円分のウェブマネーでどうだ」
「交渉成立だな。では教えてやろう。解決策はな、お前が藤崎さんをデートに誘うんだ」
「はぁ」
「はぁ、じゃねえ。真面目な話してんだよ。いいか、いま藤崎さんは疑心暗鬼の状態だ。自分の練りに練ったデートプランを踏みにじられた悔しさもあるだろうが、それ以上に、デートの目的が未遂に終わったことに対して怒っている。デートの目的とは何だ? 言わずもがな、男女の仲を深めることだ。それが失敗したことで藤崎さんは今、伊藤くんは私と距離を縮めたくないのかしら? そんな疑念に囚われている。そんな状態のオンナに謝罪の言葉は無意味だ。言ったところで『で?』という感じ。必要なのは気持ちだ、アプローチだ、情熱だよ。お前が藤崎さんをどう思っているか、それを伝えなきゃダメだ。それにはデートだ。今度こそデートを成功させて、二人の距離を縮めるんだよ。デートの借りはデートで返す、かの孔子もそう言っている」
「言いたいことはわかったけど孔子はそんなこと言わないよ、誰の言葉だよ」
「俺の兄貴だよ」
「じゃあお前の兄貴だよ。なんで孔子が出てくるんだよ」
「恋愛における俺の兄貴は孔子みてえなもんだろうが。かの孔子もそう言っている」
「時系列むちゃくちゃじゃないか」
「とにかく、だ。デートだ。デートをしろ。今週の土曜日にでも誘え!」
「そんなこと言われても、僕はデートプランなんか練ったことないし、そこでも失敗したらもう取り返しつかなくなるんじゃ」
「大丈夫。そんなチキンゴミカス童貞南蛮のお前のために、俺がデートプランを練ってやる。練ってやるというか、俺が藤崎さんとつきあえた時のために考えていたデートプランをそっくり貴様にくれてやる」
「何その妄想の煮こごりみたいなプラン」
「安心しろ、兄貴からも及第点をもらってる」
「架空の彼女とのデートプランを兄貴に添削してもらってるお前はとことん哀れだけど、それなら大丈夫そうだな」
「相手の反応によって四種類のルート分岐まで考えてあるが、もし不測の事態になったら俺にすぐ連絡をよこせ。わかったな」
「童貞界のバベルの塔だよお前は。ありがとう。けど、今さらだけど、なんでそこまでしてくれるんだ」
「当然だ」急に竹中が真面目な口調になった。「お前は自分の彼女を怒らせただけじゃない。俺の好きな人も怒らせたんだ。俺がマジになるのは当然だろ」
似つかわしくないほど真面目な竹中に圧倒され、俺は絞り出すようにもう一度、ありがとう、と言った。なぜか胸が締め付けられるような気持ちになった。
「何にせよ、お前から動かないとずっとギクシャクしたままだぜ。俺はアドバイスできるけど、行動はお前にしかできないからな。頼むぜ。あと報告もよろしくな。藤崎さんの私服とつけてたら香水の匂いもちゃんと覚えとけよ? それじゃ――」
「あの、竹中」
「あん?」
「僕、こないだ、あの、お前に、ごめん、僕の方こそ……ごめん」
うっせーバーカバーカまたな! という子どもじみた罵倒と共に電話は切れた。
少しの間、僕は携帯を握ったままぼんやりベッドに寝転んでいた。
そうしているうちに、携帯に添付ファイル付のラインメッセージが届いた。
『人生』と銘打たれたエクセルファイルを開くと、分刻みのデートプランが画面に広がった。
竹中、本当にありがとう。
最高にキモいけど。