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藤崎さん  作者: 三村
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藤崎蜜子と漫画と激怒

 休日に突然藤崎さんに呼び出された。


「もしもしウィルソンくん。お出かけしましょう。三十分後に学校近くの三叉路に。遅れたら東京から杉並区が消滅するわ」


 起き抜けにそんな留守電を聞いてしまっては、土曜の朝八時とはいえ出かけざるを得ない。日増しに強くなる夏の日差しが胃袋を覚醒させ、いつものように朝食を催促し始める。そんなものを食べてる暇はない。杉並区の平和は僕の遅刻にかかっているんだ。


 しかし息せき切って辿り着いた三叉路には、藤崎さんどころか人っ子ひとりいなかった。


 ……だまされたのだろうか。

 いや藤崎さんはウソをつくような人じゃない。

 いやつくけど、なんというか、こういう微妙なラインのウソはつかない。

 つかないはず。

 時計を見てみる、約束の時間まであと十分ほどある。

 あんなメッセージを残すものだから、てっきりもう着いてるのかと思ったけど、もしかしたらまだ着いてないのかもしれない。


「あら、ウィルソンくんじゃない。奇遇ね」


 背後から唐突に声がした。藤崎さんだ。

 毎度思うけどこの人は一体どこから出てくるんだろう。


「あっ、お、おはよう、ございま――」


 言いかけて僕はそのまま立ちすくんだ。初めて見る藤崎さんの私服姿。

 細いブラックジーンズにコンバース、上はタイトなTシャツ一枚だけ。コーディネートだけでいうなら小学生でも思いつきそうなほどシンプルだけど、僕はみとれてしまった。制服よりも身体のラインが出てるせいで、日本人離れしたスタイルが露わになっている。元々僕とほとんど身長も変わらないはずだけど、なんだか遥か高見から見下ろされてるような気持ちにさえなってしまった。


「どうしたの、ぼんやりして、私の顔に何かついてるかしら」

「あっ、い、いえ」

「私の額に海苔が一枚くっついてるのかしら」

「ついてないです。何でそこピンポイントに指定してくるんですか」

「そう。よかった、今日はついてないのね」

「ついてた例が過去にあったことに疑問を持ちましょうよ」


 私服姿に圧倒された緊張が少しほぐれた。口を開けばいつもの藤崎さんだった。


「では、行きましょう」

「行く、って、どこへ?」

「目的がなくても歩けるから人間の足は便利なのよ」


 言うなり藤崎さんはすたすた歩き出した。僕は慌ててついて歩く。


「――ところで、ウィルソンくん」

「そういえば名前訂正し忘れてた伊藤ですけど、はい」

「漫画、という文化をご存じかしら」

「漫画。はい、読みますよ、大好きです!」

「あら。そう。そうなのね。私もね、昨今、漫画という文化に親しんでいるの」

「へえ、なんだか意外ですね。どういうの読んでるんですか?」

「ひとつ、最近読んだもののなかで白眉の傑作があったのだけれど、題名を失念してしまったの」

「え、面白かったのに忘れちゃったんですか?」

「ええ。これが世に言う、ド失念というやつね」

「ド忘れのことですか」

「もう名前は出かかっているのよ。あのあたりまで来ているのだけど」

「何がですか」

「このあたりまで迎えに来ているのだけど」

「誰がですか」

「あ、思い出したわ。『オモシロ接吻』よ!」

「オモシロ接吻……?」

「あら、ふふ、知らないの。爆ダサね。多田かおるさんという方の作品で、ドラマやアニメにもなった傑作よ。『イタkiss』という略称で広く親しまれているのに、知らないのね。ふふふ」

「あの、藤崎さん。もし僕が間違ってたら全力でバカにしてくれていいんですけど」

「得意よ」

「もしかして、それ、『イタズラなKiss』の間違いじゃないですか?」

「……ねえ、ウィルソンくん知ってる? オジー・オズボーンの本名は」

「ごまかさないでくださいよ! 都合が悪くなるとすぐそうやってアメリカのヘヴィロッカーの本名豆知識でごまかそうとする! 間違えたんですよね? めちゃくちゃ上から目線でいった割に、タイトル間違えちゃったんですよね?」

「しかたないじゃない。私、漫画の題名を抽象的にしか覚えられないのよ」

「そんな人はじめて見ましたよ! ていうか略称の時点でおかしいって気づきましょうよ。『オモシロ接吻』がどう略したら『イタKiss』になるんですか!」

「まず全部アルファベットに直してから、一文字ずつ前後にずらして」

「誰に悟られまいとした結果なんですか。いくら屁理屈こねてもダメです。漫画のタイトルぐらいしっかり覚えてください!」

「そうね。私が間違っていたわ。それでその『奇抜唇接着沙汰』のことなんだけども」

「覚える気ねえなこの人」

「凄く面白かったの。ウィルソンくん、詳しいようなら、あれほどの傑作が他にあれば教えてほしいのだけど」

「ああ、なんだそういうこと……全然いいですよ。でも、僕あんまり少女漫画は読まないからなあ」

「あら、男根漫画ばかりなの?」

「完全に初耳のジャンルが飛び出しましたが」

「週刊男根ジャンプに連載されているような漫画たちのことだけど」

「一度集英社からげんこつ喰らうといいですよ」

「そういったものなら、私もいくつか読んだわ」

「えっ、そうなんですか? たとえば?」

「まず『シェンロンスタンプラリー』」

「……まさか『ドラゴンボール』のことですか」

「『こちら葛飾区亀有5-34-1』」

「『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のことですよね? なぜ具体的な住所で覚えてるんですか」

「あ、そうそう『RA=MEN NO UE NI UITERU GURUGURU MOYOU NO NERIMONO』も外せないわね」

「『NARUTO』? 『NARUTO』のことですよね!? どう考えても元々の題名の方が覚えやすいじゃないですか、何ですか『ラーメンの上に浮いてるぐるぐる模様の練り物』て! Wikipediaか!」

「あと、『服』」

「『ワンピース』! 怒られろ!」

「その中でもお気に入りなのは『ジョジョの――」

「奇妙な冒険』! 『ジョジョの奇妙な冒険』ですね! もうみすみす間違えさせてなるものか!」

「そう。その、それよ。非常に読んでてワクワクしたものよ」

「ジョジョは僕も大好きですよ。藤崎さんは第何部が好きなんですか?」

「この私は第二部が好きよ」

「二部! いいですよね、ジョセフかっこいいし!」

「そうね。ジョジョセフ・ジョジョースターのような男性はたまらんものがあるわ」

「ジョジョジョジョの奇妙な冒険になっちゃいましたが」

「ウィルソンくんはやっぱりジョジョジョナサンの方が好きだったりするのかしら」

「なんでジョの数が毎回適当なんですか。タイトルはともかく、人物の名前はちゃんと覚えられるでしょう流石に」

「もう、ウィルソンくんたらさっきからケチをつけてばかりだわ」

「藤崎さんがタイトルを曖昧に覚えすぎなんですよ!」

「タイトルを正確に覚えてるかどうかは問題じゃないわ、要は、その漫画が面白いかどうかよ。そもそも、ウィルソンくんに面白い漫画を薦めてもらおうと思っていたの。私のお薦めは大して重要ではないわ」

「僕のお薦めですか? ううん、そうですね……少女漫画だと『ハチミツとクローバー』は凄く面白かったですけど……」

「『ハチミツとクローバー』?」

「あ、知らないですか。羽海野チカさんて人が作者なんですけど」

「もしかして『ハチミツと多年草』のこと?」

「逆にそれを僕の知らないんですけど」

「あら、間違えてしまったかしら。連載開始からCuTiecomic、ヤングユー、コーラスと掲載誌を転々としたけれど2006年に完結を迎えた美術大学が舞台の青春群像劇の傑作こと『ハチミツと多年草』だと思ったのだけれど……」

「あってますよ! いやあってないんですけど! タイトルだけがピンポイントで間違ってるんですけど、内容的にはバッチリあってますよ! ていうかそんだけ詳しいのになんでタイトルだけ覚えらんないんですか!」

「あら、あってたのね。もう、最初から抽象的に言ってほしいものだわ」

「僕の人生で初めての要求ですよそれ」

「他には? 他にはないのかしら。『ハチクロ』は読んだことがあるもの」

「略称は覚えてんの腹立つなー……。他ですか、ええと、あとは『君に届け』とか……」

「『君に届け』?」

「ああもう、本当に抽象的に言わないとわからないのか。ええと、何て言えばいいんだ、『この想いよ届け』?」

 藤崎さんは首を傾げたまま身じろぎもしない。ピンと来てないようだ。

「ダメか……。『君に片思い』……『すれ違う二人』……あ、『ラブ・スクランブル』とかどうですかこれ!?」

「ウィルソンくんが気の毒になってきたわ」

「誰のせいですか誰の。あーもう、なんて言えばいいのかな。椎名軽穂さんの描いた恋愛モノで、黒沼爽子って子が主人公で、たしか別冊マーガレットで連載してる漫画なんですけど……」


 藤崎さんがぽん、と手を打った。


「『宅配業者』のこと?」

「覚え方ひどいな!」

「『宅配業者』は良いわね。あの二人のすれ違い方にはやきもきされっぱなしだわ」

「ロマンの欠片もない覚え方しといて何言ってるんですか」

「他にはないの? 『君届』も読んでしまったのだわ」

「だから略称の正確性よ。えっと、あとはスポ根ものになっちゃうんですけど」

「スポ男根ものね」

「『キャプテン翼』とか昔ハマってましたよ」

「……?」

「マジかよ。あ、略称ならわかりますよね? 『キャプつば』ですよ『キャプつば』!」

「ああ『部内最高権力者 翼』のこと」

「嫌ですよそんな内ゲバばっかしてそうな翼くん」

「『ぶなつば』は未読だから、今度読んでみるわね」

「なんで急に略称まで覚えらんなくなってるんですか」

「他には? もうないのかしら」

「他、ですか、ええと、あとはまあ有名どころだと『進撃の巨人』とかかなあ」

「……進撃の……?」

「ですよね。そうなりますよね。えっと、なんていうかな。『巨人大行進!』とか?」


 何を言ってるんだ、というように眉を顰められた。こっちが聞きたいくらいだ。


「『アタックオンタイタン』とか『巨人の侵略』とかはどうですか」

「ピンと来ないわ」

「ああもう、ほら、アレですよ。講談社から出てる、少年マガジンの別冊で連載されてるやつですよ! 作者が諫山創さんの!」

「……?」


 ここまで言ってもピンと来ないようだ。今までのパターンから言えばこれで大体わかってくれたはずだけど、もしかしたら本当に知らないのかもしれない。タイトルを抽象的にして何とかわかってもらうしかない。


「あの、ほら、『巨人襲来!』みたいなやつです」

「なんだか、聞いたことあるような気がするのだけど」

「思い出してください。たぶん絶対見たことあります。『巨人大行進』『GOGO巨人族』ですよ!」

「あっ、もう少し、もう少しで思い出せるかもしれないわ」

「『身体でか男の大喧嘩』! 『壁の外のジャイアントポニョ』!」

「あとちょっと、あとちょっとよ」

「『進撃の全校朝礼のときいつも後ろの方のやつ』!」

「あ、惜しい!」


 惜しいってなんだ。


「『突撃! 隣のウォールマリア!』」

「あっ! あ、ああ……」藤崎さんは頭を振った。「だめね。やはり思い出せないわ」

「そんな、絶対知ってるはずですって! すっごい面白いしお薦めなのに、どうやれば伝わるかな、もう……!」

「ふふふ、そこで提案なんだけどウィルソンくん、実はこのあたりに漫画喫茶という施設があると聞いたの。今日はそこで――」


 藤崎さんが何か言いかけたそのとき、僕の目の前で書店のシャッターが開いた。僕の脳裏にある閃きが産まれた。


「あ、藤崎さんちょっと待っててください! ちょっとあの書店でその漫画買ってきますから! ちょうど最新刊出たはずだし、ついでに藤崎さんにも教えますよ!」

「え。ねえ。ちょっとまって、ウィルソンくん」


 開店直後の書店に駆け込み、レジ横に積まれた進撃の巨人を買った。さすがに現物を見れば藤崎さんだって思い出してくれるはずだ。


「お待たせしました! これです、これ! この漫画ですよ、見たことあるでしょう?」

「ええ」

「進撃の巨人ですよ、すごい面白いんで、是非読んでみてください」

「そうね」

「ところでさっき何か言いかけてました?」

「いいえ」

「あれ? なんか怒ってます……? 僕、なんかやっちゃいました?」

「特に」


 それ以降藤崎さんは僕に一瞥もくれず、すたすたと元来た道を歩いていった。明らかに何かに怒っている様子だった。なんで怒っているか、僕はさっぱり理解できないまま、藤崎さんの二歩後ろを歩いていたが、ふと、三叉路に面した路地を曲がったところで、藤崎さんの姿は影も形もなく消えてしまった。


 その夜、僕の携帯に藤崎さんからラインメッセージが届いた。

 杉並区のスタンプと、爆発するスタンプが交互に送られた。

 なんとなく、今日はすいませんでした、と送ってみたけど返事はなかった。

 うーん。

 ……女心は本当にわからない。

 あと杉並区のスタンプなんてどっから見つけてきたんだ、と、味のしない夕飯をかみしめながら思った。

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