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挫折した男(後編)

会社員時代の同期が来店したのは、秋が深まったころの夕方だった。

「木下?お前ここで働いていたんだ。」

同期は相変わらず快活な声で、そして少し優越感を持った声で話しかけてきた。

彼女らしき小柄な女性は「お友達?」と首をかしげる。

「ああ。まえ、俺と一緒の会社で働いていたんだ。」

そう彼女に簡単に説明する。

「木下、これ、俺の婚約者。今日、結婚式の衣装の打ち合わせでさ。

あ、注文だよな。コーヒー2つと、表に乗ってたデザートプレート一つな。」

俺はあいまいな笑顔で注文を復唱した。



-

たまたま入った店は、オリジナルの家具や、陶磁器、小物の販売店に併設されたカフェだった。


大きな通りに面した席に座ると、にぎやかな街並みを切り取って絵にしたように、

その店は落ち着いて静かで不思議な空間だった。


絶妙な席の配置で、誰の視線も気にならない。


「ご注文はお決まりでしょうか」


底になるにつれてブルーの色合いが強くなるグラスをミント色の爽やかな

コースターに置きながら、柔和で上品な顔立ちの女性が話しかけてきた。


ジーンズにパーカーという大学生のような格好の自分には不釣り合いな店だったが何故か居心地がいい。


「カフェオレを下さい」


コーヒーを頼むには何故か気をくれして、カフェオレを頼む。


畏まりました。と、柔和な女性は微笑みながらカウンターに下がっていった。

冷たいグラスに口をつけるとほのかににレモンが香る。


学生、サラリーマンだった頃、どんな店に入ったとしてもすぐに携帯電話を手に取っていた。

今、携帯電話は鞄の底に入ったままだ。

コーヒーの香りがふんわり香る店内で、人の行き来を眺めていた。

携帯電話を耳に当てながら慌ただしく行き交う人々。

そんな中を不自然にはしゃぎながらブランドバック片手に行き交う人々。


少し前まで、自分も同じことをしていた。

Facebookの友達の数が大事で、メールの数に安心感を持っていた。

でも、その中に自分の大切なものは有ったのだろうか。


お待たせしましたと、歪だけど、絶妙な調和のカフェオレボールが目の前に置かれる。


ごゆっくりお寛ぎくださいと可愛らしい小物入れに入った角砂糖を置きながら柔和な女性は笑った。


湯気が立つ熱々のカフェオレボールに手を触れるとその温もりに何かが溶かされたかのように涙が溢れてきた。


悔しかった。辛かった。認めたくなかった。

往来を行き交う人とは別の種類の人間になってしまった気分だった。


漠然と、自分には成功しかないと感じていた。

いい会社に入って、誰もがうらやむような高給取りになって、

綺麗な奥さんをもらって、郊外に一軒家を買って、、、


そんな未来以外のことが起こった時、自分がこんなに弱いとは考えてもいなかったのだ。

カフェオレは甘くて、とても苦かった。


どれくらいの時間、考え込んでいたのかわからないが、外は完全に暗くなっていた。


「お水のお代わりは如何ですか?」と女性が変わらない笑顔で不思議な色合いのグラスに

ほのかなレモンの香りのお水を注ぐ。

注いだ水の分だけ微妙に色合いを変えるそのグラスを見ていて不思議と言葉が外に出ていた。


「あの、この店でアルバイトは募集していないですか?」


昔の同僚とあったからだろうか。

昔の自分を思い出していた。


この店の時間はゆっくりと過ぎる。

それは慌ただしいランチの時間でもそうだ。


「お疲れ様!明日もよろしくね!」

明るく響くオーナーの声に送り出されると、

11月なのにもう色めき立つイルミネーションの森に足を踏み出す。


髪を切ってアルバイトを決めてきた日、何も言わずに家から消えた俺を探して

サンダル履きで歩き回っていた母親が泣きながら抱きしめてきた。

母親に抱きしめられたのは何時以来だったのか。


自分よりもずっと小さくなってしまった母のつむじを見ながら

新しい未来が見えた気がした。

グラスの色合いを変えた透明な液体のように頼りない未来だったが、確かに見えたのだ。


銀座の街の風はたしかに冷たくなっていて、新しい季節を運んできていた。


「そこのオーナメントをもっと高い位置にしたいんです!」

老舗のデパートの前でBランチの彼女が男相手に指示を出している。

11月だというのに銀色のツリーにオーナメントが飾り付けられている。


「ねーちゃん、これ以上は無理だよ。倒れちまう!」


ヘルメットを被った男が困った声を出す。


「じゃあ、私がやります!」


男が止める間もなく彼女は2メートル以上あるその場所に脚立で登り、オーナメントを取り付ける。


「高木さん何やってるんですか!?危ないですから降りてください!!」


慌てた声でもう一人のひ弱そうなスーツの男が叫ぶ。


高木と呼ばれた彼女は小さな子供のような笑顔で笑う。


この方が綺麗でしょと。


風が冷たくなってきた。

早く家に帰ろう。


彼女のために新しいBランチをオーナーに提案してみよう。

がっつり系のランチを好む彼女にいろんな種類の丼が1度に楽しめるセットメニューがあってもいいかもしれない。


冷たい風が、新しい未来を運んできた。

それは昔のように絵に描いたような未来ではないけど。


冷たい風が、確かに、新しい未来を運んできた。















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