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聖なる乙女と運命の人  作者: 雨月 雪花
第五章 過去と親友と、全ての始まりの地
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16

 



 マリアリージュ一行が『聖地』を出発した直後だったろうか、ふわり、と『聖地』に降り立つ姿があった。

 今にも消えてしまいそうに薄く、儚い雰囲気がありありと分かる――初代『聖なる乙女』リーリア=ソルトレークだった。

 もう既に見えなくなってしまった姿を追うように、視線を一点に絞りながらじっと見つめていた。その表情は今にも泣き出しそうなぐらいに歪められていたが。


「……。……おかしい、なぁ……」


 ようやく、口から零れた声は掠れていてすぐに消えてしまいそうなか細い声だった。

 リーリアはずるずるとその場に座り込みながら、小さく縮こまり、膝に顔を埋めるように丸くなる。

 おかしい。こんな風に思うのはおかしい。今自分がここにいることさえ、おかしい。

 ――『聖なる乙女』が代を重ねるにつれて、その中から自分がだんだんと消えて行き、いつしか自然と自分の意識は消え去っていた。

 消え去ったはずの自分だったのにふと気づいた時、また『聖なる乙女』の中に自分が居ることに気付いた。不思議で仕方なかったけど、分かってしまえば単純なことだった。

 自分と同じように彼女は『光』に愛されていたのだ。だからこそ、光の中に僅かながらに残されていた自分がこうしてもう一度、自我を持つことさえ出来た。それに気付いたからこそ、アルもクロードもあの少女に賭けることにしたのだ。気付いた可能性に全てを。


(……アル……。アル……)


 心の中でたった一人の愛しい人の名前を呼ぶだけで、瞳に溜まった涙が零れ落ちる。

 でもそれは、何の力もない、かろうじて姿を保っているだけの姿だから地面に落ちても決して濡れることはないけれど。

 実を言えば、姿を見せることだって出来た。アルやクロードの前に姿を見せて、会話をすることだって自分が望めば出来た。

 そうすれば良かったのかな、と後悔すら浮かんでくるけど彼らのこれからの事を考えたらどうしても出来なかった。

 どれだけ寂しくても、どれだけ苦しくても、どれだけ求めても。もう彼らとは共に歩めないことを誰よりも思い知っているから。

 だから、姿を見れただけで、声を聞けただけで、名前を呼んでくれただけで満足しようと思った。彼らの中に自分という存在がほんの少しでも残っていてくれるならそれで良い、と納得させようとした。


「なのに……、どうして、こんなにも辛いんだろうね? ……幸せになって欲しいのに」


 アルにもクロードにも幸せになって欲しい。


 それは嘘偽りのない、自分の中に残る本当の気持ちだった。彼らの幸せのためなら、いっそのこと自分の存在を消してしまってもいいとさえ思っていた。

 ――思っていた、はずだった。

 そんな覚悟なんてどこにもなかったことを今、思い知ってしまった。忘れて欲しくない、ずっとずっと覚えていて欲しい。ほんの僅かでもいいから、自分を思う時間があって欲しい。

 こんな想いをするぐらいなら、あのまま消え去ってしまいたかった。そうしていつの日か、生まれ変わって、また新しい人生を歩みたかった。

 出来るはずないのに。『闇』の呪縛から解き放たれない限り、自分も、彼らも、決して新しい人生など歩めるはずもなかった。


「……アル……クロード。……わたし、わたしね……本当はね、……」


 聞こえるはずがないと知っているけど、それでも言わずにはいられなかった。だからこそ、リーリアは涙声で必死に何かを言おうとする。

 だが、その言葉が最後まで紡がれる前にふわり、と自然とリーリアの姿はその場から消えてしまっていた。

 その瞬間、『聖地』から一筋の風が吹いた。まるで彼女の声を、誰かに届けるかのように。






「……? ……リーリア……?」


 『闇』の中で目を閉じて力を蓄えるかのように眠っていた『闇の支配者』ルナン=ノワールは、不意に目を開けて不思議そうに名前を零す。

 もちろん、応えがないことぐらいは分かっていたのだが僅かに首を傾げた。

 ――気の所為、だろうか。ほんの一瞬だったけど、懐かしい声が聞こえたような気がした。

 もう二度と聞けるはずのない彼女の声が、聞こえたようなそんな気が。だからこそ、思わず名前を呼んでしまったのだが、辺りを見回しても姿が見えることがあるはずもなく、ふと苦笑を零した。


「ボクはまだ、彼女を……想っているのか……」


 自分の中の始まりはもしかしたら、彼女に淡い恋心を抱いた時から始まったのかも知れないと思った。

 まだ、自分が「ルナン=ノワール」として生きていた頃、もしもほんの少しでも勇気があって、想いを打ち明けられていたらもしかしたら、違う結末さえ見えていたかも知れない。

 彼女の心が自分に向くことはないと知っていたけど、彼女が自分の想いを聞いてたった一言、「ありがとう」と言う言葉を聞いていたら。

 そこまで考えてから、ルナンはふるふると考えを振り払うように頭を振るう。

 もしかしたら、の可能性など考えても後悔しか生まない。後戻りはもう出来ないし、時間は進む一方だ。決して戻ることを許してはくれない。


「……長い……長い苦しみから解放される日はもうすぐだ。もう、何も感じなくて済む。……もう、何も考えなくても良くなる……」


 どういう結末を迎えるかは分からない。でも、この繰り返される戦いは今回で終わるのだろうという確信を得た。

 あの時、アルとクロードと話したからこそ得られた確信だ。終わらせるのだ、全てを。

 そう思いながらも、何故か強い胸の痛みを感じた。からっぽのはずの自分の心が、痛んだのが嫌でも分かった。


「……っ……」


 ぎゅっと胸元の服を強く握りしめながら、漏れそうになる声を必死に堪える。

 ここで何か言ってしまえば、全てが壊れてしまいそうな気がして。だからこそ、ぐっと唇を噛み締める。

 だからだろうか、言葉の代わりに一雫の涙が、ルナンの瞳から零れた。

 頬を伝って落ちていくのが嫌でも分かるが、それでもあえて気付かない振りをした。気付かない振りをしながらただ、上を見上げるのだった。


 


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