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残してきたことに不安を感じない訳ではなかった。リーナの傍から離れることに、罪悪感が感じない訳でもない。
ただ、それ以上に無視できないもう既に感じ慣れてしまった一つの魔力の流れを感じた。決して忘れることを許されない一つの魔力を。
後ろ髪が引かれる思いだが、ただの『タナトス』が相手であるのなら『聖なる乙女』のリーナが居て、力を貸してくれるクロードもいる。仲間達の力も強くなっているのは確かだから、と自分に言い聞かせながらも走り続ける先に見えてきたのは大きな『闇』そのもの。
封印を繰り返されながら、それでも徐々に『闇』は深くなっているように思えた。
「……っ、アルっ!」
「……!? ク、クロード……? どうして、君がこっちに……」
「あっちなら何とかなると思うから大丈夫だよ。それよりもアルが心配に決まって……」
『闇』に近付くにつれて重くなる足取り。それでも行かなければいけない理由があるからこそ、走り続けていたアルの耳に届いたのは怒鳴りながら自分の名前を呼ぶ声。
予想以上に大きい声にびくり、と身体を震わせれば自然と足を止めて慌てたように振り返れば呆然としたように声を漏らす。
止まってくれたことにほっと安堵の息を漏らしながらも、ふぅ、と息を整えながらアルへと近寄ると心配げな表情でじっと見る。
その表情を見て、確かに心配を掛けたのは自覚があるからこそ申し訳なさそうな表情になりながらも視線をもう一度、走っていた方向へと向ける。それに釣られるようにクロードも目を向ければ、すっと目を細めた。
――まさか、と思った直感が当たっていたようだ。追い掛けてきて正解だった、とほっとした表情を浮かべてからふと顔を顰める。
「光に追いやられる度に、ボクは力を増すのを感じている。……どうしてだろうね?」
「……ルナン……」
アルが見た『闇』がゆっくりと自分達に迫って来たのと同時に、その闇の中から懐かしき姿がそこから現れる。
何度も繰り返される歴史の中で、何度も『聖なる乙女』と相打ちに終わりながらも何度も復活し続ける、変わらぬ姿で。
言葉を紡ぎながらもふと微笑みを浮かべた姿は、一瞬昔の記憶に重なったためにクロードは思わず名前を呼ぶと、『闇の支配者』――ルナン=ノワールはもう一度微笑みを返した。
変わらないはずなのに、変わり果ててしまったかつての友の姿。
二度と取り戻すことが出来ない、あの時の時間。でも姿だけは、あの日々から切り取られたまま、そこに在り続ける。
聖剣と呼ばれるアルテイシア=ラルムリゼと同様に。だからなのか、ルナンはクロードを見て不思議そうにするがすぐに誰なのか分かったように頷く。
「クロードなんだね……。まるで別人のようだ」
「……一度は死んだ身だからね。当たり前と言えば当たり前だよ」
「そうなんだ。……あの日から長い年月が経った。ボクの心は、もうほとんど空っぽに近いよ」
「空っぽ、か。それが原因? 『闇』に悲しさや寂しさが混ざっているのは」
「さぁ……、分からない。昔は良く分かっていたはずなのに、リーリアが居なくなってしまったあの日から、ボクは感情に鈍感になってしまった。そう、『闇』がボクを侵食し続けていく」
懐かしそうに名前を呼びながら声を掛けると、クロードは解きそうになる警戒を必死に保ちながらも返事を返す。
ほとんど興味がないかのように頷きながら、ルナンはゆっくりと空を見上げながら言葉を紡いでいく。その横顔がどこか泣きそうに見えたのは勘違いだろうか。
アルはじっと見つめながらも気になっていることを聞くと、本当に分からない、と言わんばかりに緩く首を横に振りながらくすくすとおかしそうに笑みを零した。
――『光』と共に消されてしまったあの日から、『闇』は宿主を見付けて喜んでいるのか決して『闇の支配者』という自分を死なせることはしなかった。
時を経て復活を遂げ、その度に同じように『聖なる乙女』と相打ちになることを繰り返している内に感覚すらも麻痺してしまっているかのように思えた。昔の思い出すら、もうほとんど思い出せない程に。
それでいいんだと今なら思える。あの時感じていた苦しさも、今では『闇』の糧でしかない。苦しさも辛さも、憎しみも悲しみも、自分に芽生える負の感情全てが、この世界に生きる全ての者の負の感情全てが『闇の支配者』の力となる。
「『闇』に縛られているのは何もキミだけじゃない。……僕も、アルも、そしてリリーでさえも、ずっと『闇』の呪縛から逃れられずにいる」
「……クロード」
「終わらせなければいけない。僕ら三人のためにも、ニナやユリアスのためにも……何よりも、彼女のためにも」
「彼女? ……ああ、『聖なる乙女』? うん、あの子は不思議だね。リーリアが居る。居なくなってしまったはずのリーリアが、彼女の中に、確実に」
「それがどういう意味を示すか、君は知っているんじゃないのか?」
「知らなくたって変わらないよ。ボクは全てを『闇』に染めるだけ。ボクという存在が本当の意味で消えるその時まで、変わらない」
クロードは絞り出すような声で訴えかけるように言うと、少し驚いたようにアルはクロードを見る。
見られているのに気付きながらも覚悟を決めていると言わんばかりの強い口調で言い切れば、最後に付け加えられた存在に覚えがなかったルナンは僅かに首を傾げたがすぐに思い浮かんだように頷く。
本当に不思議そうな表情の中で何度も頷いて言いながら、違和感を感じるアルはルナンを見ながら声を掛けると当然のことのように言い切った。
その言葉が嘘偽りではなく、本気で告げているのが分かるためにここで会話が途切れてしまう。
言いたいことがあった。こうして会話するのは本当に久しぶりで、もしももう一度こうやって会話する機会を得られるなら言いたいことが山ほどあった。それなのに言葉が紡ぐことが出来ない自分に嫌気が差すのを感じながらも、ふと気付いた時にルナンは『闇』へと戻ろうとしていた。
「ルナン!」
「終わらせるというのであれば……、ボクらが決着を付ける日はもうすぐだ。もう後戻りは出来ない」
アルとクロードが同時に名前を呼ぶと、顔だけ振り返ったルナンはふと微笑みながら告げるとそのまま『闇』と共に姿を消していき、一気に『闇』は晴れ、変わらぬ姿が戻って来る。
最後に浮かべたあの微笑みが、泣きそうに見えたのは気の所為なんだろうか、本当に。
「アル! クロードさん!」
「……マリア?」
「僕らを追いかけてきたの? マリアリージュ。……ああ、そうか。だから、去ったのか」
姿を消してしまったかつての友を追うようにその場所を見続けていた彼らの耳に届くのは、聞き慣れた女の子の声。
声が聞こえた方へと視線を向ければ駆け寄って来るリーナの姿がそこにあり、心底驚いた表情をしているアルと嬉しそうに笑うクロード。嬉しさを感じる傍らで、突然消えてしまった『闇の支配者』である彼を思い返せば、なるほど、と頷く。
今の彼女であれば、間違いなく殺してしまえるというのにそれをしないのは彼の中に残っている僅かながらの優しさか。それとも、亡き彼女への恋慕の所為なのか。
分かりはしないが出逢わなかったこと、言葉を交わさなかったことは良かったのだろうと思う。
下手に会話をして同情を覚える可能性も捨てられない。クロードはリーナへと視線を向けると、ようやく近くまで来て息を整えている姿が見えた。
「何か、あったの?」
「ん……? ……ああ……友人と最後の会話に、ね」
「友人? ……クロードさん、じゃないよね? ゆ、幽霊、とか?」
「ふふ……似たようなものかも知れないね。彼はもう、死んでしまったも同然だろうから」
「……?」
「何でもないんだ。ごめんね……さぁ、皆の所に戻ろうか? 心配させたままなのも忍びないしね」
息を整え終わったリーナはじっと二人を見つめながら聞きづらそうにしながらも問い掛けると、アルは僅かに首を傾げてからふと悲しげな笑みで答えをくれる。
答えを聞くと不思議そうにきょとんと首を傾げて、悲しげな笑みが気に掛かるのか確認を取る。
アルはそれ以上は何も言わずに微笑みを返すだけで、代わりにクロードが笑みを零しながらも寂しげにぽつりと零した。
良く分からなかったために更に首を傾げたリーナを見ると、ぽん、と軽く頭を撫でると謝罪をしてから戻ろうと促せば二人は頷きながら歩き出した。戻る間にさほど会話は無かったが、どこか寂しげな雰囲気に包まれているのだけは感じ取れた。
聞くことも出来た。誰と逢ったのか、どんな話をしたのか、自分には言えない話なのか。
でもそれを躊躇ってしまうぐらいにアルが悲しそうだった。悲しそうにしている表情をこれまでほとんど見ることがなかったから、何も聞くことが出来なかった。
クロードに聞くことだって出来るけれど、アルを気遣っているのが目に見えて分かるから問い掛けても多分、答えはくれないのだろうと思った。
自分の中に芽生えた寂しいという気持ちが何を示すのか分からないまま、リーナは黙って二人の後ろを着いていくと程なくして仲間達の元へと戻って来る。
「無事だったか。……何もなかったようで安心した」
「本当に。こっちも特にあれからは何も起こらなかったしね」
「それなら良かったよ」
まず最初に三人の姿を確認したのはエメリヤだった。その声を聞いたレイクもそちらへと視線を向けてほっと安堵の表情になるのを見ると、アルは微笑んで返す。
そのまま、アルは仲間達の元へと向かっていくのだがリーナはそうすることは出来なかった。
「マリアリージュ?」
「……どうかしたか?」
「え? ……ううん、何でもない、と思うん、だけど」
「何でもないようには見えないけど。……本当にどうしたんだよ?」
「分かんない。……眠たいだけなのかなぁ」
「……。そうかも知れませんね、色々な事を知って、予想外のことが起きて疲れてるんですよ。寝たら、きっとすっきりすると思いますよ」
「うん」
動かずにいるリーナに気付いたクロードが心配気に名前を呼び、こちらへと近寄ってきたライアンが不思議そうに問い掛ける。
足を止めてしまっていることに自分自身が驚いているのかリーナはふるふると首を横に振るも、自分でも分からないのかだんだんと自身なさげに声が小さくなっていく。
いつもとは違う様子に気付くのは当然のことで、ヒナタも心配そうに聞くと首を横に振ったまま、ぽつりと言葉を漏らす。
何かに気付いたサーシャであったものの、ふと微笑みを浮かべながらもリーナを気遣うように声を掛ければ、こくりと小さな頷きを返した。
寝ればこのもやもやとした気持ちがなくなっていればいいな、と思いながらも今日のところは寝ることにしたのだった。




