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最初に言うのであれば、極めて状況は劣勢であった。
『タナトス』に有効な攻撃の手段を持つのは、『聖なる乙女』のみ――つまり、現時点では『聖なる乙女』ではないのだが、初代でもあるリーリアのみの攻撃がかろうじて通るという感じだ。
実戦経験がほとんどなかったこともあり、魔導を扱う者達はもちろん、武器を持って戦う者達も為す術もなく倒れていくのが見える。
時間を掛ければ掛けるほど、徐々に村の中は『タナトス』で埋め尽くされていき、徐々に追い詰められていくのが嫌でも分かる。これならば、と判断した『闇の支配者』は『タナトス』達に命令をして、どこかに向かわせているのが何とか見えた。
他の場所にも向かわせたのだろうと言うことに気付きはするが、止める術すら持たない無力な自分達が悔しいとさえ思った。
いずれは大陸全土の人達が死を迎えてしまうのかも知れない、そう思えば思うほど焦りが増す。
「……まさか、これほどまでとは……っ!」
「ルナンが手を出して来ないのが幸いと言った所、かな? ……とは言っても、これはちょっと、ね……!」
「彼の手下とも言える存在にこれだけ手こずっていたら、ルナンを相手にした時に何も出来ないということになるわよ……」
近付いてきた『タナトス』に剣で対峙していたユリアスであったが、『タナトス』が怯む様子はない。逆にこちらの体力だけが奪われていくだけに思わず弱音を零せば、近くで魔導を使い続けているクロードもどこか辛そうな表情を浮かべながら、乱れそうになる息をぐっと堪える。
魔力の限界すら感じられる今の状況にニナはぽつりと零しながら、ちらりとリーリアとアルの方へと視線を向ける。
唯一の救いは、リーリアが言っていた通りに彼女の『光』ならば対抗出来るということだ。サポートとして付いているアルも村一番の魔導の使い手と言うだけあって、今の自分達よりは遥かに戦えているのだろう。
でも、こんなのは戦いでも何でもないということは理解していた。
こちらが既に全力で戦っていることに対して、相手側はまだ、力を温存しているようにさえ見える。どう考えてもこの戦いに勝ち目はないようにしか見えない。
「……っ、リリー……大丈夫?」
「わたしは大丈夫だよ。でも、アルの方こそ、大丈夫? 顔色が悪くなってる……」
「ここまで魔力を使うのが初めてだから、ね」
アルは、息を整えるように息を深く吐き出しながら近くにいるリーリアへと声を掛ける。
比較的彼らに対して有利な手段を持つリーリアはこくりと頷いて答えながら、アルへと視線を向ければその表情に疲労が現れ始めているのが見て取れたために心配そうに聞く。
僅かに微笑んで安心させるように言いながらも、すっと視線を宙に浮かんだまま、静観しているルナンへと視線を向ける。
疲れている所為なのか、辺りが暗い所為なのかは分からないがここから見える彼の表情はどこか苦しげに歪んでいるように見えた。目を細めながらじっと見ると、見られていることに気付いたのかルナンは、ゆっくりと地面まで降りてくるとすっと手を前へと突き出す。
「やっぱり、リーリアの中にある『光』はボクの『闇』を退けることの出来る、力なんだね」
「……気付いてたの?」
「ボクに『闇』が生まれ始めた頃から、少しずつ、ね。……リーリアが持つ光はボクにはあまりにも眩し過ぎて、暖かくて……苦しいほどに、愛しかった」
「ルナン……」
「……。『タナトス』は負の感情が作り出した存在。ボクの力を与えることで、『闇』の化身として姿を持った。今いる『タナトス』の全てはボクの負の感情が作り出されたんだ……って言ったら、どうする?」
「……っ!」
空からずっと状況を見ていたルナンはリーリアへと視線を向けて、ふと歪んだ笑みを浮かべながら確信を持ったように呟く。
自分ですらも気付かなかったことを彼が知っていることに驚きを覚えたリーリアは思わず聞き返せば、ルナンはその答えを返しながら震えそうになる声を必死に抑えながら告げる。
友人達が自分の名前を呼ぶことに気付くと、表情を消しながらも説明するように言葉を続けていけば、最後には微笑みを浮かべて首を傾げた。その言葉に誰よりも早くに反応したのは、アルだった。
ルナンが持っていた悲しみ、苦しさ、寂しさ、辛さ、憎悪。彼が言っていることが本当なのかどうかは判断がつかないが、嘘をついているようには見えなかった。だからこそ、アルは苦しげに顔を歪めたことを見て、ルナンは少しだけ泣き出しそうな表情を浮かべた。
「……終わりにしよう。かつての友達への、最後の慈悲の心で」
「ルナン……待っ……!」
これ以上はもう語ることはないと言わんばかりに目を閉じれば、ゆっくりと突き出した手に力を溜め始める。
それに気付いたリーリアが慌てて止めようとするが、その言葉を遮るかのように溜められた『闇』の力は、大きな魔力の波動となって村を消し去るかのように放出された。
咄嗟に剣を地面へと突き立ててリーリアがぎゅっと強く握りながら、何か小さな声で呟くが聞き取ることは出来ず、辺りは闇に包まれた。それで全てが終わったかと思われたが、ルナンは何か違和感を感じてじっとある一点を見つめると、驚いたように目を見開かせた。
村は跡形もなく消え去った。残るのは荒野だけだ。
その荒野に見えたのは薄い『光』の膜。中にいたのは剣を突き立てて剣に寄り掛かるように息を乱して立っているリーリアの姿と、膜の中に倒れている友人達の姿だった。
見える限りでほとんどの体力を消耗してしまっているのだろうリーリア。倒れている彼らはもう立つことすら出来ないようだ。
「っ……は、ぁ……はぁ……」
「リーリア……まさか、これだけの力だったなんて……」
必死に息を整えようとしているリーリアを見ながら、ルナンは呆然と言葉を漏らした。
予想外だったと言うべきか、予想以上だったと言うべきかは分からない。
でも目の前にいる少女は息を整えて自分を見てくる。その瞳からは絶望などを一切感じられず、そこにあるのは強い希望の光だ。
圧倒的な力を見せられているというのに何一つとして諦めている様子を見せない。本来であれば力を使ったこともあり、一旦引くべきかと思ったルナンであったが何故か身体が動かなかった。まるで『光』の意思が働いているかのように、一歩も動くことが出来ずにいた。
それを確認してからリーリアは地面に突き立てた剣を抜いてから、倒れている友人や恋人へと視線を向けた。
微かながらも息をしているのが分かるとほっと安堵の息を漏らしてから、改めてルナンへと身体を向けてすっと剣を構えた。そのまま、一人で行こうとしたのだがその時だったろうか、そっと足に何かが触れたのが分かると驚いたように視線を落とす。
「……アル……?」
「……っ、……けほっ……」
「……」
足に触れていたのは、アルの手であった。振り絞った力で必死に止めようとしているのが見て取れたために思わず名前を呼ぶと、アルは視線だけはリーリアに向けながら何か言おうとするが喋ることが出来ずに咳込む。
彼が何が言いたいのか、それは今の自分には分からない。
でも、きっと自分の身を案じてくれていることだけは分かってふと泣きそうな微笑みを浮かべる。
「あのね、アル」
「……」
「……わたしね、アルが大好き。……本当はね、小さい頃からずっと好きだったの。だから、アルが受け止めてくれた時、本当に嬉しかった」
「……リ、リー……」
「アルが大好き。……大好きなアルが生きている世界だから、護りたいって思うの」
――例え、自分がどうなったとしても。
最後までは言わなかった。リーリアは安心させるように微笑みを浮かべれば、ゆっくりと歩き出した。
後ろからは微かに自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。愛しい人の声、大好きな友人達の声。それは本当に微かなもので、何を言っているかも判断がつかないほどだ。
だから振り向かなかった。振りむいてしまえば、今歩いている足が止まってしまうように思えたから。
そしてリーリアは真っ直ぐと動くことが出来ずにいるルナンの目の前まで行く。真正面にリーリアがやって来るとルナンは僅かに身体を震わせる。それに気付いたのか、リーリアはふと寂しげに微笑みを浮かべた。
「わたしの力が分かるなら……戦ったらどうなるか、分かるよね?」
「……。分かるよ。でも、どんなに結果が良くてもキミ一人の力じゃ、ボクの『闇』を完全に消し去ることは出来ない」
「うん、知ってる。それでも、止めないといけないの」
リーリアは一言そう問い掛けると、ルナンはその質問の意味が掴めずに僅かに顔を顰めながらもキッパリと言い切る。
決して答えを否定せずに、逆に肯定するように頷くとゆっくりと自分とルナンの間に剣を突き立てると、一気に自分の中にある『光』の力を解放させた。
ルナンの驚きの表情であり、彼の姿は徐々に『光』の中に消えていき、それを確認し終わるとリーリアの周りにあった『光』は消えていき、全ての力を出し切ったリーリアはその場に倒れる。
「リリー!」
「リーリア……!」
ルナンが消えると同時に、辺りの『闇』は晴れていき、広がるのは清々しい青空。
一歩も動くことの出来なかったアル達であったが、意地で立ち上がるとふらつく足取りのまま、倒れたリーリアの名前を呼びながら駆け寄っていく。
駆け寄った先のリーリアの口から洩れているのは微かな息使い。誰が見ても、助からないだろうという状態だと分かるとアルはリーリアを抱き締めるように覆い被さる。
「リリー……どうして、どうして、一人で……!」
「……アル……? ……うん、あのね……わかんない。……一人じゃないと……ルナンが、死んじゃってたかもしれないから、かも……」
「……っ! そうだとしても……! キミが命を落とす必要はなかったはずでしょう!?」
「うん……そう、かも……」
「お前が居なくなったら、アルテイシアはどうなるんだ……これから、ずっと一緒に居るんだろう? ずっと傍に……」
「そうよ……幸せに、なるって……」
「……うん、そうしたかった、なぁ……」
微かに開いた目から見えたのは今にも泣き出しそうなアルの表情。それから聞こえてくる声は全員が震えていて、泣いているのが分かった。
冷たい雫が頬に落ちてきたのが分かったから。
最後に見るのが皆の涙なのが嫌だなぁ、と思いながらリーリアは最後の気力で微笑みを浮かべた。
「あの、ね……アル……」
「……どうしたの……?」
「……きっとね……『闇』は復活すると、思うの。だから……護ってね……わたしが護りたかった、アルの生きる世界、を……。わたしも、力貸す、か……」
「リリー……? ……リリー!」
最後に一つの言葉を残して、リーリアはそっと力を失ったように目を閉じた。
アルは何度も名前を呼びながら身体を揺らすものの、リーリアがもう一度目を開けることはなかった。
それが分かった瞬間、アルは声を上げて泣いた。クロードもユリアスも、ニナも個人それぞれであったが泣き続けた。涙が枯れてしまうのではないか、と思われるほどに。
――それから彼らの手によって、リーリアの亡骸は弔われ、それと同時に『闇の支配者』と彼女の戦いを記した一つの本が書かれた。やがて彼女の持っていた剣は『聖剣』と呼ばれるようになり、彼女は『聖なる乙女』と呼ばれるようになった。
当時生きていた彼らが知る「歴史の始まり」の話。だが、彼らにとっては「歴史」ではなく、ただ大切な人を失った悲しき過去を記憶でしかないのが何よりもの真実なのかも知れない。




