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聖なる乙女と運命の人  作者: 雨月 雪花
第五章 過去と親友と、全ての始まりの地
75/103

02

 



 ――クレスタ王国クリストファー私室。


 実際は借りている部屋なので私室と言うべきかどうかは分からないが、その内本当に部屋が与えられるだろう。

 クリストファーはソファーに深く座りながら、ぼんやりと目の前に置かれている書類に目を通していた。いい加減見飽きてきた式についての内容が書かれた書類だ。

 どのような式を挙げるか、客は誰を招待するか、料理はどうするかなどなど多くの書類が目の前に置かれていてはぁ、と溜息を零すと手に持っていた書類をその中に戻して疲れたように上を見上げる。

 例の一件、クレスタ王国の上の立場の人達が第一王女であるマリアリージュを探しに行くという話に関しては、突然話に割り込んだアリアリーネが断固として許可しなかったため、結局はうやむやになって話は流れている。

 あの時のアリアリーネの姿は普段のお淑やかな「お姫様」でなかったために大層驚いていたようだが、クリストファーとしては笑いを隠すのに必死だった。

 本来であれば止めるべきなのだが、今回ばかりは止める気には到底なれなかったし逆に援護をしたぐらいだ。

 これぐらいのことでアリアリーネとの婚約が白紙になることはまずあり得ないと確信を持てているからだ。たかだか反対意見を出したぐらいで、既に大陸に知れ渡っている自分達の婚約を今更なかったことになど出来るはずがないと当然のように思っている。


(……まぁ、マリアの一件はこれで良いとしても、だ)


 いずれ必ず帰って来るマリアリージュのことは信じて待つという選択肢を選んだのはいいが、もう一つの一件は早々に解決されることはない。

 『タナトス』の被害や恐怖などによるクレスタ王国の人口増加。

 出来る限りのことをすると言っても一体、何をして民を安心させるべきなのかが思い浮かばない。

 こういう時はてっとり早く、城下に出て話を聞くのが一番なのだろうが今日は外に出ることは出来ない。

 目の前にある書類を片付けなければいけないのもそうだが、それと同じぐらいに大切なことが今日待っているからだ。


「クリス! クリスー!」

「アリア……? どうした、そんなに嬉しそうな顔をして」

「ラルフお兄様! さっき到着されたみたい!」

「……そうか」


 いつもならばきちんと扉をノックしてから部屋に入って来るアリアリーネであったが、今日は少々マリアリージュを彷彿とさせるような乱暴な開け方をすれば満面の笑みを浮かべて部屋の主の名前を呼ぶ。

 マリアリージュで慣れている彼は扉の開け方には驚いた様子は見せずに、彼女の嬉しそうな表情の意味が分からずに首を傾げる。

 聞かれたアリアリーネは満面の笑みのまま、すとんとクリストファーの隣に座りながら理由を話せばクリストファーも表情を緩めて頷く。

 アリアリーネの言う「ラルフお兄様」とはクリストファーの異母兄、つまりはリーディシア王国第一王子であり、正当なる王位継承者の「ランドルフ=リアス=リーディシア」だ。

 今日、彼はクリストファーとアリアリーネの婚約の祝いの言葉を持ってくると同時に式についての打ち合わせなどもあるそうだ。手紙でそう知らされていたために、会えるのはもう少し後になりそうだな、と思うとクリストファーは立ち上がって時間を潰すためにお茶でも淹れようかと思った時に、こんこん、と扉を叩く音が聞こえる。

 思わず、二人は顔を見合わせるものの、クリストファーが「どうぞ」と声を掛けると扉を開けて入ってきたのは噂の張本人。


「久しぶり、クリス、それにアリア。元気だった?」

「ラルフお兄様!」

「あ、兄上……? 陛下の所へご挨拶は……」

「え? ああ、父上の側近が来てるからそっちに任せて速攻で来ちゃった」


 噂の張本人であるランドルフは二人の姿を視界に入れるとふわりと微笑みながらひらひらと手を振って声を掛ける。

 アリアリーネは嬉しそうに名前を呼んで駆け寄るが、さすがに驚きしかなかったクリストファーは気になったことを聞くと、ランドルフは何て事のようにあっけらかんと告げる。

 極々自然に、当然のように告げられた言葉に呆気に取られることしか出来なかったクリストファーは困ったように息を吐きだしながらも、仕方なさそうに微笑みを浮かべた。

 兄はこういう人だ。一部ではこういう兄の部分を知っているからこそ心配されることも少なくはないが、それでも多くの人を惹き付ける力をこの人は持っている。

 だからこそ、父も陛下も呆れて注意をするかも知れないがそれ以上は何も言わない。

 ――そういう人なのだ、この人は。変わらない姿が見れて嬉しいのかクリストファーは笑みを深めながら軽く頭を下げる。


「お久しぶりです、兄上。お変わりのないようで安心しました」

「うん、クリスも元気そうで良かった。アリアとの仲も良好のようだし……、マリアも居れば昔みたいに色々と話せたりしたんだろうけどね」

「……姉様は」

「ああ、知ってるから平気だよ。マリアなりの考えがあったからのことだろうし……、俺はクリスが幸せならそれでいいしね」

「兄上……」


 変わらない様子を見れて嬉しいのはランドルフもらしく、嬉しそうに微笑みを浮かべながらアリアリーネへと視線を向けた後に何気なく思ったことを呟く。

 はっとしたような表情になったアリアリーネは必死に庇おうとするのだが、ランドルフは安心させるように言いながらももう一度クリストファーへと視線を戻して当たり前のことのように告げる。

 そこに嘘偽りはないと知っているからこそ、クリストファーは嬉しそうにしながらも少々気まずそうに顔を俯かせる。

 それはアリアリーネも一緒だったようで同じように顔を俯かせれば、ランドルフはくすくすと笑いながら二人に近付き、手を伸ばすとぽんぽん、と頭を撫でる。


「いつかは真実が知らされる日が来るんでしょう? 俺はその時に知れればいいから、二人が気にする必要なんてないんだよ」

「ラルフお兄様……、ごめんなさい」

「……兄上。その……」

「いいんだって。それよりもクリスとアリアが婚約発表になっちゃったから、話が通る前に白紙になったね」

「……?」

「聞いてない? クリスとマリアが元来通りに婚約してたら、俺はアリアと婚約することになってたの」

「……え!?」


 頭を大人しく撫でられながら上から降って来る言葉に対して、やはり申し訳なさが生まれてくるのか謝罪を口にする。

 ランドルフはもう一度繰り返すように気にしなくていいと告げると、撫でていた手を話しながら話題を変えるように別のことを口にすると、二人は顔を上げてきょとんとした表情になる。

 二人の表情を見ると同じようにきょとんとしながら、極々当たり前のように告げるとアリアリーネとクリストファーは同時に驚きの声を上げる。


「まぁ、俺としてはどっちでも良かったし。クリスが幸せなのが一番だしね」

「え? え? ということは、私がラルフお兄様と一緒になる予定だったの?」

「父上達の話によれば、ね。結局話は流れたから今後どうなるかは分かんないけど……」

「……。その話の流れだと、マリアが兄上の嫁ぐ話が出てくるんじゃ……?」

「否定はしないけど……、俺もマリアなら貰ってもいいと思ってるし」


 丸く収まって良かったと言わんばかりに頷いていたランドルフを尻目に、アリアリーネは未だに驚きから解放されずにあちこち視線を向けながらもようやく理解出来たことを聞けばランドルフは頷いて肯定する。

 その話を聞きながらしばし無言でいたクリストファーであったが、恐る恐ると言わんばかりに聞けばランドルフは困ったように微笑みながらも、付け加えるように告げる。

 アリアリーネとクリストファーは互いに顔を見合わせると今、此処には居ないマリアリージュを思う。


 ――彼女には幸せになって欲しい。幸せになってくれなければ、困る。


 目の前にいる人もきっとマリアリージュを幸せにしてくれるだろうが、好きな人と結ばれて欲しいと思う。

 そう思うからこそ、マリアリージュは一体何をしているんだろうか、と考えた。今、彼女の心の中に「たった一人」を思う大切な気持ちは芽生えているのだろうか、と。





 ――『聖地』。


 ここがそう呼ばれるようになってから、もう何年、何十年、何百年の時が経っただろうか。

 全てはここから始まったことを知る者は、片手で数えられるほどの人しか存在しなくなってしまった。それだけの時が過ぎたという証にもなるが、寂しいものだと素直に思う。

 マリアリージュ達の中で「謎の人」と呼ばれている彼は、その『聖地』に立っていた。

 ゆっくりとフードを外して現れたのは、鮮やかな赤の髪と美しい銀の瞳。そんな彼は『聖地』内をゆっくりと歩きながらそっと目を伏せる。


(……懐かしい……)


 蘇るのは、過去の記憶。幸せな思い出たち。共に過ごしてきた友人、大切な親友、そして愛しき人。

 多くの思い出があるこの地は同時に一番辛い記憶が眠る地でもある。

 だからこそ、ここに近付くことは滅多にしなかった。自分はもちろんのこと、彼もその類だろう。

 それでも懐かしさが湧きあがって来るのは仕方ないことで、足取りを緩やかに辺りを見回しながらどこか寂しげな笑みを浮かべる。

 何も無くなってしまった。ここにあったはずのものは、何もかもが消え去ってしまって、唯一残されたのは大きな記念碑のみ。その記念碑もなければ、ここに人が訪れることなんてないのだろうと思うと、あって良かったのかも知れないと思う。


(″彼女″を忘れずに居てくれるから……)


 それが一番大事だ。全てを失ってでも、この大陸を護ろうとした彼女を忘れずに覚えていてくれるのであれば記念碑はあった方がいい。

 そう思いながらも彼はようやく、記念碑が立っている丁度『聖地』の真ん中に着く。

 と言ってもここが本当に中心部分なのかは判断がつかない。辺りに広がるのはただの平地で、特に何か目星がある訳でもない。

 だからこそ、ここが『聖地』なのだと教えてくれる記念碑。

 そっとその記念碑に触れながら、彼は悲しげに目を伏せてぽつりと小さな声で呟く。


「……久しぶり、だね。あれから、どれぐらいの時が流れたのかな?」


 ずっと、ずっと昔のこと。あの頃は、こんなことになるなんて思いもしなかっただろう。

 今も自分がこうして記憶を持ち、思い出を抱き続けて生き続けるなんて考えもしなかった。

 それでも運命というのは残酷な現実を引き寄せ、時は止まることを知らぬまま過ぎていく。それは当然のことで、誰にも止められないこと。


「僕は、結構変わったかな? 一度死んでるしね、当たり前だよね。……でも、彼は……何一つ変わらない姿で、今もこの世界を生きているよ」


 ――キミの、最後の願いを叶えるために。


 必死に笑顔を浮かべようとしながらも震える声を我慢は出来ずに、ずるずるとその場に座り込むと記念に背を預けながらぼんやりと空を見上げる。


「……ねぇ、リリー? ようやく、キミと彼、そして僕を解放出来るかも知れない。……闇の、呪縛から」


 独り言のように呟きながら、彼は自分に言い聞かせるようにゆっくりと、でもどこか哀しげに言葉を紡いでいく。

 喜ぶべきことだと思いながら、素直に喜べない自分がいるのは事実で。

 それは多分、自分が思い描く″彼″も同じなのだろう。そう思いながらも、時はもう動いてしまっている。

 いや、正確には自分が動かしたんだ。一つのきっかけを与えて、全てを終わらせるために。彼女が動いてくれることを確信していたから。


「大切だから。……大切に思ってしまったから、僕はもう後戻りするつもりはない」


 その所為で誰が傷付くことになっても。誰かが犠牲になる、そんな事になってしまっても。或いは、自分が消える可能性があっても。

 終わらせなければいけない。繰り返される歴史を、終わらせなければ失ってしまうのだ。

 失う未来が訪れるぐらいならば、失わない未来を選ぶしかない。彼は力強い意志を込めて呟きながら、そっと目を閉じるのだった。


 


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