03
――クレスタ王国。アリアリーネ私室。
いつもであれば忙しい時間帯ではあるが今日は色々なことが重なったらしく、アリアリーネは私室でのんびりとティータイムを楽しんでいた。
忙しいと言えどもまだまだ、第二王女という立場上さほど多くの仕事がある訳ではない。とは言っても第一王女であるマリアリージュが幼き頃から学んでいた様々な勉学を、アリアリーネは一からやらなければいけないということから少々忙しい日々が続いている。
それと同時にクリストファーとの式の準備も進めて行かなければいけないのだから忙しいのは当たり前だった。
だからこそ、お茶菓子を摘まみながらゆっくりとお茶を楽しめる時間はとても貴重だ。クリストファーも誘ったのだが、生憎この国の王――アリアリーネからすれば父に呼ばれたために少々遅れるとのこと。
珍しい、とは思わなかった。自分と彼がこれからクレスタ王国を治めていくことになるのだから積もる話も多いのだろう。
その割には断った時のクリストファーの表情が、疲れ気味だったのは当然のことだったが、それ以上に怒っているように感じられた。
(……うーん? クリスが怒ることなんて滅多にないのに)
それこそ、本当に彼の逆鱗に触れない限りは。
そこでふと何かが引っ掛かる。自分は知っているような気がした、彼が何に対して怒ったことがあるのかを。
必死に思い出そうと唸りだしたアリアリーネであったが、ばんっと少々乱暴に扉が開かれたために記憶を辿ろうとしたのは一瞬で途切れて驚いたように視線を向けるとそこにいたのは、クリストファーの姿だった。
「ク、クリス……?」
「……ん? ああ、悪い、驚かせたな。ただ、こればかりは怒らずにいられなかったというか……」
「え、えっと……? と、父様とお話しして来たんだよね? どんな話だったの?」
「……。そうだな、アリアも知っておいた方がいい話だろうしな」
「え?」
困惑気味に名前を呼べばようやく、クリストファーは無意識の内にアリアリーネの部屋に来ていたことに気付いて申し訳なさそうにしつつもぶつぶつと文句を呟く。
こんな様子のクリストファーは滅多に見た事がなかったアリアリーネは少々焦りながらも必死に思い出しながら、原因の一つかも知れないことを問い掛けると彼は一旦黙った。
黙った様子に言い辛いことなのだろうか、と思いはしたもののクリストファーは少しの間考える仕草を見せれば自分の中で決めたように頷けば、意味が分からなそうに更に首を傾げた。
アリアリーネの様子に苦笑を浮かべたが一旦落ち着こうと思ったのか、そのまま向かい合うように座れば慌てたようにアリアリーネがカップにお茶を注いでくれる。それに対しては「ありがとう」と礼を告げると、カップに口をつけながらどこから話したものかと思う。
――この様子では何も聞いていないのだろう。
その判断が間違いだと言うつもりは一切ないが、彼女は周りが思うほどに子供ではない。とは思っているが、ある一つのことを除けば、の話になるか。
どう話すものか考えながらクリストファーは一口飲むと大分気分が落ち着いたかのように一息つけば、ここでようやくじーっとアリアリーネが自分を見て来ていることに気付いた。好奇心旺盛なのが見て取れて困ったように笑みを浮かべるしか出来ないが、話すと決めたのだから包み隠さずに言うべきかと思って口を開く。
「最近、クレスタ王国の人口が増えてきている」
「……へぇ? ……増えるのはいいこと、だよね?」
「そうだな、通常時であればこの王国の資源から考えても歓迎すべきことだ」
「通常時であれば?」
「……ああ。最近、『タナトス』の被害が増大している。いくつかの村や町は既に全滅したらしく、歴史が語っているように被害に遭った人達は」
「倒れてる……?」
「ああ、意識がなく倒れてる。……医者からは死んでいる、とさえ言われてるよ」
「……」
まず最初に語られた内容に関してはアリアリーネは全く予想をしていなかったことだったのか目を瞬かせながら首を傾げる。
その考えは間違ってはいなく、クリストファーも同意するように頷いたのだが一部の単語が引っ掛かったために問い返せば、一瞬言うのを躊躇うかのように口を噤んだのだがすぐに現状を話すとすぐに気付いたかのようにアリアリーネは言う。
実際、歴史ではそこまで詳しく綴られてはいない。『タナトス』と『闇の支配者』が与える闇とは人々に一体何を与えるのか。綴られているのは人が『倒れる』ということだけ。
誰もが知っている範囲のことだったためにクリストファーは肯定するように頷いてから、僅かに顔を顰めながらぽつりと最後に付け加えるとアリアリーネは驚いたように目を見開いた。
――本当の事実を知っている者は、聖剣『アルテイシア』か以前の『聖なる乙女』と『闇の支配者』の戦いで生き残った者達ぐらいだろう。
彼らは歴史を残すことはしなかった。繰り返され続ける歴史を、詳しい形で残すことは決して。
それをどうしてかと問い掛けたくてもその相手が居なければ問うことも出来ない。どちらにしろ、その真実は今知ることは出来ないことなのでもう一つのことを考えることにした。
『タナトス』の被害が増加することと、クレスタ王国の人口が増えること。その二つは関係しているという言い方であったが、繋がりそうで繋がらない理由にアリアリーネは首を傾げる。多分、その理由がクリストファーが怒っている理由に繋がっているはずだ。
そこまで考えるとふと、思い浮かんだ。思い浮かんでしまえば、それが当然のことだ。
「……姉様……?」
「ああ、クレスタ王国第一王女の家出、は大陸全土に広がったはずだが……必ず戻って来るとの意思があるからか『聖なる乙女』の加護のあるこの土地に逃げてきた、という訳だよ」
「……それで、怒ってるの?」
「いや、大陸の人達がマリアを頼るのは当たり前だと思ってるし、仕方ないことだとも思ってるよ。ただ、さすがに……」
「さすがに?」
「……。今まで本格的に探そうともしなかったマリアのことを、国の威厳のためだけに探そうとする立場が上の人達の身勝手な言葉が気に障った」
「ああ……」
――なるほど。アリアリーネは自然と納得してしまった。
もしも、自分がその場にいればクリストファーと同じような態度を取ったことだろう、絶対に。
姉は、役目を果たす時には必ず帰って来るとそう手紙に残していた。その姉の言葉は真実だ、それを信じないのは絶対に許せない。
確かに今、クレスタ王国は注目されているだろう。世界でたった一人、『闇の支配者』に対抗出来る存在『聖なる乙女』が居る土地なのだから。
それは仕方がないことだ。誰だって安全な場所に居たいと思う。何よりもこの国には騎士団があり、戦う者も多く存在しているのだから他の場所に比べれば遥かに安全な土地とも言える。
でも父ではないにしても、立場が上の人達は今の状況を利用して国の利益を上げようとしているという訳だ。クリストファーが怒るのも無理はない、というよりも怒っていなかったら逆に自分が彼に対して怒っていたかも知れない。
「……まだ、アリアとは婚約者同士で完全にはこの国の者ではないから発言力が低い俺だと止められそうにないのが歯痒い」
「……」
「マリアは俺やアリアのために様々なことをしてくれたというのに……、情けない」
――そんなことない。
きっと姉がこの事を聞けば喜んでくれるに決まっている。大切な親友が、こんなにも一生懸命考えてくれているのだと知れば。
でも、彼が言うように今、発言力が一番高いのは当然のことながら父だ。この国の王であるのだから。つまりは父を説得すれば、止めることも出来るのだろうかと考えながらふと思い浮かぶ。
「ねぇ、クリス。私には発言力ってある……?」
「え? あ、ああ……陛下や王妃を抜かせば第一王位継承者であるアリアが一番だと……って、まさか、アリア?」
「そのまさかっ! じゃあ、早速行こう!」
「あ、おい、待て……!」
突然の問い掛けにクリストファーは困惑しながらも考えながら答えれば、ふと何かに気付いて焦ったように名前を呼ぶ。
だが気付くのが一足遅かったようで、彼女はにっこりと満面の笑みを浮かべてからいきなり立ち上がって部屋から飛び出す。慌てて呼び止めたクリストファーの声など聞こえていないようで、はぁ、と溜息を吐いて軽く頭を押さえた。
(……まぁ、いいか。……アリアも俺も、マリアが帰って来るのを待ってる。――お前自身の意思で帰って来る、その日を)
そしてその日まで、彼女の旅の邪魔をせずに、出来得る限りのことでクレスタ王国へと流れてきた人達を安心させること。それが今自分達に出来る最大のことだ。
今はとりあえず、アリアリーネの後を追うのが先だと思ったクリストファーは気持ちを落ち着けるように深く息を吐けば部屋を飛び出したアリアリーネの後を追うことにしたのだった。
山登りの準備を何とか終えて、宿も取れ、夕食を済ませた一行は思い思いの時間を過ごしている。
ライアンはいつもの如く、剣の修理やセントラルで買ったのだろう鉱石を見定めていたり。それを興味深そうに見ているエメリヤ。アルは「疲れたから」と言って一足先に休んだらしく、レイクは備え付けてあった本をぱらぱらと読んでいるようだ。
ヒナタはざっと面々の行動を確認してからふと、ここでようやく気付いた。
――リーナの姿がない。いつもならば仲間の誰かと談笑しているイメージがあったが、僅かに首を傾げる。
彼らに行き先を聞くべきだろうかと思いはしたが、多分聞いていないだろうと直感でそう思ったために一言「風に当たって来る」と告げて部屋を出て、そのまま宿を出る。
別に遠くまで行ってはいないだろう。宿の近くに居るはずだとヒナタは思いながら、きょろきょろと辺りを見回すと、思った通りに簡単に見付かった。ベンチに腰掛けながらぼんやりとした様子で夜空を見上げているリーナの姿を。
いつもと若干雰囲気の違う姿に声を掛けるかどうか迷いながらも、ここまで来たのだから掛けないのもおかしい。そう自分の中で言い聞かせると、ゆっくりと近付いて行く。
「……あれ? ヒナタ?」
「……何してんだよ」
「んー……星を見てた!」
声を掛けるよりも先にリーナが声を掛けてきたために、一瞬何を言うべきか迷うが出てきた言葉は極々ありふれたもので。
軽く微笑みながらリーナが答えると、ぽんぽんと自分の隣を叩いているのが見て取れたために少しだけ迷ったヒナタであったが、促されるままに隣に座る。
座ってからは特に会話は無く、ヒナタは少々居心地が悪かった。いつものリーナであれば、自分から話し掛けてくるとは思うのだが今日ばかりは違うようで。
話題を必死に探そうとしているヒナタを尻目に、夜空に向けていた視線をふと何気なくヒナタへと向けた。
「……これから行くヒナタの村にさ」
「えっ!? あ、ああ……な、何だよ」
「あれ、驚かせた? ……じゃなくて、家族とかも、その『タナトス』に……?」
「……」
驚いた様子のヒナタの様子にリーナは申し訳なさそうにしつつも、聞きたかったことを気まずそうに問い掛けるとヒナタは何も言わずにふるふると首を横に振った。
それにほっとした表情を浮かべたリーナに対して、ヒナタはぽつりと小さな声で呟いた。
「もう居ないから。被害に遭うはずがない」
「……っ!?」
ヒナタの呟きを聞き取ったリーナは、驚いたように目を見開く。
そんなリーナに対して苦笑を浮かべながら、気にしなくていい、とばかりに首を横に振った。気にした事もないし、気にされたいと思ったこともない。
――その所為で憐れまれるのだけは勘弁願いたかったが。
ヒナタの想いが伝わって来たのかそれ以上、リーナは何も言わなかったがそっと手を伸ばしてぎゅっとヒナタの手を握る。
「……なっ、何を……っ!」
「だから頑張れるんだね、村の人達のために。……優しいんだね、ヒナタは」
「優しいはず、ないだろ。……そんな、はず」
「そうかなぁ……」
「そうに決まってるだろ」
突然のことに困惑しか出来なかったヒナタであったが、隣から聞こえてきたリーナの言葉に柔らかく微笑みながら言葉を紡ぐ。
ふるふると首を横に振って否定するヒナタを見て、納得がいってなさそうな表情をしているのを見て当たり前のように言い切る。
自分が優しいというなら、それは彼女が優しいからだ。
握られた手をそっと見下ろしてから、ただ初めての感覚にただ、ただ戸惑いながら他の人が探しに来るまで二人は手を繋いだまま夜空を見上げていた。




