01
「アリアリーネ?」
クレスタ王国の城内にある小さな庭園が隅の方にある。ここまで訪れるのは庭師か、それともこの場所を知っている者ぐらいだ。
季節に応じて様々な花を咲かせるその場所にアリアリーネの姿を見付けたクリストファーは、聞こえないと知っていながらも名前を呼ぶ。今現在は、クリストファーとアリアリーネは婚約者同士である。
近いうちに婚儀を挙げることは既に決まっているようで、最近では衣装であったり、段取りであったりなど引っ張り出されることも少なくはない。
そんな中でようやく出来た休みの時間帯であったのだが、特にすることもなかったクリストファーはぶらぶらと歩いている所に偶然アリアリーネの姿を見付けたという訳だ。
中心部分に置いてある椅子に腰かけながらぼんやりと空を眺めている彼女の姿はどこか物寂しげで。
近付くことを躊躇われたのだが、放って置くことも出来なかったためにクリストファーは一度深く息を吐きだしてからゆっくりと近付いて行く。
特に音も気にせずに近付いて行ったのだがアリアリーネが気付く様子は見せずに、僅かに苦笑を浮かべたクリストファーはぽん、と軽く肩を叩く。
「わぁっ!?」
「……悪い。そこまで驚くとは思わなかったんだ」
「ク、クリス!」
「どうしたんだ? 空を見上げたりして」
「……うん。ちょっと……」
「マリアのこと、か?」
「……」
肩を叩かれたアリアリーネは大袈裟過ぎるほどにびくんと身体を跳ねさせれば、さすがに申し訳ないと思ったクリストファーは苦笑を浮かべながら軽く謝る。
慌てて振り返っていた姿に未だに驚いた表情のまま名前を呼ぶ。それには軽く笑い返しながら、アリアリーネの隣に座りながら同じように空を見上げながら気になったことを問い掛けると、答えるのが躊躇われるかのように言葉を濁す。
それで大体の予想がついたのか一人の名前を挙げれば、アリアリーネは隠すことはせずにこくりと小さく頷いて肯定をした。
――この広い空の下、大好きな姉は今、何をしているのだろうか。
父は姉の捜索を打ち切ることはしていないが本気で探している様子は見せずに、半ば呆れかえっているような様子も見せる。さすがにあの手紙に書いてあった通りに勘当にするまでは至っていないようだが。
アリアリーネが考える気持ちも分からないでもないのか、クリストファーはそれ以上は何か言うことはせずにそっと目を閉じる。
結局、マリアリージュは自分や隣にいる彼女の元へ別れの挨拶を告げることなく姿を消してしまった。それを咎めることなど出来るはずもなく、でもやはり寂しさや心配はもちろんある。
(……。怪我とか、してなければいいけどな)
『タナトス』の目撃情報は増えるばかりだ。旅をしている彼女にも危険が迫ったこともあるのかも知れない。
アルが一緒に居る限り、滅多なことは起きないと信じたいが彼女の性格を考えれば、自ら危険なことに首を突っ込むことも当たり前のようにしそうだ。そしてアルにそれを止める術を持たない。
小さく息を吐きだしたクリストファーを見たアリアリーネはそっと服の裾を握る。
「……アリア?」
「姉様、泣いてないかな? 傷付いてないかな? ……変わらずに、笑ってるかな?」
「……ああ、大丈夫だよ。マリアのことだから、一緒にいる人達を困らせたりしてるんじゃないか?」
「ふふ……それはありそう!」
不安げに言葉を紡ぐアリアリーネを見たクリストファーは、ふと柔らかな笑みを零しつつ安心させるように言葉を紡ぐ。
その後に続いた言葉に想像が出来たのかおかしそうに笑ったアリアリーネの姿を見て、ほっと安堵の表情を見せる。
――彼女に暗い顔は似合わない。いつだって笑っていて欲しい。
そう思うからこそ、クリストファーは笑っているアリアリーネを優しげな眼差しで見つめていたのだがもう一度空を見上げる。
(お前も、笑ってるよな? マリア)
ただ、そう願いながら心の中で問い掛けつつ、クリストファーはアリアリーネと穏やかに会話を続けることにしたのだった。
「んー……出発した時にはこんなに人が増えるなんて思わなかったなー」
ラセードの街を出発した一行は、行き先も決めずに歩いている訳だが少し先を歩いていたリーナはくるりと振り返ってから思ったことを素直に口に出す。
当初の予定では、自分とアルだけのはずだった。そこから一人ずつ増えていっている。
この旅の表向きの理由は、「運命の人探し」だ。だから増えるのには何の問題もないのかも知れないが、うーん、と首を傾げる。
今更だが「恋」という感情はいまいち分からない。間近で「恋」を見たことはあるし、模範となっている両親の姿も見ている。
それでも恋の意味合いの「好き」という感情は未だに分からない。そう思えば、見付かるのだろうか、と一抹の不安を覚える。
「リーナ?」
「えっ……ああ、ごめん、何でもない! とりあえずは、次の行き先でも決めよっか?」
「そうだね。とは言っても今回は行きたい場所とかはない訳だしね」
何かを考えている様子のリーナに気付いたアルは不思議そうに名前を呼ぶも、はっと自分に視線が向けられていることに気付いたリーナは慌てたように謝れば話題を変えるように思い浮かんだことを口にする。
未だに不思議そうな表情のままであったアルであったものの、リーナの言葉も尤もであったために頷けばライアンが既に出していた地図を受け取って開く。
ラセードの街に関しては事前に行きたいという意見があったから寄ったが、次の行き先は真っ白な状態だ。
とは言ってもラセードの街から行ける場所は限られてくる。基本的には陸路のみのこの大陸であるために、とりあえず、アルは今自分達が居る場所を指す。
「今はここでしょう? ……土地勘とかはあまりないからなぁ。エメリヤはどの辺りが良いと思う?」
「私か? ……そうだな、何をしたいかによるんじゃないか? 多く情報を仕入れたいとか、観光をしたいとか……」
「観光……?」
「ああ、見聞を広げると言う意味ではリーナやライアンが行くには良いかも知れないな」
地図をじっと見ていたアルであったものの、諦めたようにはぁ、と一つ溜息をつくと詳しそうなエメリヤへと意見を求める。
自分に話が振られるとは思っていなかったのか少し驚いた表情を浮かべたが、アルの横から地図を覗きこみながら無理なく行ける場所を確認すると少しだけ考える仕草を見せながら気付いたように言う。
ライアンがきょとんと首を傾げれば、こくりと頷いて肯定をしながら、一つの意見として挙げる。
ふむ、と頷きながらも話に入っていけないレイクはその様子を離れた場所から見ていたのだが、それに気付いたリーナが近付く。
「どうかした?」
「え? ああ、いや……中々あの中に入っていけないなと」
「あはは、すぐに慣れると思うよ。……あ、レイクは行きたい所とか、ある? 旅する目的あるんだよね?」
「……まぁ、ね。僕としては出来れば人が多い場所とか、多くの人が行きかう場所とかがいいんだけど」
「なるほど。レイクもあの中に入ってきなよ! その意見、役に立つかも」
「そう、かな? でも、そうだね。これから一緒に旅する訳だし……」
話し掛けられたレイクは苦笑を浮かべながら訳を話せば、納得したようにリーナは頷きながらも軽く笑い声を上げればふと思い出したように問い掛ける。
問い掛けには頷いて肯定をしながらも、自分の意見を話せばふむふむと考える仕草を見せていたが、ぽん、とレイクの背を軽く押す。押されたレイクは少しだけ驚きの表情を浮かべたものの、すぐに頷けば「ありがとう」と一言だけリーナに告げれば話し合っている輪の中へと入っていく。
それを満足そうに見ながらリーナはその輪の中に入りに行こうとはせずに、不意に空を見上げた。
(元気にしてるかなぁ……?)
――父や母、そして大好きな妹と、大好きな親友。大切な国の皆。
新しい街に行く度に故郷から離れて行っていることを実感しながら、ふと思い出したのだ。
何も告げずに出て来てしまったこと。そして耳に居れたクレスタ王国の話。今の自分の、印象。
後悔は何もしていない。後悔をしてしまったら、今の自分を全て否定するような気がして。でも、少しだけ寂しいと思ってしまった。少しだけ、逢いたいな、と思った。
でも、どんな風に考えても今はそれを知る術がないことは自分が一番知っているためにリーナは考えを振り払うようにふるふると頭を振ると気分を変えてから輪の中へと入っていくのだった。




