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「まだ、帰ってきていない……?」
リーナよりも少し後にレイクの店を後にしたライアンとサーシャは、特に寄り道をせずに宿まで戻ってきていた。
そのまま、迷うことなく取ってある部屋まで向かうとそこにリーナの姿がないことに疑問を思いながら何気なく問い掛けて返ってきた答えにライアンは僅かに驚いた表情を浮かべてサーシャに視線を向ける。
視線を向けられた意味が分かったサーシャは僅かに顔を顰めながら小さく頷きつつ、帰ってきた道を思い出す。
店から宿までの帰り道はそれほど多くはない。実際には多いのかも知れないが、土地勘のない自分達にとってすれば基本的には知っている道を通って帰るのが普通だ
正しく、自分とライアンがその道を歩いて帰って来たのだが人の姿などはなかった。今思えばそれを疑問に思うべきだったのだ。
――先に店を出たリーナを追うように店から出たのだから彼女の後ろ姿を捉えられないことの方がおかしい。
「……まずいですね」
「どういうこと? サーシャ」
「予想を超える早さで、「神隠し」がリーナに接触した可能性があります」
「……っ! それは本当かっ!?」
「断定はできませんが……、高い確率で間違えではないと思います」
サーシャは僅かに顔色を悪くさせながらぽつりと呟くと、嫌な予感がしたのかアルは真剣な表情でその意味の真意を問う。
問われたサーシャは少しだけ口を開くのを躊躇いはするも自分の考えを告げれば、エメリヤは驚きで息を飲み込み、問い詰めるように声を荒げると小さく頷いて肯定をする。
こんなにも早くに接触してくるとは思わなかった、というのが本音だ。だからこそ、油断していた部分があったのも事実。
土地勘があまりない自分達がラセードの街を闇雲に探し回るのもどうかと思える。だからと言って今にも飛び出しそうな彼らの姿を見るとサーシャは小さく息を吐いた。
「俺はレイクに協力を仰ぎに向かいます。……ライアンたちは一足先にリーナを探しに行ってて下さい」
「ああ、分かった」
一言そう告げて、ライアンがこくりと頷いて了承するとそれを確認してからサーシャは走って部屋から出て行く。
残された三人はと言えば、サーシャの言う通りに探しに行こうという意志を確認するように互いに顔を見合わせる。
ふとそれで気付いたようにアルは苦笑を浮かべてライアンに視線を向ける。
「悪いんだけど……、ライアン。俺の本体も持ってってくれる? 聖剣と違ってそこまで離れられないみたい」
「……構わないが。エメリヤさんの方がいいんじゃないか?」
「いや、エメリヤならもしもの時でも一人で大丈夫だろうし」
「ああ……なるほど、分かった」
リーナの剣を指差しながらアルが頼むように告げるともちろんとばかりに取りに向かったライアンであったが、ふと疑問に思ったことを口にする。
その疑問にはあっさりとした口調で返したライアンは意味を汲み取ったのかこくりと頷いてから剣を手に取る。
――確かにエメリヤは剣の腕が確かだし、戦う事態になったとしても対応することは可能だろう。だが、自分はまだ、修行を始めたばかりで一人だと何も出来ずに終わるかも知れない。
アルの優しさに心の中で感謝しつつ、ライアンは剣を腰に携えると改めて顔を見合わせる。
「とりあえずは、一時間経ってもリーナが見付からない場合は一度この宿に戻って来よう」
「そうだね、そうしようか。……じゃあ、探そう」
「ああ」
見付からない場合のことなど考えたくはないがそういう事態に陥った時の対処法としてエメリヤが提案するように告げると、アルはこくりと頷いて了承する。
その後すぐに行動を促すと二人は頷き、走って宿を飛び出すのであった。
女性から逃げていたリーナではあったが土地勘がないこともあるが、何よりも体力が尽きてきたのか息を乱す。
かなりの距離を走っているはずなのだが、ちらりと後ろを振り返ってみると女性は鬼気迫る表情で追い掛けてきており、全く疲れている様子は見せない。
どうしてなのか、と考えようとしても逃げるだけで精一杯であったリーナは考えることすら出来ずにいた。人通りの多い所に行こうと思っても今走っているのがどの辺りなのかさえも分からなかったリーナは、見えた角を曲がって少しだけ走るとそこが行き止まりであることを知る。
「や、ば……っ」
喋るのでさえ億劫になりながらも焦ったように身を翻そうとしたが、それよりも先に追い詰めるように女性の姿がそこにはあった。
ぶつぶつと何か呟いているのは分かり、だけれどそれを聞き取ることが出来ない。リーナは息を整えようとしながらも、逃げられなくなったことが分かり、背筋に冷や汗が流れる。
今手元に剣はない。つまりはアルに助けを求めるのは事実上不可能だ。仲間達に今の意場所を知らせる術などある訳もなく、魔導を扱える訳でもない。
体術は身に付けていない訳ではないが、自分が扱えるのは護身程度にすら届かない拙いもの。
どうするべきかとリーナは必死に考えはするが、その時間さえ与えないかのようにゆっくりと一歩ずつ女性はリーナに近付いて来る。
「……許、サ、ナイ……アノ人、ニ……」
「……っ!」
「近付ク、女ハ……許、サナイ……!」
様子がおかしいのは一目見て分かる。身に纏う雰囲気で察することが出来るが、それが何なのかが全く分からない。
リーナは一歩一歩後ろに下がろうとするがすぐに壁に当たってしまい、ぎゅっと手を握り締める。
――誰にも助けを求められない。そして今自分には何の力もない。
彼女が多分、「神隠し」に関わるある人なのだろうというのだけは分かる。自分がどうなったとしてもそれだけは仲間達に伝えなければいけない。
そう思うのに何も出来ない自分が悔しくて、女性は手を伸ばせばリーナに触れることが出来る位置まで来ていた。
何も出来ずにぎゅっとリーナが目を閉じた時だったろうか。ふわり、と一筋の風が流れ、自分と女性の間に何かが割り込んだことに気付く。
そっとリーナが目を開くと、一番最初に見えた色は黒。
「……マリアリージュ」
「え……? ……あ、なたは……」
「だからこの街に来てはいけないと言ったのに。……危険だと教えたでしょう?」
「あの、時の……!」
聞こえてきた声に聞き覚えがあったリーナではあったが思い出すことが出来ずに、呆然とした様子で声を漏らす。
声の持ち主は決して振り返ることはせずに、仕方ないなぁ、という響きを持たせ、苦笑交じりにそう告げるとようやくリーナは気付く。
そう、ラセードの街に来る前に一度だけ出逢っている「謎の人」だ。全身を真っ黒なローブで覆い隠し、フードを被っているために顔さえ分からなかったが、危険だと注意を促した人。
そんな人がどうして今、こうして目の前にいるか分からなかったリーナはただ、驚くことしか出来ずにいたが彼は、小さく笑みを零しながら手に持っている鎌を軽く構える。
「彼女は今、『タナトス』に身体を乗っ取られている状態だ」
「……『タナトス』に……? で、でも、『タナトス』にそんな力はっ……」
女性はいきなり現れた存在を警戒してか、距離を取って様子を見ているようだ。それを確認してから彼は正体を教えるように言葉を紡ぐが、リーナはそんなはずはないとばかりに慌てたように言う。
実際に言えば『タナトス』について知られていることなど極々僅かである。どんな力を持っているかなどはほとんど明らかにされていないと言っても過言ではないのだが、今まで現れた『タナトス』は様々な攻撃方法や人に害を与える何かを持っているのは知っている。
人の身体を乗っ取るなどと聞いたことのない話だったためにリーナは、ふと嫌な予感が過る。
彼の言っていることが事実だとすれば。まさか、今まで現れたことさえない強いタナトスだとしたら。
その可能性が高いような気がしたリーナの僅かに顔を青ざめた。それに気付いたのか彼は緊迫した状況であるにも関わらずにくすくすと小さな笑みを零す。
「人の身体を乗っ取る『タナトス』は、一般的に知られる『タナトス』に比べて、弱いとされてるよ」
「……え……よわ、い?」
「そう、正確には力が弱いから強い負の感情を持つ人間の身体を乗っ取ることによって自らの力を強めることが出来るということに気付いた、知性を持っている、とも言えるね」
彼から発せられた事実にリーナは、自分の考えとはまるで逆であったためにぽかん、とした表情を浮かべる。
こくりと頷いて説明するように言葉を紡ぎながら彼は、改めて女性へと向き合う。知性を持っているからこそ、今現在の力の差を理解しているはずだ。
ここで倒すことは簡単なことだが、ちらりとリーナに視線を向けてからふと遠くから声が聞こえたことに気付く。
彼はそれに対して満足そうな笑みを浮かべれば顔だけ後ろに振り返る。
「覚えておいて、マリアリージュ。僕はいつだってキミの傍に在ることを」
「え……あ、まっ……!」
フードに隠れているためにどんな表情をしているかは分からないが、紡がれた声音がとても優しく、柔らかなものであったことに気付けばリーナは慌てて呼びとめようとする。
だが呼びとめられる前に、彼はふわり、と一瞬で姿を消す。そしてまた、女性と対峙する形になってしまったのだが、その前に声が聞こえた。
「リーナっ!」
「……あ、皆!」
自分の名を呼ぶ声に、はっとしたようにリーナが女性の後ろの方に視線をやると姿が見えたのは、アルとライアン、エメリヤ、そしてレイクの姿であった。




