10
「あたしが囮になればいいんだよ!
名案だと言わんばかりに満面の笑みでリーナが告げた言葉だった。
最初こそ言われた意味が分からなかった彼らはぽかん、と呆気に取られた表情になり、中には呆れたように溜息を零すものもいた。
作戦としては決して間違っている訳ではない。確かに名案と言えば名案なのかも知れないが、彼女の身が危険に晒されることになるのは目に見えて分かっている。
「……あのね、リーナ? 言ってる意味、理解してる?」
「してるよ。だって、ほら、「神隠し」の被害者がレイクに好意を寄せてるというか、仲良くしてた女性ばっかりならこれが一番手っ取り早いかなーって」
「手っ取り早いって……、君ね……」
「……分かってるのか? 本当に。剣など持ち歩けないんだぞ?」
アルが頭を抱えながら、無意味だと分かりながらも確認するように問い掛ければ、リーナは自信満々に頷きながらキッパリと告げる。
彼女の言っている言葉はどこも間違ってはいないのだが、納得しがたいのかアルは苦笑を深めて溜息交じりに呟く。
そんなアルに同意するかのようにエメリヤが問題点の一つ挙げると、あ、とリーナはようやく思い出したように声を上げる。
気付いていなかったのか、とまた深々と溜息を吐きだすのだがリーナは、うーん、と首を傾げる。
――確かに剣を持ち歩けないのは危険だ。
魔導の一つでも使えればいいのかも知れないが基本的にはアルが宿っている剣を持たなければ、魔導なんか扱えるはずがない。
というよりも今まで扱ったことすらないので扱えるかさえも分からないが。
「……まぁ、何とかなるよ!」
「ならないだろう」
「エメリヤ、即答しなくても……。うぅ、ライアン達も反対?」
「いや、俺は……」
「俺はただの協力者ですしねぇ。君がやりたいと言うのであれば、特に異議を唱えませんが」
上手い言い訳が見付からなかったのか根拠のない自信で言い切ったリーナの言葉をあっさりとエメリヤが否定する。
その否定の早さに心が挫けそうになるリーナは助けを求めるように、会話に参加していなかった三人へと目を向けるとライアンは言葉を詰まらせる。
アルとエメリヤから鋭い視線を向けられていたこともあり、それ以上は何も言えないライアンに助け船を出すかのようにサーシャが首を傾げながらあっさりと告げる。
一人理解者を確保した所で、もう一人、必ず了承を得なければいけなかったレイクへとリーナは視線を向ける。
この作戦をやるには彼の協力は不可欠だ。彼がやりたくないと言うのであれば、諦めるほかなかったために縋るようにリーナはレイクを見つめる。
「僕は……、別に構わないけど。……けど、本気でやるの? 旅人である君がそこまでする理由はないと思うけど」
反対する理由がなかったレイクは、一応は了承するように頷きはするもどうしても気になったのか疑問に思ったことを口にする。
そう、そこまで危険を冒す理由は彼女にはないはずだ。自分の身を危険に晒してまでこの街、ひいては事件関係者である自分のためにそこまでする理由が。
出逢ったばかりの自分のためにそこまでないはずなのだ。
レイクは自分を見て来ているリーナを見つめ返しながら返答を持つと、リーナはきょとん、と不思議そうに首を傾げる。
「だって、困ってる人とか悲しんでる人とかがいて……その中であたしに出来ることが確かにあって。理由なんてそれで十分じゃない?」
「……」
極々当然のことのように告げられた言葉に問い掛けたレイクはもちろんのこと、サーシャも驚いた表情を浮かべている。
アルやエメリヤは困ったような笑みを浮かべており、ライアンはと言えばふと僅かに微笑みを浮かべている。
――彼らのそんな姿を見れば、これは彼女の本心なのだと信じられるような気がした。
驚いた表情を浮かべている姿を見てリーナは、不思議そうに目を瞬かせている。そんなリーナに対してレイクは、自分の中に芽生えた小さな暖かさに気付いて更に驚きはするもそれは表に出さず、ふと微笑みを浮かべた。
「分かった。……僕に出来ることがあるなら協力するよ、リーナ」
「……うんっ、ありがとう! レイク!」
レイクから告げられた言葉に、リーナはと言えば嬉しそうに満面の笑みを浮かべて礼を告げる。
そんな様子を見ていた仲間達はと言えば、もう既に諦めた笑みを浮かべていたが、サーシャのみはじっとリーナを見ていた。
作戦が決まった翌日。早速とばかりに決行することになり、彼らはレイクの店に来ていた。
とは言ってもその中にはアルとエメリヤの姿はなかった。リーナが剣を持ち歩けないという理由で、剣からそれほど離れることが出来ないアルは宿に待機することになっていた。
そしてエメリヤが留守番になった理由は危険なことが起こった時に真っ先に飛び出していきそうだったから、らしい。
剣を持っていけば良いのではないか、という意見も出たのだが、大丈夫だろうと判断したのか宿に残ることに決めた。
どちらにしろ、夜遅い時間に襲われるらしく、大抵は家への帰り道であるという話だから宿で待っていてもすぐに駆けつけることが出来ると考えた結果だろう。
そういうことで今現在、店にいるのはライアンと一人ではさすがに可哀想だと思ったサーシャが一緒にいる。
「……。そう言えば、リーナは?」
「ああ……確か、女の子らしい格好に着替えてくるとか何とかで。レイクの知り合いだという人の店に行ってましたね」
「そうなのか」
作戦の要であるリーナの姿がなかったことに気付いたライアンは不思議そうに一緒にいるサーシャに聞くと、思い出すように上を見上げつつも答える。
納得したように頷いたライアンではあったが、ふと首を傾げる。
――普段の格好では駄目だったのだろうか。
女の子らしい格好の方が確かに良いのかも知れないが万が一の時、動き難いとかそんなことがありそうな気がする。
少々論点のずれたことを考えているライアンを見ていたサーシャは、聞くかどうか迷うように口を開けたり、閉じたりを繰り返していたが意を決して言葉を発する。
「ライアン。……一つだけ、よろしいですか?」
「……?」
「彼女は……、リーナはいつもあのような感じなんですか? 他人のために頑張るというか……、自分に関係がないことでも自ら積極的に関わるというか」
「……俺は付き合いが短いから分からない、と答えるのだが妥当だと思う」
「そうですか……」
「だが」
「……だが?」
「自分に出来る範囲のことなら、リーナは出来る限りのことはするんだろうと思っている。……優しいんだろうな、きっと」
「優しい、か」
突然の問い掛けにライアンは不思議そうに首を傾げると、サーシャは言葉を選ぶように自分が聞きたいことを話す。
ただ、気になったのだ。レイクが言っていたように旅人である彼女からすればこの街に起こっている「神隠し」は全く関係ないし、首を突っ込まずに通り抜けることも出来たはずだ。
それに加えて自分の身を危険に晒すような作戦まで立てて。どうしてそこまで出来るのか分からなかったサーシャは聞いたのだが、問われたことにはライアンは僅かに首を横に振りながら申し訳なさげに答える。
ライアンの答えに少々落胆した様子を見せたサーシャであったが、すぐにライアンが言葉を続けたのでその続きを促す。
自分の分かっている範囲のことをライアンはふと少しだけ表情を緩めながら呟くように告げると、サーシャは繰り返すようにぽつり、と小さな呟きを零した。
――そう、彼女は優しいのだろう。
優しいからこそ、仲間達は最終的には彼女のやりたいようにやらせているのだろうし、出来る限り力になってやろうと思っているのだということは分かる。
だからか、少しだけ羨ましいと思えた。無条件で誰かに優しく出来る彼女も、そんな優しい彼女に優しく出来る彼らのことも。
サーシャは僅かに苦笑を浮かべると、ふと扉が開いたことに気付いてそちらに視線を向ける。
客でも来たのだろうと軽く考えていたのだが視線を向けた先に見えた姿に僅かに驚きで目を見開かせる。その様子を見たライアンは不思議そうに眺めながら、気になったように同じように扉の方に視線を向けるとただ、呆然と声を出す。
「リー、ナ……?」
そう、見えた姿はリーナだった。そこにあったのは旅をするのに最適な身軽な格好ではなく、短くなった髪を綺麗に纏め、身に纏っているのはレースがついた白いブラウスと淡いピンク色のスカートだ。
当の本人はこんな格好は慣れているのかライアンとサーシャを見て僅かに微笑み掛けてから、出迎えようと顔を覗かせていたレイクの元へと駆け寄って行く。
「レイクっ!」
「え? あ、ああ……リーナ。いらっしゃい、待ってたよ」
「うんっ! ちょっとだけ頑張ってきちゃった。どう? 似合う?」
「……うん、可愛いよ。いつもの格好でも僕は好きだけど」
「えへへー……、ありがと!」
名前を呼ばれたレイクは、はっとしたように少々焦りを見せるがすぐに作戦を思い出したのか微笑みながら声を掛ける。
リーナはと言えば嬉しそうに笑いながらくるりと見せるように軽く回った後に、首を傾げて問い掛けるとふと優しく微笑みながらレイクは頷いて肯定をする。
少々照れたように微笑みながらも嬉しそうに返したリーナは、レイクの近くに座りながら雑談に花を咲かせている。
その様子を見てようやく、驚きから解放されたライアンとサーシャは互いに顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
――アルとエメリヤを連れて来なくて正解だったかも知れない。彼らは分別のある大人だろうし、作戦だということも知っている。
それでも、演技であろうとあんな風に良い雰囲気、否、まるで恋人のような雰囲気で話している二人の姿を見たら戦意喪失をしかねない。
考え過ぎかも知れないが、可能性は捨て切れない。とりあえずは作戦が決行されているのを確認しながら、今は様子を見ることにしたのだった。
結局は、店の閉店時間になるまでリーナとレイクは仲の良い、まるで恋人のような雰囲気のまま話していたのだが、それらしい人物が現れることはなかった。
すぐに効果が表れるとは思っていなかったために閉店時間になると、リーナは店を出て宿へと向かうことにする。
レイクには店の片付けと明日の仕込みがあるので送ることは出来ず、ライアンとサーシャに関してはレイク以外と仲良くしているのを見られでもしたら作戦に支障が出るかも知れないと思ったために少し時間を置いてから宿に戻ることにした。
薄暗くなってきたラセードの街をリーナは鼻歌を歌いだしそうな雰囲気で歩きながら軽く回る。
「やっぱり、たまには可愛い格好もいいなー」
やはりリーナも女の子であるために、可愛い格好をしていると気分が良いのか、自然と笑みが零れる。
足取り軽く歩きながら、うーん、と考える。囮作戦にしたのはいいがいつ頃、効果が出て来るだろうか。
出来るだけ早めの方が、これ以上の犠牲者を出さずに済む。とは言っても突然出てきた自分が果たして「神隠し」の対象になるかどうかは実際の所分からない。
様子を見守っていたライアンとサーシャに後で変わった所がなかったか聞いてみよう、と思い、宿への帰り道を急いだ時だったろうか。
ふとリーナは急ぎ足になっていた足を突如止めて軽く辺りを見回す。特に変わった部分はなく、気の所為かな?と首を傾げた。
――何か冷たいものが背筋に突き刺さったような、そんな気がした。
人通りがほとんどないと言っても過言ではない中であるし、それらしい気配は感じられなかったために気にしないことにしたのかリーナはまた歩き出そうとした時、ゆらり、と道を遮るように一人の女性が出て来る。
「……え?」
「……さ……い」
「え、何?」
「……さ……ない。……許さ、ない!」
「……っ!?」
リーナは驚いたように目を瞬かせて女性へと視線を向けるも、女性はというと俯いたままぶつぶつと何かを呟いている。
それを聞き取れなかったリーナは聞き返そうとするのだが、その声すら聞こえていないかのように女性は同じ言葉を何度も繰り返すように言っていることに気付くとリーナは、はっと息を呑む。
女性が纏っている空気が、おかしい。普通の女性が纏うような感じではなく、どこか冷たく、どこか暗い。
思わずリーナは腰に手を伸ばすのだが、すぐに思い出す。剣を持っていないことに。
今は何も出来ないことを瞬時に理解したリーナは逃げることを最優先に考えたのか、一歩一歩離れるように後ろに下がりながら、すぐに身体を翻して走り出したのだった。




