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聖なる乙女と運命の人  作者: 雨月 雪花
第一章 負の感情が作りだすモノと、元騎士兼教育係
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10

 



 森の外で住人を発見した二人は、青年から伝えられた情報を頼りに森の奥に急ぐように駆けていた。

 どの辺りに居るか、『タナトス』の数など詳しい事情を何も聞かなかったのは少々失敗したか、とエメリヤは思いながら真剣な表情で前を見て走っているリーナをちらりと見る。

 彼女自身の力が頼りになるのも事実だが、頼まれた以上――否、頼まれなくても彼女は守るつもりだ。

 それが自分の存在意義なのだと、改めて再認識したような気がする。とは言っても彼女の旅を止めることは出来ないだろうということは既に理解している。

 旅に出てしまえば、彼女の身に危機が迫っても遠くにいる自分にはどうすることも出来ない。でも、それを選んだのは紛れもなく自分だ。

 それならば。せめて今だけ、この時だけは彼女を守ることを最優先に考えようと思いながらエメリヤは前を向くとふと黒い影のようなものが見える。

 住人だろうか、と一瞬考えて声を掛けようと口を開きかけたのだが、それが住人ではないことに気付いたエメリヤはリーナに声を掛ける。


「マリアリージュ、止まれ!」

「え、あ、はいっ!」


 出来るだけ声を荒げないように、静かな声でエメリヤが制止の声を掛けると突然のことにリーナは駆けていた足をぴたりと止めたために前に傾いて倒れそうになる。

 必死にバランスを保とうとするがまだ、走っていた勢いが残っているのか堪えることが出来ずに転びそうになると後ろから腕を引かれ、何とか倒れずに済む。


「あ、ありがとう……」

「……マリアリージュ。……いや、リーナ。前を見ろ」

「……?」


 ほっと安堵の息を漏らして礼を述べたリーナに視線を向けることなく、ただ一点を見つめながらエメリヤが言い直しながら、そう伝えるとリーナは不思議に思いながらも前へと視線を向けるとはっと息を呑む。

 視界の中に入ったのは、真っ黒い影のような存在。その姿を見るのは実を言えば初めてなのだが感覚で分かる。


 ――間違えなく『タナトス』だった。


 話に聞いていた通りにハッキリとした姿を持ってはいないのか真っ黒い『何か』が動いているようにしか見えない。

 初めて見た敵の姿にリーナは一歩だけ後ろに下がる。それは恐怖を感じたからなのか、あるいは別の感情なのかは分からないが自分の身体が僅かに震えていることに気付いた。

 未知の敵。話を聞いていても実際に見るのは初めてであり、当たり前のように戦うのも初めてだ。そしてあの存在と戦うことを義務付けられているのが『聖なる乙女』。

 震える身体を嗜めるかのようにリーナはぎゅっと手を強く握り締め、それを見ていたエメリヤはほんの僅かだが表情を緩めた。


「恐怖を感じるのは悪いことじゃない。……恐怖を知れば無謀なことをせずに済む」

「……エメリヤ。でも」

「そう、君は『聖なる乙女』の名を受け継ぐ者だ。君だけが対抗できうる力を持っているのも確かだ。……だが、決して一人でないことを忘れるな」

「え?」

「今は私がいる。そして今は共にいなくてもアルとライアンがいる。一人で戦う訳ではない」

「……うん」


 リーナが感じ取ったものが何なのか気付いたエメリヤはゆっくりと諭すように言葉を紡ぐのだが、少々不安そうな表情を浮かべてリーナはエメリヤに視線を向ける。

 分かっている、とばかりに頷いて更に言葉を続ければその言葉の意味を掴めなかったリーナは首を傾げる。

 そんな姿を見たエメリヤは笑みを浮かべて言い聞かせるように言えば、ようやく理解出来たリーナはこくりと力強く頷いた。

 リーナの反応に満足そうに頷いて返したエメリヤは辺りを探るように動いているタナトスへと視線を向けつつ、ざっと辺りを見回す。

 森の中は薄暗い。とは言っても完全なる闇じゃないだけ良いのかも知れないと思いながらエメリヤは何かを探すように視線をあちこちに見ながら、タナトスよりも先にその存在を確認する。

 そう、住人の姿だ。数人の住人がタナトスの視界から逃げるように木々の後ろや草むらに隠れているのが何となくだが見える。

 距離は意外とあり、ここからでは先にタナトスの方が彼らを見付ける可能性が多いにある。


「……。リーナ」

「何?」

「数分だけタナトスの相手を出来るか?」

「……」

「無理なら無理で構わない。君が住人を助けに行ってくれてもいい」


 少しだけ逡巡してからエメリヤは重々しく口を開くとリーナは、僅かに首を傾げる。エメリヤは少し言い難そうにしながら端的にそう問い掛けると、目を見開く。

 その反応を無理だと取ったのかエメリヤは苦笑を浮かべながら、場所を教えるように言葉を続けようとした時。リーナはエメリヤの前に立つ。


「リーナ……?」

「あたし、やる。……少しの間だけ頑張ればいいんでしょ? そしたらエメリヤが助けに来て、くれるんだよね?」

「……ああ、当たり前だ」

「じゃあ、やる。怖がってても始まらないしね」


 訝しげにエメリヤが名前を呼べば、ふるふると首を横に何度も振りながら必死に訴えかけるように告げながら、最後は不安そうに問い掛ける。

 エメリヤは告げられた言葉に驚きを隠せないようだったがすぐに微笑みながら当然だと言わんばかりに頷き、それには安心したように笑みを浮かべながら自分に言い聞かせるように呟く。

 確認した後、ゆっくりと腰にある剣を鞘から引き抜くとリーナはちらりと視線をエメリヤへと向けた。

 視線の意味を受け取ったエメリヤは安心させるように力強く頷くと、リーナは強張らせていた表情を僅かに緩めて改めてタナトスへと視線を向ける。不意打ちを仕掛けることも可能な距離ではあるが万が一の場合もあるので真正面から行くことにする。

 自分を落ち着かせるように深呼吸をするとリーナは一気に駆け出す。それをエメリヤは心配そうに見届けてから発見した住人達へと駆け寄っていく。

 タナトスへと一気に駆けたリーナは勢いに任せてタナトスへと剣を振り下ろすがさすがに単純すぎたのかゆらりとタナトスは剣を避ける。


「……っ」


 初めて間近で見たタナトスの姿にリーナは息を飲み込む。

 アルは言っていた。『闇の支配者』の力が加わっているのは確かだけれど、彼らの源は人間の負の感情なのだと。近付けば近付くほど気分が悪くなるようなそんな感じさえしてリーナは一歩だけ後ずさってしまう。


 ――だがすぐに体勢を整えるとタナトスと対峙するように剣を構える。


 自分は『聖なる乙女』だ。どんな力を持っているのかは自分ですら分からないものの、人は言う。ただ一人の希望の光なのだと。唯一対抗出来る力を持ち得る持ち主なのだと。

 果たしてそんな力が本当に自分に宿っているのか分からないが、それでもやらなければいけない。それが課せられた宿命だと言うのならば受け入れる覚悟も当に出来ている。そして今こそ、その覚悟を試す時なのだと思って自分を奮い立たせてリーナはタナトスへと斬りかかっていく。

 リーナがタナトスの相手をしている間にエメリヤは住人へと駆け寄って行くと気付かれないようにしゃがみ込む。近くにやってきた存在が誰なのかすぐに分かれば住人は安堵の表情を見せる。


「エメリヤ様!」

「……無事で良かった。色々と言わなければならない事はあるが今はその時間はない。走れるか?」

「は、はい! 幸い、誰も怪我はしてません」

「そうか。……ならば急いで森の外まで行け、タナトスの相手は私と彼女がする」

「あの……あの方は……?」

「話している時間は無い。……急げ!」


 見る限り、かすり傷など小さな怪我などはしているようだが大怪我はしていないようだったのでエメリヤはほっと息を漏らせば顔を引き締めてから問い掛ける。問われれば慌てたように返事を返すとエメリヤは小さく頷いてから指示を出す。

 タナトスと戦っている見覚えのないリーナの姿に住人達は不思議そうな表情をするもエメリヤは、その問い掛けを一蹴すればもう一度声を掛ける。

 掛けられた住人達は弾かれたように立ち上がって、スピードはバラバラではあるものの一気に森の外へと走り出したのを確認するとエメリヤは剣を抜くとすっと目を細めてから一気にタナトスへと駆け出すとタナトスへと斬りかかる。

 速い剣の動きに反応出来なかったのかタナトスは回避することが出来ずに、剣はタナトスに当たり、刃の部分が食い込む。

 その感触は確かにあるのだが目に見えたダメージを与えられたのはかは分からずにエメリヤは僅かに顔を顰めれば、一歩下がってリーナの隣に立つ。


「……剣が効かない訳ではないようだな」

「まぁ、苦しんでるようには見えるけど……」


 決してタナトスから視線を逸らさずにエメリヤがぽつりと零せば、リーナは苦笑を浮かべる。

 見える限りタナトスは斬られたためなのかは分からないが言葉に表せない低い唸り声を上げている。

 攻撃が効かない訳ではないが有効な一撃ではない。それは分かるためにエメリヤは剣を構えたまま、リーナに視線だけを向ける。


「二人で行く」

「あ、はい!」

「君の力だけが頼りだ」

「……」


 仕方ない、と小さく溜息を吐けば指示するように口を開けばリーナは慌てたように返事をして剣を構え直す。

 それを確認してからエメリヤは一言だけ加えるように告げると、どう返すべきか分からなかったリーナは口を閉じる。自分の中にあるだろう力を扱いこなせなければこれから先にあるだろう戦いに勝てるはずはない。

 それとも聖剣『アルテイシア』でなければ『聖なる乙女』としての力は発揮されないのだろうか。


 ――そんなことはない。


 リーナは自分に言い聞かせれば柄を掴む力を僅かに強める。力があるのならばどうか今、その力を発揮して欲しい。そう強く願ったその時だったろうか、ほんの僅かではあるがリーナの持っている剣が光を帯びる。

 初めての現象にリーナは驚いたのだがエメリヤは今だと思ったのかタナトスへと向かっていけば、足止めをするかのように剣を何度も振るう。

 斬っている感触があることを確認してから、何か言うことはせずにエメリヤはリーナをちらりと少しだけ見た。それに気付いたリーナは、迷っていても仕方ないと思って駆けだすと光を帯びている剣をタナトスへと向かって振りおろし、それが当たった感触があった。

 剣に触れた瞬間、タナトスは断末魔のような言葉に出来ない叫びをあげると跡形もなく消える。


「……終わった、の?」

「そのようだ。……今のが『聖なる乙女』の力、か。良くやったな」

「……良かったー……」


 消えたのが分かるとリーナは放心状態になりながら、ただただ確認するように口を開くとエメリヤは小さく頷いて答えればゆっくりと剣を鞘へと収める。その後にリーナにねぎらいの言葉を掛けたのだが、その言葉は聞こえていないかのように安堵の溜息を漏らしながらぺたん、とその場に座りこんだ。

 これが初めての実践だったのだから仕方ないか、とエメリヤは僅かに苦笑を浮かべてリーナに手を差し伸べる。

 差し伸べられた手を取って立ち上がりながらリーナは改めて自分が持っている剣に目を向ける。あの時確かに淡い光で包まれていた剣は、今は何の光も帯びてはいなく、いつも通りの剣だ。

 軽く剣を振ってみるものの、当然のことのように剣が変わるはずはなく首を傾げた。


「リーナ」

「……え? あ……アル! それにライアンも!」

「無事で良かった」

「えへへー……、エメリヤが居たしね」

「そう。……エメリヤ、どうだった? リーナは」

「……。お前の目に狂いはないと思ったよ、アル」


 不意に後ろから声が聞こえて、エメリヤの手を離してから振り返ると視界に中に入った二人の姿にリーナは声を上げる。

 特に怪我などをしている様子のない姿にライアンは安堵の息を漏らすと、リーナは二人に駆け寄って行きながらようやくいつもの笑顔を浮かべる。エメリヤも歩いて近寄って行きながら全てを知っているかのようにアルが問い掛けると、エメリヤが僅かに苦笑を浮かべてそれだけ返す。

 返された言葉に嬉しそうな、でもどこか哀しげな、そんな複雑な表情をアルが浮かべたことに気付いたエメリヤは不思議そうな視線だけを返す。何でもない、とばかりに首を横に振れば話を弾ませているリーナとライアンの会話へと入っていった。


 


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