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伊藤と夕子。彼らは僕を「慶介」と呼ぶ。砂漠の旅路で見つけえた二つの存在。今現在となってはその二つは複雑に絡み合って解けそうもない。その二つの存在は不安と安心とを波の如く交互に作り出す。決して僕を休ませることなく、その二つは無意識に僕を苦しめる。その二つは無意識に僕を癒してくれる。
昔話が長くなってしまった。そろそろ僕のバイト先のコンビニに着く。ここで昔話は休みにしよう。
新しい登場人物を紹介する。彼女は僕を「先輩」と呼ぶ。彼女は僕のバイト先での後輩で名を 「香織」という。年は二つ下で高校三年生だ。
「いらっしゃいませ!」
店内に香織の明るい声が突き抜けた。香織は平日五時から十時までここで働いている。そして僕の登場にいつも同じ笑顔で迎えてくれる。僕は、物心つく頃からいつも同じ態度の人の好きだった。安定した態度に僕は心から安心できる。だから僕は夕子に惹かれたのかもしれない、あの落ち着きが僕を心から安心させてくれる。しかし彼女は僕に涙を見せた。
香織に会ってからまた夕子の涙を思い出してしまった。僕は平静を装っていつも通りレジへ入る。
「あれ?先輩元気ない?」
香織の大きく美しい瞳が僕を見上げている。
「いや。別に。」
僕はその視線を避けるように外界を包む闇に目をやる。闇の中から少し疲れ気味のサラリーマンが入ってきた。
「いらっしゃいませ。」
頭を過ぎり続ける夕子の悲涙をかき消そうと声を張る。
「ホントですか?」
その間も香織は無邪気に僕に僕を見つめている。
「ホントに平気。」
彼女の目を見つめて答える。まさに吸い込まれてしまいそうな大きな瞳だ。黒目がちなその目は一種の宝石のように光を帯びている。香織は僕よりも10cmくらい背が低い、夕子は僕より3cmくらい背が低い。ただそれだけの事も彼女の魅力を引き上げる。
この時間になると客はほとんど来ない、先ほど入ってきたサラリーマンも何も買わずに行ってしまった。
「誰も来ませんね。」
「あぁ。今日は特に人が少ないな。」
こう客が少ないと嫌でも色々な思いが頭を駆け巡る、隣にいる香織は何も知らずに笑っている。思えばこの子もいつも同じ笑顔で僕を癒してくれる人間だった。夕子のような静けさや落ち着きはないが、香織は明るく活発で、彼女の周りには光が見えた、香織の白く肌理細やかな肌から放たれる光はまるで太陽だ。
「そろそろ私行きますね。」
ボーっとしている僕は彼女の声で現実へと落とされた気がした。
「あぁ。」
思わず気の抜けた声を漏らしてしまう。
「やっぱり元気ない。」
香織の目も鋭い。そして僕の細かな仕草を見抜いてくれていることも嬉しく思う。
「ちょっとね。」
少し落ち着いた大人びた返事をする。香織に対しての僕はいつもこうだ。偽っている。
「お先失礼します。」
そう言って軽く頭を下げる。
「お疲れ様。」
少し笑みを含んで気の抜けたような「お疲れ様」で彼女を見送る。
外へ出て行く彼女をじっと見つめる。小さな体から放たれる大きな光が大船の夜の闇で呼吸しているようだ。彼女が消えた店内は先ほどの明るさが嘘のようだ。まさに太陽を失ったようだった。