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「先輩。久しぶりですね!」
「あぁ。ちょっとさぼちゃったから。」
実のない会話が繰り返される。相変わらず眩しいほど綺麗な香織。相変わらず寂しい店内で二人はいつも通り何気ない会話を繰り返した。学校がどうとか、彼氏がどうとか。
僕は香織の言葉に微笑んでうなずいた。お互いにいつも以上にいつも通りだったように思えた。まるで何も無かったかのように振舞う僕とそれに全く気づかない香織。
この子にだけは気づいて欲しかった。きっと僕はそう思っていたんだろう。実験だなんて格好つけていたのもそれを誤魔化すためだった。
サラリーマン風の男が店にやってきて煙草を買っていった。僕はいつも以上に上手な接客が出来た気がする。以前よりも上手になったように思える接客が不思議だった。二人が死んだというのに動揺を忘れてしまう僕が歯がゆい。
葬式の夜にあった怒りや憎しみ、憎悪に似た感情は今はきれいさっぱり流されてどんな異常事態にも冷静に対処できる僕が残った。
何日ぶりかの学校も、このアルバイトも、対人関係も以前と全く変わってない。
じゃあ一体何が変わったんだろうか?
僕の周囲の環境は明らかに変貌した、それなのに変わらない自分が嫌いだった。
もし僕がずっと生きるなら、きっとまたいつもの毎日が戻ってくるだろう。それはどこか不思議な感覚の言葉だが、つまりこれから繰り返す毎日が、僕の気づかないうちに「日常」となって今は見え隠れする二人の影が僕の目にも見えなくなるだろう。それは正しいのだけれど、それが正常なのだろうけれども。
十時になった高校生である香織は帰ってしまう。
「お疲れ様。」
これが最後の挨拶になるのだろうか。これが互いに交わす最後の言葉になるのだろうか。
香織がいたコンビニと香織がいなくなったコンビニが大差ないと思えたのは、僕の中での変化なのかもしれない。
深夜、このアルバイトを終えてコンビニの前に立ってみた。煙草に火をつけてもう一度、考えてみる。僕はどうしたらいいんだろう?
どうしようもないような漠然とした気持ちがただ目の前に壁のように立っている。
以前にここで月や太陽、闇といった言葉を考えた。その時のように斬新なアイデアは出てこないけど、じわじわと湧き上がるこの気持ちは確かだった。
もう少しだけ。もう少しだけ。生きてみようか。
輪廻と言っては大袈裟だが、そういうイメージの中に放り込まれてしまった。これからすごす毎日が日常になるまで、僕は生きたくないと思っていた。つまり死にたいと思っていた。しかしそれは違う。湧き上がる気持ちが僕に伝えるのは「死んではならない」というメッセージだった。
死にたいなどと思った事は・・一度もないと言ったら嘘である。何度かある。でも死んだ事はない。今もきっとその時だろう。まだ死ぬ時じゃない。
また明日、学校で夕子に会って、何気ない会話をして。夕子を泣かしたり怒らせたりして冷静を振舞っておどおどして、それが日常になっていくだろう。また起こるであろう大きな変化も一連の大きな流れの一部でしかなく、この僕の考えも明日には忘れてしまうような思想でしかなく・・・でも僕はまだ死ねない。
戸塚駅へ着いた時、僕はそういう結論に至った。