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味気ない彼女の部屋で時計の音に耳を傾けていた。静けさだけが流れているのに僕と彼女の間には気まずさは流れない。
「ねぇ。休んでる間って何してたの?」
以前は返答するだけで精一杯だったのに、今では彼女との会話を楽しむ余裕もできた。
「寝てた。起きたら今日だった。」
同じ嘘を繰り返してしまった。
「嘘。」
自分でも正直な事を言えない自分が笑える。別に隠しておく事じゃない、いずればれてしまう事だし本当の事を言うべきなのは分かっている。しかしもう既にこの時、僕のシナリオは完璧に出来上がっていた。僕の死によって幕を閉じるであろう陳腐な物語のシナリオを崩したくなかったのだ。僕は笑いながらそう答えた。
「嘘。嘘つかないでよ。」
夕子は震えた声で同じ言葉を三度繰り返した。また同じ光景だった。あの時の光景がフラッシュバックした、デジャブとでも言うべきかも知れない。
「何でそんな嘘つくの?」
本当に泣いている。今度は理解できない涙ではない。
二人が死んでから、僕は夕子を避けていた。今思えばそれは二人が死んだということを受け入れられない僕の弱さのせいであろう。母、沙耶、夕子、香織、この四人が僕の中で特別な存在であったことは言うまでもない。それは今でも同じだ。そしてこの四人が存在している事自体が僕にとって・・僕の精神のバランスのようなものを保つのに必要不可欠であった。そしてその特別な存在達は互いに鏡の役目を果たす。夕子といる時も、香織といる時も、母や沙耶といる時も、そこには常にそれ以外の特別な存在が見え隠れする。初めはそれに自分でも罪悪感のような物を感じていた。しかし今は違う、それが当然、それが自然な事だったのだ。
そして二人が死んだ今、夕子の顔に二人の笑った顔が重なった。それは僕にとって・・その時の僕にとって非常に苦しい、胸の痛くなるような現象であった。
その悲しげな夕子の表情に僕は思わず目を伏せた。
なぜ嘘をついたのか、それは二人が死んだという事実を夕子に告げることで僕の逃げ道が絶たれてしまうからだ、僕は死ぬのだから余計な不安要素を残していくのは避けたかった。
「言えない。ごめん。まだ言えない。」
長い沈黙の後、僕はそう言って彼女の家を出た。彼女は何も言わずに目に涙を溜めたままその場に座り込んでいた。一人で彼女の家を出るのはこれで二回目だ。しかしこれでおあいこ。以前に食わされた鉛のような物の半分を夕子の置いて出てきた気分だった。少し清々しい気がした。