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どこから話そうか。正直言って、二人が死んだ昼の事を思い出したくはない。でもこれも話さなければならない事だと思っている。その日はいつも以上に暑い日だった。大学も休みで僕は今日みたいに昼から起きてテレビを見ていた。何の予感も予兆もなく、僕は特に何も考えも無しに、その電話を受け取った。知らない男の声。
告げられる事実を僕は受け入れる事が出来なかった。
「死んだ。」
僕は警察官と名乗った男の言葉を繰り返していた。そうする意味は全くない。ただそうでもしないと、声でも出さないと意識を保てないと思った。男が慎重に言葉を選んでいるのが分かった。僕は冷静だった。こうも漠然とした、それでいて突然な、なおかつ衝撃的な事件を前に僕の声は震えることなく発せられた。
まさに頭が真っ白になるとはこういう事をいうのだろう。思考は停止し、感情も変化しなくなった、情報のみが頭に染み込むのが分かった。この時、僕は僕の精神を離れ客観的に僕を観測している状態に近かったような気がする。誰しもが経験するだろう。夢を見ているとき、人は夢の中で自分でありながら自分を観測している。自分の思考を制御しながらも自分の行動を制御できなかったり、自分を理解できなかったり、幽体離脱と言ったら胡散臭いかも知れないが、それが近いかもしれない。僕は僕でありながら僕を見ていた。
交通事故だった。十代の少年の運転する車が二人の列に突っ込んだそうだ。少年の歳はまだ十五だった。無免許運転だそうだ。少年の運転する車はそのまま電信柱に突っ込み炎上。少年は意識不明の重体だそうだ。
それを聞かされたのは僕が死後の二人に対面する前だった。何もない真っ暗な部屋で二人・・いや、二つの物体と対面したとき僕は記憶をなくした。それは決して言いすぎじゃない。本当に憶えていないんだ。
恐ろしい程強大な砂嵐の後に運よく助かった僕はしばらくの間、気を失っていた。家族と名づけた砂漠のオアシスで体を休めていた時、空から落ちた一本の竜巻。巻き上がる砂塵、そして当方もない衝撃が体を貫いた。
立ち込める砂塵が落ち着いた頃、僕は目を覚ました。辺りを見渡すとそこには何もなかった、本当に何もないんだ。そこにあったはずのオアシスは乾いてしまったかのようになくなっていたし、これまでの旅で手に入れたはずのあらゆる物を奪われた。空に浮かんでいた月も太陽も・・いや、それを包む空も何もかも僕から奪って消えた。
ただ残されたのは莫大な「闇」。僕はそれを一人抱えて家に帰った。
「ただいま。」
誰もいない部屋に僕の声だけが通っていった。もう僕の「ただいま」に答えてくれる人はいないんだ。全ての事が新しかった、目に映る全ての物が今までと違った。大袈裟かも知れないが、まるで全ての物が色を失っているように見えた。一秒一秒がこれほど長く感じた事はなかった。この時から僕の中に一つの考えが芽生えていた。
僕が死に、この背中に圧し掛かる巨大な闇を取り去ると言う事だった。
家に帰ってソファに横になる。そこで僕を離れていた僕の精神が再び僕に帰ってきた。
「お帰り。」
僕は無意識にそう呟きそうになった。空気が重たかった。僕の心を捉えて放さない「闇」のせいだろうか、僕は立ち上がることも出来なかった。ソファに顔を埋めて、二人が死んで初めて泣いた。