23
大船駅で電車を待つ二人の男女。僕の頭を過ぎる先ほどの香織の表情。特に何が出来るでもないが、僕はただ彼女の話しに耳を傾け、時折自分の話を交えた。
観音様のライトアップが先ほどよりも少し強くなっているのだろうか、闇の中で浮かび上がる姿がどこか力強い。あと三分で電車がやって来る。ホームに人が集まり始めた。
香織は反対側来る電車に連れて行かれてしまうからあと三分で彼女との話も終わりだ。しかし彼女は楽しそうに、最近の学校の話をしてくれた。
「私の彼氏が・・・」
そう言えば、この時が初めてだった。香織が自分の付き合っている男の話をするのは。別に 驚きはしない。単純に今まで僕にそれを話す機会がなかっただけの事だ。
「へぇ。」
僕はいつも通りの表情で返事をした。この時はさすがの香織も僕の気持ちの変化を感じ取る事で出来なかったのだろう。香織は流れるように話し続けた。
僕らの頭上の赤色のランプが光り、もうすぐ列車がやって来ることを告げた。先ほどかいた汗は乾ききって、僕の心の闇も眠るように静まっていた。
「先輩って・・彼女いるんですか?」
別れ際になり香織が悩ましい表情で僕に尋ねた。俯いて大きな目だけをこちらに向けている。
「いないよ。」
面倒になり嘘をついた。香織はそれに対して何も言わずに僕に別れを告げた。
「じゃあ。また。」
僕も軽く手を振り別れを告げた。やってきた列車に逃げるように飛び乗り、すぐに彼女の方を向いた。ここまで来れば、なぜか安全な気がした。
列車が走り出して僕はドアに寄りかかりながら読書をした。この日だけは不思議と雑念に惑わされず読書だけに集中できた。
砂漠を旅していた物語の主人公は突然の嵐によって仲間を失ってしまった。残されたものは数日分の食料とナイフ一丁。
戸塚に着く三十秒前、彼はナイフで自分の首を切り絶命した。