19
その日もいつもと同じように夕子と食事を取った。昼食後、静かになってきた食堂で彼女は 自然科学のレポートを書いて、僕は彼女から貸してもらった小説を読んだ。
「今日はアルバイト?」
夕子が手を止めて僕に尋ねた。彼女の声はまたしても弱々しい、何かをためらうようなか細い声だった。
「あぁ。そろそろ辞めたいよ。」
別に辞めたくはない。
「そればっかり。本当は辞めたくないくせに。」
ため息をつくように夕子は呟いた。こんな時でも彼女は僕を見透かしている。もちろん僕は見透かされている事を承知しているのだが。
「レポート大変?」
「全然平気。でも飽きちゃった。」
彼女は白い歯を見せて笑った。
「手伝おうか?」
僕はそのレポートとやらを覗きこむ。
「分かる?」
「全然。」
例え分かったとしてもこう答えていただろう。夕子はまた笑った。
それから十分ぐらいしてからだろうか、食堂へ伊藤とその他の友人が現れた。彼らの大きな 笑い声は静かな食堂の端から端へ響き渡っている。
「うるさいのが来たよ。」
僕は彼らに気付いた時、こう言うしかない。
彼らは僕達に気付いたのか、急に静かになった。伊藤と僕の関係は良好だ。しかしそこへ夕子がいるとなると話は別だ。複雑になってくる。避けられるのなら避けたい状況。
夕子は少し気まずそうに手元にあったコーヒーを口へ運んでいた。
「やぁ!慶介と松谷さん!」
伊藤は急に無口になっていたが、伊藤と僕の友人が嬉しそうにしてやって来た。彼らが嬉し そうな理由は分かっているが、誰も口にはしない。
「よう。」
まずは軽く挨拶。そして早く何処かへ行けという目で彼らを見つめる。
「あ・・勉強中?」
別の友人が夕子の向かいの席に腰掛けた。状況は益々悪くなってきた。伊藤も何も言わず席に着いた。夕子の席に向かって左側だ。
思えばこの状況は僕と夕子が付き合い始めて初めてだった。どこ状況かと言うと、つまり伊藤と僕と夕子の三人が同じテーブルについている事だ。
時間の流れが急に緩やかになった気がする。そして先ほどまではあれ程静かだった食堂は急に騒がしくなった気がした。実際は静かなものなのだが。
「あ・・私・・授業あるから。」
突然、夕子が慌しく動き出した。コーヒーを飲み干すと筆記用具とレポートを鞄の中に滑り込ませた。伊藤は、それに対して少し興味ない振りをしているのだろうか、そっぽを向いている。
「それじゃ。また明日。」
夕子は僕にだけ挨拶をした。その表情は申し訳なさそうに目を少し細めている。
「うん。メールするよ。」
僕の友人達は夕子の背中が消えたのを確認して、待ってましたとばかりに口を開いた。
「いや〜・・・まじでごめん!」
口ではそういうもののこの男たちの目は笑っている。
「お前ら、勘弁してくれよ。」
僕は伊藤がそこにいたせいか、少し弱気だった。
「俺も困るよ。」
伊藤は困ったようにこめかみを掻いている。
「ごめん。ごめん。でももう二年近く経ってるんだから喋ればいいじゃん。」
無理な事ばかりを言う奴らだが、僕はこれに関してはあまり語りたくない。
「無理だって。」
伊藤は笑っている。しかしきっと心では笑っていないだろう。
それから僕らは三十分そこで無駄話を続けて解散した。
そしてその日、僕は久しぶりに伊藤の家に行くことになった。