15
小さなアパートの小さな浴槽に浸かって、僕は湯船に顔を半分沈めながら鼻で呼吸していた。上を見上げると、小さく開いた窓から夜の闇が蠢いている。不気味だ。
今更ながら、先ほどバイト先のコンビニの前で思いついた例えを恥じていた。香織を太陽、夕子を月に例えた。
つまり僕は二人を自分の周りを回転させて遊んでいる間抜けで独りよがりの大馬鹿者だ。自分は地球で、彼女達は僕にとって必要不可欠な存在、確かにその通り何だ。でも僕は二人の事が当たり前になりすぎて、忘れていた。きっと夕子の中でも僕は「何か」として存在している。
そしてその夕子の中での僕の存在「何か」が意味を無くそうとしているのではないだろうか?あの涙の意味はそのシグナルではないか?「ごめんなさい」という言葉は、あなたを忘れそうなの・・ごめんなさいという事ではないか?
僕の中で、「闇」が勝手に話を広げていく。それを止める手立てはない。
僕はその闇に、その抵抗できない自分にイラつき、自分の浸かっている水面を力強く叩いた。弾けるような力の無い音がして、湯船に波が立つ。
再び静かな風呂場に戻ったとき、僕はひとつため息をついて風呂を出た。
窓の外は相変わらずあいつが蠢いている。別に僕の頭が変になったのではない、奇怪な妄想に囚われているのでもない、確かに「闇」がそこに存在しているのだ。
目には見えない、触れることもできない、感じることもできない、ただただ不安で。ただただ「闇」と呼ぶしかないのだ。
「お兄ちゃん!宿題やってよ!」
風呂から出て髪を乾かしていた僕に沙耶がノートを持ってきた。英語の宿題に目を通してやる。
「ちゃんと自分でやりなよ。」
「無理無理。」
暫く考えて、答えを教えてやる。今月に入ってこれで二度目の兄としての勤めだ。父がいない分、妹は僕を頼ってくる。おまけに母だって仕事に出ていれば、たまには僕が母の役を買ったりもしていた。しかし沙耶だってそれは同じだろう。こいつだって、こんな何も考えていなさそうな顔して・・・実は色々思案しているに違いない。試行錯誤を繰り返して毎日、悩んでいるに違いない。
風呂を出てから、僕は悟りでも拓いたかのような気分になっていた。ただ当たり前の事に気がついただけなのに、僕はまた一歩踏み出した。
寝る前に一服しようと、ベランダへ出た。
「まだ煙草吸ってるの?やめれば〜」
沙耶の声がした気がした。気のせいなんかでは無いが、今は聞かないでおこう。
「放っておきなさい・・そのうち後悔するんだから。」
また母が同じことを言っているんだけど・・僕には聞こえない。
ベランダから夜の闇の中で吸う煙草はうまい気がする。