血鎖――其の一族、複雑につき
「あはははは! 本当に守野三桜は並折へ行ったのかい?」
「御上からの命令だからな……仕方ない」
「うふ、うっははははは! 君、恥ずかしくないの? ねえ八汰祁君! 守野八汰祁君!」
「黙れ……」
世界危険勢力『純血一族』。その家系の一つ、守野家。
守野家の本家は、日本の東北部にある。
今はこの八汰祁がそこで守野家の一切を握り、管理を任されていた。
顔の彫りが深く、皺と傷の混じった初老の男性だ。
彼は、突如やってきた若者の軽口に苛立っていた。
「うっひ、うっひいいいい! 守野の老兵はツラの皮が分厚いんだねえ! 恥も知らないとは! いやあ守野は所詮、守野ってことか」
席に座る八汰祁の机越しに、黒衣の若者はひょうひょうと奇怪な動きで煽る。
彼が着ているのは真っ黒に染まった白衣。
よく医者が羽織る白衣の、色が黒くなった物だ。その胸ポケットにはペンが挿され、彼の首には聴診器が下がっている。
黒衣を纏った医者の風貌であった。
「恥知らずはどちらだ。薄汚い昏黒坂の精神異常者が」
八汰祁が汚物を見る目で男を睨んだ。
「貴様達、昏黒坂家がしでかした失態。よもや忘れたわけではあるまい?」
「失態? 失態ぃ? もしかして僕らが死使十三魔と喧嘩しちゃった件?」
「それ以外に何がある」
「んっはぁ! おいおいそれってもう十年くらい前の事じゃん、クッソジジイ超卑屈!」
「ふざけるな。貴様達が――」
「ハイ僕たちが死使十三魔ちゃんトコの序列五位ちゃんをボォッコボコにぶちのめしたから、あの戦争が始まりましたね。でももう終わりましたね」
八汰祁は呆れるように息を吐いた。
「よくもまあ、そんな、己らにとって都合の良い解釈ができたものだ」
正しくは、『純血一族』昏黒坂家が序列五位に奇襲をかけ、一度は返り討ちにされた。
その後人数を増やし、裏稼業を掻き集め、罠を張り、不意を打ち、やっとのことで五位に手傷を負わせることができたのだ。
死使十三魔も黙っておらず、報復に出た。
純血一族も昏黒坂家の要請を受け、他家系が合流した。
こうしてティンダロスの猟犬や裏稼業をも巻き込む大規模な抗争へと発展していったのだ。
「あの時、貴様らは御上に真実を伝えなかった。死使十三魔の序列五位が先に手を出し、犠牲者が出たと報告しおった。抗争終盤まで真実を隠し続けおった」
「だから?」
「その所為で、どれだけの家系が、どれだけの人員が犠牲になったか知っているのか!」
「だから、なんなのさ?」
昏黒坂の男は片脚を上げると――八汰祁の目の前に振り下ろした。
その脚力で、木製の机に大きな亀裂が走る。
「結局、僕達ゃ殺さなけりゃあ存在する意味は無いんだよわかってねーなクソジジイ。犠牲だのなんだの言ってるのは生き残った臆病者だけ。君だって見ただろ、同じ守野の人間が恍惚の笑みで戦争するところをさ」
「……」
「君は僕らを恥知らずと言いたいのだろうけど、違うね。僕らは欲望に忠実で、欲望に正直なんだよ」
「……ただの暴走だ」
「結構。なんでもいいよ。それよか、今年の五月に大失態を晒した君の家系の方が問題だ。話を戻そうぜ」
「く……」
男は脚を机から下ろし、黒衣を整える。
「おっと自己紹介が遅れた。僕は昏黒坂霧馬。昏黒坂家の使いね」
「ああ、既に聞いている」
「あ、そう。じゃあ早速本題に入らせてもらいたいんだけど、その前に立ったままなの嫌だから椅子が欲しいな」
霧馬は八汰祁の部屋の中を見回す。
しかし八汰祁が座っている物の他に椅子は見当たらない。
霧馬は机に尻を乗せた。
もはやなにも言う気が起きない八汰祁は、その態度についても触れなかった。
「本題とは?」
「守野三桜さ。並折に行ったのは本当なんだよね?」
「本当だ。三桜様は御上の命令で日本へ呼び戻され、並折への斥候として送られた」
「……五月、関東で守野家の不完全能力者が暴れてしまった事件。その責任をとらされて、だよね?」
「うむ……」
「疑問だ。そこがすっごく疑問。いやあ僕もさっきは過剰に表現したけど、たかだか一人の能力者が暴れて『連続殺人鬼』としてニュースに出されただけでしょ。その不完全能力者『守野一郎』も殺処分された。それで終わりじゃないか。なのにどうして御上はわざわざ海外から守野三桜を――守野家の『当主』を呼び戻した? そこまでする程大きな事件だったか? いやそんな事は無い。僕ら昏黒坂家の方がもっとクレイジーに暴れている」
霧馬の指摘に、八汰祁は唸るしかない。
老兵は驚いていた。
今回の、三桜派遣。この情報を掴んですぐに噛み付いてきたのが、まさか昏黒坂の人間だとは予想もしていなかったからだ。
「教えろ守野の翁」
霧馬は低い声色で囁き、八汰祁の不安を黄昏の舌で舐めてくる。
「今回、斥候として守野三桜が与えられた仕事は何だい」
「……」
「関東で、同時期にもう一つ大きな出来事が起きたよね。こちらは闇に包まれているが。それに関連しているんじゃないの?」
「それも掴んでいたか。そうだ、一郎の件と同時期に関東で純血一族の者が負傷している」
「んっふ、んっふふふふのふー。やっぱりね。それで、守野三桜とどう関連する?」
「負傷した者は、関西圏の本家へと撤退中だ。しかし追っ手を付けられていてな……」
霧馬はパチンと指を鳴らした。
「ナルホド。中部圏の結界都市、並折で一旦匿おうってことか。その仲介役に、三桜が抜擢されたと」
八汰祁が首肯する。
うんうんと頷いて頭の中で一連の繋がりを納得させようとした霧馬だったが、昏黒坂の思考はこれらに納得できなかった。
「それだけじゃねえだろ」
「いいや、私が知っているのはそれだけだ」
「んっふ、嘘ついても無駄だよジジイ。なんなら君をこれから昏黒坂病院へと招待してあげてもいいんだ。脳漿ぶちまけるまで情報を引き出してあげるよ」
「やってみろ。知らんものは知らん」
「……」
舌を打つ霧馬。
指を鳴らし、また舌を打つ。
それを幾度も繰り返す。
(このジジイは本当に知らないな……知らない方がもっと面白い)
舌を打ち、指を鳴らす。
(当主の三桜本人にしか伝えていない任務があるのか? わざわざ当主を並折へ送り込むとは。並折の場所なんて、掴んでいるのはどうせ御上くらいだろう。いや待て。負傷した奴を休ませ、最終的に連れ帰るのが第一の任務ってことは、一度は並折を離れなきゃならない。んふぅ、まだ焦らなくてよかったみたいだ。楽しいニオイはまだ始まったばかりだ。ああ良かった)
前髪をかき上げた霧馬は机から下り、大きく伸びをした。
「八汰祁サン、君に一つお願いがありまーす」
「なんだ」
「守野三桜様が、お戻りになられましたら、我ら昏黒坂病院へ一報くださるようお伝えください」
「断る。と言ったら?」
「君らの家系の誰かを拉致して脊髄だけ送り返してやるよ」
「口には気を付けた方が良い。五体満足で帰れなくなるぞ」
八汰祁の鋭い目が、より一層鋭敏さを増す。
老兵の眼光を浴びた若者は肩をすくめた。
そのまま俯き、
背を向け、
一気に勢いよく振り返ると八汰祁の面前へ自分の顔を近づけた。
「あははははははははははは! んははははははははははははははははははははは!」
守野八汰祁の視線は昏黒坂霧馬の目に吸い込まれてしまった。
ぎゅるぎゅると、霧魔の目の中――瞳孔が蠢いているように見える。
「この僕がぁ」
霧馬の口が開き、唾液が犬歯から滴る。
「身体の一部を失った程度でどうにかなるとでも思っているのかい? この昏黒の狂人を、君ごとき老兵がどうこうできるとでも思っているのかい?」
「やってみるか? 若造」
裂けた口から「イヒ」と嬉しそうな声を漏らした霧馬だが、その歓喜はひとまず飲み込む。
(白兵戦・肉弾戦なら純血一族最強と言われる『獣人』の守野家。この空間でやり合ったら僕に勝ち目はないだろうね)
「……望むところ。と言いたいけどさぁ。うちの当主からは『穏便に』と釘を刺されているからねぇ。だから僕としても穏便に事を済ませたいんだよなぁ。もう一度言いますよ。守野三桜様が、お戻りになられましたら、我ら昏黒坂病院へ一報くださるようお伝えください。オッケェ?」
「考えておこう」
「けぇ、別に三桜サマに不利益になるような事はしねぇよ。きっと僕らの助けが欲しくなる。そんな気がするのなぁ」
「貴様らの助けなど……」
「じゃあ御礼代わりに、僕らの掴んだ情報を一つあげるよ」
口を閉じ、にこやかな笑みを作った霧馬が人差し指を立てる。
八汰祁は首を傾げた。
「昏黒坂家は、死使十三魔の奇妙な動きを察知している」
「死使十三魔の?」
霧馬の閉じていた口がまた崩れ、顔がゆがむ。
「序列五位が、日本へ入国した」
「――っ?」
「きひ、きひひひ。そして、見失った。中部圏でねぇ!」
「お、おいまさか」
「並折へ隠れた可能性があると、僕らは見ている」
「御上に報告したのか?」
「するわけねぇだろ、こんな楽しい事。序列五位だぜ? 昏黒坂のオモチャは誰にも渡さねえよ」
「……私は報告するぞ」
「勝手にどうぞ。並折に居るのかはまだ確定していない。でもさぁ、もしそうだとしたらさぁ、んふふふ。やっぱり三桜様は昏黒坂病院に来るべきだよねぇ?」
「く……!」
「想像してごらん、君らの大事な三桜ちゃん。今頃どうしているのかな? 五位の顔も見た事ないんでしょ? 大変だぁ、もしかしたら、偶然バッタリ会っちゃったりなんかして。隣同士で歩いてたりなんかして!」
八汰祁の顔が蒼ざめる。
「どうするよっ? あんな結界都市の中。借りた宿。一つ屋根の下で暮らしちゃってたりしたらさぁ!」
「三桜様に限って、男と一つ屋根の下で過ごすことなど有り得ん」
「……」
霧馬はつまらなそうに、
「人間、持ってる顔は一つだけじゃないんだよ」
そう言ってせせら笑った。
◆ ◆
―― PUNICA【六月の果実】了