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PUNICA【六月の果実】5


「だあー、あっちい」


 羽田立荘の玄関を抜けた先――ロビーには、テーブルと椅子だけでなく六畳程の畳が敷かれたスペースがある。その上に小さな卓袱台が設置されており、座椅子に腰を落ち着かせられる。

 守野三桜はそのスペースに寝転がり、ソーダ味のアイスキャンディを咥えていた。

 私はロビーの隅にあった雑誌棚から新聞を引き抜き、椅子に座って彼女を一瞥。

 そして頬に汗を伝わらせる彼女の格好に深い溜息がもれた。

 上はタンクトップ一枚。下は……下着一枚。

 はしたない。はしたないにも程がある。

 自室でその醜態を晒すならまだ許せる。が、ここは先述した通り玄関を上がってすぐの場所だ。弁えてほしいものだ。

 三桜は構わず畳の上で仰向けになったり、うつ伏せになったりを繰り返している。引き締まった体型をしているが、色は意外と白い。庭の掃除をしていたので少し陽に焼けている部分がくっきりと解る。


「ああ、暑い……暑い……」


 口からアイスキャンディを引き抜き、長い舌を出して喘いでいる。

 冷房も扇風機も無いからね。私だって暑い。

 三桜が寝転がる場所の周囲には、木彫りの熊や綺麗な模様の描かれた皿、将棋盤などの置物がごろごろと転がっている。

 全て此処のロビーに飾ってあった物だ。どれも埃を払って布で拭き、見栄え良く並べたというのに。こいつは「ひんやりした物を……」とか言って掻き集め、枕にしたり腕に抱いたりと、散々弄んだ挙句放置しやがるのだ。

 ちゃんと片付けとけよな。


「おーい、クロちゃん」

 三桜はにやにやと顔を歪めながら視線をこちらへ送ってきた。

「やめて」

「私様に言うなよ、付けたのは明朗の奴だぜ」


 そう――私は、明朗の馬鹿野郎に『クロちゃん』という奇怪な綽名を付けられていた。

 私の、ザクロという名前から取ったらしい。迷惑極まりない上にセンスの欠片もない。

 面白がって聖歌までクロちゃんと呼ぶ始末だ。


「で、何よ」

「何読んでるのかなーって」

「見りゃわかるでしょ、新聞よ」

「じゃあさ、新しいアイス取って来てよ」


 何が「じゃあ」なんだ。私は新聞を読んでいると言っているだろう。

 三桜はアイスキャンディの棒を振って白い歯を覗かせる。「おかわりー」ってか。ふざけんじゃねえよ。


「お断り」

「えー。だって私様、動きたくない。柘榴が行けよー」

「何よ、あたしをパシリだと思ってるわけ?」

「強者の為に弱者が働くのは当然だろうが。私様はアイスキャンディを御所望だ。機嫌を損ねる前に可及的速やかな行動を勧める」

「勝手に損ねてろゴミ」

「ゴミって……」


 悲愴な表情で手からポロリと棒を落とした三桜は無視して、私は新聞を読む。

 ふむ……やっぱり八号車両の件は載っていない。

 案の定、並折の結界が効果を発揮したんだな。

 しかし気になる記事を見つけた。

 大きな字で『駅構内でバラバラ殺人』と載せられている記事だ。私が並折へ来る前日に駅のホームのトイレで死体が見つかったという。並折からなら電車を三、四回乗り継げば着ける駅だ。

 被害者の名前は――無い。遺体の損傷が激しく、現在DNA鑑定による身元の確認を急いでいるが、数日前から行方不明となっている百坂さん宅の長男ではないかと予想しているらしい。よく駅を利用する普通の会社員だってさ。

 遺体は見出し通り四肢を切り取られた状態だったのだろう。八号車両惨殺事件と似ている。いや、犯行場所からして同一犯の仕業に違いない。

 思った通り。あれをやった奴は、逃亡者なんかじゃあない。そして並折の結界など求めてもいない。

 明朗は、あの後犯人を追った女達――梵と林檎からは確保したという報告を聞いていないと言っていた。つまり八号車両で大量殺戮を行った奴は、まだこの並折に居るかもしれないって事だ。

 結界寮の追跡を回避した事に明朗も驚いていた。


「おいこら、柘榴。私様のアイス――」

「わ、びっくりした」

 三桜がいつの間にか私の隣まで来ていて、顔を近づけていた。

「気が散るからやめて」

「何をそんなに熱心に……」

 アイスの棒を唇で挟み、ぴこぴこと上下に動かしながら、彼女は新聞を覗き込んだ。

 畳のスペースから此処まで歩いてきたなら、そのままアイスを取りに行けば良いだろうに。

「ああん? 六月二十五日の朝刊? なんでこんなの読んでるのさ」

 鼻で笑われ、新聞を取り上げられてしまう。

「雑誌棚にあったからよ。いいから返して」

「まあ聖歌の奴が持ってきたんだろうな。それより早く! アイス! 暑さで私様が死んじまう」

 新聞を取り返そうと腕を振る私を面白がって、三桜は飄々と逃げる。

「わかった、わかった……」

 諦めた私は椅子から立ち上がる。

 納得できないけれど、これ以上付き合うのも面倒だ。


 ロビーを離れ、台所へと向かう。

 その途中で矢神聖歌と鉢合った。


「あらクロちゃん」

「……洗濯物、干し終わったの?」

 もう聖歌は私の呼び名をクロちゃんで定着させてしまっていた。

「終わりましたよ。そうだ、良いお茶が届いてるの。三桜ちゃんも交えて一緒に飲まない?」

「うん、構わないけど。あ、なら台所へ向かうの?」

「ええ」

「三桜がアイスキャンディを欲しがっているから取って来てくれないかな」

「アイス? お茶と一緒に食べるのかしら」


 あー。

 いや、三桜はエスパーじゃないからこれからお茶を出されるなんて思ってないよね。


「やっぱりあたしが持っていくよ。聖歌がお茶を入れる間に食べちゃうだろうから」

「そう、じゃあ行きましょう」



  ◇  ◇



「ほら持ってきたぞ」


 ソーダ味のアイスキャンディを三桜に渡す。


「おお! ありが……うむ、御苦労だったな柘榴」


 こいつ滅茶苦茶腹立つわ。

 それにしても冷凍庫の中に大量のアイスが敷き詰められていて驚いた。いつの間に。


「私様は暑いの苦手だからねえ。夏場は必ずアイスを買い込んでおくのさ」

 アイスキャンディの角をいきなりかじりながら、何故か自慢げに言う。

「その代わり、寒さには滅法強い」

「へー。冬は平気なんだ」

「平気なんてものじゃないね。全裸でも過ごす自信がある」


 冗談だと信じたい。


「特に日本の冬なんて私様にとっては寒いうちに入らないさ。極寒の地での任務といえば、守野三桜様。これ常識ね」


 いや、そこまで言われるとあながち冗談とも思えない。

 純血一族、守野家の能力に関係しているのか。


「極寒の地での任務……雪山とか?」


 問うと、三桜は片目を閉じて微笑んだ。


「そうそう。最近はあまり引き受けないけどね。十二の時――だから十一年前か。外国の山岳部隊に雇われてた事もあるんだよ」


 若かったねえ。と、年寄りくさい事を言いながら子供のようにアイスを夢中で頬張る。


 純血一族、守野家の女。

 守野三桜――か。


「な、なんだよ、そんなに見つめて」

「んー? なんかさ、三桜って変だなあと思って」

「さっきから失礼だな貴様」

「だって変だもん」

「どこが。美しいと言われる事はあっても変と言われる筋合いはない」

「あたしがイメージしてた純血一族の人間とは、違うもん」


 三桜は確かに普通とはズレているかもしれないけれど、許容できる範囲な気もする。


「んあ、私様が? そりゃあねえ……多少の営業スマイルはできるよ。そうじゃなけりゃあ、先遣として並折に送られたりしないさ」

「営業職みたい」

「営業なんかしなくても殺しの依頼は後を絶たないけどね。純血一族は殺し屋さんの老舗だから」

「お金貰って殺す。それが殺し屋でしょ。あんた達はお金貰わなくても好き放題殺しまくってるじゃない」

「おいおい勘違いするなよ。私様達にも理性がある。依頼で殺しを請け負うだけだ。ただ、殺人衝動に負けた奴は無意識の殺戮を起こすけどね。でもそういう奴には当然ペナルティが課される。だから、理由なき殺人ってのは一族的には御法度なのさ。一応、ね」

「でも、なんだかんだで殺人が大好きな奴がごろごろ居るのも事実でしょ」

「うん。殺したいから殺す、立派な理由じゃないか」


 ……結局、殺したくなったら殺すんじゃないか。

 二本目のアイスを食べ終えた三桜は、ぺろんと口から棒を引き抜くとそれをゴミ箱の中へ放った。


「お茶の準備ができましたよー」

 聖歌の声だ。

 三桜は畳の上に座り直し、卓袱台に頬杖をついた。

「お茶? こんな暑い日に」

「まあ! 三桜ちゃん、その格好は何ですか!」

「え?」

「女の子がはしたないですよ!」

「だ、だって暑いから……」

「ちょっとは我慢しなさい! ほらクロちゃんも座って」

 聖歌は湯呑を三つとポットを乗せた盆を卓袱台に置き、にこやかに私を手招きした。


「なんじゃこりゃ」

「キーマンという紅茶だそうですよ。良かった、間に合って」

 見慣れないお茶を出された三桜が困惑の声を上げるが、対して聖歌は実に嬉しそうだ。

 お茶一つで……。

 私も三桜もその点に関しては同じ考えだった。

「どうしてまた……」

「だって今日飲みたいじゃないですか」

「よくわからん」


 うん。三桜の言う通りよくわからない。

 別にお茶に関して詳しくないから、聖歌の嬉々とした声にもどう反応して良いのやら。


 同じ一つのポットから注がれたお茶を三桜が口にしてから、私も湯呑に手を出していた。

 これは羽田立荘に来てから常習化させている事だ。

 頻繁に台所に置いてある調味料の中身や、棚の中もチェックしている。

 聖歌が料理をする際はさりげなく様子を窺うし、買い物から帰ってきたら袋の中を見る。

 悟られないようにこれらを実施するのは骨が折れるけど、毒を盛られるよりはマシだ。


(嫌な女だなあ……私は)


 その自覚はあった。


「じゃ、私は買い物に行ってきますね」

 お茶を一杯だけ飲み終えた聖歌が立ち上がる。一杯で満足したらしい。

「ついでにこれ、出しといて」

 三桜が封筒を渡した。

「はい。他に御用はありますか?」

「ないよ。いってらっしゃい」

「クロちゃんは?」

「あたしもないよ」

 私も三桜に合わせて首を横へ振った。

 なんだかんだ言って三桜はお茶を三回もおかわりしていた。


 玄関を出た聖歌の、誰かに挨拶する声が聞こえた。


「――あら、いらっしゃい」

「――こんにちは聖歌さん! クロちゃん居ますか?」

 この声は明朗だ。

「――ロビーに居ますよ」

「――ありがとう! あといってらっしゃい!」

「――はいはーい」


 私はあぐらをかいて座る三桜を蹴っ飛ばした。

「痛! なんだ急に!」

「服を着てこい服を!」

「ええ……」

「下着も脱がすぞ!」

「わかった、わかったから……」

 さすがに全裸を明朗に晒すのは抵抗があるのか、三桜はそそくさと自室へ向かった。


 三桜の醜態を目にすることなく、少しして伊佐乃明朗がロビーへやって来た。

 初めて会った時はニット帽を深く被っていた彼だが、今日は被っていない。明るく染まった髪はワックスで固められている。その上に大きなヘッドホンを付けていた。

 そしてなぜか片目に眼帯。


「こんにちはクロちゃん!」

「目、怪我したのか?」

「え? ああ、これファッションだよ」

 ぺろん、と眼帯をめくってウインクしてくる。

 結界寮の住人は奇抜な格好を好むようだ。


 明朗はスニーカーを脱いで畳に上がると、私の隣に座った。

 肩までくっつきそうになる距離だ。


「調子はどう? クロちゃん、もう並折には慣れた?」


 もう一度言うが、『クロちゃん』というのはこいつが勝手につけた私のあだ名だ。


「全然。街の地理も把握できてないよ」


 この羽田立荘の掃除で手一杯だったからね。

 私の返事に、明朗は「そっか」と相槌を打つ。


「僕がすぐにでも案内してあげたいんだけど……まだあまり出歩かない方がいいよ」

「どうして? 聖歌はいつも通り買い物に出かけたじゃないか」

「ああ、えっとね。今は大丈夫だけど、結界寮が最近妙に神経質になっててさ……僕でも梵さんと林檎さんから許可を貰わないと外出できないんだ」

「何か、起きているのか?」

「……わかんない。起きているのか、起きようとしているのか、結界寮でも把握に時間がかかってる」

「六月の事件関連?」

「うーん……」


 明朗は唸り、近くに転がっていた将棋盤を卓袱台の上に乗せた。

 同じく転がっていた将棋の駒を幾つか手に取る。


――ぱちん。

 彼は将棋盤の中心に『歩兵』の駒を置いた。

 広い盤の中心に、駒が一つだけ。


「これが並折の保つ秩序。並折という盤の中心に、結界寮という唯一にして絶対の裁定機関が置かれている」


 力有る駒は一つだけ。

 言い方は悪いが結界寮という脅威が、街を支配しているようなものか。

 この構図だからこそ、並折の秩序は保たれているのだろう。


「でも……」

――ぱち、ぱちん。

 明朗は更に『歩兵』を二つ、隅に置いた。置く場所に意味は無いようだ。

「世界危険勢力の一角。『純血一族』と『死使十三魔』。その関係者が、並折へ侵入した可能性がある」


 胸が、大きく鼓動した。


 守野三桜と私の事か?

 明朗はどちらの素性も知らない。


「うちの優秀な結界屋さんが、把握できない件が増えているんだ」

「純血一族と死使十三魔……」

「そう。クロちゃんは知らないかもしれないけど、世界危険勢力って呼ばれているのは、現在三つだけ。日本の呪詛家系『純血一族』、国境なき少数異鋭『死使十三魔』、最多戦力を誇る暗殺集団『ティンダロスの猟犬』。この三勢力だ」


 勿論知っている。が、ここは黙って相槌だけ打っておく。


「あまり声を大きくして言えないけどさ。ここだけの話――」

 明朗は私の耳元に顔を近づける。

「結界寮の管理人、梵さんと林檎さんは、元『ティンダロスの猟犬』の構成員なんだよ」

「冗談でしょ?」

「さあ、僕も詳しくは知らない。なんでも前線突撃要員だかに居たんだってさ」

「……」

「『無音』と『瞬撃』の異名で知られた超A級のプレイヤーだって自慢してた」

「……」


 有名な話じゃないか。

 世界的に有名な恐怖神話だろうそれは。


 世界危険勢力『ティンダロスの猟犬』

 最上級戦闘員で構成される前線突撃チーム。

 構成員は七人。その全てが異名持ち。

 『鬼人』『蜘蛛』『死神』『旋律』『無音』『瞬撃』『覇道』

 今は解散したこの七人一組は、暗殺美という言葉まで生んだ連中だぞ。

 

 そのうち二人が、こんな街に潜んでいたなんて。冗談としか思えない。


「待って、明朗、あんた結界寮はその二人が管理してるって言ったよね?」

「そうだよ」

「つ、つまりそれって……」

「結界寮は『ティンダロスの猟犬』傘下の組織って事。もっと言ってしまえば、並折は『ティンダロスの猟犬』の領地。支配地。占領地。専用猟地」


 明朗は将棋盤の中心にあった『歩兵』の駒を摘まみ上げ、

――ぱちん。

 裏返して『と金』の駒にした。


「だから、『純血一族』や『死使十三魔』の関係者が並折に侵入するのは、かなりまずい」


――ぱち、ぱちん。

 他の二枚も『と金』に。

 盤の上では三枚の『歩』が三枚の『と金』になった。


「どの勢力にとっても、この結界都市は重要な拠点なんだ。日本を本拠地とする純血一族にとって、結界寮に占領されている現状はかなり不安で不愉快だろう。死使十三魔にとって、日本に作る大きな拠点としてこの街はかなり魅力的だろう。でも実際は――」

「既にティンダロスの拠点になっている。と」

「そう。その事実に純血一族が気付いたら、どうなるか」


 ……自国の、懐の、結界都市に敵が陣取っているんだ。

 血相を変えるに決まっている。


「だから結界寮は大慌てなのさ。下手をすれば三つ巴の戦争が始まるからね」


 み、三桜が居なくてよかった……。

 結界寮の正体については伏せておくべきだ。今後も。


「あまり口外するべきじゃないよ、それ……」

「うん」

「というか、あたしに漏らした意味もわかんない」

「いやあ、だってクロちゃんなら大丈夫かなって思ったんだ」


 何を根拠に明朗がそう思ったのかは見当がつかない。

 見当がつかない上に、明朗は大きな過ちを犯してしまった。


 私の素性をよく知りもしないうちに、あまりにも馴れ馴れしいから。

 こいつは大失敗をしでかしたことに気付いていない。


 不幸中の幸いと言えるのは、私がこの並折を離れるつもりがないという点だろう。


「ねえ明朗、死使十三魔の事って知ってる?」

「うーん。序列一位から十三位までの少数精鋭ってことくらいしか……」

「そっか」


 彼はきっと驚くだろう。

 私が死使十三魔の関係者だと知ったら。



 天宮柘榴が――序列四位『魔氷の番』直属の部下という事実を耳にしたら。



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