PUNICA【I-miss-you】11
◆ ◆ ◆
【きのえと】
『十二月十四日。
これは偶然だろうか。僥倖とは言い難い。こんな形で、この街に来ることになろうとは。
現地指揮官、サクナ・グレナデンの指示により我が班は個別に《ひのえと》及び《つちのえと》の森林区より並折へ侵入した。
サクナ・グレナデンとは我々カクテルズの中でも異質な、能力を持たぬ存在である。
正直、驚いた。
彼の結界を破る方法があったなんて。詳細を彼に伝えるべきだったかと悩む。
班長という立場上、俺も行動が制限されると危惧したが、個別行動を指示されたので短時間ながらすぐに彼と会う事が出来たのは幸運だった。
もう少し状況が進んでから彼の手引きで並折に来るつもりだったが、仕方ない。俺にこんな任務がまわってくるということは死使十三魔内でも怪しい動きがあるということだ。まあ、当然だろう。どの勢力にとっても正念場だから手を尽くしてくる。
結界寮の指揮系統も弱まっている。これは彼の情報通り、管理人の一人である藍澤林檎の不在が大きな原因だろう。藍澤林檎に関しては俺が引き受けることにした。
この日、部下が一人死亡した。
部下二名に俺の目的を明かし、サクナを出し抜くべきだったのではないかと悩む。
十二月十五日。
待ち合わせに設定していた午前九時になっても彼は現れなかった。そのままカクテルズとしての任務に戻る。
統界執行員の巡回経路をもう一度確認。彼の情報通りだ。
個別行動中のサクナ・グレナデンを捜索。
途中、部下のスレッジとひのえとのショッピングモール付近で合流。どうやらラスティの殺害現場が気になったらしい。彼女とはそこで別れ、サクナの捜索を再開。
きのえと駅構内にサクナの姿を発見。統界執行員の駐在する場所だけに目を疑う。
そのまま彼女を尾行。
統界執行員の目を避けながら彼女はきのえと駅から徒歩でひのえと駅まで移動。
――ザクロ・グレナデン。発見。
場所はひのえと駅前、商店街。
サクナも発見し、彼女はザクロの尾行を開始。衣料品店に入るのを目撃。ザクロとサクナは見分けがつかないほど瓜二つだった。
買い出し中のザクロを終始尾行し続け、ひのえと駅で電車に乗ったのを確認したところで、サクナは尾行を中断。どうやらサクナ・グレナデンには別の目的があるらしい。
俺はザクロではなくサクナの尾行を継続した。
彼女は徒歩でつちのえと駅、かのえと駅を渡り歩いた。目的は不明。ただ駅を訪れ、しばらく構内をうろつき、また移動していた。
十二月十六日。
夜間合流時、サクナはザクロ発見の報告をしなかった。
黙っていたのだ。
想像以上に謎が多い。
サクナの行動もそうだが、並折自体も様子が妙だ。
統界執行員の姿が消えた。管理人、錫杖梵の指示か。
彼には悪いが、この街からの撤退を考え始める。
結界寮側も混乱の中にあるということだろう。彼も俺と連絡を取り合う時間がないようだ。ラスティの件も下手人が謎のまま。このままスレッジまで失いたくない。
彼には離脱の為に結界の修復をしないよう頼んである。ひのえとの病院に入院中という標的を始末して彼からの依頼を終え、早々にこの街を去ろうと思う――か』
背骨ごと頭部を引き抜かれた男の死体は、羽田立荘の入り口――林を抜ける一本道の途中に転がっていた。
千切れたチューブが腰から伸びた、氷製人間XYZという男の死体だ。
彼の死体から抜き取った血塗れの手帳には、持ち主の記録した日記のような内容が書かれていた。
通り掛かった《妖怪》は、最後の部分だけを読んで手帳を握りつぶす。
静かだ。
血生臭さが林の中にまで漂ってくるが、もうなにもかもが終わった後なのだろう。
『サクナ。ザクロ。二人ともお前の子か、番よ』
三百九十五人に邂逅を望まれ、全員といかないまでもその殆どを駆逐してきた《妖怪》は、失望の溜息を吐いた。
その名の通り顔が無い筈なのに、白い息を吐いた。
『懲りないな――と、言いたいところだが。どうやら今回は一味違うようだ。優秀な子が居る』
妖怪――《カオナシ》は具現化していた。
短時間の具現化は可能な身体だったが、今では自由に顕現状態を維持できるようになっている。
両手の指を一本一本、数えるように眺め、ぐっと拳を握る。
ぐぐぐ、と力を込める。
爪が肉に食い込み、赤い血が垂れた。
血が――垂れた。
口の無い顔から歯ぎしりをする音。
継続して具現化できるのは喜ばしい。これをカオナシの復活と呼ばずして何と呼ぶ。
『小賢しい干渉者も居るようだ』
カオナシにとって《今具現化するのは非常にまずい》。
血が流れた。
殺される身体を手に入れてしまった。
『混乱の中に誘われるのは宜しくない。それをわかっていて、そうなるように仕向けた奴が居る。いつかこのような事態になるとは思っていた。だからこそ、そうならないように結界寮という機関を誘致したというのに。錫杖梵も藍澤林檎も役には立たなかったか。混乱を傍観し、ただ見守るだけだから俺なのだ。カオナシとは斯くあるべき存在』
周囲は既に倒れた木々で埋まっている。
重機のような、しかし重機よりも乱暴な力が働いたようだ。
太い幹がまるで引き千切られたように。根ごと引っこ抜かれかけている。
『俺を表舞台に引きずり出すというのならそれでも構わん。だが俺を混乱の中に巻き込むなら、相応の結果が待っているぞ。俺の街で好き勝手はさせん』
昏黒の眼差し。魔華の笑い声。乱獣の臭い。もっと感じる。まだまだ感じる。さらに血の雨は降る。
雨天決行大いに結構。そこに一つの《妖怪》が降り立ち、そこですべてが決着するというのなら。カオナシにとっても避けては通れぬ道。
『これは始まりにすぎない』
妖怪の姿が消えてゆく。まだ完全に具現化したわけではない。
『どうやら運命は俺を舞台に招待したいらしい。嗤ってしまうほどにあっけなく舞台は整う。運命が整える。もはや――宿命と言うべきか? 俺は世界を壊せてしまうから、この世界は俺を殺したくて仕方ない。だから賢しき者共の企てには運命の加護が施されよう。ゆえに全てが俺の敵』
『俺は――世界の敵』
『番、今回の子達はお前によく似ているよ。いや、お前は変わってしまったのかもしれないな。あの子達の方が、実にお前らしいというのに』
『さてさて』
『《表》か《裏》かは定かではないが、とにかくこれで半分が終わる』
――べりべり。
消えゆくカオナシの顔から、一枚の《顔》が剥がれ落ちた。
目と鼻と口の部分に穴が開いた、《誰にも見えて誰でもない》顔を模した仮面だ。
不思議なことにその仮面。
どちらが表でどちらが裏か。わからない。
落ちた仮面は地面で転がり、表と裏を交互に空へ向けている筈が、転がる度に表情は変化し、口の穴や目の穴が三日月形だったり薄く閉じられていたり。
最後に仮面の型は――女性の顔に固定された。
天宮柘榴に見えなくもない顔だった。
『この顔は百奇夜行に参列できない』
◆ ◆ ◆
【きのえと駅――天宮柘榴】
やはり私は正しい。
正しい。この街で、私は正しい生き方をしている。
生存が何よりの証拠だ。
キリサメも死んだ。
霧兎も死んだ。
スレッジも死んだ。
ラスティも死んだ。
どいつもこいつも……この並折に来てものの数日で命を落としやがった。
馬鹿な奴らだ。霧兎に到っては最初から魂が消えるとわかっていて、キリサメが死ぬことも予感して、行動を共にしていた。
争おうとするからだ。戦おうとするからだ。死を受け入れるからだ。
それが裏世界で生きる者の宿命とでもいうのなら、この街で約半年も生き延びている私は抜け出せたということになる。万々歳だ。
この街に於いて、疑問を解決しようと積極的になると死を招きよせる。
だから私は知りたいとは思わないね。
キリサメと霧兎が追っていた奴。キリサメを殺した奴。そいつは誰なのか? 誰なんだろうね。気になるけどそこまでで留めておく。
結局スレッジとラスティは何の為に来たのだろうか。私を追ってきたらしい。どうして? 番姉さんの命令? ほんとうにそうなの? 真偽は気になるけどそこまでで留めておく。
昏黒坂霧人は何処へ行った? 霧人は私を誰と勘違いした? 何故霧人は三百九十六番という私の呼称を知っていた? 守野三桜は何処へ行った? 統界執行員は何処で何をしている? 明朗は今何をしている? 結界寮はどんな動きをしている? 六月に目撃して以来、藍澤林檎と錫杖梵の姿を見ないが、それはほんとうに私が身を隠しているからというだけ? 未踏の地――かのえとは、どんな場所?
気になることなんていくらでもある。挙げ出したらきりがない。
でも私は、それら全てを無視できる。
そうすることで極力自分の身を危険から遠ざける。
落ち着けばなんてことないのよ。
落ち着いて、自分の身だけを守ることに集中すれば、ね。
結果として――ほら。
住んでいた羽田立荘がぶっ壊されて、同居していた二人が死んで、私を追っていた奴も死んで。
私だけが。ほら。生き残ってる。
泥まみれでも生きている。
「あはは。あははははは!」
陽が昇り、周囲は人に満ちている。
ここは、きのえと駅前。
泥まみれで裸足の女が、駅前広場で高笑いをしていても、誰も気付かない。
「あははははははは!」
何が純血一族だ。
何がカクテルズだ。
何が結界寮だ。
無能の私よりずっと強い奴らが、ばたばたと死んで。私の方が長く生きている。
馬鹿だ! 脳味噌が筋肉でできている馬鹿共が! 心を呪詛に侵された馬鹿共が!
私がこの街で一番無能な裏世界の人間!
で、あり!
最も死から遠ざかった人間!
並折を手に入れるとか、誰それを殺すとか、私の知らないところで勝手にやってろっつーの!
私はのんびりと鎖黒が目の前に転がって来るまで待ち続けてやる! そう長くは無い! どうせ盗んだ馬鹿も早々に死ぬんだから! そうしたら魔方陣を慎重に弄ってカオナシをおびき寄せて、番姉さんを殺しに帰る。
そりゃあもっと急ぎたいけどさ、私のこの生き方がベストなんだから仕方ない。この生き方が最善最速確実なんだ。
ほら、私を保護してくれる統界執行員はどこよ。
アリス・エイリアスとかいう奴はどこよ。
無能な私を生き長らえさせる為の糧はどこよ!
身体をひねり、首をあちらこちらへ向け、統界執行員の特異な服装を探す。
探すが見当たらない。
「……」
いや、これは明朗の指示だったのだから大丈夫な筈。
きのえと駅にはアリス・エイリアスが常駐している。そう彼が言ったのだから。信じられる。明朗は信じられる。
「………」
居ない。
「どういうこと……」
まあ、何か事情があるのかもしれない。
あるのかもしれないが、とにかくアリスと合流しなければ私の行動が先に進めない。
途方に暮れ、通行人を避けつつも何人かとぶつかり、私は地面に座り込む寸前だった。
――がががが。
――がががが。
――がが、ぴー。
――がが。
奇妙な雑音だった。
――がが、キーン。
――ががが。
きのえと駅と、駅前を、その雑音が包んだ。
駅舎のスピーカーが音の発生源だった。
それは普段電車の到着を知らせる音と音声が発せられるはずのスピーカー。
けれども今朝は、違った。
『此処は《私》の街だ』
一言目で声の主が誰なのかわかった。
声色を覚えていたわけじゃない。私が《彼女》の声を聞いたのは半年ほど前にたった一度だけなのだ。
声から満ち溢れる自信と余裕。そして誰であろうと真剣に見下す、常に嘲笑を含んだ声の発し方。その特徴だけは覚えていた。
声の主は――錫杖梵だ。
結界寮は並折じゅうのスピーカーまで使用できるのか。と、感心。
『そうだよ私だよ。錫杖梵だ。聞いているだろう? そこのお前』
誰に向けて言っているのかさっぱりわからないが、音声を聞いていると妙に耳がずきずきと疼く。
『ずきずき痛むか? そうだろうな。それじゃあ――』
耳だけじゃない。頭も痛くなってきた。
『――劣情句』
胸の奥まで食い込むような、気味の悪い声だ。
心臓までばくばくしてきた。これは、こんな激しい鼓動は、声に影響されたからなのか? それとも私の意識が自分の身体に集中して、自分の鼓動音がいつもより大きく聞こえているだけなのか?
どちらにせよ――この声を聞いているのは、この場で私だけのようだ。
誰もスピーカーからの声に気付いていない。
『番は元気かい?』
――?
――っ?
今なんて言った!
『お前はさ、自覚している臆病者だろう?』
待て。待て待て待て待て。
なぜ結界寮の管理人が番姉さんの名を口に出す? なぜ知っている? 死使十三魔序列四位の正体を!
『よく言われるだろう? 随分とのんびりしている。のろま。腰の重い奴。どうだ、心当たりがあるだろう』
な、なんだこの声。
なんだこの錫杖梵という女。
『そんなお前が私の並折に来たのは、番を殺したいからだ。普通には殺せない番の殺し方を知るカオナシに会いに来たんだよな』
カオナシのことまで!
このスピーカーの声は私に向けられた声なのか!
『なのに。一向に目的に辿り着ける気がしない。慎重に、落ち着いて、安全第一で行動しているのだと自分に言い聞かせているが、実のところお前は怖いんだよな。ここにきて足がすくんでしまった。ほんとうはもう一歩たりともカオナシに近付きたくない筈だ。近付いて殺された、たくさんの自分。その現実を目の当たりにし、さらに目の前でカオナシに殺される人物を目撃してしまった。もう怖くて怖くてたまらない。違うか? いやべつに否定してくれても構わないよ』
馬鹿馬鹿しい。
嗚呼、とにかく頭が痛い。あまり何を言っているのか理解できない。
『私はなんでも知っている。私がどうしてお前のような雑魚を殺さずに並折に置いてやっていると思う? 私が強すぎるからだよ。だからお前なんか殺したって私は何も満たされない。ただそれだけだ』
落ち着いて考えよう。錫杖梵と接触したのは六月の、あの時だけだ。
はじめて並折を訪れた日。きのえと駅で。その時、一度も会話を交わさなかったし、錫杖梵は私の顔をちらり程度しか見ていなかった筈。
それに私が並折へ行くことや動機や目的は、誰にも明かしていない。
知っているわけがないんだ。
なのに! この声は! たしかに私の中だけの記憶を喋っている!
『今のお前は、住んでいた場所を荒らされて悩んでいる。もし住めなくなったらどうしよう。どこへ行けばいいのだろう』
錫杖梵の能力は――心を読むのか?
結界寮の管理人ならできるかもしれない。
『なあ……お前さ、いつもちゃんと前を見て歩いているか? 周りを見て生きているか?』
……気付けば私は地面に座り込み、身を丸くしていた。
背中に目がくっついていそう。
首筋に耳がくっついていそう。
この身の臓腑に、錫杖梵が潜んでいそう。
とにかく――怖い。
『六月。例の事件の真相、わからないままだろう? 織神楽響の時も、一応は当事者だったが流されるまま。御渡瑠架子がどんな女だったのか、お前ほんとうに知っているのか? きのえと、ひのえと、つちのえと、かのえと。並折という街に半年も住んでいながら、お前は並折の数パーセントしか並折を知らない。目的のための材料が運よく転がり込んでくるのを怯えながら待つ日々』
言うな。
やめろ、言うな。
そんなことは――、
『わかっている! お前はそれを重々わかっているんだ! わかっていながら、そうしている! そして、わかりかけていて、決断の時だと勘付いているだろう?』
それだけは嫌だった。
避けるべきだと私の生き方が否定する。
だけど――もう――どうしようもない。
『死ぬ。死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。このままでは死んでしまう。早かれもっと早かれ、このままでは――街に殺される。だから……』
だから……。
『伊佐乃明朗の提案を受け入れ、結界寮に行こう』
……。
『そう! この街は私の街! 結界寮の街! 強い私の下に付き、強い私に守られて目的を果たすべきだ。錫杖梵と藍澤林檎、二人の管理人は元ティンダロスの猟犬。無音と瞬撃の異名を持つ超常中の超常。結界寮でこの街を知り、恐れるものを無くし、カオナシから訊きたい事を訊き、二人の超常に守られつつ序列四位をぶっ殺す! これしかない!』
それしかない……。
『結界寮は素性関係なく、誰でも受け入れる。私という力に守られたければ、来るんだな。グレナデン――いや、天宮柘榴』
それにしても頭が痛い。
熱でもあるのか、視界がぐらついてきた。
悪夢を見せられているみたい。
私ほどつまらない人間は裏世界に居ないと思うよ。
好奇心の欠片もない、陰気な女。
◇ ◇
私を悪夢から引きずり出したのは、やっぱり彼だった。
「クロちゃん、助けに来たよ」
駅を出入りする人の流れの中で。
伊佐乃明朗が立ち止まっていた。
スピーカーからの声はもう無い。人の行き交う中で、私は一人だけうずくまっていた。
まただ。
また、差し伸べられる手。
私は、今度こそ反射的にその手を握った。
「明朗!」
頭の痛みも消え、視界が晴れ、気持ちも楽になった。
彼はいつもの笑顔で私を見下ろし、引っ張り上げてくれる。
「昏黒坂の二人は?」
「死んだ」
「羽田立荘は?」
「壊された」
「クロちゃんだけが生き残ったの?」
「うん」
「それは良かった」
明朗は私の肩に手を回した。
「泥だらけだね。疲れてる?」
「そんなに疲れてない」
「そっか。とりあえずクロちゃんの住む場所が要るね」
「羽田立荘にはもう住めない?」
「急いで検分の手配をするよ。どの程度壊されているのか見てみないと。ただ、羽田立荘は近々取り壊されるかもしれない」
「――え」
「聖歌さんの管理物件だった頃は、彼女自身の強さもあってそれほど問題はなかったけど。今回、昏黒坂の二人に占拠されたのはまずかった」
「結界寮にばれたの?」
「……昏黒坂の男の方を殺したのは、うちの住人だから。すぐに梵さんの耳まで報告が届いた。僕の力不足としか言いようがない」
キリサメを殺した《奴》はやはり結界寮だったということか。
羽田立荘の庭にはスレッジの死体も転がっている。溶けきっていないうちに発見されたかもしれない。
戦場となってしまった羽田立荘。
かのえとから最も離れた位置に在り、統界執行員の巡回頻度もかなり少ない。そんな場所に純血一族の人間が潜伏していたという事実が判明した今。結界寮は羽田立荘の存在を改めて見直すだろう。
「明朗、あたしね。決めたよ」
「何を?」
「……結界寮に行く」
「わかった」
明朗は小さく頷き、私の手を握る。
「これで明朗と一緒に居られる?」
「うん、もちろん」
「この気持ちはなんだろうな、って。ずっと思ってたんだけど。この際だから全部言っちゃおうと思う」
私自身の気持ちをここで整理しておきたい。
錫杖梵の言葉――あれはきっと、錫杖梵の能力であって、錫杖梵自身の言葉ではないと予想する。詳細は分からないが、とにかく私が私の心と向き合うきっかけをくれたのは事実だ。
あの言葉は、すべて私自身の本音。
だから、ついでというわけではないけど、もやもやさせておくのはやめようと思う。
「明朗がいつもあたしを助けてくれるのは、今もどうしてなのかわからない。でもね、正直すごく嬉しいの。助けてくれるのが嬉しいんじゃない。明朗に意識してもらえるのが嬉しい」
ここでちらりと明朗の顔を窺うと、彼は目を丸くして私の顔を凝視していた。
顔が熱くなるが、堪えて続ける。
「変な話だけど、男の人に対してこんな気持ちになったこと、なかったの。あたしには大事な人が居て、その人は女性なんだけど、その人にだってこんな気持ちにならなかった」
く、口がうまく動かない。
自然に早口になっているというのか。
「何をする時も、明朗のことが頭に浮かぶ。いつの間にか明朗がいつ会いに来てくれるか心待ちにしていた。明朗と会って、話して、顔を見るのが楽しみだった。だ、だから……その……」
一番大事なことが言えない……。
恥ずかしいというか怖いというか。
「あの、ああ、あのね、あたしってつまんない女なんだけど、ほんと明朗にとって迷惑な話かもなんだけど……こ、これってさ、あたしが明朗のこと……好きなんじゃないかって」
ハッキリ言えなかったのが実に私らしいね畜生。
「何言ってるかわかんないかもしれないから、えっと、簡単に。そう、簡単に言うとですね。あたしは、明朗が好きってことなんです」
どうだ! と、何故か矢を放った的を見るような目つきで明朗を睨んでしまった。
途中から敬語だし、もう既に私は自分で何を言ったのか思い出せない。散々だこりゃ。
「うん、よくわかったよ」
明朗は明朗で心ここに在らず――って、聞いていたのか不安になるだろうが。
「……僕が君を助けるのは、何か理由があるからじゃない。理由なんかない。君が僕を意識するよりも先に、僕の方が君を意識していた。僕は君の顔が見たくて、少しでも話がしたくて、その結果――君はよくピンチだったりして」
真っ赤な顔が二つ。
公衆のド真ん中。
私達が認識されない並折の効果を、初めて有難く思った。
「つまり――僕は悔しい」
「は?」
「先に言われて、悔しい。というか情けない」
にい、と口が綻び、明朗は頬を掻く。全力の照れ笑いだった。
「僕は君よりも先に、君を好きになっていたってこと」
綻んだ真っ赤な顔が二つ。
女の方は泥だらけ。
笑うしか、ないでしょう?