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PUNICA【I-miss-you】7

  ◆  ◆  ◆



【COCKTAIL】



 侵入から三日目。間もなく朝を迎えようとする、未だ闇の満ちる森の中。

 霜が降り、木々の隙間を冷気が抜ける時間帯。


 濡れた土の上に巨大なハンマーが横倒しに置かれ、その上に持ち主の女が座っていた。

 月明かりのおかげで彼女だけ姿が見えるが、暗闇の中にもう二人。

 そのうちの一人――少女が月明かりの下に出てきて、女の座るハンマーを蹴飛ばした。


「あんた達の仲間は随分なやんちゃ坊主だったようね。スレッジ・ハンマー」

「……仕方ないさ。あの子は私達が一緒じゃないと情緒が不安定になる」

「はあ? 個別行動を指示したあたしが原因って言いたいわけ? 侵入初日に人混みのド真ん中で騒ぎを起こすような馬鹿とその仲間達だと知っていたら、あたしもそんな指示出さなかったっつーの。原因はあんた達の馬鹿さ加減にある」

「そうだな、あんたの言う通りだよサクナ。ラスティの件は……謝る。あの子の死を以て許して欲しい」

「自業自得よ。あたし達はザクロの居場所について碌な情報がない。これから潜伏を維持しつつ所在を掴もうという矢先にやってくれたわね」


 サクナ・グレナデンは頭を掻きながらスレッジの周囲を歩き回り、何度も大槌に蹴りを入れた。


「役立たず三人組のうち一人が早々にリタイア。おまけに時間制限まで背負うことになっちゃったわ。残った役立たずのうち一人は――」


 スレッジの頭越しにサクナは闇の中を睨みつける。


「――何か情報の一つや二つ得られたの?」

「結界寮の行動経路はほぼ把握した」

「……え。それ本当?」


 闇から聞こえてきた男の声に、サクナは足を止める。

 ひょい、と奥から投げられたのは、筒状に丸められた紙。

 受け取ったのはスレッジで、彼女はそれを開いて月明かりで照らした。

 名前こそ並折とは書かれていないが、コンビニや書店で売っている地図をこの街の部分だけ印刷したものだ。男は侵入前に用意していたのだろう。

 そこには赤いペンで街の各所に丸が書かれており、そこから赤い線が走っている。


「結界寮構成員のほとんどは統界執行員と呼ばれているらしい。この二日間観察してみたが、並折の各所――定位置に駐在しているようだ。交代制らしく、一日目と二日目では顔ぶれが違った。ちなみに裏稼業は居なかった。で、統界執行員の巡回経路と範囲を赤い線で記したのだが」

「びっしり隅々まで巡回してるな。私もなかなか隠れ辛いと思っていたけど、こりゃあ徹底的だ」


 ここで後ろから覗き込んでいたサクナが、あることに気付いた。


「一見隅々まで巡回しているように見えるけど、飛ばしてる場所もあるわね」

「気付いたか。察しの通り俺もそれは気になった。さすがに森や山中までは巡回しないのは置いておき、住宅地なんかでも巡回しない場所がある。二日ともだ」

「徹底しているだけに怪しいわね」

「怪しい、と言うより、解り易い。つまりそこは巡回の必要がない場所だということだ。かのえと地区はほとんど巡回していないが、統界執行員の人数が多い。つまり結界寮はそこにある」

「巡回しなくてもいい場所。それは結界寮の管理下にある場所だからってこと? 確かに、身分を隠せば潜伏できない事もないわね。……まあ、今のところ本拠地は避けた方が無難だけど」

「だろうな。ザクロ・グレナデンはこの街に半年も潜伏していることを踏まえ、非巡回域の中から長期滞在が可能な建物をピックアップすれば――」

「ザクロの居場所が絞り込める!」


 二人の話を聞きながらスレッジは地図に引っ掛けてあった赤ボールペンを握り、地図に顔を近づけていた。

 統界執行員の巡回していない部分を一つ一つ、穴が開くように睨み、建物の種類を分別していく。

 絞り込みはしても見つからなければ見つかるまで総ざらいする。それがたとえ人の住めるような場所でなかったとしても。


「スレッジ、どう?」

「んー。とりあえず人が密集しそうな場所は、巡回しづらいからだと仮定して抜くよ」

「ええ。それにグレナデンの生活・生存能力は一般人と変わらない。むしろ表側の軍人の方が圧倒的に優れているわよ。器用に隠れ続けたり悪環境でサバイバルなんてできっこないわ」

「かのえとは避けて、商店とかも避けて、表側のセキュリティが充実してそうな施設も避けて、そうなると――、うん、すごく潜み易そうな施設が絞り込めた」


 どこかに居候している可能性も否めないが、それは二度目の候補に挙げることにして今は省く。

 スレッジのボールペンは、二ヶ所に丸を付けた。


「まずはここ。ひのえと区域に大きな病院がある」

「入院患者を装っているかもしれないということかしら?」

「もしくは、本当に手傷を負っているか」

「なるほどねー。偽名で入院している可能性もある。見つけるのは手間が掛かるわよ」


「俺が行こう」


 闇の中から男が名乗りをあげた。

 スレッジとサクナは顔を上げて頷く。


「もう一つは?」

「きのえと区域だね。林の中――ここ、ほら、建物があるだろ?」

「ほんとだ、何の建物だろう。駐車場らしい空間が車道沿いにあって、そこから細い道が続いてる」


 海に面した山の、裏側あたり。きのえと駅から歩いて行くなら、急な坂を上らなければ行けないだろう。

 男は「確かに長い階段があった」「駐車場も長く使われていない様子」と、詳細に説明した。

 サクナは地図を指でなぞり、建物の構造を調べる。


「これ渡り廊下よね。母屋と離れがある。で、裏に……倉庫かしら? 建物と道の間に広い空間があるわね」

「庭じゃない?」

「庭ねえ……広い駐車場が公道沿いにあるから個人宅とは考えにくい。旅館かしら。だとしたら余計に怪しいわ。並折の宿泊施設なんて総じて巡回されているのに」

「ザクロが持ち出した死使十三魔の資金。あの額なら半年の長期滞在も余裕だろうね」

「地図に旅館名称すら載っていないのも十分怪しい」


 きのえと駅へ向かうにしても長い歩道が続いているので人目につきにくい。ひのえとには駅からすぐの場所に商店街があり、買い出しをする時も長く出歩かずに済む。

 結界寮のあるかのえとから距離があり、並折でも端に位置する場所。

 いかにも半年間もくすぶっている臆病者が好みそうな立地条件だ。

 サクナは笑みを浮かべて顔を上げた。


「じゃあここはスレッジね」

「了解。あんたはどうする?」

「あたしはあたしで、やることがあるのよ」


 少女はポケットから取り出した折り畳み式のナイフを、手の中で弄ぶ。


「というわけで今日も各自単独行動。ラスティのガキみたいな行動は今後絶対に認めないから。それからザクロが見つからなかった場合、残りの非巡回域を当たること」

「了解」

「了解」


 スレッジは地図をサクナに渡して立ち上がり、大槌を持ち上げると森の闇に消えて行った。

 終始闇に溶け続けた男も、スレッジと共に去った。


「………」


 月明かりに照らされる少女が一人。

 その場から動かず、地図と睨み合って肩を揺らす。

 くつくつと笑い声が漏れた。


(番様……姉さん。番姉さんの言っていた四箇所の魔方陣。この二日で位置は大体確認した。スレッジ達が柘榴を捜索しているうちに、セオリー通りこの鎖黒で消していくべきなんだろうけど――)


――ピシ、ピシ、ピシ、ピシ。

 地図の四箇所を指で弾く。


(――それが落とし穴。どの魔方陣も一応傷が付いていた。つまり過去のグレナデン達が鎖黒で消そうとした傷。ショックよね、鎖黒はこれ一つだけじゃなかったなんて。結局グレナデン全員持っていたんじゃないの)


 特別だと思っていた鎖黒というナイフが、実のところ量産品。

 嫌悪感を乗せた舌で口腔を打つ。

 この街へ来てからサクナ・グレナデンは変わり始めていた。

 番への忠誠心。

 絶対に揺るがないものだと確信していたそれが、この街へ来た途端、張りぼてのように思えてきたのだ。幻想から覚めた気もするし、これが並折の見せている幻覚のような気もする。ただおかげで事実を事実として認めることのできる公平さを手に入れ、正確な判断が下せるようになった。


(全員がカオナシの封印を解く事ができずに殺された。番姉さんでも知らない仕掛けが加えられているのか、それとも――番姉さんが隠していたのか。とにかく単純に魔方陣を除去するだけでは駄目だということ。せっかちな三百九十五番の記憶は当てにできないわね。

 地形を用いた術式というのは間違いないが、何かが足りない。封印結界の法式が知りたい)


 カオナシという妖怪は結界によって封印されている。

 それを解放することが三百九十七人のグレナデンに課された使命。

 解放する為には《結永刃・鎖黒》で《四つの魔方陣》を消すしかないと、番は言った。

 過去何度もグレナデン達が結界寮の監視を掻い潜ってそれを試みたものの失敗。

 魔方陣へ辿り着いても、消そうとした時点で殺されている。

 番の情報に何かが欠けているのだ。


(結界の専門家が、何か見つけていないかしら)


 結界の専門家といえば、その最高峰たる裏稼業、結界屋が真っ先に思い浮かぶ。

 奴は結界寮側の人間なので封印結界を解く情報を与えるとは思えないが、べつに奴でなくとも封印結界の法式を知る結界術師が居ないとも限らない。

 記録。

 それさえ残っていれば。


(カオナシの文献。過去、この街に存在した妖怪なのだから残っている筈。三百九十五番の記憶は薄いけど、たしかに見ている)


 うっすらと残る、未知の記憶を辿る。


 図書館。

 古いほうの。

 そこで――見ている。


 サクナは地図を目の前に掲げ、じっと睨んだ。


(公共の施設は、ひのえと区域に密集している。大きな図書館があるようだけど。建て直したの? この区域は現在も新規開拓が進んでいるから、同じ土地に建て直したということは無いだろうね。ちょっと前は森だった場所だろうから。開拓の流れを辿れば古い図書館が建っていた場所をおおまかに絞れそう)


 ひのえと駅、ひのえと商店街、その付近に広がる住宅地。実際に築年数を見てみないと何とも言えないが、サクナはその辺りに目星を付けた。

 駅が近い上に統界執行員の巡回頻度も多い。

かなり骨の折れる一日になりそうだった。



 ……妖怪を解放した後のことは知らない。番しか知らない。教えてくれなかった。

 封印結界を解くことで、それをベースにしていた並折の多重結界も消滅する。

 実のところ番はカオナシという妖怪などとっくに興味は失せているのではないか。とサクナは思う。

 雪女と呼ばれたのは昔。今は魔氷として死使十三魔の序列四位。彼女は死使十三魔を統べる者――序列一位に心酔しているのだ。

 そう考えると番がグレナデンに与えた使命《カオナシ解放》の、真の目的は《並折の結界完全破壊》。

 ようするにグレナデンの任務も結局は死使十三魔の日本国侵攻への布石に過ぎないというわけだ。任務内容や封印結界の解除方法も知らないザクロがどう考えているかはサクナの知ったことではないし、自分がやはり捨て石だという結論に至ってもその後のことなんてやはりサクナの知ったことではない。

 今のサクナの中に番への想いは無く、ザクロ・グレナデンから存在を勝ち取り、自分が最も優秀なグレナデンだという証明が出来れば良かった。任務達成後は自殺しても構わないとすら思っていた。


――これがPDSシステムの導いた究極の自己完結であると、サクナは知らない。


 進化。

 グレナデンという何世代もの氷製人間が、たった一つの任務達成を目的として進化し続けるシステム。それは肉体的な進化ではなく、一つの任務に最適な記憶と性格を持った人間を作り出す云わば超限定的効率性の進化である。

 あまりにも長い時間を要する為、重要な任務や一発勝負の任務では効率も何もない極めて汎用性に欠けるシステム。任務が達成されればグレナデンという存在に必要性は無くなり、ただ名前だけが残る。

 それだけの為にグレナデンは死に続けるのだ。

 達成後は存在する目的を失い、やはり自滅する。

 汎用という概念を切り捨て、確実を極限まで特化させるのがPDSシステムだった。

 実戦投入された実験体であり、三百九十七体も生産しなければならない失敗案。この任務が達成されるまでは継続されるが、達成された暁には廃案となるのは決定的だ。


――そんな事情を、実験体が知ることもない。




  ◆  ◆  ◆



【羽田立荘】



 昏黒坂侵入三日目。

 この日の私は、朝から気まずい状況に直面していた。


「……」


 食堂のテーブルにずらり並べられた刀。

 全部で八つ。

 それらを前に持ち主である灰色の髪の男が無表情で立ち続けるのを目撃して、大体三十分くらいが経つ。

 よりにもよって食堂のテーブルを占拠しており、朝食を摂ろうとしても一向にありつけない。

 キリサメという名のこの男が無口で無愛想だということは二日間だけで十分わかっていたので声を掛ける気にもならない。どうせ無視されるのがオチだ。

 唯一この異星人と交信できる頼みの少女、昏黒坂霧兎はまだ起きてこない。

 すぐに刀を引っ込めるだろうと待っていたが、キリサメは鞘入りのそれを一本ずつ手に取っては刃を眺めて戻すのを繰り返すばかり。何がしたいのかもわからない。

 そんなものはロビーもしくは自室でやれ。食堂でやるな。

 だんだん苛々してきて、というか既に苛立ちを露わにして、テーブルを挟んだ彼の正面に立っているわけだ。

 全くこっちを見向きもしない。

 無視ぶっちぎり。

 皿に乗せた私の朝食も、手の上で冷めつつある。

 食堂のテーブルが埋まっているならロビーで食べればいいんだけど、私が早起きして朝食の支度前にストーブを焚いたのは、この、食堂だけなわけよ。

 暖かい食堂で黙ったまま御自慢の武器を鑑賞する男を横目に、寒いロビーで冷めた朝食を食べた気もせずに胃袋に放り込む。アホか。アホかアホか!

 絶対にイヤ。


 だから私は――立ったまま食べることにした。


「……」

「……」


 沈黙の食堂。

 テーブルの隅っこに御飯茶碗を置き、おかずの乗った皿と交互に片手で持って黙々と食べる。

 ベーコンと目玉焼きに加えて瑞々しいレタス付き。このおかずならパンの方が合うかもしれない。

 米のカロリーを考えながらレタスを一枚箸で摘まみ、持ち上げた時。

――ピッ。

 レタスから弾けるように水滴が宙を舞い、キリサメの武器の方へ飛び、そして――鞘に付着した。


「……」

「……」


 戦慄の食堂。

 ストーブのおかげで多少は柔らかかった空気が、一瞬にして張りつめ、気温とは別の何かが冷え切った。

 焦ったに決まっているでしょ。

 純血一族の昏黒坂とかいう家の人間が武器にしている刀。命を預ける大切な刀を納める鞘に、レタスの水滴を飛ばしてしまったのだ。

 シャキシャキと口の中で音をたてつつも、私の目は完全に泳いでいた。


 がちゃりと、問題の刀を握る音と同時に、ぎろりと視線が私の方へ向けられる。

 睨みつけられる音まで聞こえたような気がした。

 初めて会った時はサングラスを付けていたが、以後は付けていない。濁った灰模様の髪と同じくその瞳も灰色だった。珍しい。

 ただ目つきは鋭く、無言無表情と合わせて随分と怖い印象を与えてくる。

 その目は今や私を凝視し、先程までと打って変わり私が彼を無視しようと必死だった。


 天宮柘榴。死因、レタス。

 冗談抜きでそうなってしまいかねないのが恐ろしい。

 いや、でも、そもそも食堂とは食事をする場所であり、そこで食事をする私と刀鑑賞をするキリサメ。どちらが正しいかといえば私が正しい。

 こうなればもう開き直りだ。

 もう一枚レタスを口へ運びながら『自業自得でしょ』と言わんばかりの表情をした。


「……おい」


 さすがに――キリサメの方を向いてしまった。

 だって私は初めてキリサメの声を聞いたのだ。


「なによ」

「何故立ち食いしている」


 恐れVS怒り。

 勝者、怒り。


「あんたがテーブルの上に刀並べてるからでしょうが!」

「言えば退かしたが」

「嘘つけえ!」

「嘘は吐かん」

「ああ無口だもんね喋らなければ嘘も吐けないもんね、はいはい!」


 右手で掴んだ箸の先をキリサメに指し、荒々しく皿を置く。

 何故立ち食いしている? だってさ。なんだその白々しさは。

 お前の武器が邪魔でテーブルに食器を全部並べる事ができない上に、お前自身がストーブの前に陣取っていやがるから、こっちは立って冷えた足を擦りながら体を温めていたんだっつーの。


「大体さあ! 喋れるなら度々あたしを無視するのやめてよね! ほとんど霧兎ばっかり喋ってるじゃないの! あんたの方が遥かに歳上なんだからあんたがあの子より前に出て喋りなさいよ!」

「……くだらん。あれが喋ることで事足りるならそれ以上は要らんだろう」

「返事くらいしやがれっての!」

「そんなに話し相手が欲しければ霧兎に好きなだけ話し掛ければいい」


 そう言って刀を全部ベルトに括り付け、食堂を出ていく。

 水滴の件については結局触れなかった。

 そのまま昨日のように一日中玄関の前を見張るのかと思いきや、キリサメは部屋の方に戻ったらしく、私が朝食を食べ終えて食器を片づけていると食堂へ戻ってきた。

 昏黒坂霧兎を連れて。


「柘榴さん、おはようございます」


 まるで父親と幼い娘のように、寝ぼけ眼の霧兎はキリサメの腰にしがみついていた。

 どうやらキリサメは霧兎を起こす為に部屋へ戻ったようだ。

 ずっとストーブの前に立っていた男の身体はさぞ暖かいだろうよ。

 キリサメもますますよくわからない奴だ。

 眠たがる霧兎を部屋まで運んでやったり荷物を移動させたり、しかし扱い方は粗雑で乱暴。二日経っても未だ霧兎と会話をしている姿を見たことがない。彼女に抱きつかれても引き剥がそうとせず、表情に変化もない。

 一体、霧兎をどう思っているのか。


「おはよう。朝食ね」


 今朝はキリサメも居るので二人分用意した。癪だけど。

 二日間の共同生活でわかったことの一つは、この二人が料理しないということだ。

 あともう一つわかった。キリサメはレタスの水滴が武器に付いても怒らない。


「今日は霧兎も連れて行ってくれますか?」


 愛嬌溢れる少女は期待感いっぱいで言った。

 さすがに私にも慣れてきたのか、言葉を詰まらせることもなくなったようだ。


「そうね。とはいえ、特に買う物もないんだけど」


 散歩程度でいいか。

 なるべく目立たないようにクリスマスシーズンで人の多いひのえとの街にしよう。

 案外人混みに紛れるという手段もアリだと先日実感したばかりだ。

 霧兎は小さく「やった」と呟き、手を握り締めた。

 直後、霧兎はキリサメを見上げたかと思うと、誰も予想していなかった提案をした。


「あの……キリサメさんも一緒に行きましょう」


 一瞬呆気にとられたのは私だけではなく、キリサメもだった。

 私は霧兎のように小さなガッツポーズを作った。

 表情に出さないよう尽力しているようだけど、こいつ絶対に困惑してる。

 視線を霧兎に合わせず、黒コートの袖を引かれたまま直立不動。

 さあどうする灰色の石柱。

 返事をしないとまずいぞ灰色の鉄面皮。

 黙ったままでは同意と捉えられてしまうぞ灰色の昏黒坂。

 私と霧兎に挟まれて『両手に持つのは刀ではなく実はお花でした』なんていう新しい笑い話が誕生するぞ灰色の八刀流。

 それに加えて私が『え? それはつまり八股という意味ですかキリサメさん?』と、しっかり連携してあげるから心配しないでよ灰色のプレイボーイ。

 トドメに霧兎が『ムッツリなんですね……』と追撃できるように仕込んでおいてあげるわよ灰色のス・ケ・べ。

 なはははははは!


「…………」

「あの……キ、キリサメさんも行きませんか?」

「……俺は結構」


 チッ。

 やっぱりこの男はムッツリにムッツリを被せただけのムッツリ・オブ・ムッツリだった。

 せっかく霧兎が勇気を振り絞って誘ったというのに、男としてどうなのかと小一時間問い詰めたい。無言貫徹状態のまま延々と私の声をその耳にぶち込み続けてやりたい。


「霧兎とは嫌ですか?」


 霧兎が食い下がった。

 こんなに純粋な心で上目遣いに言われても首を縦に振らない男は男じゃないね。

 つまり、キリサメは男じゃなかった。


「お前はこの女と散歩でもしていれば良い。俺は任務をこなす」

 キリサメは顎で私を指しながら言った。

「最初からお前には任務を遂行する意思など無いだろう。俺が標的を排除するまで寝るなり遊ぶなりしていろ。これは俺だけに課された任務だ。もともとお前など戦力として認識していない」


 冷たく言い放つと彼は腕を振り、袖を掴む少女の手を弾いた。


「殺されたくなければ俺の足を引っ張るな無能」


 怒っているのかもわからない。

 平坦な口調で言い捨てて、今度は本当に玄関の外へ出ていく。

 その背中に何か言ってやりたかったが、何も言えなかった。

 足を引っ張るな無能。

 他人を犠牲にし、足を引っ張ることで生き長らえようとする私には、何も言えない。

 霧兎と同じで、私も無能なのだから。

 案の定ひどく肩を落とした霧兎に、朝食を出す。


「今日は二人で出掛けようね」


 ぎゅ、と下唇を噛み締める霧兎は俯いていた。


「あいつの言ったことなんて気にしなくていいのよ。任務はキリサメが全部引き受けるって言うならそれに甘えちゃえ」

「はい……」

「あんたは昏黒坂の家名を捨てたいんでしょ? それって、一般人になりたいという意味なの? だったらこの羽田立荘で、任務なんか忘れて一般人のように振る舞えばいいじゃない」


 レモンシロップを食器の隣に置くと、霧兎は無言でそれをご飯やおかずに掛けた。

 辛い物もアリらしいが、どうやら酸い味が一番良いという結論に至ったようなので。


「あたしだって裏世界の人間で、無能で、羽田立荘にひっそりと半年くらい住んでる。もちろん目的があって並折に居るわけだけど、気長にのんびり暮らすのも悪くないわよ」

「……普通がいいです」

「そうね。殺人が日常茶飯事なこの世界では無能は生き辛いもの。普通に学校へ行ったり仕事へ行ったりしたいし、気を張らずに外を歩きたい気持ちはわかるわ」


 霧兎の前に座り、無能として生きてきた私のささやかな感想を述べてみた。

 彼女は首を横に振った。

 べつに私も本気でそう思っているわけではないし、普通という感覚が個々に違うのもわかっているので、霧兎の否定も特に気にならなかった。

 苦痛に満ちた昏黒坂での人生を送ってきた霧兎。彼女にとっての普通とは、私にとって異常の域を出ないものだろう。

 同じ無能でも、生き方や考え方は異なる。


「……キリサメさんのことですが」

「一発殴っていいの?」

「そんなことしたら本当に殺されます」

「冗談よ」

「……あまり喋らない人ですが許して下さい。代わりに、霧兎が喋りますので」


 ああ。私がキリサメに無視されている姿を何度も見ているから、気にしていたのか。

 無視されるのは確かに不快極まりなかったが、奴が口を開いたらもっと不快になると今朝身を以て知ったので、むしろ無言の方がマシだ。


「それにしても霧兎、あんたさ」

「なんでしょうか」

「ずっと自由を与えられなかった割には意外としっかりしてるわよね」

「……無能の役立たずでも、どのような形であれ使い道くらいはあるだろう。ということで相応の教育は受けていました。七日に一度だけですが、数冊の本を――」

「独房に投げ込まれた。とか? まさかね」

「あはは……」


 それじゃ囚人だ。

 さすがにそんなわけないか。


「えっと……本を……その、図書館。そう、図書館へ行って読みました」

「そりゃそうよね」


 ちゃんと残さず食べ終えたのを確認し、霧兎の皿を下げる。

 少女は申し訳なさそうに会釈した。


「さて、支度しなさいよ。出掛けるんでしょ」


 洗い物は後回しでいいや。

 部屋へ戻るよう促すと、霧兎は座ったままこちらを見つめてきた。


「その件なのですが……」

「うん?」

「やっぱり今日は、霧兎も此処に居ようかと」


 気が変わったか。

 まあ原因として思い当たるのはあの灰髪しか居ない。

 霧兎は私の買い物に付き合うとか、外を歩きたいとか、そういった理由で出掛けたかったのではない。キリサメと出掛けたかったようだ。

 無口で無表情で無愛想で無甲斐性なあの男のどこに惹かれたのか皆目見当がつかない。


「わかった。あたしも今日は羽田立荘に居る」

「すみません」

「昨日はロビーから一日中キリサメの様子を見てたようだけど、今日もそうするの? 一応ロビーのストーブも炊いておくわね」

「ありがとうございます」


 私は今日もいつもと変わらない一日を過ごすつもりでいた。

 けれどそれは私が引き籠った性格をしているからで、私の知らない場所で事態は進展しつつあることも悟っていた。


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