PUNICA【I-miss-you】4
◆ ◆ ◆
【結界寮】
描かれた円陣は多様にして多数。
円の中に円を収め、七曜を修めし術者の回答を待つ。
光を束ねて糸を成し、さらに束ねて筆と成し、機械の如き正確さで描かれたそれらは、界と界を結びこれを術とする。
黄金色に輝く、床、壁、天井。
日光は遮断され、在る光は魔術の産物。
描かれた陣の模様から放たれる輝きを、形そのままに全身に浴びる男が一人。
一辺が二十メートルの立方空間。
結界寮の中で、その特別な階層は彼だけのものだった。
街一つを制御し、管理し、支配する。その陣を作るには、とてもこれだけの面積では足りない。
しかし男はその空間のみで並折のすべてを把握できていた。
結界屋。
彼はそう呼ばれている。
結界寮の要となる存在であり、その技術に及ぶ者がいない高度な術者でもある。
きのえと、ひのえと、つちのえと、かのえと。並折はこの四つの区域に分けられる。
四区域をこの場所から監視するのも、彼の役目だった。
何者かが呪詛による能力を行使すれば、すぐさま彼の陣が反応する。
刃物や銃火器なども、どんなに小さかろうが武器になりかねないものなら感知する。
感知したのち、場所を特定し、必要ならば統界執行員を派遣するのが基本的な動きだ。
今回も彼はきのえと駅でなにかを感知し、仁王立ちしたまま足元の陣に目線を落としていた。陣による映像投影が並折という土地の影響で相変わらず不明瞭。はっきりとした監視まではできないのが難点だ。
駅前の様子を俯瞰する形で映し出された中には、黒衣に包まれた二人の姿。
大柄の男と、小柄の女。
「何者……こうもあからさまに武器を曝け出して歩くとは、結界寮も嘗められたものだ」
結界屋が手を振ると、天井の隅に描かれていた円陣が彼の真上まで滑ってきた。
結界寮連絡用回線として用いている陣だ。
「梵様、侵入者を捕捉しました」
――「ああん? 時間は? 場所は?」
「今よりおよそ一時間前。きのえと駅前です。呪詛反応は今のところなし」
――「はいはい了解、きのえと担当の――そうだな、アリス・エイリアスを送るとしよう。一人で大丈夫だと思うが、どうする? 小僧も同行させるか?」
「不要かと。本線と繋がるきのえと駅で捕捉しましたので、よくある《不用心な無知》の類でしょう。それに、小僧には別の頼みごとがありますので」
――「あっそう」
機嫌の悪そうな声色だ。
ここで結界屋は異常に気付き途中で回線を切った。
陣の様子がおかしい。
空間中の感知陣が、なにやら点滅している。
(これは……)
点滅しているのは結界の自動定期検査を請け負う陣。
結界屋は顎まで伝った汗を拭うと、手を振って円陣を移動させた。
空間内にある無数の陣がうぞうぞと蠢き、重なり、擦れ違い、天井を壁を床を高速で滑ってゆく。
明らかに異常事態であった。
感知陣は反応を続けている。
どうやら並折を覆う結界が損傷したらしい。一箇所の損傷であれば緊急性がさほど高くは無いのだが、陣の点滅の早さは極めて高い緊急性を表していた。
結界屋は奥歯を噛み合わせ、事態を把握すべく結界陣を操作。自律起動する陣が、彼の意思とは別に次々と映像を映しだしていた。
ひのえとの山中風景。
つちのえとの山中風景。
つちのえとの河川風景。
(三箇所?)
これらの映像はすべて並折という街に張られた結界から送られてくるもの。つまり、街の境界に位置する場所を映している。
特に変わった様子はない。獣が通った跡も見られない。
(いや待て。……居るな)
足跡も残さない完璧な潜伏だが、武装感知からは逃れられなかったようだ。
この武装感知は、並折中の刃物や火器を大小問わず鋭敏に感知するもので、定期的もしくは結界屋の意思で発動する。常時発動すると一般家庭の包丁やら工具まで反応してしまい、選り抜くのに手間が掛かるからだ。
ともあれ映像として映し出された場所の一部に、武器の反応があった。
つまり――侵入者だ。
(破られたか……?)
結界自体が消滅したわけではない。どうやって結界に穴を空けたのか調べ、これ以上の侵入を阻むことが最優先。
(死んだ形成陣は状態保存して一時消去。遠隔回路からの術的侵入およびトラップに反応はなし。同じ結界屋の仕業ではないな)
口を真一文字に結び、結界屋は袖をまくった。
全身の肌に紫色の模様が浮かび上がり、輝く。
これは結界屋が自分の身体に描いた結界陣。それは《結界屋の身体それ自体を結界化する》というものなのだが、ならばその効果は如何なるものか。
それは――。
(人体結界陣で俺の身体を並折の結界に接続する)
自分と結界を同調させ、感知結界陣よりも正確に状況を掴もうというのだ。危険な手段だが、結界屋に躊躇している暇はない。
――ブシュ、と彼の横腹や肩に大きな穿孔が生まれる。それは当然傷であり、血が噴き出た。
(なるほど。ベースとなった妖怪封印結界に干渉したわけか。それなら俺の結界がいくら強固でも破られるわけだ。だがこの結界屋、このまま黙って解かせはしない)
やっと移動を終えた無数の円陣は、空間をめいっぱい使った巨大な陣を描いていた。
これこそ結界屋の得意とする結界陣。
陣で陣を成し、より高度且つ複雑な結界術を行う。
(一時的な第三の結界を新たに形成する。第一結界――遮断型二重構造型感知。第二結界――内効型呪詛弱効化。第三結界――遮断型殺意感情保有者自滅効果)
より結界を強固なものとするために封印結界をベースとした第一、第二結界。それが今回は裏目に出てベースとなった結界に干渉され、穴を空けられてしまった。
ゆえに今度は結界屋がそれを逆手に取る。
結界屋はべつに封印結界を利用しなくとも並折を覆い尽くす結界を単独で張ることなど容易い。
第三の結界は、侵入者を殲滅したのちに解除することを前提とし、ベースを用いず簡易的に張った。
ベースさえ壊せば結界に意味はないと連中が思い込んでいるようなら、くぐった時点で自滅してしまうのである。これも生物の意識に介入し、殺意の念が少しでもあれば死に至らしめるという、高位結界の類だ。
まさか並折という街全体を覆う広大な結界を、これほどの短時間で形成できるとは思いもしないだろう。人体結界陣の効果は形成効率を大幅に引き上げる使い方もできる。
「これ以上の侵入は許されん。なんとしても維持せねば」
誰にも向けられないただの独り言だったが、彼の言葉を部屋の外で聞いていた者がいた。
「――べつに無理することはない」
「梵様?」
結界屋の部屋に光が差し込んだ。
蹴り開けられた扉の先には、腕を組む女のシルエット。
やけに広い面積で塗られたアイシャドウ。
ボーイッシュな結界寮の管理人は、状況を愉しんでいるのか三日月形に口を曲げていた。
「何故、この部屋まで?」
「お前が勝手に通信切っちゃうからだろうが。もう十一時だぞ」
言われ、結界屋は懐中時計を取り出す。
たしかに時刻は十一時になりかかっていた。彼女の食事の時間だ。
「いましばらくお待ちください。只今、結界の修復と補強を行っております」
「どうだっていいよそんなもん。万物は、いずれ滅びるもんだ」
「……」
結界屋は作業を続けた。
結界寮が一勢力として成り立てているのは結界があるからこそなのだ。どうでもいいわけがないし、放っておけるわけもない。
「どうかお待ちください」
「……どうせすぐには用意されないってわかってるから、べつにいいよ。ちょっと我儘が言いたかっただけだ。それよりさあ」
「はい?」
「あそこの――隅っこの陣が点滅してるぞ」
「……まったく……次々と」
新たな反応は、ひのえと中心部の開拓地帯。並折の中で最も人が密集する場所だった。
さらに今はクリスマスシーズンの真っ只中。且つ、買い物客で溢れかえっている時間帯。
「呪詛反応だと……」
結界屋は深い溜息を吐いた。
うんざりして落とした肩に、背後から梵の手が乗った。
「呪詛能力者……純血一族か?」
「わかりません。反応は一つ。場所はおそらくショッピングモールかと」
「きのえと駅で捕捉した二人組。破られた三箇所の結界。呪詛反応が一つ。わかんないね、一体何人侵入している?」
「つちのえとで武装感知に引っ掛かったのが一人。これは呪詛能力者と別人でしょう。そしてきのえと駅で捕捉した二人組のうち一人は武装していましたのでこれと被っている可能性も否めません。そしてたった今、ひのえとで呪詛反応が一つ。交戦に因るものかもしれません」
「どいつがどいつで、どこの所属で、何人居るかもサッパリってわけね。とりあえずひのえとに配備した統界執行員に至急連絡を寄越させろ」
「了解しました」
「きのえと、ひのえと、つちのえと。もし確認されたのが全部別人だとすると、少なくとも既に三箇所で潜伏している可能性がある。かのえと駅周辺の警戒は怠るな。結界寮に直接侵攻されかねない」
「了解。ひのえと担当の統界執行員から連絡。『ショッピングモールで騒動発生。これより急行する』とのこと」
「……派手に騒ぎを起こして、何が目的だ? 一時的に破られたとはいえ結界はまだ脅威の筈。総攻撃ってことはないだろうし」
「……」
「うちの情報を探ろうとするなら潜伏していた方が賢明だろう。目的は結界寮じゃないのか?」
「統界執行員からは交戦の報告が入って来ていません。つまり、我々ではない別の勢力同士で争った可能性も」
「少なくとも二勢力が侵入し、鉢合って戦闘になったと? ますますわからないね。まあいいか、侵入者は全員排除だ」
彼女の言葉に重みなどなく、部屋に大量の虫が入り込んだので殺虫剤だけ手渡されたような感覚を、結界屋は受けた。
簡単に言ってくれる。たしかにこの錫杖梵なら簡単に全員排除は可能。しかし彼女の場合は虫が入ったとしても殺虫剤でなく多大な爆薬で除去する性格なので、彼女に任せるわけにはいかなかった。
彼女との付き合いが長い結界屋は、苦労が絶えない。
梵は一個人として見れば強大であり、彼女自身がよく己を一個勢力と称すのも頷ける。ただ実際に構成員を抱える勢力を築き、維持するには、彼女はあまりにも《強すぎた》。世界に対し、森羅万象に対し、《厳しすぎた》。
だから結界屋は彼女の為に、彼女にとって《些細な事象》を、懸命に処理するのである。
「ねえ、私が直接出向こうか?」
こういう事を突拍子もなく言う女でもある。
もちろん結界屋は百パーセントの否定を腹に据えて、いつものようにやんわりと断る。
「いえいえ、梵様の御手を煩わせることではありません」
「なんでだよ。私が行けば一発で終わりじゃん」
「この街も、一発で終わります」
「被害を懸念してんのか? べつに人間なんかそんなに脆くできてないって」
「仰る通りです。ですが、もし梵様が一発だけで終わらせたとします。それによる影響は、自分の予想では復旧に最低でも一年ないし二年は掛かるのではないかと」
「それは困る」
「この街はデリケートなのです。それを維持する為に、統界執行員も一般人共の人混みに息を潜め、任務をしています」
「……」
結界屋も内心は冷や汗だらけである。
腫れ物に触るとはまさにこのこと。特に今の梵はいつもより質が悪い。
錫杖梵の笑顔など、不吉以外の何物でもないからだ。
「そもそもな? 私はこんな街――どうだっていいんだよ」
しっとりと耳元で囁く。
肩を掴まれ、強い力で握られた結界屋は――金色の髪の下に覗く耳から、血を垂らしていた。
「こんな小さな国の小さな街に閉じ籠ってどうするよ。私には窮屈で仕方ない。外には強者がたくさん蠢いているというのに。裏の世界は楽しいよ、楽しいよな? 男も女も関係ない。一個人の強さに天と地ほどの差が生まれ、強い奴はいくらでも高みへと昇る。
私はそんなこの世界が大好きだ。男を蹴散らし、生殺与奪権を握り、その権利は――到底奪われやしない。
お前は私を殺せるか? 男だろう? 殺せないだろう? 私は強いからなあ。今すぐにでもお前の、この、鼓動を止めることだってできる」
首元から服の中へ手を入れて、結界屋の胸元を撫でる。
「でもお前はつまらない。既に強弱を理解してしまっている。それじゃあつまらないんだよ。男でも、女でもいい。私と互角だと思い込み、そして互角に渡り合える奴が欲しい。私が持てるすべてを使っても敵わない奴が欲しい。
私が泣いて、叫んで、悔しがり、力の無さを恥じ、屈辱にまみれ敗北感に苛まれながら犯されるのは、とても気持ちが良さそうだと思わないか? なあ、お前に私が犯せるか?」
狼のように喉を鳴らし、硬直する結界屋の首筋を舐め上げる。
「この肌も、この唇も、私のすべてをお前の自由にできる。それができるのは、女である林檎だけなんだ。でも私は、私の望みが叶えられる相手になら、私のすべてを見せてやるよ」
(冗談じゃない……)
「この街に私より強い奴が居るか? 居ない。居たらすぐに私の前に連れてこいと、そうお前に言ってから連れてきた敵は、今まで居ない。どいつもこいつもあっさりと下の者に殺された。ここに私の望む敵は居ないんだよ。私より強い奴が居ないんだよ。
でも外には可能性がある。純血一族の式神や死使十三魔の序列。そしてティンダロスの元同寮達。そいつらなら楽しめそうなんだ。そいつらを皆殺しにしたら私も納得する。
ここじゃあ駄目なんだよ。ハンデが設けられている。呪詛能力者なら呪詛能力を使わせてやらないと。武器を持っていたらその武器を存分に使わせてやらないと。そうでなければ私も全力で戦えないだろう?
私だけが《呪装具》を存分に使えて、相手は力を発揮できないなんて、フェアじゃないだろう?」
――呪装具。
結界屋はその単語に敏感に反応した。
呪われた道具。文字通り呪詛を宿した武器のこと。妖刀魔剣もこの類だと思われがちだが違う。
呪装具というものは呪詛を宿す前提で創られる武器であり、呪詛能力の付与も武器の一部と考える。ゆえに妖しの刀など、刀として既に成り立っている物とは一線を画す代物だ。
構成員に呪詛能力者がほとんど居ないティンダロスの猟犬が、純血一族や死使十三魔と並び世界危険勢力の一角とされる理由が、これである。
呪詛を身体に直接宿した純血一族、死使十三魔。肉体と能力の同化はたしかに自在性に富み、能力行使も呼吸するように簡単だ。
だが呪詛能力者の欠点は、その代償。
純血一族の場合は宿した呪詛全てが《何代も血に憑依し続ける》という代償で、それを有効に利用している為に十三家系十三種類の呪詛能力者を量産可能としている。人類最古の呪詛能力者集団でありながら、代償に苦しむことのないよう綿密に計算された殺人集団なのだ。
対して新進気鋭の精鋭集団と呼ばれる死使十三魔。彼らの代償はそれぞれ異なる。純血一族のように有効活用することはできず、ひたすら強力な能力を求めて呪詛を宿した者達が殆どを占める。十三人すべてが異なった能力で、異なった代償に苦しむ。しかし純血一族より有利なのは、個人によって能力が違うので序列メンバーの入れ替えの度に能力の隠匿が可能な点だ。
純血一族は一つの家系につき一つの能力者しか生まれない。ゆえに能力を看破された時、その家系はまるごと滅ぶ危険性がある。
このように、なんらかのリスクを背負うのが呪詛能力者集団だ。
驚異的な呪詛能力。これを代償に影響されず誰にでも扱えるようティンダロスで考案されたのが、呪装具であった。
能力を身体の一部ではなく装備品として扱う。無論、身体に代償の影響はない。
ただ――現代の技術を以てしても大量生産は難しく、優秀な呪術師の協力を得ても、結局創りだせた数は一桁。
性能は想像以上で、呪詛能力者に匹敵するどころか状況次第では圧倒できるものに仕上がった。
これらは相応の実力者――つまり、ティンダロスの猟犬でも上位メンバーに渡され、その力で過去幾度となく他勢力を圧倒した。
元上位メンバー《無音》、錫杖梵も、呪装具使いの一人だった。
(……梵様のも含め、呪装具は禁断の道具だ。猟犬の主力メンバーが解体され、梵様や林檎様が組織から追放されたのも、組織が制御しきれない彼女達を恐れたからだ)
「私と林檎をこんなちんけな街に連れてきて、閉じ込めたのは、元はといえばお前だ。結界屋――《不可解》君」
「……」
「まさかお前もティンダロスのヘタレ共のように、私が野に放たれるのを恐れて閉じ込めておこうとでも思ったのか? ん?」
「いいえ。あの時に話した通りです。お忘れですか?」
「いつまで経っても進展しないじゃんか。永遠に此処で生きるなんて、私はイヤなんだよ」
参った。と、結界屋こと不可解は頭を悩ませた。
さすがに今日の梵はいつもに増して駄々のこね具合が酷い。
これでは本当に出張りかねない。
「永遠なんてことはありません。間もなくです。この結界屋、梵様の望みを叶える為だけに生きております。梵様がこの世のすべてより強いと証明するための下準備は、もう少しで終わります」
「……払った犠牲は大きい。それでも私を満足させることができるのか?」
「勿論」
「そうかい。そうかいそうかい。そうかいそうかいそうかいそうかいそうかい!」
安心でも納得でも期待でも自棄でもなく、錫杖梵は暴れたい衝動を抑えるために単語を連呼した。
結界屋はすでに両耳から血を流すだけでなく、鼻や目尻からも血を垂らしている。首筋には血管が浮き出て、整った顔立ちの彼は苦悶の表情で堪えていた。
(……、出たか)
『――ニタァ』
梵の笑みが一つ増えた。
頬が裂け、新たな口が生まれ、ケタケタと笑い声を出す。
また一つ、また一つ、また一つ――。
彼女の首にも、手にも、スーツにまで。ルージュの引かれた錫杖梵の口が無数に生まれてゆく。
――まるで、妖怪。
結界屋は決して口に出さないが、錫杖梵のこの姿を見る度にいつもそう思う。
嫌悪感によってそう思うのではなく、むしろ彼女を羨ましく思っている。
そんな妖怪じみた姿と化した女は、結界屋の目の前までやってくると、結界寮全体へむけた通信回線陣を見下ろした。
『私ハ機嫌ガ悪イ』
無数の声がその一言を重ねた。
全身から放たれる言葉は、ただ発するだけで呪詛能力の一つに挙げられる言霊と同等の効果を生み出す。
ゆえに結界屋はどのような精神状態であれど、彼女を恐怖し、畏まり、己の存在を錫杖梵の機嫌に捧げざるを得なくなる。
この声を聞いた他の連中も同じ状態に陥っていることだろう。
統界執行員達は今の結界屋のように、耳や鼻や目尻から血を流し、戦慄していることだろう。
まさに、マンドラゴラを引き抜いてしまった時のように。
『ケタケタケタケタケタケタ』
身体に呪詛を宿さずして呪詛能力をも超える人間。
無限の口を持つティンダロスきっての猛犬。
無音――錫杖梵。
がぱ、がぱ、がぱ、がぱ、がぱがぱがぱがぱ――。
すべてが無数の白い歯を覗かせ、
舌を曝け出し、
口を大きく開けた。
『闘争命令』
『見敵必殺』『退避妨害』
『引導強制』『滅殺決定』『惨殺推奨』
『叫喚録音』『哀願撮影』『恐怖乗算』『加減不要』
『骨砕微塵』『臓器貫奪』『四肢千裂』『血湖焼却』『魂魄抹消』
さながら指揮者のごとく腕を振り、楽器のような口々がそれぞれに好き好きに次々と言葉を並べたてて怒号を振り撒くその様は、この世のものとは思えぬ光景であり、まさしく怒りに狂乱する妖怪の図そのものである。
最後に――錫杖梵の《一つ目の口》が静かに開き、彼女は指揮棒に見立てて振っていた指を最頂点に振り上げた。
『殺断、執行』