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PUNICA【I-miss-you】2

  ◆  ◆  ◆



【COCKTAIL】



 並折の隣町。

 ちょうど境となるラインには自動車道が走っており、それを辿っていくと一軒の小屋に行き着く。そこは誰も住んでいない家の物置小屋で、壊されることもなくもう何年も放置されていた。

 木造のそれはところどころ湿り腐りかけていて、中に雑草まで生えている始末。こんな季節だというのに柱には蝸牛が這っていた。

 小屋は車道沿いにあり、いつ壊されるのやらと運転手たちの目に晒され続け、しかし誰もそれ以上のことは考えない。

 その中に二人の女が居たとしても、誰も気付かないのは当然である。


「ここ?」

「そう、ここ」


 背の高い女は、身体に釣り合わない金属製の大槌を肩に乗せていた。

 重さもかなりありそうな代物なのに、なぜかアクセサリーの一つであるかのように気にもしない。

 もう一人の小柄な――女性としては身長が平均より少し低いくらいの女は、身体に合った小さめの折り畳み式ナイフを片手で弄んでいる。


「スレッジ。あんたはここから並折へ入ってちょうだい」

「ふうん」


 スレッジは小屋の壁と向き合い、大槌の柄に添えていない方の手を持ち上げた。

 壁ではなく何もない虚空に向かってノックする。

――バチッ。

 電流が走ったような音と共にスレッジの手は弾かれた。


「これが噂の結界? なんで一般ピープルは大丈夫なのに私は弾かれちゃうんだろうね」

「説明したでしょ。並折は結界屋が半球状の結界で覆ってしまったけど、そのベースとなったのは妖怪封印結界なの。遮断結界をこれだけ広域に巡らせると物理的に完全密閉されてしまう。遮断するものとしないものを区別する基準が必要なのよ。

 大昔に形成された封印結界は、封印した妖怪の情報漏洩を避け、関連するものすべてを自然消滅させるために高度な基準を設けていた」

「ああ……たしか――縁結び?」

「そう。縁という見えない糸で判別しようという高位結界術。正直、あたしも信じられないけど……術式の中に呪詛能力者との関連性も縁という形で判別するシステムが組み込まれている。こんな術式を組めるやつなんて現代には居ないんだけどね。並折の結界屋がその超技術に目を付けて利用したくらいだから相当な代物よ。

 とにかく結界屋は、なんとかその判別機能の一部を利用して、《呪詛能力者及びそれに少しでも関連性のある人物のみを物理遮断する》という高性能結界を完成させた。

 だから呪詛能力者集団、死使十三魔の下位部隊である我々はもちろん、一度でも呪詛能力者の存在を耳にしたことのあるものですら、見えない壁に阻まれて並折に入ることはできないってわけ」

「でもさ、おかしいじゃん」


 試しにスレッジはかついでいた大槌を両手で握り、おもいっきり結界に叩きつけてみたが、やはり弾かれてしまった。


「なんで(ツガイ)様がそんなこと知っていたの?」

「それは……なんでも、封印された妖怪とは親しい間柄だったらしくて……」

「あっそう。じゃあさ、なんでそれを他の序列に言わないわけ? 一位にすら明かしていないんでしょ? だって一位が結界の仕組みを知っていたら並折なんてとっくに死使十三魔が蹂躙している筈じゃん」

「知らないわよ……」

「いや待って。そもそも、番様はあんたに――グレナデンにだけ明かしたんじゃないの? 私らはあんたから聞くまで知りもしなかったし」


 じとりと冷たい視線を向けられた三百九十七番目のグレナデンは焦った。これが自分の独断行動だと知られては、元も子もない。

 スレッジが向ける疑いの目は逸れることなくグレナデンを捉え続けた。


「ねえ、これって本当に番様の命令?」

「そうよ」

「あんたがリスキーな真似はしないのはよく知ってる。まさかと思うけど……誰かに焚き付けられたりしてないよね?」

「当然よ」


 すべて嘘で返した。

 きっとスレッジが知っているグレナデンというのは前回以前のことだろう。サクナ・グレナデン自身はあまり親しいと感じないスレッジだが、妙なタイミングで鋭い女だということを今覚えた。

 焚き付けられた独断行動。

 これは、たぶんそういうことなのだから。


 グレナデンはスレッジの隣に立ち、折り畳みナイフの切っ先を見えない壁に突き立てる。

 まるで雪の中に刃を挿したようなたしかな感触。

 刃を中心に空間が捻じれ、波紋が生まれた。

 ゆっくりと刃を下に引き、縦に亀裂を作ってゆく。


「これで良し」


 亀裂が大きくなり、大人一人分の穴が出来上がったところで、グレナデンは下がった。

 隣で見ていたスレッジは目を丸くするしかない。


「他の二人も驚いてたでしょ?」

「まあ、ね。この先は並折の森林区域。他の二人も別々に人の入らない山の中から侵入するわ。あたしは後から入る。戦闘には不向きなんで基本的に隠れてるから」

「了解」

「あの二人にもしたけど、最終確認をするわよ。侵入後は――」


 スレッジは片手を挙げてグレナデンの言葉を制し、自分から話した。


「第一フェーズ――各自単独行動で三九六番を捜索、これを排除。続いて第二フェーズへ移行――結界屋の捜索、排除、結界の掌握。第三フェーズ――死使十三魔への結界掌握連絡、並折勢力拠点の爆破。

 並折の勢力は極力相手にしないが、止むを得ない状況の場合は排除。その他勢力も同じ。三九六番と結界屋の排除を最優先とし、並折制圧は後続の死使十三魔本隊に任せる」


 さらさらと述べて「どうだ」と胸を張るスレッジ。

 グレナデンは淡白な拍手で讃え、付け加えた。


「三九六番を発見したら必ず連絡すること。あと、もし全滅した場合はあたしが単独で並折に残り潜入を継続する」

「はいはい」


 スレッジは不快そうに返事した。

 首の関節を鳴らして伸びをし、視界に入った蝸牛を柱から引きはがす。

 彼女はそれをグレナデンの目の前で口に放った。

 さすがのグレナデンも吐き気を催したのかスレッジから目を背けるも、本人は平然と咀嚼し、ごりごりと殻を噛み砕く音を出している。

 彼女のように見境なく蝸牛を食べるのは危険だ。寄生虫を持っており、粘膜から感染する。下手をすると死に至るか重度の後遺症が残りかねない。触ることすら避けるべきだ。

 スレッジの口腔内が特別製だから可能な一種の芸といえる。


(……面白半分に肉体改造を施された氷製人間。カクテルズなんてこんな奴らばかりよ)


 そんな人外をうんざりするほど間近で見てきたグレナデンは、自分が能力を持たない事にこれっぽっちも負い目を感じてはいなかった。

 ひらひらと手を振り「いってらっしゃい」と心ない言葉を吐くグレナデンをひと睨みし、大槌を担ぐ女は結界の亀裂から並折の中へ侵入した。いとも容易く侵入が成功してしまったが、これができないが為に純血一族は難儀しているのだ。

 そのままスレッジは小屋の壁をぶち破り、奥に見える森へと酔っ払いのような千鳥足で行ってしまった。

 あの巨大な武器さえ持っていなければ山の中を徘徊する薬物中毒者に見えなくもないな。スレッジの後ろ姿を眺めながらグレナデンはそんなことを思う。

 まさかあんな女の口から鋭い指摘が来るとは思っていなかったのでグレナデンも驚いた。


(番様の命令なわけがないじゃん)


 結界を破って侵入する方法がわかっていたら、死使十三魔とて早々に並折を奪い取っている。つまりこの方法は死使十三魔の中だけでも序列四位の番と、その私設部隊カクテルズのグレナデンしか知らないということだ。

 グレナデンも、手に握っている折り畳みナイフ――鎖黒を貰うまでは知らなかった。




  ◆  ◆




――『おめでとうグレナデン』


 番から鎖黒をプレゼントされた夜、その男はグレナデンの私室に現れた。

 まるで《見透かしたように》、まるで《それを待っていたように》、しかし棚から牡丹餅でも落ちてきた時のように、弾んだ声色でグレナデンの前に立った。


『あの……貴方様はたしか序列八位の……』

『魔眼のアニマ。グレナデンとは一応面識があるはずだが、君と会うのは初めてのようだな』


 番以外の序列入りした人間と直接会うのは三九七番にとって初めてであり、過去に彼と接したグレナデンが何番なのかわからない。呪詛能力者には及ばない異質な人間の集まりであるカクテルズの、しかも無能たるグレナデンに、序列なんて大物が一体何の用があるのか。想像もできなかった。

 魔眼のアニマといえばそれこそ隠し事など無駄な相手。彼の言う祝福の言葉も、グレナデンが番から頂戴した折り畳みナイフのことを指しているのだろう。

 気味の悪いことだ。プライベートなど、この男の前ではなくなってしまう。


『今日は一体、どのような用件で?』

『いや、少々気になることがあってね。こんな夜分に申し訳ないが』


 申し訳ないも何も、貴方の大好きな時間帯でしょうに。

 思っても口には出さず、グレナデンはアニマを室内に招き入れた。


『番とは違って温かい部屋だな。氷製人間とはいえ、外気の温度で溶けるわけはないか』

『それで、気になることとは?』

『君のことさグレナデン。私は君のことが知りたい』


 一瞬ぞっとさせる科白だったが、グレナデンは落ち着いて彼を椅子へ促した。自分はベッドに腰掛ける。

 しかしアニマは部屋の入口に立ったまま動かず、厠のように小さくそして質素な部屋を眺めるだけだった。


『君はこんな小さな部屋に、いったいどれだけの間住んでいるのかね?』

『……番様にお仕えする前から、ずっとです』

『生まれてからずっと?』

『そうです』

『氷製人間もといカクテルズとは、一般の少年少女に改造を施し、番が氷魂なるものを植え付けてできる者達だと聞いているが。君は違うのか』

『グレナデンは違います』

『やはりそうか。いや不思議に思っていたのだよ。グレナデンというコードネームを持つ子だけは、長く耳にする上に、会う度に顔が違っているのでね。他の氷製人間は君のように複製されないようだね』

『……あたしは特別なんです。三百九十六人分の重要な経験や失敗を活かすために作られた最新の三百九十七番です』

『ほう、それはそれは。さぞ優秀な氷製人間なのだろう。しかしそれだけの記憶をすべて残しておくのは難しくないかね?』

『仰る通りです。実のところ、古い記憶はほとんど消去されます。なぜなら――』

『――君たちは一つの任務しか利用価値がないから』


 言葉を濁そうとしたグレナデンの声に、アニマはわざと大きめな声を被せた。

 ぎょっ、としたグレナデンはおもわず彼の顔を見上げ、そしてまたぎょっとした。

 糸が縫い付けられて閉ざされた瞼。無理に開かれたその奥は眼球を失っているのか空洞らしき暗黒が広がっている。

 暗黒の眼を見つめているうちにグレナデンは吸い込まれそうになっていると気付き、頭を振った。

 序列八位。

 やっぱり怖い。

 彼女は奥歯を震わせる。

 どうして彼は心を穿ってくるのか。なにもかも見通しているように喋るのか。

 誰もが、そしてグレナデンも、それがアニマの能力であり魔眼の効果なのだと思っていた。


『当たりだな? 君たちグレナデンは、ある何らかの目的の為だけに番が生み出した氷製人間だということで相違ないかね?』

『わ、わかりません』

『怖がらなくていい。番はその任務について、君にずっと話していなかったのかね』

『あたしは……番様の侍女ですから』

『ならば疑問だったろう? たかだか番の世話をするためだけに作られたのなら、なぜ君に全く関係のない記憶が残っているのか? と』

『は、はい。その通りです』

『そしてやはり関係があった。君は賢い子だ。番もさっさと教えてやれば良かったものを。優秀な侍女がこんなにも悩んでいたではないか』

『そんな……』

『心配するな私は番に嫌われ気味だからな、告げ口なんてせんよ。だが君はこんな私に、少しでも心を開いてくれた。とても嬉しいよグレナデン。こんな私に、君が抱いていた悩みを明かしてくれたのだ』

『実は、とても悩んだのは少し前です』

『ほう?』

『あたしの中にある記憶。関係のないものだと思っていた記憶が、とても激しく反応した時があったんです』

『それはなんだい?』

『日本国、並折という街に伝わる、《カオナシ伝承》を番様が聞かせてくれた時です』


――ギシイィィィィ。

 俯くグレナデンの上で、アニマの顔が歪んだ。

 顔半分が三日月形の口に浸食されたと思うくらいに。

 この小娘は落ちた。

 その証拠に、自分から進んで話を続けている。


『あの話を番様がしてくださった時、あたしの中にあった意味不明な記憶達がすべて輝きだしたのです。残る記憶には個人差があると言われていますが、あたしは二つ前の三百九十五番の死んだときの記憶が鮮明に残っていました』

『つまり君に残っていたのは並折の記憶なのだと、その時にわかったのか。そして自分は並折ですべきことがあると自覚したのだね』

『その通りです。でもその後、ちゃんと番様は任務内容を話してくださいました』

『良かったじゃないか』

『はい! そうだ、今日番様から頂いたこの――』


 グレナデンは興奮しながらポケットからひとつの折り畳みナイフを取り出す。


『この《鎖黒》の使い方も教えてもらったんです! これが並折に関係するものだということは、以前から知っていました』

『ほう、してその使い方とは?』

『それは……言えません。番様から口外するなと申しつけられています』


 そこでアニマが心を読む者と思い込んでいるグレナデンは慌てて彼を見上げ、怯えた表情をする。

 アニマはにこりと優しく笑い、それを維持した。


『大丈夫。君の心も覗かない。ふむ……グレナデン、任務内容を聞き、その鎖黒も貰った君は、いつでも任務を遂行できる状態になっているわけだな』

『はい!』

『では、何故まだ侍女をしている?』


 笑顔を維持したままそう言ったアニマ。

 対照的に、グレナデンの表情は急激に曇りを見せた。


『それは……番様のお世話をする者が……』

『君の出番が回って来ていないからだろう?』


 ズバリ穿った。

 グレナデンが最も気にしている部分を、アニマはこの短時間で見抜き正確に射抜いた。


『あたしの……出番』

『そう出番。今すぐにでも出られる優秀な君が、こんな小さな部屋でまだくすぶっているのは何故だろうか。君は三百九十五番の記憶が鮮明に残っていると言ったね。それはつまり、三百九十六番がまだ健在だということだと私は思うが、どうかね? 三百九十七番』


 ぎり、と歯を食い縛る音がアニマの耳にも届いた。


『その……通り……です……』


 憎悪。

 それもわかりやすいほどに強烈な。


『三百……九十六番が……まだ任務中なので……』

『なるほど。なるほどなるほど』


 アニマはまだ笑顔を維持し、膝をかがめてグレナデンと顔の高さを同じくした。

 縫い糸の目立つ異常な顔ではあるが、それでも表情の優しさはグレナデンに伝わったようで。

 彼女は目に涙まで浮かべた。


『気が気ではないだろう』

『……はい』

『もし三百九十六番が、任務を成功させてしまったら――』

『あたしは……用無しです……』

『だろうな。最新であり最も優秀な君は、何もできないまま廃棄されるだろう』

『そんなの……嫌ぁ……』


 ほとんど泣き声になったグレナデンの頭を昏黒の手が撫でる。

 悪魔のように優しく、優しく。


『三百九十六番も優秀なのかね?』


 少女はこくりと頷いた。


『あいつとあたしは、原点回帰をコンセプトにされた』

『原点回帰?』

『今まではわざと顔を変更して作っていたけど、三百九十六番とあたしは、零番に近い外見で作られているんです』

『どうりで君を見た時に、どこかで見た顔だと思ったわけだ』

『あたし達グレナデンは、その人物から派生していったのです』

『……コピー人間』

『劣化コピー人間です。でもあいつとあたしは劣化の中でも優秀なのは事実。それに並折を舞台とした任務に於いてはオリジナルよりも経験豊富で確実性がある筈』

『ふむ』

『そして三百九十六番と三百九十七番は、ほぼ同時に作られたんです』

『君は……』

『予備です』


 予備ぃ。アニマは誰にも聞き取れぬ声でその単語を復唱した。

 三百九十五番までは失敗前提で作り続けていた氷製人間。それが、ここに来て予備を用意した。

 それは三百九十六回目にしてようやくグレナデンという遂行者がこれ以上ない傑作に仕上がったという意味であり、それを投入するからにはもはや失敗は許されないという意味だ。

 番は想像以上に必死だとアニマは悟った。


『君は今、存在意義を失いかねない状況に立たされている』

『あたしはどうすれば……!』

『簡単じゃないか。これは存在競争だよグレナデン。とても簡単だ。君が、三百九十六番を踏み潰し、任務を達成すればよい』

『踏み潰す……』

『そうだ。任務遂行中の三百九十六番を抹殺するのだよ。そして君がそのまま任務を引き継いでしまえば、君の手柄だ。そして君は晴れて唯一無二のグレナデンとなる』

『……それは、考えました。考えたんです! あたしがあいつを殺してやればいいと! でも……やりたくてもそれはできない。あたしは独断行動で番様の待機命令に背くことなんてできない!』


 だからグレナデンは三百九十六番が羨ましく、そして憎かった。

 三百九十七番は補欠。予備。

 三百九十六番が侍女としてずっと番の傍に仕えている間、彼女はずっとこの部屋で軟禁されていた。あいつよりも孤独で、あいつよりも苦しんだ。

 あいつは勝手に柘榴などという、番を真似た名前を自分に付けた。番号で呼ばれることを嫌い、図々しくも、そして羨ましくも番にそう呼んでもらい続けた。

 あいつは母なる雪女の寵愛を受け続けていたというのに。

 それを――独断行動で投げ出し、任務内容も鎖黒についても知らされていないうちに、番から鎖黒を盗んで飛び出した。カオナシ伝承を聞き、己の記憶に対する好奇心に負けたのだ。

 それからようやく三百九十七番に陽が当たった。

 侍女という立場を与えられ、役目を与えられ、生きる実感を得る事ができた。

 なのに……その矢先……今度は、存在意義というグレナデンの本質に於いて、またあの三百九十六番が立ちはだかった。

 許せない。

 彼女は激しい怒りと憎悪に包まれた。

 主を蔑ろにしたあいつが、存在を勝ち取り、主に讃えられるなんて。

 主に従い続ける自分が、存在を否定され、主に捨てられるなんて。

 殺してやりたかった。

 でもあいつを殺すには、あいつと同じように己の役目を投げ出さなければならない。

 それだけは、どうしてもできなかった。


 つまり三百九十七番を縛り付けているのは、その忠誠心。


 アニマは大いに喜んだ。

 僥倖とばかりに舌なめずりをし、少女の頭を強めに叩く。


『グレナデン。魔氷の番が好きかね?』

『愛しています』

『そうか。それは良かった』

『……?』


 グレナデンは首を傾げて男を見上げた。

 彼はぞっとするようにニタリと嗤い、黒塗りの爪を少女の首筋に突きつける。


『君の主――序列四位、魔氷の番。永遠を生きる彼女は、その永遠を序列一位に捧げるために死使十三魔に居る。ならば彼女が恐れるものは死以外に何があるかわかるかね?』

『……一位に嫌われることですか?』

『然り。そして死使十三魔を追放されることだ』


 そんな未来は考えたこともなかったのだろう。グレナデンは自信をもって頭を振った。


『有り得ないです。番様は死使十三魔に尽してきました』

『そうだな。彼女はいい働きをしてくれる。だが君も知っての通り私はこれまでも魔眼術師として番が眠る間、彼女の安全を管理し、仕事も多く代行していた』

『……?』

『私が好意でそんな役割を引き受けていたと思うかね?』

『――っ! ま、まさか……』

『彼女が眠っている間、じつに色々なことがあったな。最近の死使十三魔で話題になっているのは、元序列十位と元十一位の件か。番が目覚める直前の出来事だったか。いやはや、あれは残念だった。

 結界的に再起不能となって脱退した序列十位はまだしも……死亡した序列十一位は問題だ。そもそもあれは十位が単独で行う任務だったというのに、なぜそこに十一位が居たのか。たしかに仲が良かったが、仕事は別だ。事実十位は十一位にいちいち仕事内容を教えたりせん。そう、十一位は余計な人員だった上に、何者かが十位の任務内容をリークしたとして、死使十三魔内は捜査を進めている』

『その何者かが十一位に十位の任務内容を密告しなければ、十一位は援護に向かうこともなく死は免れたと。それが番様に関係――はっ!』


 アニマの口は裂けに裂け、背後に蠢く黒々とした邪念はグレナデンの目にも映るほどだった。

 今にも飲み込みそうなそれは部屋を埋め尽くし、気付けばグレナデンを包囲してしまっていた。


『それが序列四位、つまり番の仕業だと、仕組んである』

『な……なんてことを……』

『死使十三魔、元序列十一位。《魔斧の雪白》を死へ追いやったのは、君の主ということになるんだよ。私の指先一つでな』


 眠っているのをいいことに、アニマは番を陥れる準備を施していた。

 おそらくは今話した一件だけではないだろう。

 番への依頼や任務を代行していた彼だからこそ可能だった濡れ衣の策略。


『今までは死使十三魔に尽し、至高の魔氷として地位を維持していた番。しかし突然、彼女がしでかした悪行の数々が明らかになってしまう。中には死使十三魔を危機に晒した事件も含まれている』

『貴方という人は……!』

『私は簡単に君の主を、死使十三魔から追放する事ができるんだよ。追放に到らなかったとしても序列の格下げは必至。一位からの信頼も地に落ちるだろうな』


 もちろん、今の死使十三魔をこれ以上掻き回したところで面白みがないのでアニマにそれを実行する気はなかったが。それに番の名義とはいえわざと振り撒いた悪行はアニマ自身がやったこと。詮索されればボロが出ないとは言い難い。

 それでもこの場に於いてグレナデンという矮小な存在を動かすには十分な効果を発揮した。


『では以上を踏まえて、君に脅迫しようグレナデン』

『……っ?』

『私の口を封じたままにしておきたくば、並折へ赴いて三百九十六番を殺害してこい』

『き、脅迫……』

『そうだこれは脅迫だ。君は主への忠誠心に則り、主の地位を守るために動くのだ。すべては魔眼のアニマが悪い。まだ納得いかないのなら、この場で君を殺害するという内容も加えよう』




  ◆  ◆




 スレッジの通った結界の裂け目を眺めながら、グレナデンは鎖黒を強く握りしめた。

 あの不気味な魔眼使いは、一体なにが目的なのだろうか。

 結局、グレナデンは彼の脅迫という名の後押しによって自分を納得させることができ、こうして並折の隣までやってきた。

 三百九十七人分の目的をすべてを終わらせ、愛する主のもとへ帰った時こそ、あの序列八位のことを主に伝えよう。あれはきっと、危険な存在だ。グレナデンは一度の邂逅で身をもって知った。


 カクテルズの戦闘員を三人も連れてきたのは念の為である。

 基本的には隠れて移動するグレナデンだが、それが通用しないから三百九十五回も失敗しているのだと彼女は思っている。もちろんそれだけ試みているなら彼女と同じ考えを持ったグレナデンも多く居ただろう。同じように戦闘要員を引き連れていった者でも過去に失敗しているだろう。

 当然だと三百九十七番は思った。

 彼女はあの小さな部屋で、毎日膨大な時間を反省に充てることができた。

 あらゆる手を尽くして何故失敗が続くのだろう?

 強い人材を連れて行っても失敗するのは何故だろう?

 答えはとても簡単だったのだが、それを見出すのはとても苦労した。

 グレナデンは、無能力者(ナッシング)

 生まれた時からそれを自覚させられ、自分が全人類で最も脆弱だと思い込むほど洗脳される。

 ようするに――。


「失敗した三百九十五人は全員、他人任せだったということ。他人依存の激しい性格だったということ」


 呟いたグレナデンは結界に背を向け、小屋の入り口に向かう。

 そこには一つのジェラルミンケースが置かれていた。

 小屋に到着した時にはすでに置いてあった。

 彼女はかがんでケースを開ける。

 中に入っていたのは――一丁の拳銃と弾薬だった。


 二十口径小型自動拳銃、シグ・ザウエルP232。

 反動が比較的少なく女性でもそれなりに取り回しやすい護身用の拳銃だ。

 使用弾薬は380ACP弾。装弾数は八発。

 これはアニマがグレナデンの為に用意したものだが、欲したのはグレナデンの方だった。

 彼女は武器を調達できるような知人などいない。しかし自分の身を守る武器が無ければ今まで同様、自分も失敗に終わる。そう考えた彼女は、能力を持たずしてそれなりの護身を可能とする手段を求めたのだ。

 銃。

 べつに彼女達の社会では珍しいものではないが、あまりにも当たり前で、銃火器より遥かに脅威である呪詛能力が重視される今だからこそ、玩具同然に思われるこれがカギだとグレナデンは思った。

 主武装として掲げてはいけない。銃に頼りきりでは並折で生き残ることはまず不可能。

 護身用に携帯し、ここぞという場面で使うからこそ、意味がある代物なのだ。


「銃撃対策は、裏社会ではもう基本中の基本になってしまった。今じゃ目視して避ける奴までいる。でも油断と隙を突けば、これだって致死武器になり得るのよ」


 五百グラム弱の重みを感じながら、グレナデンは銃をジャケットの内側に忍ばせた。

 最後の最後、追い詰められた時に頼れるのは自分だけ。

 無能だからと他者に依存し、無防備だった今までのグレナデンとは違う。

 少々好戦的な方が、自分にはちょうどいい。

 恐れず冷静に。

 素早く正確に。


 三九六番だから柘榴という名を付けたと知ったアニマは、三九七番にも《サクナ》という愛称を与えた。

 サクナ・グレナデン。

 柘榴とは違い、自分のすべきことや信じるものがはっきりと定まっている。記憶に揺さぶられもしない。無駄な時間など必要としない。

 無能力者でありながら強くあろうとする彼女は、間違いなく最優秀。


「ザクロとサクナ。生存競争の、始まりよ」


 ペロ、と唇を舐めたサクナは臆することなく結界の亀裂を通り抜けた。


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