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PUNICA【六月の果実】1

【六月の果実】



 乗り換えた始発電車はまだ人が少なかった。

 窓の外を眺めると、少し寂しさを覚えるような古びた建物が、錆びた色を帯びて流れている。この寂寥感は――私個人の感覚に因るものだと……思う。

 私は活気のある場所が好きだ。この時間で活気を求めるべきではないのはわかっている。しかし私の視界内を流れるその場所は、きっと、どの時間も、このままなのだろうなと思う。狭い車道を挟むのは雑草の生い茂る歩道や、何年も前に潰れてしまったガソリンスタンド、看板の剥がれたビル。私はこんな場所を歩きたくは無い。たとえ古くとも、人の気配が欲しい。この電車に乗り換えた駅が活気溢れる場所だっただけに、この景色は一層私を寂しく思わせる。

 まあ、この電車という箱に包まれている以上、それは他人事のような感想である。あの場所はこの先何年もあのままだろう。でも、私には――関係ない。


 窓から目を逸らし、腰を更に前へずらす。我ながら、なんともだらしない姿勢だ。


 それにしても――煩い夜行列車だった。どうやら私が乗ったのはモーターを積んだ車両であるらしく、夜行列車だというのに一向に眠れなかった。更には車両一番前の座席で、トイレへと立つ乗客が何度も往復しやがる。

 車両の扉を開けたり閉めたり開けたり閉めたりドッタンバッタンドッタンバッタン! もっと静かに動かせや夜行って事は寝たい人も居るんだぞ、いやむしろ睡眠中の乗客が多数居る事が当然だろう、自然だろう、大前提、常識、想定の範囲内ですよ。それをどいつもこいつも無遠慮にドッタンバッタンドッタンバッタン。

 百回死んで九十九回だけ生き返ってろ――と、今更愚痴をこぼしたって意味は無い。あの指定席券を買った私の運が悪かったのだ。

 とにかく窮屈な座席に縛り付けられて一睡もできないまま関東から六時間。六時間! よく耐えたものだ。

 そして苦痛の夜行列車を降りて乗り換えた電車は、素晴らしい乗り心地だった。余裕のある空間というのは大切だと改めて思った。

 二人掛けの座席。背もたれは大きく稼働し、二人ずつ向かい合わせる事もできる。乗客は少なかったので私は贅沢にも四人分のスペースを独り占めにし、はしたなくも足を大きく伸ばしていた。


 これが、つい二十分前までの貴重なリラックスタイム。

 そんな時間をぶち壊し、私の気分が滅入ってしまう原因となったのは、目の前で声高に得意げに満足げに舌を回す――この女だ。


「便利なのは結構。だが勘違いするなよ、この電車も、車も、貴様達弱肉が普段から至極当然のように使用しているありとあらゆる物は、それを最初に作り出した能有る者のおかげであるという事だ。在って当然と思うなよ。人間はな、その自覚すら無いカスが増えすぎた。有能が作った環境で、無能が生かして貰っている。だから人間は増えすぎた! 臆病な、自然界の害が、群れて群れて有能に隠れて生きている! 老衰だあ? 老衰を許されるのは有能のみ! そう思うだろう弱肉?」

「うるさいから黙れ」


 彼女の紹介も、端を折ってしまえばこの一言に尽きる。

 うるさいから永劫黙っていて欲しい女、だ。

 出会って二十分で、私にここまで嫌悪される存在ということだ。


 始発に乗ったとはいえ、しばらく駅を経由すれば乗客も増えてくる。まだまだ満席とはいかないが、端であるこの一号車両も通勤、通学とみられる利用者が乗っていた。私も席を独占することなく姿勢を整えた。隣には若いサラリーマンらしき男性も座った。

 そこへ――二号車両の方から移ってきた女が、こいつだった。

 女は長い黒髪を揺らし、軽快なステップで歩いて来たと思いきや車両の中間で立ち止まり、周囲を見回す。その眼は獲物を求めるように研ぎ澄まされていた。ただ席を探すだけだというのに。

 そうして不幸にも――私の正面に座ったのだ。

 向かい合わせにしていたのが失敗だった。いつも私は、後悔と共に生きている。後悔先に立たず。当然だ、向かい合わせの座席を直さなかったから後々面倒な事になるなんて、誰が予想できる。

 正面に座った女が、直後首の関節を鳴らしながら、車両中に聞こえるような大きさで「弱肉だらけで涎が出るね! 餌は餌らしく隠れてやがれ!」と叫ぶなんて、誰が予想できる。


 隣に座ったサラリーマンも萎縮してしまい、顔を伏せている。朝から気分を害する乗客に鉢合ってしまい、さぞ不愉快だろう。

 私は、彼の膝の上に堂々と組んだ片足を乗せる女を舐めるように睨んだ。編上げのブーツの底が彼の太ももに食い込んでいる。嫉妬してしまいそうな脚線美を際立たせるカプリパンツ。ゴムのような質感をした黒いタンクトップの上に、ジャケットを羽織っている。そのボディラインを前にして目のやり場に困っているのも、彼が顔を伏せている理由だろう。そもそもこの女、二人分の座席を当然のように陣取っていやがる。

「おはよう弱肉系男子」

 濃厚且つ醜悪な汚泥を爽やかさと美貌で包み込んだような笑顔。新商品『悪女まん』と名付けよう。その笑顔で女はサラリーマンにウインクした。

 彼の膝に乗せたブーツが、撫でるようにもう片方の膝へ移動する。若いサラリーマンは困ったように下を向いたまま会釈するだけだ。


 そんな時――彼の携帯電話が鳴った。


 私は持っていないが、電車の中では電源を切っておくのが常識だ。彼は慌てて携帯電話を取り出し、電源を切ろうとした――のだが。液晶画面を見た彼の顔が青くなる。

 どうやら、電話を掛けてきた相手が、まずかったらしい。

 サラリーマンは私と女に「す、すみません!」と小声で謝りながら、肩をすくめて携帯電話を耳に当てた。

 そんな様子を女は特に興味もなさそうに眺めている――と思いきや、何かしでかすつもりなのか腰を上げやがった。


「はい、もしもし」

「ゆうーだあーくうーん!」

 私にも伝わるほどの大音量が端末の向こうから聞こえた。


「なに、君、今どこに居るのー?」

「えと……電車の中です。企画の関係で遅れてしまいましたが」

「ああ、ドミノ倒しのやつ?」

「はい。言われた通り企画の修正もしました」

「うんうん。あっ、じゃあ娘も一緒?」

「そ、それが、その……先程まで僕の傍に居たのですが、駅で……は、はぐれてしまって」

「はああああ?」

「えっと、はぐれたというかちょっとした喧嘩を。ちゃんと同じ電車に乗っていますので」

「あ、そう。ああ驚いた」


 そういえばこのサラリーマンは機材のような荷物を足元に置いている。どこかへ取材に行く途中なのだろうか。

 と思っている間に、肉食系女は身を乗り出し、電話中の彼に顔を近づけていた。ただの変質者だ。サラリーマンも仕事の話中だろうから女には何の興味も示さず、ただ鬱陶しがって喋りながら席を立つ。

「はい、はい。大丈夫です。到着したらまた連絡入れますけど――え? はい、並折です」


 直後――私は身体を硬直させていた。楽しそうに男へちょっかいをかけていた女も、表情を強張らせてぴたりと身を凍らせている。

 しかしサラリーマンはそんな私達を気にするわけでもなく、二号車の方へ行ってしまった。追うべきか? 追うべきかもしれない。

 並折という街へ向かおうというのなら、彼は止めるべきだ。


「やめときな、弱肉娘」


 制したのは目の前の女。彼女はサラリーマンの座っていた場所――つまり私の隣に上げた腰を下ろした。

 この女もだ。並折と聞いて反応した。

「あの男は本当に弱肉だ。喰われて終わりね」

 そう言いながら二本の指で挟んだ紙を一枚、私に見せてきた。


――『湯田 直哉』


 サラリーマンの持っていた名刺だ。手癖の悪い女め。会社もどこかの映像スタジオなのだろう、名刺のデザインが凝っている。

 彼はきっと、命を落とす。並折という街は一般人が興味本位で立ち入って良い場所じゃない。きっと、

「ふん。表側の都市を取材するつもりが、手違いで並折を知ってしまった。ってところかね」

 女は私と同じ考えを口にしていた。


 並折は知られざる街だ。この国の地図を隅から隅まで探したとしても、見つける事は出来ない。並折は裏の都市。表の、地図に載っている都市と重なった場所。だから並折という呼び方はされても住所は別の土地名が用いられる。隠語のようなものだろうか。

 故に並折の住人は、普通ではない。普通ではない世界に生きる者であり、並折は普通ではない場所だ。


「貴様もこっち側だったのね、弱肉」

「……貴様とか弱肉とか、随分と見下すわね」

「当然さ! 私様よりも劣った奴らを私様が見下すのは自然じゃないか! それなのに貴様のようにああだこうだと文句を垂れるから人間は自然にとって害なんだよ。お、わ、か、り?」

「そう思うのは貴女の勝手。あたしにも天宮柘榴(あまみやざくろ)という名前がある。口に出すなら弱肉とかじゃなく名前で呼んで頂戴」

 ふうん、と。彼女は片目を閉じて私を観察する。

 それから――片手を差し出してきた。

「私様の名前は、守野三桜(もりのみおう)。いやあ私様も実は並折を訪れるのは初めてでね。もっと言えば、日本へ帰ってきたのも久しぶりなんだ。弱肉……じゃなくて柘榴、貴様も訳ありで並折へ向かっているんだろう? 訳が無ければ行ってはいけないからね、あそこは」

「詮索は嫌いだ」

「おっとそうかい、お互い気が合いそうだね。弱……じゃくろ」

「略すな」

 差し出された手を私は甲で弾き、さっきから私の足を踏みつけているブーツを蹴った。


 守野三桜。並折へ向かうには――一人より二人が安全だろう。好きにはなれないが。まあ構わない、どうせ並折へ向かう者なんて、後ろ暗い連中ばかりだ。三桜にも何か理由があるに違いないけれど、それは私も同じ。馴れ合って我が身が守れるのなら、いくらでも馴れ合うさ。

 聞けば、三桜も関東からやって来たのだと言う。だが彼女は私と違い、あの窮屈で退屈で拷問じみた苦痛を味わうことなく、新幹線に乗り、一時間でこの中部圏へ来たそうだ。実に羨ましい。


 そして――少し引っかかったのは、彼女の苗字だ。

 守野……。

 なにもそう珍しい苗字ではない。けれど、気にならざるを得ない事情が、この国には存在する。



 純血一族――そう呼ばれる日本の裏組織。


 裏組織は世界中に大なり小なり存在するが、その世界中が危険だと口を揃え、世界中が関わりを避けたがる。それが純血一族だ。

 この組織は、全部で十三の家系から成っており、その全容を知る者は少ない。私のような者が知っているのはせいぜい二、三家系。だからこそ、その知っている家系の中に守野家という単語が含まれているからこそ、気になった。

 連中の何がそれ程に危険なのか。それは、その名の通り、純血だからである。とはいえ当然、ただの純血ではない。連中は、遥か昔から自分の血を呪わせているのだ。呪われているのではない。呪わせている。そして呪詛は人では到底持ち得ない力を、与えるのだ。血が濃ければ濃い程に、呪詛は見返りを与えてくれる。故に――純血一族十三家系は、身内で種を増やし続けているのだという。

 摩訶不思議な話だが、連中の超常たる力の前に消滅した機関は数知れないのも事実。

 呪詛――というものを操る術を手に入れ、試行錯誤の末に『人を超えし人』を生み出すに至ったという狂気。そしてそんな事を考え付いた家系が、十三もあったという恐怖。挙句、現代に於いて……その十三家系が統一され、一つの殺人集団として猛威を振るっているという惨劇。

 純血一族が、世界危険勢力の一角と目されているのも当然だ。



 そう。私が気になり、同時に表に出さずとも恐怖すら抱いているのは、今、肩が触れんばかりの至近距離で、欠伸なんかをしているその女が――純血一族守野家の人間なのではないかという件なのだ。

 考え始めると一層勢いが増してしまう。三桜の言動――他人を見下し、まるで己が人を超えているとでも言うような態度。振る舞い。言うようなではない……彼女は他者を弱肉と言い捨てている。この電車内でも、わざわざ人の少ない一号車を選び、移動し、気を張って座席を探し、人を寄せ付けない言動を吐き散らしたのは、純血一族特有の殺人衝動に因るのではないか? 殺人衝動を抑えるために、わざと人を寄せ付けないようにしているのだとしたら。


 とどめは守野三桜が、純血一族でもなかなか正確な所在を掴めない魔都――並折へ向かっているという事実。魔都を知るのは裏で生きる者。純血一族でない者が、純血一族と同じ名字で生きていられるわけがない。


 私は心の中で深い溜息を吐いた。

 確定だ。辻褄が合い過ぎる。


 守野三桜は、純血一族の人間だ。



「そろそろ着くんじゃない?」

 三桜の声で我に返り、車内の電光掲示板へ目を送った。確かに、名前は違うが並折の駅は次だった。いつの間にか幾つもの駅を経由していたらしい。

「あれ? でも三桜、さっきの駅を出てから車内アナウンスって流れた?」

 問い掛けると三桜は視線を斜め上に向けて首を傾げる。

「そういえば……聞いてないかも。忘れてんじゃないの」

「うーん」


 どうにも落ち着かない私は席を立ち、隣に座る三桜の頭越しに車両内を見回してみた。

最前の一号車両。運転士の後ろ姿を眺める。特に変わった様子はない。外の景色も、変わりなく流れている。

 今度は反対側――二号車両へと繋がる扉の方へ顔を向けた。窓越しに見える二号車も、乗客の様子に変わりはない。

 そわそわしすぎかな。やっぱり気のせい――「ん?」


「どうした柘榴?」

 三桜の声を無視して目を細める。

 二号車の乗客が突然、一斉に頭を上げた。

 ほぼ全員が、私に後頭部を向けている。

 と、次の瞬間――三号車両とを繋ぐ扉が乱暴に開かれた。

 男性か? 学生服姿の少年が何か大声で叫んでいる。

 彼は二号車の乗客には目もくれず、今度はこちらへ駆けてくる。目を細めて見ていた私でも、彼の表情がだんだんとわかってきた。

 泣いている。汗だくだ。恐怖を顔に張り付けている。

 ついに学生は一号車両へと飛び込んでくる。その荒々しい扉の開け方に、やはり一号車の乗客も一斉にそちらを振り返った。彼は息も絶え絶えに何かを伝えようとしている。


「一番後ろ……車両……」


 彼は、運転士を含む一号車両全員に聞こえるよう、大声で叫んだ。



「最後尾の乗客がみんな死んでる!」

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