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PUNICA【あったかい雨の降る夜】7


 羽田立荘の濡れた庭。

 瑞々しく水滴を湛えた芝生の上に座り込む。

 いつになったら止んでくれるのか。前髪からぽつぽつ滴るしずくに問い掛けてみる。

 問うまでもなく答えは全身に返ってきていた。

 今日はよくずぶ濡れになる日だ。水を吸った浴衣がぺったりと身体を締め付けてくる。

 少し前までの、あの凄まじい音が嘘であったみたいに、庭は静かなものだった……。

 周囲にたちこめる異臭が鼻をつく。

 未だ雨に流されることなき臭い。

 でも嫌悪なんてしない。

 顔をしかめたりなんてしない。


「人形は、なかなか死ねないから困る……」


 頭だけになってしまった大男が、私の右腕の中に抱かれたまま、呟いた。

 私を助けに来てくれて、式神などという化け物を相手に単身挑んだ化け物。

 弱い私は、敬意を表して、彼らのことを化け物と呼びたい。


 統界執行員カザラ。

 私が彼に抱いた第一印象はあまりよくなかった。

 何故ならば、その姿を受け入れたくなかったからだ。

 日常を送るにふさわしくない頭部装甲と、どれだけの血を染みこませたのかわからないコートと前垂れ。

 純血一族の守野三桜や、結界寮の梵や林檎や明朗だって、日常と同化しても違和感のない居姿をしている。これは私のエゴであり並折に於いては場違いな思考でもあるが、それでも私は、忍装束姿の響を含むそういった異常を体現した姿に怯えてしまうから、嫌いだった。

 響よりも禍々しい格好をしたカザラが、普段着の明朗と共に立つ光景を見て、ひどく悲しかったのだ。

 明朗の書置きを見た直後、裏の勝手口から飛び出した私を保護し、彼がすぐに助けてくれた。

 それなのにそう思ってしまったのは、本当に申し訳ないと思っている。


「カザラ……さん」

 私が呟き掛けると彼は「おや俺の名前を憶えてくれたのか」と、嬉しそうに赤い光源を点滅させた。

 庭じゅうに散らばった彼の身体達は、注ぎ込まれた毒の影響で異臭と共に腐敗している。


「傀儡屋の作品として、罪を償い続けてきたが、ようやく解放されるな」

「傀儡屋って、聖歌のこと?」

 問いには点滅で返し、肯定の意を示してきた。

「事情は知っている。この宿で共に過ごしていたそうだな、天宮柘榴」


 頷いて応える私が、傀儡屋としての聖歌に対して悲愴な面持ちをしていたからだろう。カザラは「矢神聖歌は人形だ。自分も人であると信じ込んだ、な」そう言った。

 聖歌はやっぱり人形だった。

 正直信じられない。聖歌が人形である証拠を目にしていないから、信じるかどうかは私の自由だ。

 聖歌は私にとって姉のように思って過ごしてきた。傀儡屋だと聞かされても、それが変わることはない。三桜とは違って、私は彼女が結界寮の人間だったとしても然したる影響はないもの。

 たとえ人形だとしても……私は聖歌と同じように接すると思う。

 けれどいくら私がそう思っていても、きっと聖歌はもう――帰ってこない。そんな気がした。

 私。三桜。聖歌。

 羽田立荘は三人で使っていた場所だ。私だけが、気にしないよと言ったところで意味なんてない。三桜は二度と聖歌と相容れないだろう。

 聖歌が三桜を純血一族だと知っていたのかはわからない。響は知っていると予想していたし、傀儡屋が純血一族の能力者を材料として欲していたのも事実なのだから、知っていたのかもしれない。


 ……間違っているのは私だ。


 誰もが――あの三桜でさえ警戒して過ごすこの並折で、私は……普通の生活に重きを置いている。この時点で間違っているのだ。こんな考えを三桜が聞けば青筋を立てて怒りを示すだろう。

 割り切れない。

 甘ったれ。

 私だけが場違いの馬鹿女。

『傀儡屋が交戦中』たしかカザラがそう言っていた。

 胸が締め付けられる思いだ。

 聖歌と三桜は戦っているのだ。

 結界寮と純血一族として。私なんかと違って割り切っているのだ。

 間違っていても、こんなの……いやだ。

 生きたい。情も保ちたい。

『ならば並折になんか来るな』三桜にそう言われちゃいそうだ。

 なんとか頑張って、三桜に迷惑にならないように、この意志を曲げずに、この場所で生きたい。できなきゃ死ぬ。当然だよね。

 私は右腕に抱く頭を見つめた。

 こんな大男が、こんな姿になってしまう場所なのだから。


「聖歌がカザラを作ったのね……」

「二百八十五体目の作品だ」

「そんなにたくさん……全部、死体や生きた人間を材料に使ったのよね……」

「彼女は、そうだな……悪い人だ。そして悪いことを悪いと思えなくなってしまった可哀想な人形でもある」

「貴方は――」

「俺も悪人さ。傀儡として蘇生させられると、生前の記憶が混沌とねじ曲がってしまう。だから俺は覚えていないが――悪行を働いて処刑された死体なのさ」

「統界執行員は、みんなそうなの?」

 そうなの? というのは、みんなが悪人なのかという意味だ。

 この問いに、点滅は返ってこなかった。

 彼は今わの際であっても、聖歌のことを話し続けた。


「彼女――いや、矢神聖歌は、彼女達と呼んだ方がいいな」

 もはや独り言なのだろう。赤い光源はその光を弱めている。

 私を認識できていない。

「聖子と智歌。二人で……聖歌。人形が好きだった妹。妹が好きだった姉。人形と一つになってしまった妹。妹と一つになってしまった姉」

 機械音に近い声になってきた。私にはあまり聞き取れない発声だ。

「そして――己の家族を皆殺しにした傀儡屋に、憎悪の念を抱く母親の身体も少し混じっている」


 カザラの頭部にも毒が染みこんでいた。

 頭部装甲の内側から、中身が腐る異臭が昇ってきている。


「全部混ぜ込んで――矢神――聖歌――」


 光源の赤が消えた。

 声を掛けても、カザラは応えない。

 彼は彼なりに罪を償うという目的を持って人形であり続けた。それはきっと彼自身で見出したことだ。

 ならば聖歌は……傀儡屋は……人形を何の為に作っていたのか。

 蘇生させられた人形の、その後を考えていたのか。復活させられてしまった人格は、記憶が混濁して生前のような生き方すらできないんだぞ。

 悪いことを悪いと思えなくなってしまった可哀想な人形……矢神聖歌。カザラは辛かった筈だ。他の人形だって。

 聖歌……これじゃあ本当に悪人だよ。最低よ……貴女。



  ◇



 カザラが動かなくなったその直後。

 私の左腕で抱えていた、もう一人の身体が揺れた。

 真っ白な忍装束。

 赤に濡れた忍装束。

 織神楽響が目を覚ましたのだ。


「む……ぐ……」

「動かない方がいいです。助かりたいのなら」


 カザラと響。この二人は、私が危惧していた通り、戦力差がありすぎた。

 片手しか使えない響に、カザラは手も足も出なかったのだ。

 しかし――、


「自爆とは、やってくれる」


 カザラは捨て身の攻撃で、響に重いダメージを与えたのだ。

 響は驚いただろう。まさか自分がこんなに手痛い傷を負うなんて思ってもみなかった筈だ。

 戦う間、響はカザラを罵倒し続けた。

 跳躍力に劣り、反射速度に劣り、成すすべもなく全身に毒爪を刺されまくったカザラを、ひたすら虚仮にした。

 毒の回りが遅いカザラが人形だと気付き、さらに罵倒した。

 私の知る響らしからぬ形相で、声を荒げながら。



『貴様は雑魚だ!』

『勝算はない!』

『未来などない!』

『絶望して死ぬしかない!』

『最期は独りだ!』

『惨めに独りだ!』

『助けに期待するな!』

『期待するから惨めなのだ!』

『期待は期待した分だけ絶望に打ちひしがれるのだ!』

『裏切られて絶望するのだ!』

『絶望を覚悟してなお期待したところで!』

『要らぬ駒として貴様は捨てられる!』



『――某のようにな』



 まるでカザラを罵倒しているのではなく。

 自虐しているような、そんな光景だった。

 でも私もカザラも、彼の心の内を知るわけがない。

 四肢を腐らせながらカザラは『たしかに勝算はない』と認め、しかし『敗算ならある』と言った。

 直後――空中で密着していた二人が爆発。

 自爆という、敗算。

 実力で式神にのしあがった響が相手だったからこそできた、その反射神経と機動力を使わせない、最適の算段。

 そんな滅茶苦茶な結末。

 カザラは残骸と化し、織神楽響も致命的な傷を負って、どちらも私の腕の中に居た。

 致命的な傷。

 致命傷。

 そう……響が爆発によって受けた傷は、深かった。


 カザラの破片が刺さっている。肋骨の隙間から内臓――おそらく肝臓に届いている。もし傷つけていたら死に至る。肋骨も何本か折れているみたいだし、これが同じく刺さっていることも考えられる。爆発の衝撃で内臓が破裂している可能性だって無視できない。

 とにかく近距離であんな爆発を受けたのだ。致命傷になりうる要素が身体の各所に発生している筈。

 一応、私は彼にそう教えてあげた。


「すぐに治療すれば間に合います」

「……」

「並折の医療機関が駄目なら、この地を離れないと」

「……」

「すぐにでも三桜に合流して――」

「たわけ」


 赤く染まった覆面が小さく動き、さえずるような一言。

 私の膝に頭を乗せている彼は、右腕側に抱かれたままのカザラを一瞥し、それから私を見た。


「たわけ者だ。貴様は」


 撫でるような口調。威厳ある彼のものとは思えなかった。

 たわけと言われて困惑するが、それが結界寮のカザラと純血一族の響を両腕に抱いた私の姿に対するものだと気付く。

 彼は疲れ切った、ひどく眠たそうな目で、空を仰いだ。

 細い溜息を吐き、「もう助からぬよ」と、私の膝を叩いた。


「どちらにせよ。な」

「どちらにせよ?」

「貴様の検分通り、おそらく肝臓に傷が付いておる。ここを傷付けられると出血量が多いからな。純血一族は、皮肉にも輸血に手間がかかる。本家から同族の血液を調達するには、いささか時間が足りまいて」

「もしかしたら三桜が並折の外に織神楽家の者を待機させているかもしれませんよ」


 ぼんやりと上を向いたまま下から私の顔を見つめ、また笑われてしまった。

 諦めてしまっているのか。

 式神という、いくつもの修羅場を超えてきた響が。


「どちらにせよ助からぬと、言っておろうに」


 どうして。

 どうしてそこまで悲観的なんだ。

 私は響の人質という身であるにも関わらず、こうして助かる手段を提案しているんだぞ。

 それをたわけ者と言われたって、私は構わない。

 そりゃあ、この人は怖いし解放されたくて仕方なかったよ。

 でもそれは――、この人なりに並折で生き抜こうと。

 結界寮という集団から逃げ延びようと。

 生きようとしたからでしょう?

 どうして、ここで諦めるんだ。関東からここまで、追っ手を付けられながらも単身逃げ延びてきた貴方の執念は、そんなもんじゃない筈でしょう?


「困惑しているようだな。なぜ、某が、こうもあっさりと観念したのかわからんようだ」

「わかりません」

「たしかに三桜嬢ならば、並折の外に純血一族の医療班と輸血の準備まで手配するかもしれぬ」

「だったら……!」


「《三桜嬢が、某を並折から生きて出そうとしていたなら》な」

「はい?」


 言っていることの意味が解らなかった。

 三桜は、響を回収する為にやって来たのではないのか?


「貴様の言う通り、三桜嬢は某を回収しに来た。おそらくそれは間違いない」


 ほら。響だってちゃんとわかっているじゃないの。

 あいつは響が中部圏に入った頃。つまり六月から並折に来ていた。明朗と話した時に思ったように、響の逃走情報は純血一族だって掴んでいただろうし、式神という重鎮を放っておくわけがない。

 三桜が式神の響を助けに来たと考えるのは当然じゃないか。

 そう述べてみても、彼は「少し違う」と言う。

 なにが違う! どこが違う! 《三桜嬢は某を回収しに来た》。そう認めたのに、そこから《三桜嬢が、某を並折から生きて出そうとしていたなら》という言葉が出てくるのはおかしい!


「ああ……そうか。貴様は……」彼はようやく私の困惑する原因がわかったとでも言うかのように頷いて、

「組織というものの複雑さに、あまり触れたことがないのだな」

 血を纏った舌遣いで言った。

 うむ、と響は何に納得したのか数拍置き、続ける。「ようするに――」


 ようするに――?


「回収はするが、助ける気はない。そういう事だ」


 響を回収はする。

 でも、響を助ける気はない。


 あまりにも彼が平坦な口調で話すから……。

 これがとても辛い内容だと、私は気付けないでいた。

 響の口から、それを言わせてしまう事。それはきっと今後も私の心を締め付けるとは露知らず。

 呆けた顔で彼の口の動きを、ただ見つめるだけだった。



「守野三桜は織神楽響を、殺しに来たという事だ」



 だから、たとえ急げば助かるやもしれない傷であろうと、急ぐ意味がない。

 並折の外には、医療班も治療の準備も、用意されていない。

 三桜に合流する。それは――首を差し出すのと同義。


 彼は独りで逃げ続けるしかなかったのだ。

 いや……三桜が来ていると知ったのは、私と会った時だったのだから。その時点で諦めていたのか? 観念して三桜に首を差し出す心積もりだったのか?


「響さんは式神なのに……純血一族はどうして助けようとしないの……」

「べつに三桜嬢を派遣したのは純血一族十三家系の総意ではなかろう。おそらく織神楽家の何者かが某を煙たがり、今回の絵図を描いた。名目は《救出》。しかし本意は《殺害》。命令を下す御上と三桜嬢の間に、織神楽が入ればこうなることも納得だ」


 ……なによ、それ。

 織神楽響を殺そうと企てたのが、同じ織神楽家の人間ってこと?


 で、でも。いくらなんでも織神楽家だってわかっている筈よ。並折で響が死んだという結果は、織神楽家ひいては純血一族全体にとって宜しくないってことくらい。

 そんな結果が出回ってしまえば……純血一族が並折に対して一歩引いてしまう――つまり士気と積極性が下がってしまう。

 それに並折が他勢力に対して牽制する恰好の宣伝材料になってしまう。

 身内の謀略の為に、組織全体が後々不利になるようなこと、さすがにできるわけが――。


 ――あ。


 ……ああ。

 ……そうか。


 だから、三桜が響を回収して直接手を下す必要があったってわけか。

 死体が並折で見つかりさえしなければ、どうとでもなる。

 そういうことなのか……。


「ひどい……」

 こんなの、ひどい。あんまりだ。


「組織は往々にしてそういうものだ。純血一族も、血が繋がっていたところで小奇麗な関係とは限らんよ。某の、当主の座を欲しがる者とて大勢居る。そんな織神楽内のいざこざを外から見て楽しむ家系もある。あれだけの大所帯ならばむしろ円満な方が不自然だろうて」

「も、もう喋らない方が……」

「任務に失敗し、負傷したのは事実。実力主義のこの世界、己が撒いた種だ。悔やんだところでどうにもならん」


 これ以上は死期が早まる……!


「響さ――」

「見くびるなよ天宮柘榴」


 織神楽響は――私の膝から頭を離した。

 この状態で動けるのか……なんて耐久力なのだろう。

 立ち上がったその足はふらついているが、纏う空気はパリッと張られている。

 呆然と見上げるだけの私に、彼は背を向けた。

 歩き出す。

 どこへ……行くの。

 もう、貴方が行く場所なんて……。

 もう、貴方が帰る場所なんて……。


「某を見くびるなよ。守野三桜には捕まってなどやらんよ。くく……組織内に確執が生ずるのは避けられぬ事。そうは言ったが、それを実行に移すは反逆。わかるな?」


 織神楽家の中で、当主を謀殺しようとする輩がいた。

 そいつは実行に移し、こうして響を死へと向かわせた。


「三桜嬢はあれでも立場のある人間。他家系の三下や、たとえ権威のある者であっても、彼女を動かすことはできん。彼女を並折へ送る命を下したのは御上であろう。だが御上が、御上を守護する某という式神を消す理由がない。つまり――」

「上からの命令が、三桜へ伝わる間に、変えられた?」

「で、あろうな。三桜嬢は海外に居た。伝令役の中に織神楽の息が掛かった者でも居たのだろう」


 上からの命令は、本当に響の救出だったかもしれない。

 だが、海外の三桜へ伝わる途中でその内容は改竄された。

 響を邪魔に思う奴の――謀略によって。

 ならば三桜は巻き込まれただけだ。

 利用されただけだ。


「三桜は――」

「気付いておらんだろうな。ゆえに、どちらにせよ三桜嬢はこの後、御上によって処分を受ける。彼女が本当に謀略に嵌まり、その手で某を手に掛けてしまった場合、彼女はただでは済まん。しかし某がこのまま逃げ切り、人知れず死したならば、彼女の罪は軽くなる」

「結界寮に死体を回収されるかもしれないですよ? そうなれば結界寮の思惑通りになって、純血一族は困るのでは」

「……某に、言わせるのか?」

「……あ」


 響は……純血一族の益よりも……三桜を助けようと?


「ふん、彼女には言うな。それにまんまと謀略の通りになるのは腹が立つ。貴様の思う通り三桜嬢も利用された身。彼女の破滅もシナリオに含まれている筈だ」

「一体誰が……そんな真似を」

「さてなあ」


 彼にしては珍しく、ぶっきらぼうで投げやりな口調だった。

 そのまま羽田立荘の庭から出てゆき、ふらついた足取りのまま林に消えて行こうとする。

 林の中で死が訪れるのをひっそりと待つつもりだというの?


「あ、あたしも――」

「来るな!」


 立ち上がろうとした私を恫喝が押さえつけた。


「貴様が付いてくると、迷惑だ」

「そんな」

「統界執行員がここに居たのだぞ。仲間が戻ってくる。貴様の行方が知れぬままだと、結界寮は貴様の捜索を続けるだろう。貴様をここに置いていった方が、時間が稼げる」

「人質……ですもんね……」

「………」


 本望。これは彼が私を解放したということなのだから、本望なのだ、

 なのに。

 どうしてだろう。

 嬉しくもなんともない。


「天宮柘榴」

「……はい」

「この街は危ない。某はここで消えるが、今後もこの街で生きようと思っているなら、情を捨てるべきだ。捨てられぬならせめてすぐに切り替えられるように常に構えておけ」

「……はい」

「ひのえと駅前でそうだったように、あまり呆けていると、また結界寮の輩に首を跳ね飛ばされそうになるぞ」

「……はい?」


 ひのえと駅前?

 たしかに考え事をしてたし、ぼーっとしていたかもしれないけど。結界寮の誰かに狙われた覚えはない。

 疑問符を浮かべる私を無視して彼は足を進める。


「風呂と枕を貸してもらったこと、感謝する」


 うまく聞き取れなかったけど、たしかに彼はそう言った。

 そう言って、私の前から消えてしまった。

 枕って。私の膝か。


 そういえば――。

 響は三桜が自分を殺すつもりだと、すぐに悟っていたんだよね。

 私に会った時点で、彼は三桜と合流しなければならないとは思わなかった。それでも説得しようとして合流しようと思ったのか? 癪だけど頼ろうとか言っていたし。

 でも合流してもしなくてもよかったのは事実。うーん。

 つまり私は、どうして生かして貰えていたの?

 うーん。謎ね。


 まあいいや。結果的にこうして私はまだ生きているわけだし。


「……」


 響はどこへ行ったのだろう。

 林の中で何を思うのだろう。

 こんな雨の中で。


 番姉さんは彼ら純血一族のことを、外道でヒトの腐った心そのものだと言い捨てていた。人間として見るな。心があると思うな。そう言ってた。

 織神楽響と出会ってそれに納得しながらも、その反面、番姉さんの言葉が決して的を射ているとは思えなくなった。

 たしかに彼らは殺人集団だ。それに関しては全く以て納得する。でも衝動のまま殺戮を行っているとは正直思えなかった。響に限った話だから、純血一族全部がそうだとは言わないけど。

 うん……純血一族全部が、彼みたいな者ばかりではないんだろうなあ。番姉さんの言葉を否定できるほど彼らを知らない。


 彼の最期の時を一緒に過ごそうなどと思ってしまった私は、甘いんだろうなあ。

 身の程知らずで、出しゃばりで、浅はかなんだろうなあ。


「ああ……なるほど」


 ひのえと駅前で、他にも通行人が居たのに私の前に現れたのは。

 明朗と話した後も私が呆けていて、結界寮の人間にマークされていたのに気付かなかったからか。


――『結界寮の住人だって危険な人が居るんだ』


 明朗はちゃんと忠告してくれていたのにね。


――『また結界寮の輩に首を跳ね飛ばされそうになるぞ』


 響は私を助けてくれたんだね。


「ほんと……身の程知らず」




  ◆  ◆  ◆




 ひのえと駅前。

 これだけ濡れてしまえば雨宿りなんて意味ないのだが、守野三桜は駅舎の屋根の下まで歩き、そこでようやく「ふうっ」と息を吐いた。

 水を滴らせる長い後ろ髪を胸の前でしぼり、本当の意味で死ぬことのできた矢神聖歌の亡骸を遠目に眺める。


 哀れな女。

 傀儡屋に殺されて傀儡にされ、そして自分も傀儡屋として傀儡を作り続けた。彼女そのものが皮肉を体現した作品。


 駅舎から傘を開いて帰路につく人々は、傷だらけの三桜に見向きもしない。並折の結界効果だ。無論、戦闘領域に足を踏み入れてしまったがために肉片と化した、不運な死体にも。

 聖歌の残骸も例に漏れずあのままだろう。結界寮の住人に発見されるまで、気付かれることなく薄暗い空の下、雨ざらしで放置され続ける。

 水を吸ってしなびた手さげの買い物鞄がゴミのように転がっており、なんだか儚げだ。

 聖歌は夕飯に何を作るつもりだったのか。そんなことを考えてしまう。

 感傷に浸ろうとする自分の心を、三桜は鼻で笑った。


「勘弁してもらいたいね。お前が結界寮の傀儡屋だと知っていれば、私だって一緒に暮らさなかったよ」

 様付けせずに呟く。

「……互いに普通の人間として出会ったなら、楽しく仲良く過ごせていただろうね」

 もっと小さくそう呟いた。

「ただの手向けだ。私がこんな事を言っただなんて、誰にも言うんじゃないぞ」


 ピッ、と。人差し指を聖歌に向けて弾き、「おっと」三桜は駅構内の柱に身を隠した。

 聖歌の残骸に、誰かが近付いたからだ。

 結界寮の人間だろう。思ったより早い到着だ。

 三桜がぐっと集中して聴覚を研ぎ澄まし、やってきた二人の会話を聞き取ろうとした。


「――情けない。こっちの到着より先に殺されやがって」


 一人は聖歌の頭をつま先で蹴りながら言う。背が低い小柄の人間だ。


「――気の小さい奴だねぇ。まー、確かに足止めもできなかったようだけどさぁ」


 そう言うもう一人の人間は、背が高い。マフラーと前垂れを装着しているようだ。

 二人は傘をさしている上に雨霧のせいで顔までは見えない。シルエットからするにどちらも細身だ。


「おい、カザラから連絡来たのか? アリス」

「反応が消えたよー。自爆でもしやがったね」

「なんだと。助けに行かなくて良かったのか?」

「もうこっちに到着する頃だったから無理だってぇ」

「明朗が同行していたそうだな」

「明朗は無事だよー。さっき確認したー。明朗が言うには、カザラと戦っていた方が織神楽響じゃないか、だってさ」

「……じゃあこれって」

「別の奴ってことかねぇ」

「結界屋の連絡だと、傀儡屋の相手の方が純血一族の筈だろ」

「だからぁ、こっちもぉ、純血一族の仕業ってことでしょ」

「チィ」

「舌も打ちたくならぁね。ウチの戦力しか殺されてないじゃーん最悪じゃーん」

「奴ら探すぞ」

「それがねぇ、結界屋の感知していた呪詛反応はどちらも読めなくなっちゃったんだってさー」

「なんだと! 役に立たん奴だな!」

「いやいや仕方ないよ。それに織神楽響の方は傷の影響で呪詛を少なからず垂れ流していた。それが弱まったってことは、死にかけているってことだよぉ。だからもう追う必要はないのだー。勝手に死なせときゃいいのだー」

「おいおい……」

「だってぇ。そもそも織神楽響の死体を欲しがってたのってぇ――」


 アリスという女は、聖歌の頭を踏み付け、ねじり、押し潰した。


「――こいつだけでしょ? 結界寮的にはぁ、織神楽響が並折で死んだという結果が欲しいだけなわけでぇ、死体はどーっでもいいんだよねぇ」

「確かに」

「立案者本人が死んじゃったんだからぁ。ぶっちゃけた話、この件もお開きにしちゃいたいよねぇ。梵と林檎が許してくれないだろうけど」

「とりあえず結界寮に帰るぞ。梵と林檎に伝えないと」

「ほいほーい。傀儡屋の死亡を、かっくにーん。アハハハハ」


 なんという連中だ。

 矢神聖歌の亡骸を回収せず、あろうことか好き放題に蹴り嬲り散らかし、そのままにして帰ってしまいやがった。

 あれが結界寮の組織色。

 互いが互いを、己すらも駒と認識する。義理もへったくれもない。役に立たなきゃその場で切り離すということを前提とした連結形成思考。


 再び柱に身を隠した三桜は目を細めた。


(あんな集団がどうして集団としての体を維持できているんだ? ああいうのは大概、私利私欲を求める個人の寄せ集めにすぎない。傀儡屋なんて貴重な人材だろうに……惜しくないとみえる)


 自分達と同じか? と、顔を曇らせる。

 純血一族と同じ。それはつまり、それぞれがどんなに歪曲した性格をしていようと力で無理矢理まとめているという意味だ。



 家系のそれぞれが支配欲を優先していた純血一族。それを一個組織としてまとめあげられたのは――一つの家系が頂点に君臨した時からだった。

 これは有り得ない現象の筈だった。


 守野家をはじめ、織神楽家、昏黒坂家、九条家、その他含めて総勢十三家系。

 これらすべては、過去に超常の力を手に入れた者達。情報伝達が発展していないほど昔にその起源をもつ。

 彼ら十三家系に共通しているのは《血液に呪詛を流し込み、能力を得た事》、《血の繋がりを通して能力を伝播させるという事》、《能力を得ようとした理由が、超人による支配を目的としたからである事》。これらである。

 注目すべきは三つ目の共通点。それぞれが支配欲の塊という点だ。

 己が家系こそ頂点に君臨すべきだという思考を持ち、圧倒的な力で捻じ伏せようとしたからこそ、人を超えし人と成るに到った。

 各家系はそれぞれの地元を中心として支配に成功していた。

 しかし――情報化が進むにつれ、彼らは知ることとなったのだ。

『自分達の他にも超常の力を持つ連中が居る』

 それも十三もの家系が。

 無論、相容れぬ彼らは争った。

 過去の日本国内裏抗争《十三家血斗》。

 その終結は、家系の多くが絶対に望まぬものだった。


 争いは当然ながら泥沼化し、一つの家系に絞られるまで続くと思われていた。ところが、十三家系のうち他の十二家系とは違い参戦を渋っていた一つの家系が介入したことで流れは大きく変わったのだ。

 その介入した家系こそ、先述した現在の純血一族の頂点家系だ。統一家系とも呼ばれるが、敬意と支配を象徴すべく大抵は《御上》と呼ばれる。


 争いは御上の手で終結に向かった。十三家血斗の終盤は記録が残っていないために曖昧だが、力によって十二家系を捻じ伏せてしまったという説が有力である。

 力による圧倒的支配を目指し実行していた十二家系を、更なる圧倒的な力で支配してしまったということだ。

 傘下十二家系にとっては屈辱極まりない結末である。滅ぶことも許されなかったのだから。

 これが、純血一族という組織が生まれるに至るまでの歴史。



 守野家の当主たる三桜は、今も続く屈辱を思い出したからなのか――ギリッ、と奥歯を噛み締めた。

 今でも組織は維持している。しかも、中には御上に心底心酔してしまった家系まである。

 三桜は、未だ守野家を頂点に君臨させたいという野心を持っていた。


(つまり……結界寮も、私様達のように力で支配しているのか……?)


 その可能性は大きい。

 結界寮は純血一族よりも統制の取りづらい個人の寄せ集めだ。傀儡屋や結界屋などという、目的と性格が異常なまでに傾倒した個人まで含んでいる。傀儡屋は戦ってみてわかった通り、誰かの指示や命令ですんなり動く性分ではない。実力も並ではない。

 傀儡屋よりも有名な結界屋は尚更だ。言うまでもないが、傀儡屋と結界屋が互いに仲良くやっていけるわけもない。

 しかし少なくともこれら二つの裏稼業が同勢力に所属しているのは事実。あまり信じたくないが、事実なのだ。


(結界寮の頂点は、あの管理人共か)


 錫杖梵。

 藍澤林檎。


 三桜には聞いたこともない名前だ。無論、彼女は二人がティンダロスの猟犬に居たことも知らないし、異名と一致させることもない。

 それでも傀儡屋矢神聖歌や、広大な結界を張る結界屋、不気味な統界執行員達をまとめているのはこの二人。

 要注意。兼、要調査対象。

 報告しなければならない。


 煙草を吸おうとしている通行人の手から、箱とライターをふんだくる。

「ちぃ」

 肺に影響を及ぼすので基本的に三桜は喫煙を避けるが、吸わなければ落ち着かないのだろう。

 紫煙を吐きながら、きのえと駅行きの路面電車を待つことにした。


「あいつらの話からすると、柘榴と響が一緒なのか? ふうん。相手をしていた統界執行員が自爆したってことは響も無事じゃないかもね。それならそれで丁度いいや」


 手負いに手負いを重ねた響。式神同士だから多少は苦戦することを覚悟していたが、楽に仕事が終わりそうだ。

 そんな呑気な考えをする三桜。

 仕事が終われば、こんな街からはおさらばだ。さっさと本家へ帰り、また海外へ出向き、別の仕事に取り掛かれる。

 彼女は自分の今後をそう予想していた。


 だが、そうはならない。

 たしかに彼女はこの後、並折を離れて本家へ帰るだろう。

 しかし彼女はそこで《任務失敗》を告げられることになる。



 守野三桜。

 彼女はこの時にはもう、

 並折という魔都に絡みつかれてしまっていた。




  ◆  ◆  ◆




 翌日――。


 統界執行員アリス・エイリアスの報告により、結界寮管理人《錫杖梵》から結界寮の討伐活動の終了が指示された。

 これを以て、並折に侵入した純血一族当主《織神楽響》の討伐は、一旦の終結を迎える。




『織神楽響討伐の件。

 以下を最終報告とする。


 傀儡屋、矢神聖歌――死亡。

 統界執行員、カザラ・イグニール――死亡。

 

 今回の件で結界寮の住人が二名、死亡した。

 矢神聖歌と交戦した者に関しては今後も調査を続ける模様。


 本件の中心人物――織神楽響。

 その死体は翌日の早朝午前六時に《つちのえと》の墓地で発見された。

 墓地の整備に用いられる道具を収容する小さな納屋の中で、胸に草刈鎌を突き立てた状態だった。凶器の草刈鎌は納屋にあった物であったと、墓地の管理者の証言で確定した。


 響の死体には、寄り添うように少女の死体が横たわっていた。

 響を殺害した後、後頭部に剪定バサミを突き刺して自害したものと思われる。剪定バサミも納屋にあった物だ。


 二人の死体を回収後、結界寮の検証により少女が人形であることが判明。

 傀儡屋矢神聖歌の最終作となり、行方不明になっていた《江本佐々奈》だった。


 結界寮による検証・独自解剖では奇妙な点も見られた。


 織神楽響の推定死亡時刻は、深夜午前二時頃。

 江本佐々奈の推定死亡時刻は、午前五時頃。


 響の顔――覆面を外した頬には、幾つもの乾ききっていない水滴が付着していた。

 これは雨の成分ではなく、矢神聖歌が人形に用いる疑似体液と同一のものだった。

 しかし江本佐々奈の後頭部裂傷でその体液が漏れることは考えられず、後頭部の傷は単に人形の基盤を破壊する目的で付けられた物だ。

 では疑似体液はどこから流れ出たのか。

 解剖の結果、江本佐々奈の眼球から漏れ出たということが判明。

 眼球の一部に、特殊な染料で着色された箇所が見られた。傀儡屋の用いる禁術紋章とは異なる紋章である。

 錫杖梵は、矢神聖歌が行った《安永筆・豊房》の実験に関連したものだという見解を示した。

 矢神聖歌が紋章で顕現させた妖怪は――雨女。

 工房の設計図と記録から、並折の長い雨天の原因がこれだと判明。

 江本佐々奈の《哀》の感情に合わせ、並折に雨を降らせていたということだろう。

 長く続いた雨は――江本佐々奈の冷たい涙。

 最後は能力の過剰行使によって紋章ごと眼球が破損。

 

 皮肉にも、死の間際で体温の混じった疑似体液を響の顔に垂らすことになった。

 人形が流す筈のない、あたたかい涙。といったところか。


 江本佐々奈が織神楽響を殺害した動機に関してはこれから調べを進めるが、羽田立荘の倉庫に保管されている資料を見るに、十分たる動機があると見ていい。傀儡屋の製作した人形は総じて生前記憶の混濁が生じるが、生前の記憶が一部残り、復讐心が芽生えたと予想する。

 ただ、戦闘機能を備えていない江本佐々奈に対して、織神楽響がなんの抵抗もしなかったのが謎である。カザラの自爆で体力も尽き果てていたとしか考えられない。


 織神楽響の遺体は、純血一族へ引き渡すという判断が管理人より下された。

 本来、結界寮の管轄である並折に侵入した挙句、統界執行員一名を殺害した響を引き渡すことは有り得ない。しかし結界屋の結界が完全に機能しなかったために響が入ってしまったという、こちら側の不備を責められる場合も考慮しての判断である。

 どうか結界寮住人の皆々様には御納得いただきたく。

 無論、あちらが引き取りを拒めばこちらが並折で丁重に葬るつもりである。


 以上で報告を終了する。

 ――《結界屋》』



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