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PUNICA【あったかい雨の降る夜】6


 ひのえと駅に停車した路面電車。

 そこから降りてきたある女性は手首に巻いた時計を見ながら改札口を出た。手さげのかばんは空っぽで、これから商店街へ買い物に向かうのだろう。

 夕日も落ちかけている。

 店が閉まってしまわぬうちに済ませなければと、その足を急がせる。

 花柄の模様が描かれた傘を開き、雨霧によって薄暗い駅前広場を横断しようと踏み出す。


 彼女の意識は商店街の入り口に向けられていたのだが、妙な違和感を受けて反射的に足を止めた。


「あれ?」


 目をぱちくりと瞬かせ、鼻先に当たった雨粒を指でなぞる。

 傘がない。

 握っているのは柄の部分だけで、肝心の雨を避ける部分が消えていた。

 それは風に飛ばされて駅の構内に舞い戻ってしまったのだが、彼女は気付かなかった。


――チ、ピン。


 小気味の良い、弦を弾いた音。

 直後、女性の視界が縦に一回転。


「――――」


 高速で回転する世界の中、彼女は自分の身体を俯瞰した。

 肩から上の部分がない。

 瑞々しいピンク色の断面。

 そんな映像が流れ、また視界が一回転。


 次に――そして最期に彼女が見た光景は。

 自分の顔に迫ってくる、女性物のブーツ。

 その靴底だった。


「――――?」



  ◇  ◇



「邪魔くせえ!」


 駅前広場を縦横無尽に駆ける影。

 首のない胴体をハードルのように飛び越えるついでに、守野三桜は跳ね上げられた頭部を蹴り飛ばした。

 右足で前へ弾き、それからすぐさま左足で横へ。

 サッカーボールのように、しかしサッカー選手ですら到底不可能な動作で、人間の頭部を二回蹴った。

 無論ゴールなどない。女性の頭部は駅舎の壁にびしゃりと激突し、放射状に脳漿を撒き散らしながら貼りついた。

 転がり落ちた眼球はもう世界を視認することはできないが、尚も視線を回転させながら自分の胴体が微塵に切り刻まれる姿を捉え――他の通行人に踏み潰されてしまった。


 頭部を蹴った三桜はそのまま疾走の勢いを殺さず継続。

 胴体を刻んだもう一人――矢神聖歌は広場の中心に位置取り、疾走する影を逃すまいと目で追い続ける。


 聖歌の十指はすべて爪がない。

 剥がれた部分からは血が滴り、そして肉の中から細いワイヤーが伸びていた。

 ワイヤーは長く、今やこの広場全体に張り巡らされている。たった今、戦闘領域に侵入した通行人の傘を切り跳ね、首と胴体を分断し、残った胴体をも地に積もる肉塊に変えたのはこれである。

 しかもただ張られているだけではない。聖歌は器用という表現では収まらない巧みさで十指を動かし、十本のワイヤーを操っている。


 人間どころかその他の動物と比較しても勝っているであろう守野三桜の脚力。それを以てすればこの戦いの決着はすぐにつく筈だった。

 しかし現実は違った。

 この状況、獲物である矢神聖歌に近付くことすらできず、回避に徹する守野三桜の方が苦戦している。三桜のカプリパンツはいくつもの切れ目が走っていた。

 対して聖歌はロングスカートに長袖のシャツという決して動き易い服装ではないにも関わらず三桜から一度も傷を負わされていない。


「貴様、慣れているな」

「傀儡屋は裏稼業の中でも数少ないですからね。並折の外では引っ張りだこの人気者なんですよ。大半を抗争の中で過ごしていたくらいに」


 三桜が走りながら屈んで転がる小石を三つ、片手に握った。

「確かにその辺は疑わないよ。私様の速さにすぐ適応できたんだ。自慢していいくらいだ」

 言いながらシュピッ、と腕を振る。

 走り続ける脚もそうだが、三桜が筋肉を使う際は瞬間的に肥大している。そこから生まれるパワーはやはり絶大で、獣人という能力者の認識がその語感とはほど遠いものだと思い知らされる。人間が獣に近くなるというより、人間と獣よりもグレードの高い新たな種族と認識すべきなのだろう。

 守野家は織神楽家のように毒を出す能はない。純粋な肉体性能の飛躍的向上という、シンプルなものだ。

 その向上した性能の高さが、半端ではないわけだが。


 矢神聖歌はそんな守野三桜の性能に対して、脅威に思わない。

 性能の向上?

 それこそ、クリエイターの土俵だ。

 呪詛ごときの恩恵に、世界有数の人間改造師である傀儡屋が劣ってたまるかという思いが浮き出てくる。


「私にも、見えるんですよね。この程度」

 銃弾並の速度を与えられた三つの小石。ただの人間であれば目で追うことも避けることもできない。弾速に近しい速度で動き回る守野三桜を目で追い続ける聖歌は、ただの人間ではなかった。

 穏やかな印象を保つよう常に細めていた目を見開く。

 その双眼から機械的な音が発せられた。それはカメラのレンズを絞る時に発せられるものと酷似している。

 疾走行動を継続する三桜は聖歌の目とそこから出る音など気にもしないが、瞳の中では虹彩と水晶体の大きさと形が、確かに変化していた。それはきっと有機的な物質で構成された虹彩と水晶体ではないのだろう。


 顔面めがけて放たれた三つの小石を、聖歌は最小限に首を動かすだけで避けてしまった。どうやら彼女の肉体も、三桜のものとは違った手段で性能が向上しているらしい。

 そもそも広範囲に展開する長いワイヤー、その一本一本を指先一つで操作しているのだから容易に想像がつく。


「呪詛なんかに頼らなくとも、私なら強化改造なんていくらでもしてあげられるのに」

「御免被りたいね。身体切り裂かれて人形になるのは嫌だ」

「人形は素晴らしいですよ。愛しくてたまらない。この世界もすべて人形だったならなんと素敵な世界になったことでしょう。人形ならば三桜ちゃん、貴女も本当に愛してあげられるのに」

「……」


 本当に愛してあげられるのに。

 人形であったなら。

 三桜は伸びてきたワイヤー二本の間を縫うようにくぐり抜け、側宙の体勢で聖歌を睨んだ。


 この程度の攻撃ならまず三桜には当たらない。当たりはしないが、無視もできないから動き続ける。動き続けているが、依然として聖歌との距離は縮まらない。聖歌との会話を愉しむ気など微塵もない。可能ならばさっさと片付けてしまいたいのだ。可能ならば。

 追ってくるワイヤーは多くて三本。残りは三桜が掛かるのを待ち受けるべく各所に張られている。

 これが苦戦の要因。

 雨霧の視界の悪さとワイヤー自体の細さで認識し辛い。それが七本、長さを利用して形状問わず潜んでいる。これでは機動力をごっそりと削られてしまい、厄介極まりない。

 そしてこの雨天。

 これも苦戦の要因。

 雨水は臭いを洗い流してしまう。雨霧は視界を悪くする。雨音は雑音として邪魔をする。

 たかが雨のもたらす影響だと思われるかもしれないが、五感の発達した三桜には鬱陶しくて仕方のないもの。それが集中している状況なら尚更。

 もちろんそれを克服した彼女ではある。克服はしたが感覚除去はできるわけもない。やはり余計に集中力を削がれる。

 戦場の環境が悪ければ悪いほど、矢神聖歌には有利なのだ。


「裏稼業、傀儡屋か。貴様がそこまで人形に固執する気配なぞ見掛けなかったがな」

「羽田立荘には持ち込んでいませんでしたからね。その代わり、毎日のように工房へ通っていましたけど」

 またも飛んできた小石を見送りながら口を動かす。

「まるでおままごとをしている感覚で、羽田立荘の生活も楽しかったです」


 こいつ、人形と人間に対する感情があべこべになっているのか? 笑顔を貼りつけて語る聖歌とでは感性の不一致が見られる。

 三桜はそんなことを思った。

 どちらも異常の域に入る感性の持ち主であるので一致する方が珍しいというのに。


「戦闘に用いる筋力は発達していないからとタカをくくっていたが、中身が別物だな。大方、体重計をぶっ壊す重量してんじゃないの貴様」

「否定はしませんけど不愉快な言い方ですね」

「まさか貴様が人外だとは思いもしなかった」

「貴女に言われたくはありません」

「難儀なもんだね」

「ええ。難儀なものです」


――キュパァ!

 地に流れる水を弾き上げ、弾力をもって張られたワイヤーが三桜の疾走方向に飛び出す。


「ぐぅ!」


 仰け反って滑りながら下をくぐったが、更に二本、進行方向を先読みした線刃が待ち受けていた。

 これでは勢いを殺すしかない。

 回避方向の再考をする間もなく、もう一本、更にもう一本と、次々に三桜の周囲で聖歌の線刃結界が形成される。

 ついに三桜は捕われてしまい、腕組みをして溜息を吐いた。


「ほんとうに難儀ですよね。つい半日前まで、貴女と私は仲良く過ごしていたというのに。この世界に身を置く以上、こういった関係になるのも避けられません。貴女は純血一族。私は結界寮に所属する傀儡屋。最初から互いに知っていれば……」

「知っていて私様に羽田立荘を提供したと思っていたが、違うようだな」

「知りませんでしたよ。貴女も、クロちゃんも。知っていたらこんなに心を痛めませんもの」

「それにしては随分と嬉しそうに笑っているじゃないか」

「あら、わかります? 純血一族を材料にした人形を作るこの期待感、尋常ではありませんもの。一度は諦めたのにすぐ機会が巡ってきたのですから、笑うしかありません」

「やっぱり貴様――pygmaは、最初から織神楽音々子を欲していたんだな」


 織神楽音々子。

 その名前を聞いた聖歌の顔から、笑顔が剥がれた。


「……なにやら事情を把握してしまわれているようですね」

「羽田立荘の倉庫なんかに記録を残してりゃあ当然だ」

「ま、いいでしょう。こういうこともあります」


 おぞましく線の垂れた指の関節を鳴らし、聖歌は捕われの獣人に近寄ってくる。

 その視線が三桜の視線と交わることはなく、ひたすら引き締まった肉体にばかり惹かれているようだ。


「ちなみにpygmaというのは私の商売名です。矢神聖歌は私の商品名。つまるところpygmaも傀儡屋も矢神聖歌も、全部私ということです」

「おまけに結界寮に所属か。ならば織神楽響を並折に呼び込んだのは……」

「ええ。お察しの通り私の立案ですよ。解毒爪を持った便利な人形の制作計画は、江本正志の一方的な拒否によって破綻しましたし。折角なので純血一族当主の人形を作ろうとしたのです」

「江本正志の一方的な拒否?」


 濡れた髪の下で三桜の眉がぴくりと動いた。

 聖歌は隠すこともなく肩をすくめて話を続ける。むしろ愚痴を聞いてほしいといった表情と態度だ。


「そうです。もともと江本正志と私は商売上の知り合いでした。そんな彼がある日、『自分ではどうにもならない事態に巻き込まれた』と言って私に助けを求めてきた。浮気していた愛人とその娘が、裏世界に名を轟かせる純血一族の脱走者だったらしく、織神楽家に娘を引き渡すよう脅されていると」

「………」

「私はその母親と娘をこちらで引き取ってやると言いました。そうすれば彼は織神楽家の標的から外れる。わざわざこの傀儡屋が標的として庇ってやると言ったのですよ。まあ、それくらい価値のある母娘だったからなのですが。しかしいざ見本として彼の元へ向かい、同時に母娘を回収しようとしたところ、彼は猛烈に拒否したのです。『話が違う』と言って」

「それは貴様が引き取るという名目で、親子を材料にしようとしたからだろう」

「あらら、意識の擦れ違いというやつですか。難しいですね」

「白々しいな。そんな表情じゃあ悪意があったのが丸わかりだ」

「……。彼は私の手の届かぬ場所に親子を隠してしまいました。探し当てるのは少々時間が掛かります。それに二人を欲していたのは私だけではなく、私よりも広域の情報網と人手を持った織神楽家も動いていましたから。先に辿り着かれてしまうことは容易に想像できました。その時点で涼子と音々子は諦めたんです」

「けれど手ぶらで帰る気にはなれなかったと」

「その通り。だから代わりに彼の妻と娘を頂くことにしたのです」

「それでは貴様自身で書いた記録と食い違うじゃないか。あれには正志が織神楽親子と江本親子をすり替えたという旨の記述がされていたぞ」

「ああ、そうでしたっけ? ま、私が残す記録ですからどう書こうと私の自由です。正志が殺害されるのは明白でしたし。あんなものは夢日記程度の感覚で筆を躍らせるだけでいいんですよ。形式です形式」


 舌まで躍らせる傀儡屋は一方的で、聞く側である三桜のリアクションなど気にもしていない。

 話す間に三桜が汚物を見る目で睨んでこようが、唾を吐きかけてこようが、聖歌は変わらぬ表情で衣服に付いた唾を拭いて話を続けていた。


「そんなわけで江本正志の奥様と娘を回収することにしたのです。素早く意識を切り替えることは大切ですね。もたもたしていたら江本親子まで織神楽の手に掛かってしまいますからね。一応、解毒準備は万端でしたが、どんな毒で殺されるかわからない以上、解毒作業が必然面倒になってしまうのですよ。材料自体は生きていても問題ないですし。その場合は搬送が面倒ですが、たまには新鮮な材料というのも良いものです」

「その時点では生きていたのか」

「はい。ところが……ところがです! いやはや、まさかそんなタイミングで江本親子が死んでしまうとは思いませんでした」

「貴様の妄想日記には死因が交通事故死、とあったが?」

「交通事故死ですよ。私が御宅を訪問したら血相を変えて飛び出しましてね。そのまま車道で親子揃ってトラックにドーン。後で調べたところ、どうやら事前に私――傀儡屋の事が伝わっていたようですね。私が来たら逃げろ、と連絡されていたようです。迷惑な話でしょう? 余計な事をするから材料に損傷ができてしまったのです」

交通事故死だろうと記載したのは、目の前で親子がはねられる光景を目にしながら、それでも死体に違和感があったからなのか?」

「違和感といいますか……その時のことを詳しく言うと、実は訪問した際に飛び出したのは母親の方だけでして。娘は母親に抱えられていただけなんです。ぐったりしていましたので、おそらく――」

「貴様が訪れる直前。母親が、心中しようとしていた。と」

「そう考えたわけです。一応死体の解体作業中に確認を試みましたけど、結局よくわからなかったというのが本音です。私にとってそれは重要ではありませんから。事実、親子を材料にした人形は問題なく出来上がったのです」

「それが――」

「作品、江本佐々奈」


――ピシャン! 

 雷光に照らされた矢神聖歌の顔は、江本佐々奈の名を口にしたまま甘美な余韻に浸っていた。

 つまるところ江本正志は同居していた織神楽涼子・音々子親子も、別居していた妻と娘も、材料として提供するつもりなどなかったのだ。

 それを聖歌は半ば強引な解釈と、身勝手な行動で、江本母娘を手に入れた。


「貴様はべらぼうに屑だなあ」

「よく言われます」


 にこやかに返す聖歌。あまりにも自然なその笑顔には嫌悪感すら抱く。


「で――、貴様自身も作品ってか」

「私は私の作品ではないですけどね。私は先代の傀儡屋、つまり私の師匠が作った人形ですから」

「体内に切断用ワイヤーを仕込んだり、その師匠は随分と悪趣味な奴だな」

「悪趣味……確かに、そうかもしれませんね。でも、今では感謝しているんですよ」


――ピン、ピン。と指先から切断されたワイヤーが抜け落ちた。


 彼女はおもむろに自分の袖をめくった。

 腕に走った縫い目が露出する。縫い糸の色からして、三桜が見つけたバイオレットモノフィラメントだろう。

 さらに少し屈んでロングスカートの端を掴み、ゆっくりとたくし上げはじめた。

 あまり見る機会のなかった彼女の細い脚があらわれる。

 膝も見え、太もも全体が露わになっていく。

 ついに下着が見える位置まで――下半身すべてを、三桜に見せた。

 スカートを右腕で胸の前に抱えた聖歌は、もう片方の、左手で自分の右太ももを撫でた。

 雨に濡れた手は上へ上へと滑り、指が下着に引っ掛けられる。

 そのまま艶めかしい指遣いで少し横へずらした。


「――っ」

「ご覧の通り、さすがに子供は作れません」


 見せられた聖歌の股関節から太腿の部分に、三桜は言葉を失った。

 三桜の反応をよそに聖歌は衣服の中を次々に見せる。

 シャツの中。腰部や胸部、腹部まで。

 矢神聖歌の全身を走るバイオレットの縫い目は数えきれない。

 そして肌の色が、それぞれ違う。


「一応、作られた当初は透明の縫合糸でしたけど。この方が、人形味溢れるでしょう?」


 聖歌は自分の身体を見せて悲惨さを伝えたいのではない。

 自慢しているのだ。

 とても嬉しそうに。

 人形としての自分を自慢している。

 もはや呆れるしかない三桜は顔をしかめて首を横へ振った。


「並折へ家族旅行に訪れたあの日――。私の家族は、先代の傀儡屋によって殺されました。父親は使用不能だと言われて廃棄され、残った母と妹と私、三人分の死体で、矢神聖歌が作られたのです」

「部屋にあったあの写真は……」

「ああ、あんなものまで見ていたのですか。そういった詮索は感心しませんよ、三桜ちゃん。あの写真は、私たち家族の生前最期の写真です。撮影したのは私ですね。妹とは双子でしたから、よく似ていたでしょう?」

「随分長生きだな」

「そうでしょうか? まだ四十数年ほどしか生きていませんよ。師匠は変わらぬお姿で百年近く生きておられるのではないでしょうか」


 これはこれは。獣人である私様と比較しても遜色ない人外ではないか。いやいやこんな無機的な物と比べるなんて怖気が走る。

 三桜は心中嘲笑った。


「矢神聖歌、貴様にはがっかりだ」


 聖歌との会話は三桜にとってあまり心地の良いものではない。

 べつに人形に対する狂気を帯びた思考と行動が、三桜の心情を左右することなどない。実際彼女は「ああ、いるよねそういう奴」程度にしか思っていない。

 だが彼女が獣人であり弱肉強食を信条とする以上、矢神聖歌という存在のある点に対してひどく不快に思い失望するのは当然だろう。



 人形は――食べられないのだ。



 恣意的な思考をする者の多い守野の人間にとって、そればかりは例外的に、一貫して合理的に、通う血液によって機械的に、こだわりを持つ。

 人肉食、いわゆるカニバリズム。

 これは守野家に見られる風習で、宗教的な慣習ではない。

 純血一族総勢十三家系に共通した思想『人間を超えた人間による支配』。その証明として獣化能力を身に付けた守野家が行ったのが、人間の捕食である。

 つまり人間に対して弱肉強食の現実を示す為の見せしめという意味合いが強い。

 無論、その食欲は他の動物にも向けられるだろうが、彼らは人間以外には積極性を持たない。やはり血に宿している呪詛の残滓に因るのだろうか。

 どんな呪詛を宿したのか。それを知るのは当主である守野三桜くらいであろう。彼女自身もそればかりは他言しないようにしている。


 ゆえに人間の形をしながら人間ではない矢神聖歌は、守野家にとってひどく不愉快な存在。

 

「超常の力を持っていたとしても、人間の肉であれば人間として認識したけどね。貴様の肉はどうだろうね。貴様の身体を構成するのは死肉だろう? それも一人じゃない。三人分の死肉。この私様にそんなもんを喰わせようとは、無礼にも程があるだろう。貴様はもはや弱肉ですらない。そうだな――腐った残飯だ」


 線刃結界の中で嘲笑を続ける三桜に合わせてなのか、聖歌も「ふふふ」と笑い声を出した。

 目は全く笑っていなかったわけだが。


「知った事ではないです」


 冷めた目つきで口だけをにたり歪ませる。

 状況は圧倒的に聖歌が有利。それでも口の減らない三桜が、聖歌は気に入らなかった。


「怯えないのですか? 私がほんの少し操作すればこの線刃結界が一気に収縮し、貴女を圧し切ってしまうというのに」

「なんだ怯えてほしいのか。どんな声がお望みだい? ただし私様は馬でも鹿でも犬でも猫でもないぞ」

「………」

「正解は雌豚でございましたブヒブヒー」


 鼻先に指を当てて鳴き真似をする女に、聖歌は軽蔑の表情を見せた。

 ワイヤーの一本が鋭く突き出て三桜の頬に切り傷を付ける。


「このあばずれの……腐れ売女」

「残念でしたこう見えて私様は処女だ。それに腐っているのは貴様の死肉の方だろう」

「腐ってなどいない」

「死んだ者の肉体は腐り朽ち果てる。それが理なんだよ。防腐剤を使って腐蝕を防ごうが、魂を失った肉体は、腐蝕の道を辿るしかない。それは生ける者なら誰もが受け入れなければならない現実であり、己の魂を収めていた器に対する敬意でもある。貴様は器を腐らせながら未練がましく漂い続ける死霊だよ」

「黙れ! 貴女はそんなこと言わない! 言わない筈なの!」

「……は?」

「私の身体を――妹を侮辱する人間が居るものですか! 三桜ちゃんはそんなこと言わない! 言わない人間!」


 おそらく、聖歌はまだ半日前の三桜と目の前の三桜を同一視できていない節があるのだろう。

 ただ並折の結界を求めて訪れただけの逃亡者。

 そう思っていた女が、実のところ異常に異常を上乗せしたような世界屈指の殺人集団の一員。キシキシと線刃の擦れる不協和音に包まれても尚、毛ほども動じない超常者。

 半日前までの日常を過ごす姿は、人間として想定内であった。それが突如として豹変した今。自分で『この世界に身を置く以上、こういった関係になるのも避けられません』と言ったにも関わらず、それに適応できていない自分が居る。

 人を人形のように見なし、人形を人のように見なす傀儡屋。人形偏愛症(ピグマリオンコンプレックス)の塊である聖歌には振り幅が大きすぎ、急すぎたのだ。


「あれ? 自分の身体を商売道具にしていた貴様こそ、まさしく腐れ売女なんじゃないか? その点、私様は同性しか愛さないピュアな女だからなあ。もうあれだ、貴様の腐敗臭と私様の純潔な香りでは比べるのも阿呆らしいよ」

「………」

「だからさすがの私様でも貴様は愛せないね。見本として送った先で、文字通りの愛玩人形にされていそうだもん。愛玩人形、わかる?」

「…………」


 頬をひくつかせる傀儡屋。

 少し生かしておけば人形らしく線刃に怯える様を見せてくれるかと思ったのに。


「妹をこれ以上侮辱されるのは、許せない」


 ワイヤーを指先に繋げ、結界収縮の構えに入る。


「貴女にはうんざりします」

「こっちの科白だっつうの」


 三桜の背筋と上腕の筋肉がメキリと音をたてた。

 そして彼女は――広場の石畳に拳を突き刺した。


「な―――」

「そぉら喰らえええええええええ!」


――ビシビシビシビシビシ。

 地面に亀裂が走り、割れた。

 石の畳返し。

 地にワイヤーを突き刺す線刃結界は聖歌のコントロールから離れ、石塊が枷となり使用不能な状態に。

 まるで天地がひっくりかえったような錯覚。

 聖歌の頭上には、三桜が弾き上げた巨大な石塊。

 その影に覆われながら悲鳴をあげるも、彼女の脚力では回避など不可能。


「そんな――!」


 地響きと共に、聖歌は石塊の下敷きになった。

 あっさりと千切れた片腕が外へ転がり、断面から吐きだされた血は水に薄められ流されてゆく。

「血も出るとは精巧な」腕を拾い上げた女はその断面を覗いて唸る。

 外観は人間そのもの。その上、血まで流す。代謝も行う身体は三桜でさえ生きているものと思い込ませた。しかし中身はどうだ。

 人間がおよそ体内に仕込んでいる筈のないモノが詰まっていた。

 骨の中には鉛の筒が通い、筒の中を幾本もの鋼線が走っている。鋼線は千切れることなくずるりと埋まった聖歌の方へ伸びていた。あとはゴム管に包まれた銅線。これは指先のワイヤー射出・巻き取りギミックの一部だろう。

 よくもまあ、あの細身の中にこんなものを仕込んだものだ。

 傀儡屋の技術に素直に感心してしまう。

 面積の少ない脂肪層。細胞も健在。聖歌の言う通り、それは確かに腐っていない肉体だ。

 しかし三桜は腐った死肉であるという言い分を取り下げるつもりなどなかった。


 肘から千切れた腕を持ったまま、彼女は自分の人差し指を立てる。

 ペティナイフほどの長さまで伸びた爪を、腕のちょうど真ん中あたりの位置――その柔らかな皮膚に差し込んだ。

 爪が骨に届いた感触。

 そのまま聖歌の腕を回し、一周する切れ込みを入れた。

 切れ込みに爪を四本差し込み、骨だけ残して肉を削ぎ取る。

 爪にこびりついた脂肪や粘液、血液を払い、削がれた肉片と共に血だまりのできた地面へビチャリと落とす。

 骨の剥き出された部分は雨で血を洗い流され、三桜は黄白色をじっくり眺めた。


――骨には、紋様が彫られていた。


「古代の異端術法。それも異端中の異端。禁術ってやつか。この紋様が死肉に生きていると錯覚させていた、いわゆる動力源。初めて見たが……こいつぁ、クレイジーだ」


 顕現したと錯覚させる現実に近い幻想。

 骨から離れ、地面に落ちた肉片は瞬く間に変色し、異臭を放って腐っていた。

 あるべき姿に、戻ったのだ。


「む……」


 骨の空洞から垂れた鋼線がピクリと動いた。

 鋼線の続く先――聖歌が埋まっている砕けた石塊。そこが微弱に揺れている。


「精巧な上に頑丈ってか。しぶとい人形だ」

「か……かはっ……」


 積もった石が次々に転がる。

 そう。巨大な石塊の直撃を喰らい、押し潰されても、矢神聖歌はまだ動いていた。


「早く死ね。ああ、もう死んでるのか。どう言えばいいんだ」

「うぐ……うううう……」


 砕けた石塊の隙間から一本の腕が伸び、そのさらに奥から視線が伸びてきた。


「なんて……ちからなの……」

「純血一族を嘗めすぎだろ貴様。あんなモンで動きを封じられると思っていたのかよ」

「な、なみおりの……け、けっかいは……じゅ、呪詛を……」

「あ?」

「呪詛を……弱効化……するはずなのに……」

「おお確かに」ぽん、と手の平に拳を当てる。「そういえば完全な獣化ができなかったから、妙だと思っていた。なるほどね、純血一族の諜報員がことごとく殺されたのは、呪詛弱効化という結界効果があるからなのか。いいこと聞いちゃった」


 状況は逆転。

 三桜は石の上に座り、肩を揉みながら首を回している。

 勝敗は決した。そういうことなのだろう。


「か、かんぜんな……獣化ですって……? あなた……まだ余力を……」

「当然だろうが。どうして私様がたかだか人形遊戯ごときに本気を出さにゃならんのだ」

「…………」

「私様もいい歳なんでね。お人形さんと遊ぶ時期はとうに過ぎているんだよ」

「て――し、ろ」

「ああ?」


 まともな発声すらできていない聖歌に、三桜は耳に手を添えて聞き返す。

 石と石の隙間から覗き込み、「聞こえんなあ」と大声で伝える。


「――回しろ」


「ちゃんと喋りやがれ残飯人形!」


「撤回しろと言っているんだああああああああああ!」

「な――っ!」


――ピピピピピピン!


 反射的に両腕で顔を覆った三桜は後方へ飛び退いた。かろうじて切断を免れたものの、彼女の腕や脚には深い切り傷ができている。

 五本のワイヤーは唐突に石を貫いて突き出てきた。

 まるで生きているようなうねり。

 まるで感覚器官を身に付けているような挙動。

 五本の蛇のように、すべてのワイヤーが三桜を切り裂いたのだ。


「許さない許さない許さない」


――ビュン!

――ビュルン!

 石の下から突き出たワイヤーは狂乱する。


「人形遊戯……! お人形遊び……! 私の業が、戯れだと……!」


――パシン!

――パンパンパンパン!

 鞭のようにしなる五本が石を叩きまくるその光景は、頭を打ち付ける狂人の姿を連想させる。


「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる」


 距離を置く三桜の目の前で石が切り刻まれてゆく。

 言葉を発する間もない。

 ものの数秒。歪だった石塊は、小さな小さな綺麗な綺麗な、断面の整った欠片になってしまった。


 その下からようやく傀儡屋の女は上半身を起こし、姿を現す。

 もはや人間とはほど遠い。

 矢神聖歌とはほど遠い。

 皮膚の大半が剥がれ、各所から鋼線の飛び出した異形。


 悲惨で哀れな、人間に成りすました人形の、なれの果て。

 喉の亀裂から荒い呼吸音を出す聖歌。彼女は完全に発狂状態だった。


 対して三桜の方は――、

 呆れ冷めた眼差しで壊れかけの人形を眺めていた。

 興味なんて失せていた。

 放っておいてもこいつは勝手に壊れる。

 喰えもしない人形の相手など、もう興醒めてしまった。


「遊びだよ遊び。貴様そのものが玩具。おもちゃの国からやって来たお人形さん。もはや壊れかけの貴様に、なんの価値がある? 貴様の遊びに付き合わされた私様の身にもなれよ」


 顔に付いた血を乱暴に腕でぬぐい、手の甲に付けられた切り傷の患部をペロペロと舌で舐めながら言った。

 脚が潰れて、へし折れて、無数の鋼線が絡み合って、移動なぞできるわけもない矢神聖歌の哀れな姿。広場の中心で荒々しく肩を動かす彼女から離れるように、三桜はゆっくりと後退する。


「待ちなさい……待てよ守野三桜ぉ!」


 聖歌は叫び、残った唯一の片腕を力いっぱい振る。

――ぶち。ぼとん。

 縫合糸がすべて切れ、その腕も空しく地に落ちてしまった。


「撤回しろ。撤回しろぉ……」

「やだね。純血一族に手を出し、嘗めた真似をした報いだ。ついでに貴様のお遊戯に大勢を巻き込んできた報いも受けろ」

「お願いだから、撤回しなさい……。妹が……私の妹まで……私の妹への愛情まで……否定しないで……」


 絡まった下半身によってバランスを崩し、聖歌は全身を水の溜まる地面に打ち付けた。

 受け身すら取れないしたたかな衝撃。痛覚機能の停止した聖歌はそれでも顔を上げ、背を向けて歩き出した女を呼んだ。

 振り向きもしない。

 ついには首の接合部が鈍い音と共に折れ、顔面が水飛沫を上げて地に激突した。

 聖歌の全身はもう言う事をきかない。

 溜まる水に顔が沈んでゆく。


 顔の無い子供の像と女性の像が、地にへばりつくがらくたを見下ろしている。

 通行人が広場に少しでも足を踏み入れれば命を落としたというのに、中心に位置する像には傷一つなかった。


 絡まる鋼線に巻き込まれた無線機。ノイズ混じりに傀儡屋の名を呼ぶ声。応答者はなし。

 雷の鳴轟と爆光を腹に抱えた雲が、今後も容赦なく涙雨を流さんと並折の空に腰を据えている。


(どうして……)


 ひたすら雨粒を全身に受け続ける矢神聖歌が、二度と晴天を目にすることはないだろう。


(私は、なにも、悪くなんて……)


 眼窩や鼻腔から垂れ流れるのは、後頭部の亀裂から入り込んだ雨水。


(私はただ、姉として姉姉姉と姉と聖歌お姉ちゃ姉ちゃんががが……)


 回線はショートし、頭蓋骨の中でなにかが弾け、


(あの子の……すすす好き……にん……ぎょ……う)


 脳髄も機能を停止。


(――――)


 偽りの表情を模していた瞼も頬肉も動くことはない。動かす思考回路もない。

しかし最後に意思なき彼女の唇だけが水中で微動した。


「と、もも……かか………智……歌……」


 誰にも聞こえることのない溺れた呟き。


 固定された眼球。その視線の先には、千切れた片腕。

 爪のない指の一本には――、


「……………」


 指輪の跡が残っていた。



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