婚約破棄の場で「次の婚約者」に指名されましたが、私にも選ぶ権利があります
「エレノア・バージェス。貴様との婚約は、今この場をもって破棄する」
王太子殿下の声が、夜会場に高く響いた。
シャンデリアの光の下、絹のドレスと宝石に包まれた貴族たちが、一斉に息を呑む。
私は王太子殿下の隣に立たされていた。
最初は、ただの証人なのだと思っていた。
殿下に呼び出され、夜会の中央へ連れてこられ、逃げる暇もなく隣に置かれた。それでも、王族の命令に逆らえるほど、モルガン子爵家の娘である私に力はない。
だから黙っていた。
黙って、早く終わることだけを願っていた。
けれど。
「そして私は、真実の愛に生きる。次なる婚約者は、ここにいるリディア・モルガンだ!」
その瞬間、私はようやく理解した。
私は証人ではなかった。
次の鎖として、ここに飾られていたのだ。
「……お待ちください、殿下」
声は震えた。
けれど、出た。
王太子殿下が、驚いたように私を見る。
「リディア?」
「私は、そのようなお話を承諾しておりません」
夜会場が、さらに静まり返った。
婚約を破棄されたエレノア様が、涙に濡れた瞳で私を見る。責めるような色ではなかった。ただ、理解が追いつかないという顔だった。
きっと私も同じ顔をしている。
「何を言っている。君は私を慕っていただろう」
「慕っておりません」
王太子殿下の眉が跳ねた。
「照れなくていい。君はいつも私に優しかったではないか」
「王族に冷たくできる令嬢が、どれほどいるとお思いですか」
誰かが小さく息を呑んだ。
私は両手を握りしめる。爪が手袋越しに掌へ食い込んだ。
「私が笑ったのは礼儀です。お手紙に返事をしたのは、返さなければ父の職に差し障ると、殿下の側近から言われたからです。舞踏会で手を取ったのは、殿下が私の手首を放してくださらなかったからです」
「リディア!」
「私にも、婚約相手を選ぶ権利がございます」
言い切った。
その瞬間、足が震えた。
怖くなかったわけではない。今すぐ床に膝をついて謝りたかった。父の顔が浮かんだ。母の青ざめた顔も。モルガン家が明日どうなるのかも分からない。
でも、ここで頷けば、私は一生、殿下の“真実の愛”という名の檻に入れられる。
そして、エレノア様は一生、私に奪われたのだと思わされる。
それだけは嫌だった。
「私は、エレノア様に嫌がらせなどされておりません」
エレノア様が目を見開いた。
「リディア様……?」
「お話しする機会を何度も探しました。でも、殿下の側近に止められました。エレノア様に近づけば、私が嫉妬しているように見えると。だから、私は何も言えませんでした」
王太子殿下の顔から血の気が引いていく。
「違う。君は私を愛している。そうでなければ、あの時、私にハンカチを渡したりはしない」
「殿下が転ばれて、鼻血を出していらしたからです」
ざわ、と会場が揺れた。
「中庭で泣いていた私に、君は声をかけた」
「植え込みに隠れて泣く王太子殿下を見つけて、見なかったふりができる令嬢がいるなら、ぜひ紹介していただきたいです」
今度は、はっきりと笑い声が混じった。
王太子殿下の顔が赤くなる。
エレノア様が、ゆっくりと私の隣へ歩いてきた。
断罪されたばかりの令嬢とは思えないほど、背筋が伸びていた。
「リディア様」
「はい」
「私、あなたを誤解しておりました」
「私も、何も言えず申し訳ありませんでした」
二人で向き合い、同時に頭を下げた。
王太子殿下が口を開く。
「な、何をしている。エレノア、お前は罪人だぞ。リディア、君は私の――」
「殿下」
エレノア様が静かに遮った。
「私への嫌がらせの証拠があると仰いましたね。では、その証人を今ここへお呼びください。私も、リディア様も、逃げも隠れもいたしません」
私は息を吸い、頷いた。
「私からもお願いいたします。私が殿下を愛しているという証人も、ぜひ」
王太子殿下の口が、力なく開いた。
その顔を見て、私は少しだけ笑った。
真実の愛。
その言葉は、きっと美しいものなのだろう。
けれど、誰かの口で勝手に決められた愛など、私にはいらない。
私はエレノア様の隣に立つ。
たったそれだけのことなのに、ようやく息ができた気がした。
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