幸福な時間
「こんにちは、今日も綺麗だね」
「…………」
それから、二週間ほど経た昼下がり。
例の神社にて、桜の樹の下に静かに佇んでいた少女へとそう声を掛ける。……なんか、台詞だけ聞くと軟派っぽい感じになっちゃったかも。でも、綺麗って言ったのはあくまで桜のことで……いや、彼女も綺麗だけども。
ともあれ、やはり言葉を発しない。それでも、例の如く無邪気な笑顔を湛えそっと頷いてくれる。そんな彼女の様子に、胸の中にじわりと温もりが広がって。
あの日――初めてここで彼女と会った日から、僕らはこうして度々会っている。まあ、度々と言ってもまだほんの二週間ほどではあるけども。ともあれ、何かしら約束を交わしたわけでもないのに……それでも、これが直観というものだろうか、今日は彼女が待ってくれているであろうことが何となく分かったり……まあ、僕の思い上がりなのかもしれないけど。
「……それでね、その後がほんとに大変だったんだ。一匹に餌をあげたら、遠くにいた鹿達までたくさん集まってきちゃって。その後、すっごい追いかけられちゃってもうヘトヘトで」
「…………」
それから、ほどなくして。
他愛もない僕の話に、クスクスと可笑しそうに微笑んでくれる清麗な少女。こういう反応をしてくれると、まるで自分が話上手のような錯覚に陥ってしまいそうだけれど、実際は彼女が聞き上手なだけで……うん、勘違いしないよう気を付けなきゃね。
ともあれ、彼女と過ごす時間はだいたいいつもこんな感じで。僕が一人ひたすら話し続け、彼女は終始柔らかな笑顔で耳を傾けてくれている。多少なり申し訳なさはあるけれども……同時に、僕らにとってそれが自然のようにも思えてきて。
「それで、その後なんだけど……あっ!」
直後、言葉が止まる。そして、思わず大きな声が洩れる。と言うのも……不意に体勢を崩した僕が、彼女のすぐ正面へと接近する形になっていたから。
「……そ、その、ごめん!」
そう、慌てて謝罪し離れる僕。……ただ、一つ言い訳させてもらえるなら、不意に体勢を崩してしまったのには一応の理由があって。と言うのも――
「…………ふぅ」
ほっと、安堵を洩らす。視線の先には、靴跡の少し外に落ちている一片の花弁。……ふぅ、良かった。危うく踏んづけてしまうところで――
「……あの、どうかした?」
ふと、そんなことを尋ねてみる。と言うのも――どうしてか、これまでに見たこともないほど嬉しそうな笑顔を浮かべていたから。……えっと、いったいどうし……うん、まあいっか。理由が何であれ、彼女が嬉しいのなら何の問題もないんだし。
その後も、他愛もない話に花を咲かせる僕ら。……いや、話してるのは僕だけか。ともあれ、この不思議な少女との穏やかで幸福な時間がいつまでも続く――どうしてか、何の根拠もないのに、そんな楽観的な未来を当然のように思っていたんだ。




