追憶
「………………あ」
卒然、右肩へそっと何かが舞い降りる。見ると、それは仄かに赤みを帯びた一片の離弁花――そう、桜の花弁で。この季節が巡る度、この花を目にする度、懐古のような、悲哀のような感情が胸を去来する。そして、僕はこの季節を――この花を、どうしても好きになれない。
だって……美しくも儚いこの花を見ると、どうしても思い出してしまうから。――どうしても、あの幻想的な少女と重ねてしまうから。
「……ふう、やっと着いた」
ある春の日の昼下がり。
半ば息を切らしながら、やっとの思いで数百段もの階段を登り切る僕。すると、眼前に現れるは鮮やかな朱色の門――ここから先は聖域であることを告げる、神社の象徴たる神明系の鳥居が。もう幾度となく足を運んでいるとは言え、それでもその荘厳な雰囲気に毎度のように身の引き締まる思いがして。
深く畏敬の念を抱きつつ、ゆっくり足を踏み入れ境内を進んで行くと、この聖域においてひときわ存在感を放つ神様のお住まい――荘厳な社殿が、二匹の狛犬に守られるように聳えていて。……だけど、僕がここに来た一番の目的は――
「……うわぁ」
境内の隅へと歩みを進めた後、感慨に浸りつつそんな呟きを洩らす僕。……まあ、もう幾度も見てるんだけども……ともあれ、そんな僕の視線の先に映るは――この空間全てを優しく見守るように静かに佇む、一本の小さな桜の樹で。……そう、こうして聖域で一人、この桜の樹を眺め過ごすのが僕の至福の――
「…………え?」
ふと、現実へ戻る。と言うのも……卒然、右肩にそっと柔らかな感触を抱いたから。
思いも寄らない突然の事態に、驚愕しつつ徐に振り返る僕。……いや、この言い回しは少し大袈裟かな。後方からそっと肩を叩かれただけだし。ともかく、振り返ってみるとそこには――
「…………えっと」
そこにいたのは、恐らく僕より少し年下くらいの女の子。爽やかな白のワンピースに、少し大きめの麦わら帽子――そして、そこから覗く綺麗な薄桃色の髪に、水晶のように透き通るつぶらな瞳。僕が評するのも何様という感じだけど……紛れもなく、美少女と言って差し支えないだろう。……ただ、それはそれとして――
「……えっと、僕は皆川湖春と言います。それで……もし良かったら、君の名前を教えてほし……」
そう口にするも、言葉が止まる。何故なら――僕に注意を向けさせたはずの少女が、何一つ言葉を口にする気配もなく、ただ淡い微笑で僕をじっと見つめているだけだったから。
……えっと、僕に用があるんだよね? 僕の肩を叩いたのは、彼女で間違いないだろうし。でも、いったいどういう――
「……あ、ごめん! もしかして邪魔だったかな?」
刹那、慌てて樹の前を去ろうとする。……そうだ、当然だけどここは僕だけの場所じゃない。きっと僕の方が年上だし、言いにくかったのだろう。気付かなかったとは言え、申し訳ないことをしてしま――
「…………え?」
刹那、再び驚愕し目を見開く僕。どうしてか、少女が控えめに僕の袖を掴んでいたから。顔を上げると、彼女は大きく首を横に振っていて……邪魔、というわけではないのかな。だけど、それならどうして――
「……まあ、何でもいいか」
どうして僕に――そう思考して、止めた。理由なんて何でもいい――彼女の無邪気な笑顔を見てると、そんなふうに思えてきたから。




