第34話 決めた理由
チャッピー(ChatGPT)にて執筆し手直ししたものを掲載しています
Moonのドアを閉めたあと、厨房の小さな丸イスに腰を下ろした。深夜2時をまわって、店の空気もようやく落ち着いた頃。グラスを片づけながら、なんとなくママを呼び止めた。
「ママ……ちょっとだけ、ええ?」
ママは洗い物をしていた手を止めて、顔だけこちらに向ける。「んー? なに、急に真剣な顔して」
「うち、Moon……辞めようかなって思ってて」
言い切った瞬間、心臓がどくんと跳ねた。思ってたよりずっと小さな声だったけど、ちゃんと届いてたみたいで、ママの動きがピタリと止まった。
「……そっか」
「いや、嫌なことがあったとか、誰かに何か言われたとかじゃないよ? Moonのこと、ずっと好きやし。ママにもすごい感謝してるし」
あわてて言い足すと、ママはタオルで手を拭きながら、私の正面に座った。やっぱりこういうとき、ママは逃げへん。真正面から、ちゃんと受け止めてくれる。
「じゃあ、なんで?」
しばらく、言葉を選んだ。
「……水商売が悪いとか、そういうんじゃないんや。ただ……誰かひとりの人を本気で好きになって、その人にちゃんと向き合おうと思ったら、うちは……他の男の人と笑って話すのが、だんだんつらくなってきて」
ママは黙って聞いてた。
「今までみたいに、上手くやれる自信がなくなった。接客の顔と、素の顔が、うまく切り替えられんくなってきた。自分でもこんなに不器用やと思ってへんかったんやけど……」
自分で話していて、少しおかしくなった。こんなことで泣くなんて。
「恋してるんやね」
ママのそのひと言に、不意に涙が溢れた。
「……うん」
「よかったやん」
ぽん、と肩を叩かれる。あったかくて、すこしだけ胸が苦しい。
「でも、次、どうするか決めてる?」
「それが……なかなか難しくて。私高卒やし」
「それやったら岡崎さんからいい子いないかって言われてたから話してみようか?事務らしいからパソコン仕事やと思うけど、どうする?」
少しの沈黙のあと、私はゆっくりうなずいた。
「是非お願いしたいです。」
「わかった。うちから連絡してみるよ。……でも、がんばりや。あんたみたいなタイプ、真面目に働いたら、絶対好かれると思うし」
「ありがとう、ママ」
私はその夜、少しだけ長くママと話してから、店をあとにした。
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翌朝、ママからの連絡で岡崎さんと話がついたと聞いた。「来週、面接できるようにするって。ようさんの部署とは違うけど、庶務で空きがあるみたいよ」と、優しい口調だった。
ほっとする反面、なんだか急に現実が近づいてきたような気がして、少しだけ緊張した。
けれど――言わなきゃいけない人がいる。
その夜、ようさんのアパートへ行った。珍しく私から誘ったからか、彼はちょっとそわそわしてるように見えた。
「なんか、あった?」
いつものようにお茶を出してくれるその手に、私は視線を落としたまま、小さくうなずいた。
「ようさんに……話したいことがあって」
少し間を置いてから、ゆっくり言葉を選ぶ。
「Moon、辞めようと思ってる」
ようさんの目が見開かれた。そのまま固まったように動かなくなる。
「え……?」
「ちゃんと話、聞いてな? 勘違いしてほしくないねん」
私はまっすぐ目を見た。
「水商売が嫌になったわけやない。Moonも、ママも、みんな大好き。でも、うちは……ようさんと付き合いたいと思ってるし、ようさんのこと、本気で好きやから」
喉が詰まりそうになったけど、それでも続けた。
「他の男の人に笑いかける仕事、やめたい。自分の人生、ちゃんとひとりの人に向けたいって、思ったから」
ようさんは少し目を伏せて、それから、ぽつりとつぶやいた。
「……ありがとう。そんなふうに思ってくれて」
「仕事のあてがないままやったら、不安やから、ちゃんと次決まってから辞めるつもりやで。ママに頼んで、岡崎さんに紹介してもらって、来週、面接行くことになった」
「そうなんや……」
彼の声は、ちょっと震えてた。
「……でも、俺……なんか、うれしいわ。うれしいけど、ちゃんと考えてくれたんが、ありがたい」
そう言って、ようさんが少しだけ照れたように笑った。
「ようさんと一緒の職場とか、ちょっと恥ずかしいけど……」
「恥ずかしくないよ」
不意に、彼が手を取ってきた。手のひらの温度が、心までじんわり伝わってくる。
「俺も、ずっと一緒にいたいと思ってる。けど、けいちゃんがそう思ってくれてるなんて、ほんま、夢みたいやわ」
「夢じゃないよ」
私は笑って言った。
「やっと、ちょっとだけ素直になれた気がするんよ」
その夜は、ふたりで手をつないだまま、テレビの音だけが静かに流れていた。
未来の話を、少しだけ口にした。 仕事のこと、生活のこと――そして、きっとその先のことも。
けれど、それを声に出すのはもう少し先でいい。 今はただ、この一歩を、ちゃんと歩き出せたことだけで、十分だった。