第21話 待ち合わせのその先で
チャッピー(ChatGPT)にて執筆し手直ししたものを掲載しています
いつものMoonの帰り際
「今週末、ちょっと時間ある?」 僕の声は、思ったよりずっと軽かったと思う。
それなのに、けいちゃんは少し目を丸くして、「……んー、たぶんあるよ?」と答えた。 なんでもない週末の誘いにしては、間が空いた。
「じゃあ、土曜の夕方、駅のロータリーで待ち合わせしよっか」
そのひとことで話は終わったけど、彼女はそれ以上なにも聞いてこなかった。 誕生日を知っていること、何かをしようとしていること、きっと気づいている。 それでも、あえて深く踏み込まないのがけいちゃんらしい。
金曜の夜、Moonでは珍しく団体の予約が入っていて、僕は短い時間だけ顔を出した。 けいちゃんは相変わらず明るくて、お客さんと笑いながら軽快にやりとりしていたけれど、何度か目が合ったとき、ほんの少し、表情が揺れて見えた。
きっと疲れてるのかもしれない。 それとも、明日を期待してるのか、してないふりをしてるのか。 どちらにしても、僕は彼女にとって、ちゃんと「いてくれる人」になりたいと思った。
約束の土曜、天気はよく晴れていた。 少し早めに駅の改札に着くと、カフェラテを手にした彼女が、すでにベンチに座っていた。
「やーん、早いよ、ようさん。先に来ちゃった〜」 そう言って笑う声は軽やかで、でもどこか、張り詰めたようにも聞こえた。
「うん、ちょっとだけね。……なんか飲む?」
「大丈夫。もう飲んじゃってるし」
紙コップをくるくる回して見せたけど、中身はもう半分もなかった。
今日は、彼女をちょっとだけ遠くまで連れていくつもりだった。 特別なレストランでも、豪華なプレゼントでもないけど、できる限りの準備をしたつもりだ。
でも本当は、何をどうしたって、あの子の心に届くかどうかなんて、分からなかった。
「……けいちゃん」
「ん?」
「ちょっと歩くけど、いい?」
「もちろん。あたし、歩くの得意だよ? なんたってヒールで8時間立ってられる女だからねっ」
そう言って得意げに笑うけど、その横顔にはやっぱり、少しだけ緊張の色があった。
電車に乗って、乗り継ぎをして、目的の駅に着いた頃には夕暮れが始まっていた。 あたりは静かで、観光地でもなんでもない、どこかのんびりした海辺の街だった。
「……わ、海?」
「うん。……前に、夜景もいいけど、潮のにおいって落ち着くって言ってたから」
「……覚えてたんだ」
「うん」
そのとき、けいちゃんの足がふっと止まった。
「ごめん、なんか……ちゃんとしなきゃって思ってたんだけど、あたし、ちょっと、変な感じかも」
「変な感じ?」
「うん、なんかさ……誕生日って、やっぱりちょっと気恥ずかしいっていうか、期待しちゃいけないって言い聞かせてたのに、期待してる自分がいて……」
風が吹いて、彼女の髪が頬をかすめた。
「でも、うれしい。ほんとに。ありがとう、ようさん」
その声は、いつものテンションよりずっと静かで、まっすぐだった。
海辺の道を、ふたりで歩いた。 まだ陽は残っていて、水平線のあたりが橙色ににじんでいる。 少し潮風が強くて、彼女は細い腕で自分の髪を押さえながら、笑った。
「うわー、ほんとに海。しかも人いないし、なんかドラマっぽい」
「……そう?」
「うん、こういうとこって、カップルで来ると照れるんだよね。べ、べつに……あたしたちがそうってわけじゃないけどっ」
そう言って照れ隠しのように笑うけいちゃんを、僕は黙って見つめていた。 彼女はその視線に気づいて、ふと真顔になってこちらを見た。
「……なに?」
「いや、そういうの、うれしいなって」
「なにが?」
「そういう、素直じゃないとこ」
けいちゃんは少しだけ口元をゆるめて、「それ、褒めてないよ」とぼそっと言った。
堤防の先端に小さなベンチがある。 少しだけ潮の匂いが濃くなるその場所に、ぼくらは腰を下ろした。 空はすっかり赤く染まっていて、遠くに船のシルエットが揺れていた。
「ほんとはさ、誕生日ってあんまり好きじゃないんだよね」
不意にけいちゃんがぽつりと言った。
「うれしいって言えばいいのに、期待されてるみたいで息苦しくてさ。なんか毎年、ひとりで過ごしたくなっちゃうんだ」
「……そうだったんだ」
「でもね、今年は違うかもって……思ってた。ううん、思いたかったのかな。ようさんが、もしかしたらって」
そう言って、彼女は前を向いたまま、小さな声で続けた。
「だから、ありがとう。ほんとに、うれしいよ」
ぼくはしばらく返事ができなかった。 彼女の声には、今までよりずっと深い色があって、軽く聞き流せるようなものじゃなかった。
強がって、笑って、ごまかして、それでも期待してしまう。 その不器用さが、胸に染みた。
「けいちゃん」
「ん?」
ポケットから、小さな包みを取り出した。 けして高価なものではないけど、何日も悩んで選んだ、彼女のことを想って選んだもの。
「誕生日、おめでとう」
差し出した手に、彼女は目を見張ったあと、そっと受け取った。
包装を開けると、手のひらに収まる小さなガラスのペンダント。 光にかざすと、内側に小さく名前の頭文字が刻まれている。
「……これ、刻んであるの? 名前……」
「うん。けいちゃんのと、ぼくのと。目立たないように、でもずっと見てられるようにって……」
彼女はそのペンダントをじっと見つめたまま、なかなか言葉を返さなかった。 ただ、指先が震えているのが、風の音の中でも分かった。
「……ねぇ、ようさん」
「うん」
「これ……ずっとつけてていい?」
「もちろん」
「ふふ、よかったぁ……ありがとう。あたし……うれしすぎて、なに言ったらいいか分かんない」
そのときの彼女の笑顔は、月明かりが照らす前の、最後の夕焼けみたいだった。 やわらかくて、ちょっとまぶしくて、でもどこか儚げで。
帰りの電車の中、けいちゃんは少しだけ寄り添ってきて、ぼくの肩に頭を預けた。
「……なんか、今日一日が夢みたい」
「夢だったらどうする?」
「んー……覚めなくていいのになぁって思う」
その声が、ほとんどささやきみたいで、ぼくは答えに迷った。
でもたぶん、それでよかった。 言葉にしなくても、ふたりの間に流れていた時間は、何よりもあたたかかったから。
駅に着いた頃には、もう夜の風が冷たくなっていた。 改札の前で、彼女がふと立ち止まる。
「ねぇ、ようさん」
「うん」
「来年も、今日みたいな日があるといいな」
それは、まっすぐな願いみたいな声だった。 ぼくは黙ってうなずいて、「うん」と小さく返した。
肩越しに手を振るけいちゃんの背中が、人の流れの中にまぎれていく。 その姿を見送りながら、ぼくはずっと心の中でひとつの言葉を反芻していた。
――来年も、その先も、そばにいたい。