第12話 春の誘い
チャッピー(ChatGPT)にて執筆し手直ししたものを掲載しています
Moonのドアをくぐると、いつものようにほんのり甘い香りが鼻をくすぐった。芳香剤の香りだと知っているのに、なぜか安心する。
店内にはまだお客さんは少なく、どこか静けさが漂っている。けれどその静けさは、落ち着いた空気を作り出していて、僕にとっては居心地がよかった。
「おっ、いらっしゃいませ〜!」
明るい声に振り返ると、カウンターの奥からけいちゃんが顔をのぞかせて手を振っている。いつもより少し髪を巻いていて、軽やかに揺れているその姿に目を奪われた。
「こんばんは、けいちゃん」
「また来てくれたんや! うれしい!」
小走りで近づいてきて、僕の前で足を止めた。
「今日はどこ座る?カウンターでも、ソファでも」
「……じゃあ、カウンターで」
「了解♪」
にっこり笑ってくるくると振り返るけいちゃんを、僕は自然と目で追ってしまっていた。
カウンターに腰を下ろすと、ほどなくしてグラスを持ったけいちゃんが戻ってくる。グラスの中には氷が少しだけ入っていて、カラン、と涼しげな音を立てた。
「とりあえずお水。何飲む?」
「……ビールにしようかな」
「お、いいね。今日もお疲れさま!」
慣れた手つきで瓶を開け、グラスに注ぐけいちゃん。その仕草を眺めているだけで、どうしてこんなに落ち着くんだろうと思う。
「……なんか、最近忙しそうやったやろ?ちょっと顔、疲れてる」
「そうか?」
「うん。無理してない?」
そっと僕の顔を覗き込むようにして、けいちゃんが問いかける。その眼差しはまっすぐで、どこか子どもみたいに純粋だった。
「……まぁ、ちょっとバタバタしてたかもしれん」
「そっかぁ。じゃあ、今日はゆっくりしていってや」
その言葉が、胸の奥にじんわりと染みた。
Moonに通い始めて、けいちゃんと話す時間が少しずつ長くなってきた。彼女の笑い方、話し方、気を使わないのに不思議と気が楽になる距離感——全部が心地よかった。
「……けいちゃんって、さ」
「ん?」
「なんで、そんなに人のこと、ちゃんと見てるんだ?」
「え?」
ぽかんとした顔のけいちゃんに、僕は少し恥ずかしくなってビールを一口飲んだ。
「なんか、誰かの機嫌とか、雰囲気とか。よく気づくやん」
「あー……なんでやろなぁ……。たぶん、昔からやと思うけど……」
けいちゃんは少し考え込むような表情をしたあと、ふっと笑って肩をすくめた。
「気づかんかったら、怒られたからかも?」
「……怒られた?」
「うん、まぁ、いろいろと。小さい頃ね〜」
そう言ってけいちゃんは、笑顔を保ったまま視線をグラスの氷に落とした。その笑顔の奥に、一瞬だけ影のようなものが見えた気がした。
「……でもな、あたしね、優しくされたらうれしいし、誰かに気づいてもらえたら、めっちゃホッとするんよ。だから、自分もそうしたいって思うんよね」
その言葉に、なんだか胸がぎゅっとした。
けいちゃんの無邪気な笑顔の裏側に、たくさんの感情があるのだと、あらためて思った。彼女がどんな思いを抱えて、どんなふうに笑っているのか。それを、もっと知りたくなった。
「……けいちゃん、さ」
「ん?」
「今度、どっかご飯でも行かへん?」
思わず口をついて出た言葉だった。けいちゃんは一瞬、目を丸くした。
「えっ、うそ、デートの誘いやん!」
「いや……その、無理にとは言わんけど」
「ふふっ。行く行く。めっちゃ楽しみにしてる!」
ぱっと花が咲いたように笑ったけいちゃんを見て、僕は胸の奥がじんわり温かくなるのを感じていた。
この人のこと、もっと知りたい。
その想いが、少しずつ形になっていくのが分かった夜だった。