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Re:第一話「送信が完了しました」

 兄が死んだ。


 中学二年の夏、家族で遊びに行った海で溺れてしまった私を助けようとして、逆に海に呑み込まれた。


「結生はこれからも、お空から京のことを守ってくれるわ」


 お母さんに言われた慰めの言葉。お母さんは泣いてるのに、現実を直視出来ず泣きすらしない私を慰めてくれた。


 お兄ちゃんは何でも出来た。勉強にスポーツ、ゲームやお菓子作りだって得意だった。そんなお兄ちゃんが私は大好きで、何か嫌なことがあれば両親じゃなくてお兄ちゃんに泣きついたし、良いことがあれば真っ先にお兄ちゃんに報告した。


 そんな私の中心は一瞬にして消えてなくなった。


 私は心に穴が空いたまま、中学を卒業した。


 適当に受けた高校が電車通学だったから、入学前に--別にいらないのに--スマホを買い渡された。


「メールアドレス、設定出来たらお母さんに教えてね」

「お母さんが決めてよ、なんでもいい」


 こんなものがあっても兄は帰って来ない。せめて、私がもう少し早くスマホを手にしていれば、お兄ちゃんとの思い出をデータとして残せたかもしれないのに。


 そんな思考がお母さんに届いたのか、お母さんは私の頭を撫でながら優しい笑顔で言った。


「メールアドレスってね、基本は変えないの。だからね、自分を象徴する何かを入れたり、好きなものや思い出を詰め込むこともできるのよ。結生なんて蜘蛛が好きだったからアドレスに『spider』なんて入れてたわ。ふふっ、変な子よね」


「私の好きな、もの……」


 私の中心はお兄ちゃんだった。だから好きなものもお兄ちゃんとの思い出からしか出てこない。蜘蛛のこともよく覚えている。お兄ちゃんはなんでも出来るのにその点だけは意味がわからなかった。


『なあ、京。蜘蛛って凄いんだ。様々な害虫を駆除することで益虫とも呼ばれてる。しかも人間を襲うことも無くて、蜘蛛が病気を持ち込むこともない。俺は京の周りから害虫を駆除する蜘蛛になってやる』


『えー、お兄ちゃんが蜘蛛? 蜘蛛って見た目が怖いから私はちょっとなぁ……でも守ってくれるのは嬉しい!』


『ははっ、京はユリのように可愛いからな! ほんとに害虫駆除しなきゃいけない日が必ずやってくるさ』


 こんな会話をしたこともあった。当時はよく分からなかったが、兄は--家族の贔屓目で--私のことをユリと称して害虫駆除、恐らく何処の馬の骨とも分からない男どもから守ると言いたかったのだろう。


 そうだ、お兄ちゃんの好きだった蜘蛛を私も入れよう。そしてその記憶に結び付くユリ、英語で書くと『lily』だったかな。それも入れて……あ、名前も入れた方がいいかな。


「お母さん、アドレス、出来たよ」


 私は『miyako_spider_lily』と書いたメモをお母さんに渡した。


 その翌日、メールの着信音が鳴った。


 高校は何故か金曜に入学式のため、四月になったとはいえまだ四日ほどは春休みだ。だから平日は家に誰もいない。


 仕事中のお母さんが何か用があってメールをしてきたのかな、とスマホを手に取った。


『from:yuki_firefly』


 スマホの画面はお母さんでもお父さんでもない、別のメールアドレスからメールが受信されたことを伝えていた。


「ゆ、き? ……いや、ゆうき? えっ、うそ……」


 ありえない。だってお兄ちゃんはもう、いない。亡者からのメールなんて、どこのファンタジー世界だ。お兄ちゃんが恋しくてとうとう幻覚まで見始めたんじゃないか。けど、何度見てもメールは確実に届いていた。


 私は恐る恐るメールを確認する。


『兄ちゃんは今日から大学生だぞ。私服登校って楽でいいな。そういえば大学の近くにスイーツ店があって苺のタルトがあったぞ。食べたいか? みやこは苺大好きだもんな』


 今日から大学生。


 確かにお兄ちゃんが生きていれば、私と三歳差だから大学生になっている。じゃあ本当にお兄ちゃんかと言われると違和感はある。

 苺のタルトは好きだが、それはお兄ちゃんが作る苺のタルトだから好きなのであり、スイーツ店の苺のタルトが好きかと言われると、そもそも食べたことがない。苺の単品も好きか嫌いなら好きだが、好んで頻繁に選ぶことはないと思う。


 一般的に考えれば、迷惑メールの可能性が一番濃厚だろう。もしくはケータイショップの不備で情報漏洩があって、メールアドレスが犯罪者に流れた、なんてことも無い話じゃない。


 不信感は残るが、そんなことよりお兄ちゃんと会話が出来るんじゃないかという有り得ない希望が、私の空いてしまった中心を少し埋める。そうなってしまったらもう、疑念とかどうでもよかった。


『京だけど、本当にゆうきお兄ちゃん、なの?』


 とても端的な内容になっちゃった。


 返信する勢いだけはあったが、なんて返信すれば良いかが分からなかった。だってしょうがないじゃん。昨日スマホを買ったばかりなんだもん。それでも『ゆき』なのか『ゆうき』なのかは確認したかった。

 貴方が兄を騙る犯罪者なのか、それとも本当に兄なのか。


 私は祈りながら送信ボタンを押した。


 ずっと祈る姿勢で待ち続け、体感一時間ほど経ったところでスマホが震えた。時計を確認すると十五分も経っておらず、自分がどれほど返信を待ち侘びていたかがわかる。


『急にメールを送ってしまいすみません。妹から教えてもらったアドレスに送ったのですが、別の人に届くとは思いませんでした。俺は『悠生』と書いて『ゆき』と読みます』


 届いたメールは案の定というか、期待なんかしていない期待通りの間違いメールへの謝罪だった。


 そっか、やっぱりお兄ちゃんはいないんだ。


 二分の一の確率を外してこの人の名前は『ゆき』だった。


 悠生さん。悲しいことにお兄ちゃんの名前、結生と一文字違いという点で自分でもよく分からない喜びと絶望を同時に味わっている。


 それに加えて、このメールの返しから察するに悠生さんには妹がいるようだ。しかも私と同じ『みやこ』という名の。


『ゆき』と『みやこ』の兄妹、そして何故か噛み合ってしまった蜘蛛とユリ。妹さんはなんでそんなヘンテコなメールアドレスにしたのかな? ……いや、私がそのヘンテコなメールアドレスにしているのだから、同じ思考回路なのかもしれない。


「ちょっと……聞いてみよう、かな」


 それはお兄ちゃんがいなくなってから、初めて手に入れた関心だった。

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