第七話「みやこの存在」
講義が終わって、凝った肩を解すようにグルグルと回す。今日は二コマしかないから午前で大学は終わりだ。
「おう岸、お前今日午前コマだけだろ。暇ならボウリングでも行かないか。女の子三人集めたんだが、男が僕と筋肉ダルマで一人足らなくてね」
帰宅するため席を立ったと同時に、黄金井から遊びに誘われた。しかし、現在進行形で何かしらを受信しているスマホが、俺の行動を制限する。
「悪い黄金井、今日は用があって無理だ。体積二人分の若月だけで我慢してくれ」
「そうか、用があるなら仕方ない。僕が三人まとめて愛すことにしよう」
「お前……間違っても女子に直接言うなよ」
「当たり前だ。ノリをノリとして分かるやつにしか言わん。ほら、用があるならさっさと帰れ」
黄金井に手で追い払われて教室から出る。
学生専用バス停まで歩き、バスを待っている間にスマホを確認。まずはメールが一件、もちろん京からだ。
『ちゃんと授業受けましたよ。世界史の期末テストは教科書の三十五頁から八十六頁だそうです。来週からテスト期間なのに今日からテスト作るらしいですよ』
「いや、もうメモ帳機能で良いだろそれは」
授業をちゃんと受けたことの報告をするのは分かるが、俺にテスト範囲を教えてもなんの得にもならない。それとその教師は一度怒られた方がいい。
思ったことをそのままメールに書き出して送信し、今度はメッセージ。明日音さんから五件。流石は女子高生、文字を打つのが速い。
『あかね:授業、真面目に受けました』
『あかね:だから先程の質問に答えてください』
『あかね:京が授業中に別のことをやるなんて、今まで見た事がありません』
『あかね:あなたという存在が、京に悪影響を及ぼしていませんか』
『あかね:京に何かする気なら、あたしが許しません』
「おお、随分な言われようだ」
明らかな敵対心を向けられて、どこかホッとしている自分がいる。歪な関係を歪と言われた方が気が楽というものだ。そして京、明日音さんにスマホ弄ってるのバレてるぞ。
『悠生:授業お疲れ様です。もちろん答えますけど、お昼は食べなくて良いんですか?』
『あかね:京と一緒に食べてます』
いや度胸凄いな、この子。
ひとまず更なる詰問に遭う前に、さっさと答えよう。
『悠生:名前はアカウントの通り悠生、読み方はゆきです。一般男子大学生、目的は無いです』
答えはしたが、これ納得されないよな。美矢子の近くにこんなやつが来たら、俺も疑う自信がある。
だけど、目的なんてない体なんだ。目的は京も俺も同じだと思うが、明確にしないことを俺たちは選んだ。それを別の人間に言うのは違う気がする。
『あかね:隠すってことは疚しい気持ちで京に近付いてるってことですよね』
『悠生:隠していません。恐らく京本人も同じことを答えると思います』
『あかね:京のことを分かったつもりでいるんですか? 会ったこともないくせに』
うーん、こちらが邪である限り、正論がたくさん飛んでくる。そこは同じ傷を持った人間同士の感覚、としか言いようがないのだが、言ったところで作り話と言われたらこちらから提出出来る証拠はない。
『悠生:敢えて言うなら会話をすることが目的、でしょうか』
『悠生:こちらから会う気も、何か悪い誘いをしようって計画もないです。むしろ京が授業を真面目に受けないなら、メールの頻度を減らします』
完全に自分のことを棚に上げて授業真面目に受けろ、と言ってるのがなんとも滑稽だ。でもそこは大学生。多少サボったところで卒業させ出来ればいいんだ。
『あかね:じゃあ京は自分の意思で授業中にスマホを弄っていたんですか』
『あかね:あなたから連絡して、京が断れずにやったわけじゃないと』
『悠生:それに関してはそうです、としか』
『あかね:何やってるのこの子は……』
多分、結生さんにも同じことをしていたと思うんだよな……。俺もシスコンの自覚はあるが、京も相当のブラコンだと思ってる。でなきゃこんな怪しい関係、乗り気にならないだろう。授業中のスマホ常習犯--兄への連絡限定--と言われても納得出来る。
『あかね:でもあなたがいるから連絡をしたわけで、結局原因はあなたの存在じゃないんですか?』
明日音さんは京に若干呆れつつも、まだ俺の事を非難する。悪影響を及ぼした結果、と言われたらそうとも言えなくもないしな。
『悠生:確かに最初にメールを送ったのは俺なんで、そう言われると否定は出来ないです』
というか、どれだけ非難されても否定する気はない。傷の舐め合いを他人に理解してもらうメリットなんて、どこにもないのだから。と、思ったが理解されないことのデメリットはあるようで--
『あかね:京のメアドを特定したんですか!?』
『あかね:気持ち悪い』
--完全に回答を間違えた。
捉え方次第……というか、文脈をそのまま捉えたら、確実に俺がやばいやつだ。敵意が更に剥き出しになったのを感じる。
『悠生:妹のメアドに送ろうとして、間違えてしまったんです。そうしたら偶然届いてしまいました』
『あかね:そんな話信じられません』
「だよな……我ながら怪し過ぎる」
案の定、完全に俺を不審者と断定した明日音さんから、否定的な返答が来た。と、それと同時に京からもメールが届いた。
『なんか明日音が私とスマホを交互に見て、哀れんだり呆れたり怒ったりしてますΣ( ̄□ ̄)!』
「京……」
一人だけ呑気に昼飯を食ってる京に、俺も呆れてしまう。京のことでキレられてるんだぞ、と言ってやりたい。だが、言ったところでここに京本人が参戦しても、火に油を注ぐ結果になりそうだ。ここは俺が一人で消火活動をするしかない。
そうなると、京が目の前にいるのは邪魔だな……話の腰が折れるのは避けたい。
『悠生:ちょっと落ち着いて話したいので、明日音さんの余裕があるタイミングでもう一度連絡下さい。さっきも言いましたが、逃げません』
『あかね:言い訳を考える時間が欲しいんですか?』
『あかね:卑怯者』
『悠生:いえ、京の前で百面相してると、京から実況が来るので、明日音さんが不利かと』
これまで素早いレスポンスを続けていた明日音さんの返信が止まった。代わりに一回も返信していない京から追加でメールが送られてくる。
『明日音からいきなりデコピンされました! 何もしてないのに……』
流石に慰めないぞ。
『あかね:家に帰ってきました』
冬ならもう暗くなり始めているが、今の時期はまだ昼のような明るさの頃、明日音さんから帰宅の連絡を貰った。
『悠生:お疲れ様です。昼間の続きですが、答えられる範囲であればお答えします』
家に帰ったのなら京はもう近くにいないだろうし、これで実況されながら本人と会話をするとかいう意味のわからない状況にはならないはずだ。
『あかね:さっきも聞きましたけど、あなたは何者ですか。なんで京を標的にするんですか』
今度は標的と来たか。昼間の返答で完全にこちらが悪だと断定したのだろう。
『悠生:何をしたら信じて貰えるか分かりませんが、何者かについては昼間言ったことが全てです』
『あかね:現実で一度も会ってない時点で信用出来ると思いますか?』
『あかね:第一、あなたのような名前の人が妹と間違えて京にメールを送るなんて事が出来過ぎています』
『悠生:そうですね。最初結生さんと間違えられましたし』
『あかね:あなたがそう仕向けたんじゃないんですか?』
『あかね:自分の名前を偽って、妹という架空の存在を作って、京を信じ込ませて』
明日音さんの鋭いメッセージに、心臓が締め付けられる。
明日音さんが京を守りたいのは分かるが、それは行き過ぎだ。こちらにも守りたい美矢子がいるのだ。それを架空の存在と言われるのを許すことなどできない。とはいえ、相手は何も知らない年下の高校生。京の現実の生活を考えるなら、出来れば穏便に済ませたい。
『悠生:その言い方はやめて下さい』
『あかね:図星ですか? そんな上手い話ないですもんね』
『あかね:あなたは京の過去を知ってるか知りませんけど、あの子には心の傷があるんです』
『あかね:まだ心が回復していないのに、そんな嘘で京に取り入って、何がしたいんですか』
「くっ……」
明日音さんから追い討ちの如くメッセージが飛んでくる。
心の傷、そんなものはこの関係を始めた時から知っている。けど、それを知らないフリして俺たちは会話を続けているんだ。これが俺たちに残された唯一の治療法なのだから。
しかし、上手い返しが何も思いつかない。美矢子を架空の存在と言われたことで思った以上に動揺している。
『あかね:京も京ですよ。こんな怪しい関係、なんで簡単に信じちゃうのか』
「……!?」
『あかね:結生さんの代わりを求めてたからってこんな事しなくても良いのに』
『悠生:やめろ!』
矛先が京にも向いたところで咄嗟に強い口調で返信してしまう。これ以上、俺は京の話を聞いてはいけない。それを確定させてはいけない。
穏便に済ませるとか、もうどうでもいい。
今は二人の「みやこ」を守ること。それが第一優先だろ。
『悠生:いいか、これ以上、踏み込むな』
これまで勢い任せに送られてきた明日音さんの返信が一時的に止まった。
『悠生:明日音さんの京を守りたい気持ちは十分伝わった』
『あかね:なら、手を引いてください』
『悠生:だけど、目に見えているものだけを真実とする君に、俺と京の関係を理解することは出来ない』
『悠生:俺の我儘で続けて貰っている関係なのは否定しない。京が巻き込まれたことも事実だ』
『悠生:でもな、あの子がもうやめると言うまで、俺はみやこの味方で居続けるつもりだ』
『悠生:これ以上はもう話せることは無い。明日音さんも京の味方というのなら、よく考えて発言することだ』
明日音さんに代わり、今度はこちらが勢い任せにメッセージを送り付けて話を断ち切る。既読が付いてる辺り、読んではいるだろうが返信はない。俺はスマホをソファに放り投げて息を吐いた。
「……感情任せに話すのは、いつ以来だろうな」
昔は美矢子と喧嘩した時によく感情任せになっていた気がする。けど美矢子が死んでからというもの、周りも自分自身すらも俯瞰的に見て、どこか他人事のように感じていた。
「俺はどうやら『みやこ』という存在に振り回される運命なのかもな……はっ、だっせ」
俺は天井を仰ぎ見て、自身を嘲笑する。ちょっと問い詰められたからって年下相手にムキになるだなんて馬鹿らしくて本当にダサい。
結局、感情的になるのは美矢子の時ばかりってことだ。でも今回の感情にはもう一つ、京も含まれていることは感じていた。
「いつ終わっても良い関係だと、割り切ってたつもりなんだがなー」
感情任せに送ったメッセージだったが、味方で居続けることに嘘偽りは無い。もう簡単に手放せるタイミングは過ぎてるんだ。だったら美矢子の代わりに、京が幸せに暮らせる手助けをしていきたい。
そんな覚悟のような決心がついた時、タイミングよくスマホが鳴った。この着信音は京からだ。
『用事は終わりましたか? 明日音も用があるらしいので放課後ぼっちでした(;_;)』
「……ははっ、台風の目のくせに何言ってんだか」