プロローグ 捨てましょう
ソリア神聖王国の首都にある貴族が住まう官邸。
真っ白な外壁と広大で緑が華やかに目立つ庭。邸宅には一つの汚れもない窓が太陽の光に反射した輝く。
噴水も当然の如くあり、その近くでは使用人達が清掃している。
「はあ――――自由って、いいわね」
笑顔で喋りながら掃除を続ける使用人を見つめて独り言を呟くのは――――私、アヴァカン・キーレフ。
最初に言っておくと、私は王国でも屈指とされる貴族に生まれ、そこで育ったエルフの令嬢。そんでもって昔は路上喫煙とか大麻吸引とかしていたから、いわゆる「悪役令嬢」に分類されると思う。
……あの頃は、まだ自由だったな。
実は私の実のお母様は10歳の頃にガンで亡くちゃって、その後はお母様の妹が親代わりになったんだけど、それがまさに地獄の始まりで、今も続いている。
最初のお母様は私がやりたい事を色々とやらせてくれて、私がこれをやるのは嫌だと言ったら放置してくれた。けれど、妹に親権が渡った瞬間、私の自由奔放な生活は終焉を告げた。
休日以外は朝から夕方までずっと勉強。休日でさえもお母様……いや、クソ女の秘書を強制的に任されていて、自由な時間はもはやトイレとお風呂ぐらいしかなった。もっと言えば、そういった行動もアイツに監視されていた。
恋愛ももちろん禁止。近所に好きな人間の男性がいたけどクソ女が勝手にドワーフのキモヲタ社長を婚約者に決めたせいで、ソイツ以外との交際は一切許されなかった。
これじゃまるで、刑務所の囚人みたいじゃない――――と、心で悲しく囁く。
……いや、囚人は一応大切な人と面会できるけど、私は友達と会うことすら禁じられている。これなら、いっそ犯罪に手を染めて刑務所に入った方がマシかもしれない。
「はあ、ホント腹が立つわ」
クソ女に与えられた課題を黙々と進ませていたが、それをくしゃくしゃにして床に叩き付ける。
少し休憩しようかと椅子から腰を上げた時、ドアがノックされた。この気配は確実にあの女のものだ。
「お母様、今行きますね」
死ねとか殺すとかボケとかを真正面から浴びせてやりたいが、そんなことをしては座敷牢に放り込まれるので態度を穏やかなものに変える。
ドアノブを捻り、そっと開ける。
黒のドレスを纏い腰まで伸ばした艶やかな銀髪の女――――コイツこそが、私を束縛する最低最悪の独裁者。
「あらアヴァカン、お勉強してたの?」
「そうですよ。楽しかったです」
破り捨てた宿題の存在を思い出しながら答える。
「そう、偉いわアヴァカン」
醜悪さがひしひしと伝わってくる笑顔で私の頭を撫でる。触るなクソ女、と叫びたい気分だ。
撫でられるのが終わると、クソ女が、
「アヴァカン、あなたに会わせたい人がいるの」
「会わせたい人……ああ、あのお方ですね」
誰のことかすぐに分かってしまい、微笑みながら返す。
新たな足音が発生。
これは、安全靴から立たせられる音。
「やあアヴァカンちゃん、僕が来たよ~」
そして、気色の悪い声が続いて。
クソ女の背後から現れたのは、作業服を身に着けた汗だらけのドワーフのおっさん。このおっさんはクソ女が決めやがった婚約者だ。彼はこんな身なりだが王国ではトップ5に入る建設専門の大企業の社長である。とはいっても、親のコネで成り上がっただけなんだけど。
「じゃあ、私は一旦離れるから二人でここで遊びなさい」
「はいお母様、ではこれで。あなたもこちらに」
微笑みの表情を貼り付けてキモヲタ社長をベッドにまで誘う。本当は嫌だけど、横に並んで座って彼と談笑しているのだ。
ところが、今日は何やら様子が違う。
普段も相変わらず不潔な雰囲気を漂わせいるが、今に関してはやけに鼻息が荒いし……香水みたいなのも付けている。
「アヴァカンちゃん……」
不敵な瞳で私を見つめ、肩を力強く掴む。口からは不浄な涎が垂れる。
「ちょ、ちょっと社長さん……!?」
とても怖い。
必死に抵抗するもクソ女のせいでまともに運動できていないため、力が貧弱な私はおっさんに押し倒される。
「綺麗だよ、僕のアヴァカンちゃん……」
汗が滴る指で私の髪を触られると、その手はどんどん下の方へ下りていき、胸元のボタンを摘ままれた。
これは本当に命に関わるかも――――と直感し、少ない力を総動員して奴の股間を蹴り上げた。
柔らかい感覚が爪先に伝わると同時にキモヲタが股を手で押さえて悶絶。
「ぐぎゃぁぁぁぁああああああ! 痛い痛い!」
「黙れクズドワーフ! お前のせいで私は……!」
まだだ。まだ物足りない。
怒りに突き動かされ、棚にあった花瓶をおっさんの頭に叩き下ろした。
「いだぁぁぁあああい! アヴァカンちゃん何でこんなことするのぉぉぉおおお!」
キモヲタ社長は泣き叫び、あまりにその呻きが激しかったのか館の使用人が駆け付けて来て、この出来事は一旦収束した。
夕飯の時に使う食堂にて、私とクソ女は椅子に座り互いに向き合って話していた。
内容は言うまでもなくさっきの暴行だ。
「アヴァカン! 婚約者の人に何てことするの!」
「あれは申し訳ありませんでした。でも――――」
「何? 言い訳? だったらこうするしかないわね」
パァン! と甲高い音が私の頬から響く。
ビンタを受けたみたいだ。しかもクソ女の手には殺傷能力を高めるためのメリケンサックが着けられている。
母親代わりなのに酷いことをするなぁ、と思った私は静かに席を立ち上がり、財布の残金を確かめた。
もうこのゴミ女とはやっていけない。
家出を決意した瞬間だった。