『破天のディベルバイス』第10話 来るべき明日⑨
⑦アンジュ・バロネス
作業船ガンマの格納庫から、カタパルトデッキの真下にドッキングされた攻撃空母ニーズヘグ。そのブリッジ。
ダークギルドの他のメンバーたちが個室に戻っている中、ダークは就寝時間になってもそこに居座り続けた。まだ”人質”であるアンジュは、ドラゴニアが改造されて個室が生まれても、そこには入らずダークの傍に居た方がいいのか、と思って付き添っている。ジェイソンがディベルバイス本艦のブリッジから居なくなってしまった以上戦闘の際はアンジュが指揮をせねばならないが、現在のブリッジはテンに任せる事にする、と他のユーゲントには話してあった。
* * *
ダークギルドと共にニーズヘグに移動する際、廊下でそのジェイソンに会った。彼はブリッジで寝泊まりする事は避け、余っている一人部屋に移ろうとしているらしかった。アンジュはこの間の祭りの際、彼に「もう皆怒っていない」と伝えたが、彼自身はまだヨルゲンやテンの眼差しに怯えているようだった。
「アンジュ、君は新たなリーダーなのに、ブリッジに居なくていいのか?」
廊下で少し話した際、ジェイソンはそう尋ねてきた。
「私は、ダーク君たちの人質だもの」
「それなら、私が代わろう。どうせ、私はお役御免のようだし……」
ジェイソンの気遣いに、アンジュは何も言えなかった。自分がダークに思っている事を、こうして本気で自分を気に掛けてくれるジェイソンに言う訳には行かない、と思ったからだ。代わりに、ダークが「駄目だ」と言った。
「貴様に至っては、無能な上に船内での立場が完全に冷え切っている。人質として、ここに居る連中にとってこいつよりも価値があるとは思えない」
「何だと……!」
最近沈んでいたジェイソンも、さすがにそこで火を点けられたらしい。拳を握り、ダークに殴り掛かろうと足を踏み出した。が、すぐに彼の傍に控えていたヤーコンが動き、その拳を掌で受け止めた後ボディブローを返した。
「畜生……私だって、アンジュ一人くらいなら助けられると……」
「人質にもならないような奴なら、ディベルバイスにとっちゃただの穀潰しじゃねえか」ボーンが吐き捨てる。「おいダーク。こいつ邪魔だし、殺しちまおうぜ。今ならこんな奴が居なくなったところで、誰も……」
「ジェイソン」
アンジュは今の自分の立場を考え、ボーンに反駁する代わりにジェイソンに向かって口を開いた。
「ありがとう、庇ってくれて。でも……これも、皆の命を預かっている私の役目の一つなの。ごめんなさい」
彼の気持ちはありがたかったが、アンジュはそう言うしかなかった。
決して自惚れではないのだが、ダークは今や自分を、人質以上にギルドメンバーの一人として迎えているようだった。火星圏の革命という目標も、自分にだけは共有されている。それを知ってしまった以上、どのような状況でも自分は彼らの元から離れる訳には行かない、と思っていた。
* * *
ニルバナを出発してから、ダークはずっと何かを考え込んでいる様子だった。一度は彼らに対して反骨精神を見せた彼だが、村人たちによってブリッジで祐二が暴行され、アンジュがそれによって追放を受け入れるという事を決意してから、妙に大人しくなった。
「ダーク君……」
グリニッジ標準時で夜になっても彼が眠ろうとしないので、アンジュは不安になって声を掛けた。彼は、緩慢な仕草でこちらに顔を向けた。
「……居たのか」
「えっ、気付いていなかったの?」アンジュは、逆に面喰らう。「居たのか、じゃないわよ。私が勝手に、あなたから離れる訳には行かないじゃない」
「……自覚が芽生えてきたか」
「そりゃあ、あなたの目的を聞かされてしまったんだから」
ダークは、ふっと鼻を鳴らす。そして、困惑したかのように首を振った。
「お前が、それ程積極的に俺たちと関わろうとするとは思わなかった」
「あなたたちの事は、皆が警戒していたから。知らないといけない、と思ったの。私はユーゲントとして、あの子たちを……後輩を守る義務があるわ」
言ってから、今日生徒たちに浴びせられた非難の言葉の数々が蘇ってきた。守る義務か、と心の中で繰り返した時、どうしようもなく胸郭の内側に針で突かれるような痛みが走った。
祐二の痛みは、アンジュには自分でも痛む程に分かった。自分が今までしてきた事を否定された時の、何か大切なものが抉り取られてしまったかのような空虚な痛み。あるべきものがなくなった、体の一部が不自然に途切れてしまった時の幻肢痛とはこのようなものなのではないか、と思うような痛み。
自分ですら、逃げ出したいと思う程なのだ。その自分の指示で戦い、自分によって追放の受容を宣言された彼は、今どれ程こちらに混沌とした気持ちを抱えている事だろう。それを知りながら自分は、更に彼を戦わせようとしている。
アンジュはそれをごまかす為に、自虐的な笑みを浮かべた。
「もう、あの子たちはそれを望んでいないのかもしれないけれどね」
「………」
ダークは沈黙する。再び口を開いた時、次のような言葉が掛けられた。
「これは、いい機会だとは思わないか?」
「いい、機会?」
思わず、自分の耳を疑う。そして、言葉の意味を認識すると、ついかっとなって声を上げてしまった。
「皮肉で言っているの? この先半年間、先がどうなるか分からない。それなのに皆疲弊しきって、自暴自棄になりかけている人も居る。ユーゲントは、皆を統率し牽引する力を失いかけている。それが、何のいい機会だって言うの? 私が、どれだけ今まで悩んできたと思っているのよ!」
「ユーゲント?」
ダークの口調は、それでも変わらなかった。
「お前の心は、俺たちダークギルドと共にあるはずだ。違うか?」
「それは……」
違う、と咄嗟に言いかけ、アンジュは口を閉じた。自分は今し方、自身がダークと目的を共有する人間だと胸の内で確認したばかりではないか。
「アンジュ・バロネス」
彼は、その黒い瞳を真っ直ぐにアンジュに向けたまま言った。
「お前は、訓練生たちと俺たちダークギルドのパイプ役だ。俺たちにとって、この火星圏への出発は都合の良いものだった。そして、目的を果たす為にはお前の存在が必要だ」
アンジュはその言葉に、自覚もなく視線が彼に釘付けになった。
「私が必要? どういう事なの?」
「俺がディベルバイスを以て目標を達成する為には、ただお前たちの采配に従っているだけという訳には行かない。ユーゲントの支持が弱まっている今、俺たちが新たな舵取りとして台頭するにはいい機会だ。その際、パイプ役であるお前は俺たちの体制にて、潤滑油としての役目を果たすだろう」
渡海祐二とカエラ・ルキフェルはスペルプリマーを保持している、とダークは続けた。「連中に反旗を翻されては、元も子もないからな」
「ダーク君、あなたは……」
アンジュは、彼の言わんとする事を完全に理解した。だが確かに、それを今すぐ止めよう、という気は起こらなかった。これこそが自分の、彼の意思を共有したという事なのだ、と思った。
綺麗事では、誰の命も守れない。その事は、ユーゲントとしての自分も分かっていた。だから今までユーゲントは、皆の意思を無視していると言われても指揮を執り続けてきた。自分も、ジェイソンがブリッジから追い出された時も、ウェーバーが独断を以て生徒たちを押さえ付けた時も、何も言わなかった。だが、それでも皆は納得せず、状況はユーゲントの衰勢に向かい始めた。
安全と秩序の為には、ある程度彼らの意思を黙殺する事は仕方がない。それを可能にするには、今までのような中途半端では駄目なのだ。本来であれば軍律のある世界に生きるはずだった、ユーゲントや訓練生たち。その事を思い出させる為には、もうある程度強力な締め付けが求められ始めているのかもしれない。
それを、ダークギルドが行ってくれるというのなら。
非難の言葉の代わりに、アンジュは声を低めて尋ねた。
「……本当にもう、引き返せなくなるわよ。それでもいいのね?」
それは彼に向けたものであると同時に、自身の決意を問う言葉でもあった。
「生半可な覚悟で名乗られた義賊など、存在しない。もしも存在するのだとしたら、それは独善であり、自身がもたらす救済に自身で酔っている、愚かしく哀れな道化というものだ」
ダークはそう言うや否や、拳銃を抜いて自らの顳顬に押し当てた。その体勢のまま立ち上がり、アンジュに向かって指示を飛ばしてくる。
「ギルドメンバー全員に、緊急招集を掛けろ。我々は明日、現舵取り組を制圧し、ブリッジを占拠する」